<番外編・セイネリア×シーグル> 【5】 セイネリアは、椅子に座ったまま、足を組んでその足を机の上に放り投げた。 我ながら、自分がこれだけ苛立っているという事に、内心セイネリアは驚いていた。 シーグルが、何者かに攫われた。 報告の状況から考えれば、例のアルワナ神官の奴らの所為だと思って間違いはないだろう。 その連中に関しては現在調査中だった。最近シーグルに近づいている男も警戒させてはいた。 全てが後手に回っていた、相手のやり方が予想出来なかった。ジャム・コッカーをシーグルに近づけるなと言っては置いたが、報告役があっさり眠らされて、しかも即行動に起こされたのは予定外だった。 だが一番の予定外は、シーグルが余りにもあっさりと奴らの手に落ちた事ではある。 ――あいつは、一度気を許した人間に対しては甘すぎる。 兵士となるべく訓練を受け、必要な時には心の痛みを殺して相手を斬る事が出来るくせに、一度気を許した人間は馬鹿みたいに信じる。 セイネリア自身もそうやって彼に近づいたからこそジャム・コッカーが同じようにしただろう事が予想出来て、それさえもが腹立たしかった。 いっそあの後、シーグルを捕まえて、奴らの件を片付けるまでどこかに閉じ込めておけば良かったか。そんな事さえ思いついて、それにセイネリアは自分自身驚いていた。 自分は、彼をどうしておきたかったのか、と。 それならそもそも彼を欲しいと思った時点で、彼を強引に捕まえてしまえば良かっただけだ。それをせずに、彼が自らこちらへ来ざる得ない状況に追い込むのがセイネリアの計画だった。 狙われる状況、自分で身を守れないと悟れば、その原因であるセイネリアの元に来るしかない筈。抱いて、体が男を欲しがるように仕向ければ、あのプライドの高い彼は自分に抱かれにくるしかない。 両方の面からシーグルを追い込んで、後は彼が自分に下るのを待てばいいだけの筈だった。 彼が彼のまま、嫌々ながらもセイネリアのものになる。そのためにこの状況を作り上げ、彼を追い込んでいるのは、セイネリアの娯楽だった。それ自身は所詮ただの遊びだと自覚している為、そこまで人手を割くつもりもなかった。それが裏目に出ただけだ。 ――俺は、焦っているのか? この状況になって、自分が予想以上に彼に対して執着しているのだという事をセイネリアは知る。 今まで後悔というものをする事もなかったセイネリアが、彼に関してだけはこうして後悔し、自分の失態に苛立つなど、どれだけの執着を彼に感じているのかと笑いたくなる。 甘いのは自分の方だ、とセイネリアは思う。 自分のシーグルに対する執着を甘く見ていた。心の何処かで、まだ自分はいつも通り、彼が何者かの手に落ちればそれはそれで仕方ないと、彼を諦められると思っていた。 自分がこれだけ彼に執着する理由が、彼が意地を通しきれている所為だと思った。自分に汚されても心だけは守り抜き、尚も強く在れる彼だからこそ欲しいのだと。 シーグルが屈するのも、抱かれるのも、自分以外であってはならない。だからそれが崩れれば、最早彼をこんなに手間を掛けてまで手に入れる気などなくなると、そう思っていた。 ――それが、今の自分はどうだ。 セイネリアは苛立ちと共に、顔に皮肉な笑みを浮かべる。 今までのセイネリアならば、これからの行動方針は単純だった。相手を調べて、自分の獲物を横取りした報復をするだけだ。獲物自身が無事か無事でないかなど、大した問題ではない筈だった。 だが今、セイネリアの関心は、未だ、彼を攫った敵達よりも囚われているであろうシーグルの方にある。 宣言してきた通りなら、あのアルワナ神官の仲間達はシーグルを殺すつもりだろう。だからその前に彼を取り返せれば、彼はまだ無事かもしれない。 そんな事を自分は考えている、それがセイネリアにとって驚きだった。 セイネリアは、彼が無事である事を望んでいた、そう自覚せざる得なかった。 あの時に彼を捕まえておけば、などという愚かな事を考えるくらい、動揺して、焦っているのだと、冷静な部分は自分を嘲笑う。 「そんなにあいつが欲しかったのか、俺は……」 頭を背もたれに預けて、顔を腕で覆う。 今まで、こんな事態がなかった訳ではない。 セイネリアが気に入って手元に置いておいた青年が、攫われた事は過去にもあった。 あの時のセイネリアは、攫った連中を徹底的に潰した、勿論、連中の要求など全く取り合わずに。そして、その時点で、セイネリアはその青年を諦めていた。 結局、彼は死亡し、セイネリアの元に帰って来たのはその亡骸だけだった。 彼は自殺していた。敵の手に落ちた段階で、セイネリアに迷惑をかけないようにと。 彼の骸を前にしてもセイネリアの感情が揺れる事はなく、死んだ理由を聞いて満足して笑った覚えがある。セイネリアの物として、一番セイネリアの為になる行動を取った彼を、出来るだけ丁重に弔ってやった事を覚えている。 だが。 現時点で既に、状況が似ているにも関わらず、セイネリアは自分の心情が全く違う事を自覚していた。 ただ、状況が似ているとはいえ、あの青年とシーグルの立場は全く違う。シーグルがセイネリアの為に自害する事はない。 ふと気付けば、彼が助かる可能性を探している自分がいて、その愚かさ加減にセイネリアは自分で自分を笑いたくなる。 感情というのは厄介だ。 理に合わない行動をしている自分自身を、理性で抑えきれなくなる。 だがそれは、いつもセイネリアにとって他人事の筈だった。 感情に振り回されて行動するなど、セイネリアにはあり得ない事だった。 愚かしい、と自嘲の笑みが沸く。 いつも通り、奪われた獲物よりも、敵を潰すべきだと頭では分かっている。 たが、どれだけ自嘲しても、これだけ自分が執着している相手を諦める気はセイネリアにはなかった。 外が、少しだけ騒がしくなっている。 気付いたセイネリアは窓の傍へと行き、そこから門の様子を伺った。 「来たようだな」 セイネリアは再び椅子に深く座る。 目を閉じれば、程なくして、彼の元へ走ってくる足音が部屋へと近づいてきた。 セニエティの街を西門から出て北へ行けば、歩いても半日程度で海沿いの道に出る。 ここは街道ではなく、通った者達が作った自然な道であるから、当然狭く、辺りには何もない。この先は海沿いに点在している漁村達に続いているが、そこまで人通りは多くなく、いいところ日に1,2組通るかといったところだ。 当然、道とはいっても雑草は生え、ところどころに邪魔な石が転がっている。海からの潮風で、雑草達が歩くのに邪魔になる程にまでならないのが幸いして、通る人間が少なくとも、いわゆる獣道のようなものにはならずちゃんと人間が通る道の形をしてはいた。 その道の途中、海にせり出して丁度岬のようになっている場所に、セイネリア一人で来いというのが向こうの要求だった。 馬を降りて、セイネリアは辺りの様子を伺う。 何をしているのだ、という思いがセイネリアには勿論あった。 相手の要求に対して、セイネリアが身の危険を感じる要因はほぼない。 武器を捨てろとといわれても、魔剣の主であるセイネリアは何時でも剣を呼べる。相手が少数な事も分かっている。 だが、この手の要求に今までセイネリアが応じて来なかったのは、敵に対して弱味を見せない為だった。セイネリアが脅迫に応じるような人物だと思われたら、同じ手を考える人間が必ず出る。だから、応じない事こそが、自分の配下を守り、敵に隙を見せない最善の方法だと分かっていた。 だが、セイネリアは今、初めて敵の要求に応えてこの場にやってきた。 愚かだと嗤う自分がいる。 それでも、まだセイネリアはシーグルを諦める気になれなかった。 「今回は、来たんだな」 海のある反対側、セイネリアのいる位置からは後ろになる森の中から、一人の男が姿を現した。 いかにも冒険者といった出で立ち、その外見的特徴を上げてみれば、部下の報告にあった人物とほぼ一致する。 「ジャム・コッカーだったか。最初からそのつもりであいつに近づいたのか」 「そうだ」 つまり、あいつはまた裏切られた訳か、と何故かそんな事を苦々しく思う自分をセイネリアは理解出来ない。 「……何故、リオの時は行かなかった。覚えているだろ、リオ・エスハだ」 その言葉で、復讐者だといった彼らの復讐の意味がセイネリアには分かった。 「リオはあんたに心酔してた。あいつからの手紙には、あんたがどれだけすごい人物かって話しばっかり書かれてた。あいつはあんたの為に尽くしていた筈だ、なのにあんたはあいつを裏切ったんだ」 「裏切ったつもりはないな」 表情も変えずにセイネリアは言う。 即座にジャムは叫んだ。 「黙れ、貴様がリオを見捨てた事実に変わりはない」 裏切ってはいない、が、見捨てたというのなら否定はしない。 死んだ男を思い出して、セイネリアは口元を皮肉げに歪める。 リオ・エスハは、セイネリアが騎士団を辞め、傭兵団を設立した後間もなく部下になりたいと言って来た男だった。当時、あまり団員を増やすつもりのなかったセイネリアだが、銀髪に青い目という彼の容姿に興味が湧いた。騎士団を辞める時に見た少年騎士、その本人でない事は分かっていたが、真っ直ぐな瞳はなかなかに似ていると思ったからだった。 だから最初は、ただの代わりだった。 目を掛けてやって、何度か抱いた。 真面目すぎる彼はあまりにもセイネリアに忠実すぎて、だがその様子がなかなかに面白くて手元に置いてやっていた。貴方のように強くなりたい、と言っていた彼は、許されればどこにでもついてきて、誰が見てもその当時はセイネリアの一番のお気に入りに見えた。 だがその所為で、彼はセイネリアを脅そうとした連中に捕まった。 そして――。 「あいつは俺の部下だった。俺は部下の為に脅迫などに応じない、あいつ自身もそれは分かっていた」 ――だから、自害した。 主であるセイネリアにとって不利な材料になるのなら、と自ら死を選んだ。 「俺は部下に言ってある。助けられる状況ならば助けるが、助けるよりも見捨てた方がいいと判断すれば助けない。だから、死にたくないのなら自分で対処するか、手遅れになる前に言えと」 ただし、見捨てた場合、報復はしてやる。 それが、部下になる者に言っている言葉だった。 当時、リオを捕まえた連中は、今では殆ど生き残っていない。 生きている者は生きている事を後悔するような目にあわせている。 部下を盾に取っても意味がないのだと、逆に回りに知らしめる事が出来た。実際あの後、敵対しようとしていた連中はかなり大人しくなった。 更に、部下達には今後こんな事が起こらないように、互いに連絡を取り易くする手段を作った。あれ以降、本人のミス以外で敵の手に落ちた者はいない。だからこそ、傭兵団の外にいるシーグルが狙われているというのがあるのだが。 「リオは……あんたを好きだった。……愛してた」 「関係がない。俺にとってはただの部下の一人だ」 「あんたはリオをこれ見よがしに連れまわして、お気に入りだって見せて回ったんだろ、その所為であいつが狙われた」 「あいつが勝手についてきただけだな、捕まったのはあいつの責任だ」 「ふざけるなっ、貴様は勝手にあいつを利用して、弄んで、あげく使い捨てただけだ」 「最初から、そういう契約だ」 冷静なセイネリアの声に対して、ジャムの声は益々感情的になり、声が掠れ、高くなっていく。 「貴様、他人を何だと思ってる。モノじゃない、あいつの気持ちを考えた事はないのかよっ」 「俺は強制はしていない、奴自身の意思だ」 どれだけジャムが叫ぼうと、セイネリアの声にも態度にも動揺は一切表れない。 実際、セイネリアの言っている事は全て事実だった。気に入っていた分その死を惜しいとは感じはしたが、状況的に、どちらにしろ彼の死は決っていたようなものだった。彼が敵の手に落ちた段階で、既に彼の存在価値はセイネリアにとって終わっていた。 むしろ、死因を知って彼を見直してやったくらいで、それでもセイネリアにとっては今までにないくらい、死後も気に掛けてやった方だった。 「噂通りだな、冷酷な……人の心のない化け物め」 憎しみの瞳をずっとセイネリアに向けていたジャムが、だが、そこで顔に歪んだ笑みを浮かべる。 「だけど、あんたは今日ここに来た。なら、彼の為なら話は別なんじゃないのか?」 セイネリアの表情は変わらなかった。 けれども、その心の内に全く動揺がないと言えば嘘だった。 「シーグルは俺の部下じゃない」 言いながらも、詭弁だとセイネリアは心の中で自分を皮肉る。 ジャムの顔が益々凄惨な笑み浮かべ、目元が醜く歪んでいった。 「彼がどうなったか知りたいか? なぁ、セイネリア」 セイネリアは答えない。 けれども、瞳を僅かに細める。 「お前のオンナだそうだからなぁ、とりあえず皆で犯してやったぞ。休む間もなく突っ込んで、体の中も外もどろどろにしてやった」 セイネリアの眉がピクリと揺れる。 「犯しながらあの白い肌にナイフつきたててさ、綺麗な目ン玉もつぶしてやって……血と精液が混ざり合って白と赤のまだらの液に塗れながら、足開いて腰振る姿はそりゃー可愛そうだったぜ。今も仲間が犯してやってるとこだろうけど、あのままじゃまだ生きてるかは分からないなぁ」 ぎり、と我知らずセイネリアは歯を噛み締めた。 掌を強く握り締める。 頭の中は怒りに燃え滾るようなのに、腹の中に冷たく重い感覚が溜まっていく。 こんな感覚はセイネリアにとって初めて味わうものだった。 だが。 「お前のオンナはなかなか良かったぞ。穴の具合も良かったが、尻を振って喘ぎ捲くって泣いて許しを乞う姿は最高だった」 途端、セイネリアは僅かに目を見開く。 ゆっくりと口元に笑みが湧く。 ――まだ、シーグルは無事だ。 それは確信だった。 本当にシーグルを犯したのなら、そんな当たり前のように『喘ぎ捲くって』などと言える筈がない。ましてや、何があってもあのプライドの高い彼が泣いて許しを乞う訳がない。例え目を潰されたとしても、シーグルがそう簡単に屈する筈がなかった。 様子の変化に気付いたジャムが、あれだけ言葉をたたみかけようとしていた口を閉ざして、セイネリアの顔をじっと見つめる。 セイネリアに自覚なく浮かんでいた動揺の気配は消えうせ、じっと感情のない瞳でジャムを見つめ返す。 暫くジャムはセイネリアを見つめた後、溜め息をついて顔に笑みを浮かべた。 「……嘘だよ」 それから、喉を震わせ、声を上げて笑う。 ひらけた空に、男の笑い声が響く。 「あぁそうだ、嘘だよ、今いった事はな。まぁ、こっちが言う前にばれたみたいだけど。流石にあんたも馬鹿じゃないか」 笑いながら頭を掻いて、肩を竦めて見せる。 セイネリアには、男の意図が理解出来なかった。 「随分あっさり認めたな」 だからそう言ってみれば。 「目的は果たしたからな、別にばれても構わないさ」 「どういう事だ」 「貴様に教えてやる筋合いはない」 声を上げて笑う事をやめたジャムは、今度は別の笑みを顔に浮かべる。 先程見せた、凄惨とも言える憎しみの笑みを。 セイネリアにとって、相手を読めないという事は相当に珍しい。自分の予定通りに動いてくれるような相手ではないという事は、その事だけでも分かる。 「俺は確かめたかっただけさ」 「何をだ」 「さぁてね、あんたに俺の気持ちは分からない……けどな」 ジャムは顔から笑みを消す。 じっとセイネリアを見て、やがて眉を寄せ、まるでセイネリアを憐れむような視線を投げるとすぐに目を閉じた。 そうして、唇だけつりあげて、笑う。 「きっと、もうすぐ分かる」 言いながらジャムが片腕を高く上げた。 それが合図だったのか、どこかから指笛らしき高い音が聞こえ、それと同時に鳥の大群がセイネリアのいる場所の下、つまり崖の下から一斉に飛び立った。 鳥の群れはセイネリアのいる周囲を通過し、そのまま空高く飛び上がっていく。 セイネリア自身はそれでもジャムから目を離さなかった。 だが、傍にいた馬がパニックを起こし掛け、それを宥める為に一瞬目を離した隙に、ジャムの姿は今まで立っていた場所から消えうせていた。 |