それはすべて小さな奇跡





  【3】




 空はどうにか晴れ空。
 まだ早い時間というのもあって、山の空気は少し冷たく、けれども山登りで火照ってきた顔を心地良く冷やしてくれる。

「大丈夫か? 休憩するか?」
「いえ、大丈夫です、こう見ても体力は結構あるんですよ」

 山奥の小さな村、となれば、馬車などある訳もなく、エル・エルの街から先は当然徒歩になる。
 かつて何度も往復したことがあるシェスにとってはたいした道ではないが、神殿から出た事もないような神官様には辛いだろう。
 道中の荷物は殆どシェスが持ち、ペインには手頃な木の棒を持たせて杖代わりに付かせているが、それでも息が上がっているのは仕方ない。
 それでも彼は、思った以上にがんばっているとはシェスも思う。
 彼の言った通り、そのひょろっこい体の割りには、一応座り込む事なくついてきているし、神官の割に体力はある方なのだろう。頭の方はちょっとおめでた過ぎて理解出来ないが、根性はそれなりにあるのかもしれない、というのがシェスの評価だ。
 とはいえ、流石にそろそろ限界だろう。
 何度か足が躓きそうになっている彼を見て、シェスは彼に休憩する事を告げた。

「だ、大丈夫です。まだ、歩けます」

 ぜいはぁと荒い息をはいているくせに、そんな強がりをいう彼に呆れつつも、シェスは彼の頭を上から押さえつけ、切り株の上に強制で座らせた。

「ばーぁか、村までの道のりでいや、今はまだ半分ってとこなんだよ。ここで無理して後で歩けないってとこまで潰れられると困んだ、適度にペース配分して、休み休み行くことを考えろ」

 頭を押さえつけられながらも、まだ立ち上がろうとしていたペインは、それを聞いて流石にがっくりと体の力を抜いた。

「半分……ですか」
「そ、後半分、さっきまでのペースで最後までいけるってんなら出発するけどさ」

 そこで返事をしてこないところは、彼も自分の限界を分かっている。
 得意のおしゃべりさえしてくる事なく、黙って休憩している彼に、少しだけシェスの機嫌もあがる。

「ま、水飲んでしっかり休憩しとけ。あぁ、そんなケチんないで結構好きに飲んでいいからな。途中で汲めるとこあるし」

 水袋を渡せば、ペインはごふごふと喉を鳴らして水を飲む。流石のお気楽日向ぼっこ神官も、これだけ疲れているとそのお気楽ぶりを発揮することも出来ないらしい。
 ぐったりと座り込む彼をみながら、シェスも自分の水袋を取り出して水を飲む。
 だがそこで、こんなところにはやけに珍しく、自分達以外に道を上がってくる人影が見えた。

「おーい、坊や達」

 それがどうも自分達を呼んで手を振っているらしいというのが分かって、シェスはペインに待つように言ってから相手の元へと近づいていった。

「俺達に何か用か? おっさん」

 身なりからすれば、軽装の冒険者といったところだが、別段悪い人間の印象は受けない。

「もしかして君たちはグラスヒルスの村に行くのかな?」
「えぇまぁ、そうだけど」

 そこで男はほっとしたように満面の笑みを浮かべる。

「あぁ、やっぱり。それなら良かったよ。おじさん達も村に行きたいんだが、どうにも道に迷ってしまってね」

 人の良さそうな笑顔を浮かべる男は、やはり特に問題はなさそうに見えた。格好からして、自分達のように、冒険者として村への遣いか何かの仕事を受けたのだろうとシェスは思った。

「それじゃ、俺たちと一緒に行きますか?」

 だが、そう言ってみれば、男は困ったように考え込み、そして申し訳なさそうに頭を掻いた。

「うん、そうして貰えると助かるんだけど、実は俺にはツレがいてね。そいつは荷物と共にもっとずっと下の方で待ってるんだよ。俺は君らの姿が見えて急いで追いかけてきたんでね。……うーん、村への道はわかりにくいかな? もし教えてわかりそうな道なら、行き方を教えて欲しいんだけどな」
「いえ、いくつかポイントだけ覚えておけば後は道なりなんで……」

 子供に向かって丁寧に腰を折ってまで頼みごとをしてくる男に、シェスは出来るだけ丁寧に村までの行き方を教えた。
 男はやはり丁寧に何度もシェスに礼を言って、そうして道を引き返していった。

 グラスヒルス村は、秘境の村、という程山奥ではない筈だが、村人以外は役人と、年に数度くる旅回りの物売りくらいしかこの道を行き来する事はない。当然、道とはいっても雑草が道を隠したり、雨と土砂で道の形がわからなくなっていたりとかは珍しい事ではなく、きちんとした場所を知っていないとたどり着くのは難しい。
 だが、だからこそ盗賊やらに襲われる事もなく、村は平和でいられたという事もあるのだが。
 とにかく、相方が荷物と共に待っているという事は、おそらく何か、そこそこの大きさの荷物でも届けに来たのだろう。
 考えながら、シェスがペインのいる場所まで戻れば、待っていた少年神官はかなり体力が回復したらしく、帰ってきた途端に抱きつかれた。

「良かった、シェス、無事ですね」
「単に道聞かれただけだよ、なーに心配してんだ」
「えぇ、話は聞こえましよ……でも、あの人、ちょっとおかしかったじゃないですか?」

 人を疑うことすら知らなそうなお気楽神官のその言葉に、シェスは思い切り首を捻る。

「何がおかしかったって?」

 シェスの見たところでは、男の話も様子も、おかしいところは別になかったと思う。

「あの人、疲れてない様子でした」

 彼にしては珍しい真剣な顔で言われたそれを、シェスは笑い飛ばした。

「そんなの、大人だし冒険者だし、お前基準の体力で考えるんじゃねーよ」

 それでも彼は引き下がろうとしない。

「でも、道に迷ってたのならそれなりに歩き回ってた筈ですし、そもそも私達の影をみて必死に追いかけてきたのなら、少なくとももう少し疲れてるんじゃないですか?」
「そんなの……それ言ったら俺だってそんな疲れてないぜ?」

 彼がこれほど真剣な様子で話をするのはあまりにも今までのイメージではなくて、シェスはなんだか気圧されている自分に気づいた。

「道を知ってる人間と違って、道がわからない人間はペース配分が出来ないんですよ。疲れ方が全然違います。いくら大人の体力があると言っても、あの動きは疲れてなさすぎです。少なくとも、街からずっと歩いてきている様子ではない、と思います」

 のほほんとした、年中無休日向ぼっこのようだと思った少年の頭は、実は意外によく回るのだとシェスは思った。
 言われれば確かに、おかしいと言えない事もないかもしれない。
 軽装は、荷物を相方のところにおいてきている所為だと思っていたが、けれどもこんな山で必要になる筈のない、短剣よりはそこそこ長い剣を男は腰に差していた。
 そこは百歩譲って護身用に使い慣れた剣をもっていただけだとしても、おりていく男の足取りやその所作はやけに軽く、男が山に慣れているか、相当の実力ある冒険者だという事を示している。
 なんだろう……考えれば考えるほど、決定的といえるものはないのに、何故か嫌な予感がする。
 強いて一言でいうなら……辺境の村へ行くのに道に迷うようなまぬけな冒険者としては、やけにあの男の身体能力は優秀過ぎやしないだろうか。

「悪ぃ、村に着くのはちょっと遅れていいかな?」

 シェスの言葉に、ペインはこくりと頷いた。






 真相は、すぐに判明する事になった。
 道から外れた場所で隠れて待っていれば、相方と男……どころの話ではなく、いかにも人相が悪い、武装した男達の集団が道を上がってきた。

「どうみても、盗賊……かな」

 シェスが呟けば、ペインは不安げに顔をみてくる。

「どうします?」

 血気盛んな若者、とはいっても、シェスだってこの男達相手に一人でどうにか出来るとは思っていない。
 ただ、男達の人数は6人と、そこまで大人数という訳でもなく、もし彼らが村を襲おうとしてるとしても、村で自警団の連中がちゃんと集まって警戒していればどうにか出来そうな人数だとも思う。

「とにかく、村へ急ごう。急いで知らせればどうにか出来ると思う、多分」
「はい」

 だが、そうは決まっても、シェスにはまだ迷う点が残っていた。

「急ぐ為には、奴らより先回りする為に近道を通る事になるんだけど……」
「はい、そうですね」
「そうなると、今までよりも道は険しい。ついて、これるか?」

 正直、この状況で彼は足手まとい以外の何者でもない。
 それでも、彼をここに置いていくという選択肢もシェスにはなかった。連れていく危険よりも、置いていく危険の方が不安要素が多い。
 こんな時なのに、顔だけは緊張感のまるでない、ほわっとした笑顔を浮かべてペインは答える。

「はい、がんばります」

 とはいえ。
 人間、気合いと根性だけではどうしようもない現実というものがある。

 それから数時間後、シェスはそれを現実として噛みしめていた。
 実際、ペインはがんばっているのだ。
 道なき道を、ロープを張って登り、休憩さえロクに出来ず、足を滑らせたら大怪我をするような緊張感に常に追い込まれている。
 こんな道を神官様についてこいと、シェスが言っている事の方がそもそも無茶だった。

「こっちの蔓に掴まれ、急がなくていいから慎重にな」
「はい」

 ペインは先ほどから、はい、以外の言葉はしゃべらない。しゃべっている体力もないのだというのがシェスにはわかっていた。

「足下、滑るから。手だけはしっかり蔓掴んでるんだぞ。上までいったら、俺がロープ引っ張ってやるからがんばってくれ」
「はい」

 シェスだって正直きつい。
 先ほどからずっと先に上っては彼をロープで引っ張りあげている為、握力がかなり怪しくなってきていた。
 だから。
 がらり、と音がしたのが先か、シェスが振り返ったのが先か。
 落ちていくペインに手をのばして、シェスは確かに彼の手を掴んだものの、握力が足りない掌からするりと滑るように、彼の手は落ちていく。
 ガラガラと、土と人の物量が落ちていく音。上がる土煙。
 おそるおそる下をみたシェスは、倒れているペインの姿を見て背筋を震わせた。

「おい、ペインっ、大丈夫かっ」

 けれど彼は動かない。
 シェスは出来るだけ急いで、彼が落ちているところまで蔓を伝って下りていく。

「ペインっ、ペインっ」

 倒れる彼を恐々ゆすって、必死で名を呼ぶ。
 そうすればやっと彼は身じろぎしながら目を開いて、シェスはほっと息をついた。

「大丈夫か? 何処か怪我したか?」

 まだ何処かおぼつかない瞳の彼は、それでもシェスの顔を見るとへらっと緊張感が抜けるような笑みを浮かべて、無理矢理起きあがろうとする。

「おい馬鹿っ、無理すんなよっ」

 思わず叫んでしまったシェスを制するように、彼は掌をシェスの前に出して、それから顔を顰めながら、確かめるように体の各所を順番に動かしていく。
 そして。

「神よ、その慈悲深き救いの手をここに……」

 呟く治癒魔法の言葉と共に、彼の顔から苦痛の色は消えていく。
 一通りの術を掛け終わった彼は、再び体の各所を動かして状態を確認し、泣きそうな顔でそれを見ていたシェスに笑い掛ける。

「大丈夫です。怪我なら自分で治せますからね。さぁ、急ぎましょう」

 にこにこと、のんびりした笑顔の少年は立ち上がり、最初から登り直しになってしまった崖に向かう。
 ただ、後ろからみたその体は肩で息をしているのがわかる。

「くっそぉっ」

 思わず地面を殴ってシェスは叫ぶ。

「……せめて、煙玉があれば……」
「煙玉?」

 呟いた声に、ペインが振り向いて聞き返した。

「村の自警団の信号代わりでさ。煙玉3つ上げたら、やばいの来たから警戒しろって意味なんだ」

 ペインはそれを聞いて考え込む。
 シェスは悔しくて地面を叩いていた。

「シェス、煙玉の代わり……くらいは出来るかもしれませんよ」




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3です。すいませんH直前までいかなかったです。
長くしたくなかったのになぁ……。



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