秋田・消えた村の記録 2000年秋 その1
秋田・消えた村の記録 2000年秋 その1
秋田県琴丘町茨島,大潟村,
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上小阿仁村中茂,大錠,八木沢
廃村・大錠の冬季分校跡にて。
2000/10/7〜10/8 琴丘町茨島,大潟村,上小阿仁村中茂,大錠,八木沢
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# 13-5
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出発は10月の3連休(土・日・祝日)の初日,東北新幹線「やまびこ」の大宮発は8時22分。デッキには立っている方もいます。天気はすこぶる良く,滑り出しは上々です。行程では盛岡で途中下車して冷麺を食べるなど,のんびり休日モードです。
初めて乗る秋田新幹線「こまち」の盛岡発は13時33分。乗客は田沢湖で半分ぐらい降りて,その後はゆったりした雰囲気となりました。車窓から見る田んぼは,暑かった夏を反映してか,刈入れの終わった後に芽が吹いて緑色になっていて,春のようでもあります。
秋田で「こまち」から奥羽線のローカル電車に乗り換えて,八郎潟駅着は15時58分。改札には佐藤さんが迎えにきてくれていました。
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# 13-6
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「どこか廃村へ寄っていきますか」との佐藤さんの声に,「それでは・・・」とリクエストをして,以前佐藤さんから送っていただいた河北新報の特集でカラーの写真入りで取り上げられていた茨島(Barajima)という集落跡に向かうことになりました。
茨島の戦後最盛期の戸数は8戸,移転年は1972年(昭和47年)。大潟村の隣町の琴丘町にあるため,佐藤さんは何度も足を運んでいるそうですが,道が舗装されたり,廃屋の傷みが激しくなってきたりで,訪れる度にいろいろ感じることがあるようです。
駅から30分ほどで到着した茨島には,しっかりした作業小屋が1戸あり,それをとりまくように5戸ほどの廃屋が並んでいました。
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# 13-7
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大潟村に着いて「ポルダー潟の湯」に行くと,雨の中バイクで足を運んだ1年前のことが,ほんの少し前のように思えます。
佐藤さん宅の野菜はぜんぶ自家製とのことで,ごはんとともに何を食べても美味しいと,妻とともに感心することしきりです。特に「みずのたま」という野草のおひたしが,ビールによく合いました。
佐藤さんと廃村関係の話を始めると,妻には「何のことやら・・・」になるわけですが,佐藤さんの奥さんも付き合っていただけたので,昨年に比べていろいろな方向に話が広がりました。
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# 13-8
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翌日(秋田2日目)もよい天気。佐藤さんは八幡平の分校跡の写真を撮りに行きがてら「ゆきの小舎」まで送ってくれるとのことで,感謝することしきりです。廃村巡りのルートは,大潟村−八幡平間ということで,上小阿仁村,鷹巣町,比内町,鹿角市となりました。
大潟村を午前10時頃に出て,最初は佐藤さんが写真を撮りたいということで,上小阿仁村に入ってすぐの中茂(Nakamo)という過疎集落に行きました。人が居る様子の家と廃屋が半々くらいの小さな集落の真ん中に作業小屋があると思えば,それが中茂分校の校舎跡でした。中茂分校は1935年開校,1986年(昭和61年)閉校(佐藤さんの資料より)。分校跡の建物の隣には,分校跡を示す碑が立っていました。
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# 13-9
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2番目は,当初の予定にも入っていた小阿仁川沿いの大錠(Oojou)という廃村に行きました。大錠の戦後最盛期の戸数は3戸,移転年は1971年(昭和46年)。「消えた村」では,「萱葺きの住宅が残り・・・」とあるのですが,取り壊されたようで,廃材が道端にマキとなって積まれていました。現在は,集落跡の碑,畑に加えて,養魚場の建物が一軒立っています。
近くに小深沢という戦後の開拓集落(現在廃村)があり,また発電所とその社宅もあったということから,大錠には冬季分校が開設されていました。大錠冬季分校は1951年開校,閉校は移転と同じく1971年。集落から少し離れた川沿いの丘に木製の碑が立っていました。
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# 13-10
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3番目に行ったのは,さらに小阿仁川をさかのぼった八木沢(Yagisawa)です。八木沢は大錠から8km,国道からは12kmも入った標高250mの奥地ながら,商店もあるまずまず大きい集落です。場所柄と大きさから,秋田県内で過疎問題というとよく取り上げられるそうです。
林業関係の家が多く,その低迷とともに人口は年々減少しているとのこと。刈入れが終わった田んぼには,穂が干してあったのですが,佐藤さんによると,年々耕している田は少なくなっているそうです。
集落内には木製の橋があり,佐藤さんはクルマで通過するのを恐がっていたのですが,標識によると2トンまで大丈夫のようです。
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# 13-11
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八木沢の分校跡は,校舎,運動場ともにしっかり残っていて,本校といっても通じる規模です。八木沢分校は1886年(明治19年)開校,1983年(昭和58年)閉校。最後の卒業生は女子児童一人だけで「ひとりぼっちの卒業式」と,メディアにも取り上げられたようです。
佐藤さんの家で見せていただいた写真集に,この「ひとりぼっちの卒業式」の写真があり,女の子がセーラー服を着ているのを不思議に思ったのですが,何でも秋田の地方の小学校の卒業式では,進学する中学校の新しい制服を着て出席するとのこと。「ふーん」と感心すると,横に居た妻も小学校(栃木県塩原町)の卒業式ではセーラー服だったそうです。
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# 13-番外 制服で迎える卒業式
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「小学校の卒業式を進学する中学校の新しい制服を着て出席する」という話は,全国的にはどうなんだろうと,素朴な疑問を感じたので,心当たりに尋ねたところ,長野県や和歌山県の山間部でもそういう慣習があるとか,いくつかの情報がいただくことができました。
ちょっと別の話としては,香川県では小学校でも制服があったとのこと。
この手の慣習は,時代によって変わっていくものでしょうから,現在どうかを把握するのは,なかなか難しそうです。
しかし学校は,全国中の誰もが何らかの記憶を残している場所なので,共通の話題にすると面白いですね。
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