伊勢路の旅籠町の廃村を行く

伊勢路の旅籠町の廃村を行く 三重県飯南町峠


旅籠町の廃村 峠のいわれを記す立て看板です。



2004/8/16 飯南町峠

# 30-1
三重県飯南町の峠(Touge)は,長野県飯田市大平(Oodaira)と同じく,旅籠があった廃村です。大阪ツーリングの計画を立てているうちに,復路で立ち寄ってみることになりました。
峠を通る道は,伊勢本街道と呼ばれ,奈良と伊勢神宮を最短距離で結んでいたことから,徒歩交通の時代は関西方面からの伊勢詣の旅人で賑わいました。峠はその名の通り標高430mの峠(仁柿峠)のてっぺんに位置し,奈良寄り5kmに上多気(Kamitage),10kmに奥津(Okitsu),伊勢神宮寄り4kmに上仁柿(Kaminigaki)があります。上仁柿から伊勢神宮までは穏やかな道で,距離は40kmほどです。

# 30-2
峠の特徴は,集落跡の真ん中にR.368が走るというアプローチのしやすさです。ツーリングでも「訪ねる」というよりも「行き過ぎる」という感じですが,それはとても珍しい形態の廃村といえます。
岸和田2泊,堺2泊の後,大阪ツーリング復路の出発は8月16日月曜日の午前10時頃。旅7日目(ツーリング4日目)の旅程は堺から峠,鳥羽経由伊良湖までの180km。なじみの名阪国道を針で降りて,室生寺を過ぎて,R.369に入ったところあたりからが伊勢本街道。曽爾(Soni)村,御杖(Mitsue)村,県境を越えて美杉村と,新しい道の交通量は少なく,ツーリングにはとても快適です。

# 30-3
美杉村の奥津には,JR名松線の終点 伊勢奥津駅(昭和10年開業)があり,ここでおにぎりを食べて昼食です。駅はちょうど建替えの工事中で,狭いホームでは1両編成の気動車が扉を閉ざして停まっていました。
駅から10kmの街道筋に廃村があるというのは一見不思議なところですが,奥津と上多気間には伊勢本街道最大の難所の飼坂(Kaisaka)峠があり,飼坂トンネルの開通でクルマが通行できるようになったのは平成になってからのことなのです。
宿場があった上多気を通過し,緩やかな坂を登り,飯南町の看板をくぐってすぐの峠への到着は午後1時30分頃でした(奥津から約12分)。

# 30-4
仁柿峠の地形は,あまり峠らしくない小高原状です。まず目に入ったのが,集落の真ん中の三差路にある「史跡 峠」という集落のいわれを説明する「飯南町文化財調査委員会」名の看板です。廃屋をバックにした傾いた看板を見ると「なるほど廃村」と思えてしまいます。
看板と「飯南町史」の記述を要約すると,峠集落は庶民の伊勢詣が盛んだった江戸時代後期から明治期頃にかけて,宿屋が軒を連ねる最盛期を迎え,徒歩交通が廃れた戦後も十数戸が山林業を生業として暮らしてきたが,高度成長期の過疎化の波により,昭和50年10月に廃村となったとのこと。また,峠には分校(仁柿小学校峠分校)はありましたが,お寺や神社はありませんでした。

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# 30-5
一通り歩いて探索してみると,10軒ほどの家屋の中には人気のある家屋があり,他の家屋もほとんどは手入れがなされている様子です。冬も積雪で通行止になる雰囲気ではありません。看板がなければ,峠は過疎集落のひとつと見て通り過ぎていそうです。
「早稲田大学後藤ゼミ」Webの峠を紹介するページによると,現在残る旅籠跡の建物は,「駕篭屋」「松屋」「扇屋」「大和屋」「河内屋」「中村屋」の6軒。しかし,大平とは異なり,名前を刻んだ看板はありません。旅籠跡の建物は,片側に並んで建っており,三差路に近い「駕篭屋」や「松屋」は大きな二階建てで風格があります。しかし,いちばん端の「中村屋」は平屋建てで,作業小屋のようです。

# 30-6
「中村屋」のすぐそばには工事中のバイパスの分岐がありました。もうしばらくすると,不用なクルマの通過は解消されそうです。
人気があったのは,「中村屋」からほど近い民家でした。外で草を摘まれているお母さんが居たのでご挨拶をすると,お母さん(村林さん)は峠出身で,今は松坂にお住まいとのこと。この日は一家で峠の家まで遊びに来られたそうで,夏は涼しくて居心地がよさそうです。
ふと分校のことが気にかかり,お母さんに尋ねたところ,「小学4年まで通った」とお返事をいただきました。場所を確認して足を運ぶと,分校跡はバイパス工事でできた峠橋の横から細い階段を上がったところでした。

# 30-7
峠分校の閉校は昭和46年5月で,閉校直前(昭和45年)は先生が1名に児童は3名。分校跡は高台にあり,集落を一望することができます。見下ろしたところに茶畑があったので,後で調べたところ,飯南町は伊勢茶の茶所とのこと。「何も残っていないよ」というお母さんのお話から,期待薄に茂みをかき分けて奥まで進むと,往時の水回りのタイルが水色と青色の2種類,草に埋もれながらも綺麗に残っていました。
廃村探索をしていると見かける確率が高い水回りのタイルですが,そんなことをkeikoさんに説明しながら,「炊事場だったのかな? 水槽だったのかな? 手洗い用だったのかな?」と想像しながら見るタイルは,ひとりで見るのとは違う味わいがありました。

# 30-8
分校跡から峠橋に戻ると,ちょうど村林さんのお子さんふたり(シューマくんとリナさん)とおばあさんが来ていて,突然の旅人を笑顔で迎えてくれました。お話をするとシューマくんは小学1年生で,リナさんは来年小学校。子供達の声は賑やかで,どんな山奥の村でも,雰囲気を一転させる力を持っています。峠でいちばん印象に残ったのは,シューマくん,リナさんの明るい声だった気がします。
おばあさんにお話を伺ったところ,看板の裏手の廃屋は商店の跡とのこと。峠の旅籠の営業は徒歩交通の頃のもので,昭和初期には茶店になっていたとのこと。後で調べると,参宮急行電鉄(現近鉄大阪線・山田線)の上本町−宇治山田間の全通は昭和6年でした。

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# 30-8
シューマくん,リナさんの見送りを受けて,峠を出発したのは午後2時40分頃。峠の探索は,コンパクトにうまくまとまりました。
2台のバイクはその後,伊勢市に到着しましたが,伊勢神宮は通過して,二見浦に夫婦岩を見に行きました。夫婦岩の近くには現代の伊勢詣・小学校の修学旅行で泊まった記憶がある「大石屋」という宿があり,数えると30年ぶりということがわかり,ちょっとびっくり。
鳥羽からはフェリーで渥美半島に渡り,この日の宿泊は伊良湖の民宿。翌17日火曜日,旅8日目(ツーリング5日目)の行程は伊良湖から中田島砂丘,箱根経由浦和までの360km。悪天の中,箱根の関所を回ったりしながら,最後まで街道筋にこだわりました。



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