皇海山・営林集落跡を訪ねて滝を見る

皇海山・営林集落跡を訪ねて滝を見る 群馬県沼田市平滝,倉見


廃村 平滝(ひらたき)の分校跡近くを流れる川(泙川)の景色です。



2007/7/27〜28 沼田市(旧利根村)平滝,倉見

# 20-1
「廃村と過疎の風景(3)」の大きな目標,関東の「廃校廃村」17か所(当時)めぐりも,2年がかりで「ここに足を運べば初訪は完結!」というところまでたどり着きました。最後まで未訪で残ったのは,かつて群馬県旧利根村の皇海山の麓にあった営林集落の廃村 平滝(Hirataki)と倉見(Kurami)です。
皇海山(Sukaisan)は標高2144m,近くの赤城山や日光白根山に比べると地味な印象の山ですが,日本百名山のひとつに数えられています。
栃木県側の皇海山の麓には足尾銅山があり,「利根村誌」には「明治後期には銅山を経営する古河鉱業によって平滝,津室(Tsumuro),砥沢(Tozawa)といった営林集落が開かれ,足尾で使われる林業資源(用材や木炭など)が架空鉄索により運ばれていた」との旨が記されています。

# 20-2
分教場(児童数110名,大正14年)も開設されていたという銅山関係の平滝林業所が閉鎖されたのは昭和14年。戦争を挟んで昭和26年,企業(三陸木材工業株式会社)によって再び平滝に林業事業所が作られ,昭和31年には従業員子弟の教育のための分校(東小学校平滝分校)が開設されました。
しかし,昭和39年6月より転出者が続出,9月には全児童が転出し,分校は8年半の歴史を閉じました。営林集落の閉村も同じ頃と思われます。
平滝が営林関係の廃村であることは,すでに平成12年,知り合って間もない廃猫さん(「廃屋の猫」Webの管理者)から教わっていたのですが, 埼玉からは「灯台もと暗し」で,なかなか行くきっかけをつかめずにいました。それから7年経ち,ようやく足を運ぶ機会がやってきました。

# 20-3
もうひとつの倉見は,「廃校廃村」リスト作りの過程,平成17年秋に「全国学校総覧」で分校名を見たことをきっかけに見出しました。
「利根村誌」には,「沼田営林署関係従業員子弟のために昭和31年に分校(根利小学校倉見分校)が開校したが,事業が一段落し,従業員の住宅が高泉に移り,昭和35年8月閉校した」との旨が記されています。分校の歴史はわずか4年半,同じ頃,営林集落も閉村となったと思われます。
平滝は古い地形図に文マーク入りで記されているのに対して,倉見はどの地図にも記されておらず,手掛かりは倉見川,倉見林道という名前のみです。平滝は閉校式の前日に建てられたという分校跡の碑を目指して訪ねたのに対して,倉見は「何かひとつ痕跡を見つけたい」という気持ちで訪ねました。

# 20-4
群馬県・皇海山山麓の営林集落跡への出発は,7月27日(金)。くしくもホームページ開設10周年の日で,休日出勤の振休です。丹沢に引き続きソロのツーリングで天気は梅雨明け前ながらおおむね晴。1泊の予定(成り行きによっては日帰り)で,丹沢に引き続き予約はなしです。
南浦和出発は朝8時5分。所沢IC,関越道経由で,「廃村と過疎の風景(3)」では草津行きなどでなじみの渋川伊香保ICに到着したは9時50分。
準備不足のトラブルのため沼田市街で時間を費やしてしまい,日帰りの線はあっさりなくなりました。旧利根村の中心 追貝(Okkai)到着は午後1時半,沼田から旧利根村経由片品村,日光市へ通じるR.120沿いは,観光地色が強くて山に来た気が起こりません。追貝にある景勝地 吹割の滝は素通りです。



# 20-5
観光地色はR.140から脇道に入ると消え,小学校が存続する集落 平川を過ぎ,不動の滝近くからはダートの林道(平川林道)となりました。少し進むと「全面通行止」の看板がありましたが,オフロードバイクということで「迷わずGO!」です。ダートにはあちこちに水たまりがあり,崩れた土砂が堆積している箇所もありました。クルマで走るにはかなりきつそうな荒れたダートでしたが,途中の2か所のゲートはともに開いていました。
途中,三重泉橋(ダートに入って7kmほど)の少し手前には赤い鳥居があり,一瞬「平滝に着いたかな」と思いましたが,地図を調べるとまだ2kmほど先ということがわかりました。平滝は群馬県上野村本谷と並ぶ関東(伊豆諸島を除く)で2つしかないへき地5級の地,なかなか行き着くことができません。

# 20-6
山肌を走ることが多かったダートが川(泙川)に近づき,傾斜が緩やかな平滝集落跡に到着したのは午後2時半。坂を上がりきった場所にバイクを停めて川の流れの音を目指して下り道を歩いていくと,緑の中に幅の広い滝が見つかりました。平滝という地名は,この滝から来ているような感じです。
滝近くには家の敷地跡がいくつかあり,コンクリートの土台も見つかりましたが,肝心の分校跡が見出せません。少し焦りながらバイクを挟んで反対側を見てみると,村の歴史が刻まれた碑と「平滝山荘」という看板があがった山小屋,それと50ccのバイク(モンキー)が見つかりました。この山荘は,「平滝会」という往時平滝に住まれていた方々の会により建てられたもので,中にはいろいろな道具が納められていました。


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# 20-7
モンキーは渓流釣りの方(Hさん,男性)のもので,ちょうど川から戻ってきたところに出会ったので,「こんちわ」と挨拶をしてお話をすると,「平滝は渓流釣りにはよいところだよ」とのこと。分校跡の話をすると,「もう少し行ったところにある」と案内していただくことになりました。
東小学校(のち平川小学校)平滝分校は,へき地等級5級,児童数19名(S.34),昭和39年閉校。山間の分校跡にしては敷地は広く,往時は多くの方々が住まれていたことが想像されます。平滝分校跡の碑は,往時の水道らしきコンクリートの上に建てられていました。Hさんによると,平滝会の方々は,毎年お盆頃に平滝小屋に集まる会を開いているとのこと。学校跡の敷地の草は手入れされており,少人数ならばキャンプをしても楽しそうです。


# 20-8
Hさんを見送ってひとりになってからも,川の流れが近くにあって滝があり,広葉樹林に囲まれた平滝の廃村の風景に,しばし浸っていました。
この日の宿は川場村富士山の「ふじやまの湯」。帰り道の平川で予約の電話を入れ,食事付き,温泉付きの夜をゆったりと過ごしました。
翌28日(土)の起床は朝5時半頃,天気は晴れ。出発は8時15分。沼田IC近くから県道を走り,途中日影南郷では立派なRC造りの廃校があってびっくり(南郷小学校,平成15年閉校)。日影南郷−根利間の集落跡 高泉(倉見集落の方の移転地)には家屋はありませんでしたが,丸太が置かれた土場がありました。根利到着は9時40分。小学校跡(平成15年閉校)を見てから集落内をバイクで走ると,ほどなく「倉見沢川」という看板が見つかりました。



# 20-9
地形図では根利から林道(倉見林道)を3kmほど上がった三差路右側に家屋が記されており,「まずはここを目指そう」とバイクを走らせました。倉見林道は2kmほど走るとダートに変わり,ゲートもありましたが,平川林道よりも道幅は広く,数台のクルマやバイクが皇海山の方向に走りました。
家屋が記された場所にはログハウスが建っていましたが,集落や分校があったという雰囲気ではありません。三差路には,「左側 倉見山元土場」との旨が記されていたので,次はこれを目指しました。土場は三差路から1km弱の左手にあり,高泉と同じく丸太が置かれていましたが,人気はありません。往時からの土場なのかもしれませんが,ここも集落跡,分校跡という雰囲気ではありません。

# 20-10
土場の近くを1時間ほど探索しましたが,痕跡は何も見つかりません。仕方がないので土場よりも上手にバイクを走らせると,右手に植林されたスギ林があり,気配は感じたのですが入っていく気にはなれません。「土場から遠ざかるのは得策ではない」としゃくなげ橋を渡ったところで立ち止まり,しばし考えた結果「心あたりの方の声を聞こう」となり,根利に向かって林道を引き返しました。
ゲートを越えてしばらく走ったところにビニールハウスがあり,農作業の方(Kさん,男性)の姿が見えたので,挨拶をして「倉見の林業集落について,何かご存知ないでしょうか」と話すと,Kさんは「集落は土場の少し上手のスギ林にあった」と教えてくれました。気配は当たっていたのです。


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# 20-11
すぐにUターンしてスギ林前にバイクを置き,気合いが入った探索が始まりました。シダが茂るスギ林の中,川の流れの音を目指して歩いていくと,緑の中に小さな滝が見つかりました。そして滝のそばには,往時の痕跡に違いない一升瓶と茶碗のかけら,湯飲みが落ちていました。
根利小学校倉見分校は,へき地等級3級,児童数20名(S.34),昭和35年閉校。分校跡の痕跡は見つかりませんでしたが,一升瓶で十分満足できました。廃村ではよく見かける一升瓶の発見が,これほど嬉しいとは! 関東の「廃校廃村」17か所めぐり,「廃村(3)」で行っていない旧大滝村小倉沢(平成15年7月初訪)と場所を特定していない上野村本谷(平成17年11月初訪)の再訪は残っているものの,初訪はこれで完結です。

# 20-12
すっきりした気分で根利に戻って,雑貨屋でパンを買ったのは午後1時。林業機械センターに立ち寄ると,古い森林鉄道の客車などが飾られていました。帰り道はダートがある峠越えの林道(小中新地林道)でみどり市(旧勢多郡東村)方面を目指すと,峠の手前で大きなシカに出会ってびっくり。
峠を越えてしばらく走った三差路では,「大滝」という表示につられて右の道を進むと,高さ96m(群馬県一)という大きな滝を見ることができました。思えば滝に縁がある旅です。旧東村の中心 花輪では,昭和7年建立の校舎が残る「旧花輪小学校記念館」(平成13年閉校)にも立ち寄りました。
R.122,R.17など一般道をつないで南浦和に帰り着いたのは夕方6時頃。2日間の走行距離は404km(1日目 230km,2日目 174km)でした。



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