列島横断 廃校廃村をめぐる旅(7)
列島横断 廃校廃村をめぐる旅(7)
新潟県糸魚川市虫川,菅沼,橋立
廃村 菅沼(すがぬま)に建つ分校跡の小さな校舎です。
2008/8/4 糸魚川市虫川,菅沼,(旧青海町)橋立
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# 32-1
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「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」第三陣,2日目の夕方にゴールの新潟県糸魚川市にたどり着き,目標達成となりました。しかし,3泊4日の旅はあと2日続くということで,旅はまだまだこれからです。まずは糸魚川近辺の廃校廃村めぐり,頭を「列島横断の旅のアンコール」に切り替えました。
糸魚川市には姫川左岸(根知谷)のほか,右岸にも虫川・菅沼という廃校廃村があります。また,平成の大合併で糸魚川市となった旧青海町橋立も,それほど離れてはいません。夜の「かざま旅館」では,翌朝の虫川・菅沼・橋立行きと,翌日宿泊の津南町の農家民宿「もりあおがえる」行きの計画を立てました。
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# 32-2
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旅3日目(8月4日(月))の起床は6時頃,残念ながら天気は雨。恒例の早朝出発はあっさり断念して,keikoと駅前の喫茶店でモーニング。keikoは「フォッサマグナミュージアムに行きたい」とのことなので,その時間を単独の廃村めぐりに充てることになりました。
幸い雨は上がり,曇り空のもと,カッパは着ずに朝9時10分に宿出発。宿に戻る予定を11時半としたので,与えられた時間はわずか2時間20分です。
ミュージアム前でkeikoを見送り,左岸から右岸へと姫川を渡り,虫川(Mushikawa)集落跡へ向かう道沿いに流れる川(川の名前も虫川)は,茶色に濁っていました。神社や数軒の家屋が見られる虫川到着は9時35分。古びた標柱に記されていた「虫川関所跡」は,塩の道が栄えていた頃の関所のようです。
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# 32-3
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今井小学校虫川冬季分校は,へき地等級1級,児童数22名(S.34),昭和43年閉校。あたりに人気はなく「どうしようか」と思ったところ,ほどなくもみじマークが付いた軽四輪がやってきたので,運転していたおじいさんにご挨拶し,冬季分校について尋ねました。
「分校跡は車道沿いにあったが,建物は最近取り壊された」とのお返事。また,虫川の家屋は通いで耕作される方の作業用とのこと。
虫川滞在は15分ほど。菅沼(Suganuma)に続く細い道の真ん中には「通行止」の表示。あせりながら表示を過ぎると,ほどなく工事現場に出くわしました。作業の最中でしたが,「オフロードバイクならば何とかなるかな」との声に,危機一髪通してもらいました。
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# 32-4
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虫川から4km,菅沼でまず目に入ったのは不動滝入口と思われる立派な神社の鳥居です。大きな駐車場があり,管理小屋の前には自販機があります。何かと思ったら,そこは不動滝前のキャンプ場とのこと。
菅沼への道は,旅先で存在を知った道が二本(小滝の道と旧青海町横地の道)もあり,横地へ向かう道は橋立行きの近道になるので大助かりです。
虫川・小滝・横地の道の三差路の近くにはなだらかなダートがあり,「集落跡はこの方向かな」とバイクを走らせると,ほどなく古くて大きな家屋が見つかり,無事に菅沼集落跡に到着したようです。稲が育つ田んぼには霧がかかっており,人気のなさもあってちょっと幻想的でした。
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# 32-5
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今井小学校菅沼分校はへき地等級2級,児童数7名(S.34),昭和49年閉校。バイクを停めて,古い地形図や地すべり防止区域の立看板の地図を見ながら「分校はこの辺りでは」と歩いて,いかにも分校へ続くという雰囲気の坂を上ると,古びた小さな建物が見えました。
分校跡の建物が残っているというのも予想外で,頭がしゃんとなりました。外付けの階段を上り二階の様子をうかがうと,黒板や社会科教材の掲示物,「給食用 菅沼分校」と書かれた電熱器などが,往時のままに残っていました。
分校のまわりの田んぼにも稲が育っており,菅沼出身の方々がこの地を手入れし続けていることがよくわかりました。
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# 32-6
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菅沼の滞在時間30分ほどで,地域の方には出会いませんでした。しかし,たどり着くことでわかった風景に出会えて大満足です。
三差路から峠を越えて横地へ向かう道は,峠越えはあるのですが新しいだけあって走りは快適です。横地から青海市街地を過ぎて橋立(Hashidate)への道を進むと,貨物線が走る電気化学工業の大きな事業所が構えていて,稼働中の石灰鉱山がありました。青海は意外に鉱工業の町です。
橋立ヒスイ峡に向かう川沿いの道は観光の方向けな雰囲気ですが,クルマはわずかにダンプが通る程度です。石灰鉱山から3mほどで清水倉(橋立の北部地区)の家並みが見えてきましたが,人気はありません。清水倉では神社にご挨拶しただけで,学校跡を目指して先を急ぎました。
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# 32-7
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橋立小学校はへき地等級1級,児童数48名(S.34),昭和50年閉校。学校跡は清水倉から1kmほど先にあり,周囲に家屋は見当たりません。佐合さんの「木造校舎が残っていた」という情報や,住宅地図の様子から,何かの形で再利用された校舎が残っていることはわかっていました。しかし,たどり着いてみると,二階建ての校舎は草に埋もれていて,今も使われているという雰囲気ではありません。
学校跡記念碑の前から草をかき分けて校舎に入ると,建物はしっかりとしており,閉校後作業場として使われていた様子がありました。センターラインが引かれた階段は,本校の風格があります。棟続きの体育館には「今週のめあて」と書かれた黒板と「橋立林産組合」の貼り紙が見当たりました。
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# 32-8
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学校跡を探索した後は,真砂(橋立の南部地区)にも行ってみました。真砂でも数軒の家屋がありましたが,やはり人気はありません。真砂から少し山に入った場所には橋立金山跡があり,探索するといろいろなものが見つかりそうですが,バイクを停めることなく細い道を走るだけとなりました。
橋立での探索時間も全部で30分ほど。橋立から糸魚川市街は約17km。急ぎ足で帰路をたどると,かざま旅館には11時50分に到着。keikoが旅館の前のベンチで座って待っていたので,話をすると,「フォッサマグナミュージアムも見所が多くあわてて帰ってきた」とのこと。
お昼はたら汁定食を食べて,糸魚川出発は午後1時10分。幸い天気は持ち直し,直江津方面に向かう海辺の国道(R.8)の走りは,とても快適です。
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# 32-9
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上越市に入り,有間川(直江津の10km手前)からは山の道を選んで,上綱子,儀明という2か所の廃校廃村を訪ねて,高田市街からはひたすらR.405を走って,津南町を目指しました。R.405には「棚田ハイウェイ」という看板が立っていて,交通量の少なさと景色の良さは特筆ものです。
津南町に入り,R.405沿いの廃校廃村 樽田を2年ぶりに再訪してから,百ノ木「もりあおがえる」に到着したのは夕方6時頃。この日の走行距離は192km。
「もりあおがえる」泊はこの旅3回目で、keikoと一緒に泊まるのは初めて。農家民宿だけあって野菜がとても美味しい。夜は宿主(中島さん)夫妻と一緒に4日前にオンエアされた「徳光和夫の逢いたい」のビデオを見ながら,和気あいあいと過ごしました。
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