ヤマビルと遭遇した千葉の廃村

番外編T ヤマビルと遭遇した千葉の廃村 千葉県君津市追原


廃村 追原(おっぱら)に残る大きなカエデの木です。



2008/9/28 君津市追原

# 外I-1
「学校跡を有する廃村」の旅が終わり,冊子用の地図をまとめていると,関東1都6県で「廃校廃村」がない千葉県,茨城県の様子が気になりはじめました。
千葉県(旧国名は上総,下総,安房)の気候は温暖で雪はわずかしか降らず,平野も広く,最高峰(愛宕山)の標高は408mで全国一の低さです。東京から近いこともあり,廃村は生じにくいようです。また,へき地等級が付いている小学校は13校しかありません(S.34)。
その中で,君津市の小櫃川上流域に追原(Oppara)・湯ヶ滝(Yugataki)という小さな廃村があることは,「房総の自然と環境」Webなどの情報からわかっていました。よい機会なので,廃村 追原と県唯一のへき地3級校があった君津市香木原(Kagihara)を訪ねることになりました。

# 外I-2
千葉への旅は1泊2日、keiko(妻)と2台のバイクでのツーリングです。出発日(9月27日(土))の起床は7時半頃,天気は晴。この日目指したのは九十九里浜の南端に近い一宮町の知人(守屋さん)宅。九十九里浜には数回行っているのですが,近いようで遠いようで,どのぐらいの距離かピンと来ません。
出発はのんびり午前11時頃。南浦和からはR.298・R.14・R.16など下道をつないで,茂原経由で九十九里浜(長生村一松海岸)に到着したのは午後3時40分。海岸はサーファー達がいましたが,空や海は秋の色です。一宮は4年ぶり二度目,この辺りには定年後に首都圏から移り住む方が多いようです。
この日の走行距離は110km。房総半島は,目指さないと行くことがないので,どこか離島と似ているように感じます。



# 外I-3
翌日(9月28日(日))の起床は朝7時半頃,守屋さんに見送られて一宮を出発したのは朝9時40分。天気は曇りで,この季節にしては肌寒い日和です。
外房海岸沿いのR.128を天津まで走り、JR安房天津駅で一服してから県道(清澄養老ライン)を北上しました。峠を越えて君津市に入り,札郷トンネルを通過すると,左手に吊橋が見えてきました。この橋が追原への入口ですが,地形図には道は記されておらず,住宅地図の点線道をたどるしかありません。
「房総の自然と環境」Webには,「追原には樹齢数百年の大きなカエデの樹がある」との記事と樹の写真が掲載されているので,このカエデを目指して歩くことになりました。橋の近くにバイクを停めて,「まずはご挨拶」と訪ねた橋対面の高台にある観音堂には,スズメバチの巣がありました。



# 外I-4
山道は湿り気が多く,小さなカエルがはねています。お昼頃にして薄暗いスギ林は,往時の畑の跡の様子で,往時のものらしき作業小屋が建っています。小屋を過ぎてしばらくすると草に埋もれている箇所があり、keikoは「何か薄気味悪い」と恐れています。
歩き始めて15分ほど,ドラム缶,欠けた瀬戸物,酒瓶などが見つかり,追原には到着したようですが,行止まりまで進んでもカエデが見つかりません。勘を働かせて行止まりを背にして左側の緩やかな枝道を進むと,石垣の上に大きなカエデが座り込むように立っていました。カエデの回り,スギが植えられた家屋跡の敷地では,コンクリート造りの水槽と石臼のような古い井戸を見つけました。井戸を覗くと,かなりの深さに水面が光っていました。


.. ..


# 外I-5
追原は炭焼きを生業にした山村の様子なので,閉村時期は昭和30年代頃と思われるのですが,市史などを見ても追原の記事は見つかりませんでした。
帰り道,keikoが「痛い」と言ったので足元を調べると,ヤマビルが動いていました。気がつくのが早かったらしく,二人ともほとんど血を吸われなかったのは幸いでした。後で調べたところ,追原では夏・秋にはヤマビルが多数出没するそうで,事情を知る方は冬・春にしか訪ねないとのこと。
追原を含むこの地域の森の多くは東京大学が演習林(東大千葉演習林)として管理しており,広さは21平方kmもあるとのこと。千葉県は「広い平地」というイメージが強かったのですが,意外に広くて深い森がありました。演習林への立入りには制限があり,観光地化が抑えられているようです。


# 外I-6
吊橋まで戻ったのは午後12時20分。出発前,昼食は君津市内のどこかと考えていたのですが,朝に守屋さんから「大多喜町の会所(Kaisho)に分校跡を使ったそば屋がある」と教わっていました。「分校のそば屋」は面白そうなので,そのそば屋「樅の木庵」を目指すことになりました。
追原の吊橋から会所までは約17km、その後亀山・香木原へ向かうことを思うと寄り道なのですが,山間を縫うR.465・県道の交通量は少なく走りは快適です。たどり着いた「樅の木庵」は分校跡の雰囲気がよく残されており,教室を改造した食堂で食べるそばは深い味わいがありました。
老川小学校会所分校はへき地等級2級,児童数28名(S.34),平成13年閉校。「樅の木庵」の開業は平成18年で,今は土日の昼間の営業とのこと。

.. ..


# 外I-7
「樅の木庵」からは,アジサイの名所という麻綿原を回って,君津市に戻って亀山ダムで小休止。亀山から香木原へ向かう県道の交通量は多く,田舎の風情はありません。香木原は20戸ほどの小さな集落で,料金所の手前ながら有料道路に入った場所にあるため「間違えたかな」と焦りました。
香木原到着は午後3時頃。バス停の近くにバイクを停めて付近を歩くと,学校跡は県道からわずかに入った窪地にあり,周囲のほとんどは草木に囲まれて隠れたようになっていました。後で調べたところ,今は君津市の管理にあり,倉庫や避難所などとして活用されているとのこと。
香木原小学校はへき地等級3級,児童数58名(S.34),昭和63年閉校。平屋鉄筋RC造りの校舎前には,「跡地記念碑」と記された石碑が建っていました。


# 外I-8
香木原では学校跡を探索しただけで,帰路をたどることになりました。keikoには「明るいうちには帰る」と話していたのですが,千葉市内に入ったあたりで暗くなってきました。それでも高速に乗らずにR.16・R.357・R.298などの下道をつないで走ると,南浦和には夜8時頃到着となりました。
この日の走行距離は235km(2日間のトータルは345km)。寄り道が多かったためか,意外な長距離になりました。
私がヤマビルの被害にあったのは7年ぶり二度目。keikoは初めて遭遇したそうで,「恐いけど,動きが尺取り虫みたいでかわいい」とのこと。会所分校跡や香木原小学校跡付近でも尺取り虫ともヤマビルともいえない虫がうろついていたのは,今から思うと大きな謎です。



「廃村と過疎の風景(3)」ホーム