沖縄・八重山Tour Again その1
沖縄本島の第一印象
4/23/1998 沖縄本島の第一印象
[4/23 浦和 → 羽田 → 那覇 (晴)【泊】]
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# 2-1
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沖縄には97年5月に初めて足を運んだわけですが,八重山オンリーだったので,
本島は今回が初めてとなります。私の旅が飛行機と縁の薄いところから遅くなったのでしょうね(^_^;)
沖縄本島というと,本土から見ている分には,基地の問題の話が多数を占めるわけですが,
島唄やら沖縄料理やらサンゴ礁の海やら,言い出せば興味の対象は非常にたくさんあります。
今回は,14泊という日程だけ決めて,宿の予約はまったく取っていないので,
まずは宿探しからはじめなければなりません。
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# 2-2
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今回のガイドは,前回に引続きの「沖縄・離島情報」(林檎プロモーション)に加えて,
前回,よく見かけた「旅まる 沖縄・離島」(実業之日本社)。
羽田−那覇間のヒコーキの中で,「どこさ行くべ?」と検討して,「旅まる」のほうに力の入った記事のあった
「コバルト荘」という国際通りの近くの民宿に行くことになりました。
那覇の空港は,4月下旬にしてもう真夏の匂い。亜熱帯の空気を実感して,
タクシーで民宿の近くまで行きます。「那覇は大きな街だなあ」が第一印象かな?
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# 2-3
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沖縄初日(4/23)は,まずは手始めとばかり,宿で自転車を借りて那覇市街の散策です。
那覇の市街は,国際通りというまっすぐに走る1kmちょっとの通りを軸に散策するとわかりやすいのですが,
国際通りから入った道はどれもくねくねと入り組んでいて,自転車よりは歩いたほうが行きやすそうです。
そんなわけで,国際通りとその周辺は機会を改めることにして,東端の安里(Asato)の十字路まで進んでしまって,首里(Shuri)を目指すことに
なりました。
途中,ひめゆり通りでモノレールの工事にあたりましたが,いつできるのかな?
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# 2-4
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那覇市の人口はおよそ30万人。しかし,面積が極めて小さい(39キロ平米ほど)ので,「都市」という感じが
します。ごちゃっとした感じは,韓国のソウルに似ていたかな・・・
あと,気候のせいだと思うのですが,コンクリート製の家屋が多く,ペンキが色褪せている壁は,
那覇で強く感じた風情でした。コンクリートにペンキはアメリカからの輸入物かもしれませんが・・・
自転車で走ると,意外に起伏が大きくて,首里までの3kmほどの短い距離にしてなかなか骨が折れます。
このあたりは,八重山の島々と共通するところです。
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# 2-5
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首里では,まず「泡盛館」という,沖縄全土の泡盛が揃っているというお店に入ります。
たまたま空いていて,味見などもさせてくれたこともあって,早速,「宮の鶴」という石垣島の
三合ビンの泡盛(確か390円と,安い(^_^;))と,ハブ酒を買い込みます。
「泡盛館」からしばらく行くと,金城町の石畳道。ハードな起伏ながら,サンゴでできた古くからの石畳は
沖縄ならではの風情です。この石畳の近くには,川の水源のような共同井戸がいくつかあって,
婆さんが座っている姿を,これがいわゆる御嶽(Utaki=聖地)なのかなと,後ろのほうでぼんやり見ていました。
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# 2-6
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坂を登りきって,崎山公園(御嶽)に「ハブに注意」の看板を見つけてちょっとびっくりして,
琉球王朝ゆかりの首里城に守礼の門をさばさばと見て,帰り道,ライオンズマンションの前にピンク色のシーサー(のようなもの)が,いろんなパターンであるのに
感心します(その後,浦和でライオンズマンションを買うのも何かの縁かと・・・(^_^;)) 。
シーサーは,竹富島のように屋根にあることは少なく,門のところに対でちょこんと
乗っているのが定番のようです。あと,石敢当(Ishigantou)は,あちこちのT字路で頑張っていました。
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# 2-7
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宿に帰って,夜は県庁から少し入った居酒屋。キビナゴという魚と,オリオンビールに泡盛を頼みます。
沖縄の人の言葉は,淡々とした標準語が基本となっているので,とても聞き取りやすく,
「来るものこばまず」という雰囲気があり,気紛れな旅にはとても居心地がよいのです。
隣の席の県庁関係のシゴトの人と,つまみの交換などしたりで,和気あいあいとしています(^_^;)
宿に帰ってからも,ロビーで宿のご主人と,常連の仕事の人と旅人3人(千葉の高橋さん=富田靖子似(^_^;),大阪の山下さん=少年隊東山似(^_^;)と私)が泡盛を囲んで飲むことになり,
まずは沖縄本島の第一歩としては,順調な滑り出しだったのでした(^_^;)
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