穏やかな日、決意の日




  【7】



 アッシセグの街はクリュースでもかなり南に位置しているのもあって、全体的に明るい色彩に彩られている。海の色も空の色も明るければ、建物の壁は白く、人々の服装も明るくカラフルだ。セニエティはいわずもがな、それより南だったラドラグスの街も寒い場所であったから、こんな雪が滅多に降らないような暖かい地域は正直あまり慣れない。

――おかげで違和感がすごいが。

 やっと裾が青くなり出した空を眺めてセイネリアは苦笑する。この街と自分は合わなすぎる。
 セイネリアは早起きを苦にするタイプではないし何かあればすぐに目が覚めるが、基本的には早起きという訳ではない。普段何も用事がない時は割合遅めに起きていたし、共に寝ている相手に合わせて昼まで寝ている事も珍しいことではなかった。
 ただアッシセグに来てからは、昼間出歩くとこの恰好のせいもあって悪目立ちするためこうして朝早く、誰もいない時間に馬に乗って海が見える崖上の道を軽く散歩するのが最近の日課になっていた。これはここにきてから買ったセイネリア用の馬を慣らすためもあるのだが――それよりも、こうしてまだ暗いうちに外に出て、夜が明けていく空を眺めるのがセイネリアにとって楽しみなことだったからだ。

 暗闇がうっすらと青に変わっていく――その中間に見える青。青といっても濃すぎるその色と微妙な透明感が、丁度シーグルの瞳の色と重なる。それをみたいがためにこうして毎朝団の者が殆ど寝ている時間に一人で屋敷を出てくる。
 我ながら未練がましいなと思いながらも、毎朝律儀に彼のような早起きをしてしまうのだから笑ってしまう。

 彼の事を思い出すと胸が痛むような疼くような辛さを感じるというのに、彼に通じるものを少しでも感じて彼を思い出したいとも思うのだから相当おかしい。辛さは不快な筈なのに、その辛さを感じて笑みを浮かべてしまうのだから不思議なものだ。

――もっとも、今笑えるのはあいつが戻ったからだがな。

 緩いカーブを描く自分の唇を指でなぞりながらセイネリアは考える。今、どんなに彼を抱きしめてその存在を感じたいと願ってもそれは叶わない。あの時手放さなければ――と何度も思ってその度に否定してきた。あのまま彼を連れてきていたらきっと今、自分は笑えなかった。日に日に壊れていく彼を見てこちらの心も彼と会う前と同じ……いや、それ以上に凍え切って人の心を失くしたただの化け物になっていただろう。

 今、この手の中に彼を抱けなくても、彼は笑って過ごしている。彼らしく前を向いて背筋を伸ばして、使命と立場に足掻きながら自分で未来を勝ち取ろうとしている。そうして――彼のその姿を思い描くだけでセイネリアの心は満たされる。暖かい満足感を与えてくれる。……勿論、それには彼に触れられない事への痛みも伴うが。

 昨夜のフユからの定期報告で、シーグルは騎士団に入る事を決めたと聞いた。

 それもまた、彼が未来に向けて一歩踏み出した証だろう。20歳まで冒険者をして良いというのは彼が祖父から勝ち取った褒美だった筈だ。20歳までは自分の立場を忘れて好きにしていいという貴重な彼の自由な時を一年早く切り上げたのは、彼がそれだけの覚悟を決めたからだろう。
 シルバスピナ当主となってその義務を背負って生きる為、自分に許していた甘えを捨てようという――。

「まったくあいつは分かりやすいな」

 自分の甘えを捨てるために立場で自分を追い込んだ。
 人には優しすぎるくらい優しいのにどこまでも自分に厳しい――それがとても彼らしい。彼らしすぎて愛しくて――あぁ本当に今彼を抱きしめたいとその感情が高ぶりすぎて苦しくなる。
 だから、自分以外は馬しかいない場所でセイネリアは呟く。

「愛している……シーグル」

 絶対に彼には届かないし、受け入れては貰えないだろうこの言葉は、だが音にすれば心の痛みを少しだけ和らげてくれる気がした。

 暫く馬を止めて空に見入っていたセイネリアは、やがて空が白く変わって下の海に漁師たちの船が見えだした辺りで馬首を返して傭兵団への帰る事にした。







「へ? んじゃもう冒険者の仕事はしないんだ?」

 騎士団に入る事を決めた、とそれをウィアに言えば彼は驚いた後に残念そうに付け加えた。

「んーとなるともう、この間みたいな遠足……いやいや初心者お試しツアーに付き合ってもらう訳にはいかないかぁ」

 ウィアの残念顔の理由が分かって、シーグルは軽く笑う。

「そうだな、休みにたまたま時間が合うようなら付き合えるがその為に予定を明けておく事は出来なくなるな」
「だよなっ、たっだ皆残念がるだろうなー。いやー、前回のアレがすっげぇ好評でさ、またやってください次こそ行きたいですって声がすごいんだよな」

 あの時のリパ神殿の新人冒険者見学会は確かに皆大喜びで終わった。全員無事帰れたのは勿論だが、最後にシーグル達先生&護衛役は皆に笑顔ですごい勢いで礼を言われた。それでウィアがちょっと調子に乗ってしまって『記念にシーグルと握手していきたい奴ー』なんて言い出されたのには少々参ったが。すかさず列が出来上がったのにちょっと引いたシーグルに、後でウィアは謝ってはくれたが……まぁシーグルもあの仕事自体は楽しかったから気を悪くしたりはなかった。

 ただ、あれが好評だったのは何も自分の所為だけではないという事をシーグルは分かっている。

「俺は行けないが、もう一人二人戦闘職を入れれば大丈夫だろ。ウィアならそれくらい頼める知人はいるだろうし」
「まぁ、そりゃなぁ。でもガッカリすっかなって」
「この間のが好評だったのは何も俺だけが理由じゃない、大丈夫だ」
「そうか?」
「あぁ、ウィアの教え方が上手くて皆楽しそうだったし、ラークの薬草講座も大好評だったじゃないか。この間くらいの場所なら兄さんが前でも大丈夫だ。むしろ敵の足止めなら兄さんの方が上手いんじゃないかな」

 ウィアがちょっと照れて顔を赤くする。それから嬉しそうに口元を緩ませて言ってくる。

「そ、そっか? いやー、シーグルにそう言ってもらえっと嬉しいけどさ。まぁ確かにラークのもすげぇ好評だったんだけどさ。そもそも見習いでも魔法使いがいるってのはレアだし、神官みたいな戦闘職じゃないのは確かに薬草の知識あると小銭稼ぎですげー役に立つんだよな。フェズの剣は防御特化だからなー、各自光の術使うの試すために足止めメインでやってもらうのアリだよなー」

 うんうん、と頷くウィアを見ていればシーグルも楽しくなる。

「あぁ、だから俺がいなくても皆ぜひやってもらいたいと思ってるんじゃないかな」
「うん、んーんじゃまた誰か誘ってやってみっかぁ」

 それがいい、と更に言えば、ウィアが誰を誘うか考えだす。そこへフェゼントがやってきた。

「ウィア、来てたのですね、すみません少々待っていただけますか? シーグル、明日向こうは何人くらいいるのでしょう?」
「まだ管理人と掃除の人間しかいないから、5人くらいだと思う」
「そうですか、ならお茶菓子は5,6人分あれはいいでしょうか」
「あぁ、十分だと思う」

 忙しそうなフェゼントは、それだけ聞くとすぐに部屋を出て行ってしまう。そんな様子をみれば当然ウィアが聞いてくる。

「フェズ忙しそうだけどどうしたんだ?」
「あぁ、明日首都の屋敷に下見に行く事になったんだ。それなら今いる使用人に土産で菓子を作ってもっていくと兄さんが言って……それで今日のお茶会の分と一緒に作っているからウィアは後で食べられると思う」
「おー、そりゃ楽しみ……って首都の屋敷って?」

 あぁそこまで話していなかったかとシーグルは思って説明する。

「騎士団に入るとなるとここから毎日通うのは少し大変だろ? だから普段は首都にある屋敷を使うといいとお爺様が言ってくださったんだ。それで明日その屋敷の下見に行くから兄さんがすごいはりきっていて」
「へぇ……首都の屋敷かぁ」
「あぁ、シルバスピナ家の者は大抵一度は騎士団に入るからその時のために用意してあるんだ。流石に領主となった後はずっとそちらという訳にはいかないだろうけど、それまでは基本は向こうで生活する事になると思う。で、それなら兄さんたちも来るという事になって、向うは使用人も少ないしお爺様も好きにしていいといって下さったから、屋敷内の事は兄さんに任せる事になったんだ」
「あー……そらーフェズはりきるわ」

 シーグルが苦笑すれば、ウィアもにんまりと笑う。
 シーグルも最初は普通に使用人を追加で雇って現在の管理人に仕切ってもらうつもりでいたのだが、お爺様から向うの事は全てシーグルの意思で決めていいと言われた事を相談したら、フェゼントがなら全部自分が決めてもいいかと言い出したのだ。シーグルとしては兄に雑用を全部押し付けるのは申し訳なかったのだが、フェゼント自身がとてもやりたそうだったので許可したという事情があった。

「だから明日下見に言って、追加する使用人の数を決めたり、改修箇所を確認してくる事になったんだ」
「おー、そっかそっかぁ……あーだから明日は屋敷にはいませんよってフェズ言ってたのかぁ」
「あぁ、向うがある程度準備出来たらウィアも招待する」
「おー……てか、フェズ達が首都きたら便利になるなぁ。俺きっと毎日通っちゃうな」

 のちのち通うどころかほぼ住みつく事になるのだが……流石にシーグルも現時点ではそこまで予想してはいない。

「あ、ウィア、そこで喋ってるだけなら手伝ってよ。クッキーの型抜き、ウィア得意でしょ」
「おーまかせとけっ」

 顔を出したラークにそう声を掛けられて、ウィアは部屋を出ていってしまった。それでシーグルは一つ背伸びをすると、様々な手続きのための書類準備に再び戻ることにした。
 けれど、ふと、紙を追加するために引き出しを開けたシーグルは、目に入った小さな布袋を思わず手に取る。その中には、エルラント・リッパーという男から渡された親書に使う魔法石が入っていた。

――今なら、言えるだろうか。

 石を取りだし、冒険者支援石の上に乗せる。それからシーグルはあの誰よりも強い黒い男の、辛そうに去って行った背中を思い出して大きく息を吸った。

「セイネリア、すまない、そして感謝している――」

 彼に返せるものなどない、彼の気持ちに答える言葉もない。けれど恐らく、彼が確実に喜んでくれるのは、自分が立ち直って前を向いているとそれを伝えること、そして……。

「――約束する、いつか必ず、お前の前に立てるだけ強くなってお前に会いにいく事を。今の俺にはそれくらいしか、お前のしてくれた事に返す事が出来ない」

 今の自分が言えるのはここまでだから、きっといつか答えを見つけて彼に言いに行こう。シーグルは石をまた布袋に入れると引き出しの中に置いた。



END.

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 ってことでエピローグ3に続く物語でした。セイネリアはシーグルの事に関してだけはやたらロマンチストになる模様。
 



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