【6】 「あー戦闘職なんてのは頭まで筋肉詰まってるような連中が多いからよ、書面みただけでやっといてくれって神官いたら押し付けてくる奴ばっかだからな。ンだから言われる前にさっさとこっちでやっとくって言っておきゃ機嫌よくなるんだよ。それに書類にサイン入ってりゃ地味ィーに信用ポイントにプラスがある、こういうのでコツコツ稼ぐのも大切だぜ。あとはまー……任せるって言われてんだからちょぉっとくらいこっちに都合よく報告しても……」 「バレたらえらい目にあうけどね」 「だっからバレても笑ってごめん〜で済む程度の改変にしとくことなー」 そこでどっと笑いが起こる。シーグルも勿論笑った。 朝食が終わると腹ごなしも兼ねたウィアのレクチャーがあって、神官のパーティでの心得的な話や、神官は細かい事務処理を頼まれる事も多いから……と報告書の書き方や確認の仕方などが話された。得意気にウィアが話せばラークが突っ込んで、ウィアがたまにいう事を忘れればフェゼントが教えて、その度に笑いが起こって皆基本は笑顔で話を聞いていた。ウィアの話し方もそうだが笑いが起こるタイミングも絶妙で、シーグルとしてはその所為で長い話を飽きずに聞かせられる事が出来るのかと感心するばかりだった。……いや、そういうのを真面目に感心して分析してしまおうとする段階で自分はだめなのだろうという自覚もあるが。 「センセー、俺字汚いんですけどどうすればいいですかー?」 「読めりゃいいんだよ、事務局で受け取ってくれれば十分。どうせ脳筋連中は見せても読みはしねーからわかんねーって」 そこでまた笑いが起こる。だがシーグルが笑っていれば、いきなりウィアがシーグルを指さしてきた。 「あ、勿論シーグルみたいなきちんと学のある戦闘職がいる時は別な。ちゃんと書かないと文句言われっから。……だからそーゆー時は、おだててへりくだって向こうに書いてもらう事っ、こっちも楽できるし文句も言われないしいいこと尽くし!」 そこで笑い声と共に、あちこちで同意やらさすがなんて声が上がる。 ……ともかく、ウィアのこれは天性のもので自分が同じやり方は出来ないだろうというのはシーグルも分かっている。ウィアのような人間が上の地位にいれば部下はいつでも笑顔で、普段は上司のウィアを揶揄いながら友達のような間で、だがいざという時はウィアを中心として一致団結する――そういう集団が出来ると思う。シーグルがみたところ、いい上司や教師になれる素質があるウィアという人物がこのままただの一神官で終わってしまうのは勿体ないと思うくらいだ。 「前張ってる連中はとにかく単純な奴が多いから、頼み事するときはとりあえずちょっとおだてていい気にさせてからが基本なー」 「はーい」 シーグルは……自分の場合を考えて苦笑する。自分の場合は適度に冗談を交えるなんて話し方は無理で堅い言葉しか言えない。あとは愛想もないから皆を笑わせながら話すことも出来ない。せめて回りくどく言わずに要点だけを伝えて出来るだけ短く話を終わらせる……くらいしかないだろうか。反発されてもこちらの方針を曲げる気はないし、実力で黙らせるくらいしかない――考えているうちに自分は下にとっては嫌な上司にしかなれないと落ち込みたくなる。 ――せめて公正で、嘘をつかないくらいしかないか。 考えて、シーグルの表情から笑みがなくなる。 ウィアの話は現状では仮定だが、自分の話はただの仮定だけではすまない。現実としてシーグルはシルバスピナ卿になる事が決まっていて、大勢の部下と領民を守る権力者となる。仮定の話ではなく、実際にシーグルは上に立って多くの人間を率いる立場になるのだ。 「それでもいう事聞いてくれなきゃあとは食いもので釣るしかねー。だからな、仕事いく時には冒険者の荷袋の中に必ず甘い果物の一つ二つ入れとくといいぞー。動物は餌付けから入るのが基本だしなっ」 ひでーと言いながら皆が笑う。涙さえ流している者もいる。本当に楽しそうだ。 シーグルは考える。人の上に立つ者として……ウィアのような人間はある意味理想の一つだろう。適度に緩くて気が楽で、彼自身も彼の周りもいつでも笑顔でいられる。けれど頼りにならない訳ではなく、どこまでも前向きなその言動が人々の心のよりどころになれる。いざという時の決断力もある。ウィア自身の能力が足りなくても、きっといい人間が集まって彼を盛り立ててくれる。 そうして……もし、それと対局の理想として上げるなら――それはセイネリアだろうとシーグルは思う。誰にも文句のつけようがない程強くて、頭が良い。無条件で彼に従えばすべて上手くいくと思える、主として絶大な信頼を寄せるに足る人物。けれど暴君のように好き勝手に振る舞う訳ではなく、私欲に走らず判断はつねに冷静かつ公正だ。部下の話もきちんと聞く、事情も考慮してやる。これは多分、上に立つものとして完璧すぎて非の打ちようがないというレベルの理想だろう。勿論、彼のようになんてシーグルには無理だし、彼以外の誰にでも無理だ。それくらい、セイネリアという人間が規格外なのだ。 ――もし、あいつが俺を部下として欲しいと言っていたら……大人しく従っていたかもしれないな。 友達ごっこをした後、こちらを犯すのではなく俺の部下になれと言われていたら……シーグルは喜んで従ってしまったかもしれない、と思う。 それくらい、上に立つ人間としてセイネリアは理想的だ。シルバスピナの領主としての地位を持っていても、彼になら足を折っても構わないと思えるだけの人物だ。 ――なら、俺はどうすればいい? シーグルはウィアのようにもセイネリアのようにもなれない。ウィアのようになるには性格が違い過ぎて、セイネリアのようになるには能力が足りな過ぎて目指す事は出来ない。けれど確実に上に立つ者にならなくてはならない。 子供の頃はただ強くなればいいと思っていた。 強くなって、シルバスピナ卿となれば、祖父は認めてくれて家族を取り戻せると思っていた。だからただ鍛錬だけをしてきた。 けれど、いつまでも家族だけを守れればいいなんて考えていてはいけないのだ。シルバスピナ卿になれば、シーグルは自分が責任を負う全ての人を守る事を考えなくてはならない。首都からの帰りの馬車で、リシェの領主を国で一番領民思いだと言っていた女性の事を思い出す。彼女を、リシェの領民を、シーグルは守らなくてはならない。いつまでも自分と自分の周りに見えるものだけを見ていてはいけないのだ。 ――俺は、結局ずっと逃げてきたのかもしれない。 終わった事をいつまでも惜しまず、今できる事を最大限に努力してきたつもりだった。自分の境遇に言い訳をしないつもりだった。 けれど、考えていたのは結局子供の頃のままと同じく自分と家族の事だけで、自分の立場を軽んじていた。次期シルバスピナ卿という立場を分かっているつもりで分かっていなかった。責任を忘れて冒険者として仲間と楽しい時を何時までも過ごしたいと思っていた、セイネリアに会わなければ楽しく仲間達と仕事をしていられたのにという考えも、今となっては子供だったと思わずにいられない。 ――ちゃんと向き合うべきなんだろう。 子供の頃からの夢だった『冒険者』になれて、こうして兄弟たちと笑って出かける事も出来た。いつまでも子供の頃の思いを引きずっている訳にはいかない。 「シーグル、どうかしましたか?」 皆が笑っているのに自分だけが笑っていなかったせいか、フェゼントがこちらを見て心配そうに聞いてくる。シーグルは笑って答えた。 「なんでもない、兄さ……」 言いかけたらフェゼントが咎めるように表情を険しくして唇の前で指を立てる。フェゼントとラークがシーグルと兄弟であるというのは、今はまだ公にしないほうがいいとフェゼントに言われていた。親戚か、知人の子か、ともかく故あってシルバスピナの屋敷に世話になっている程度の扱いでいいと。 シーグルはともかく、確かに彼らが冒険者として仕事をする上でシルバスピナの者であると知られればいらぬ厄介事を引き込む恐れもある。だからそのフェゼントの言葉には今回は了承をしたものの、そこまで長く隠しておく気はシーグルにはなかった。 幸い、シーグルが他冒険者から避けられていた理由はセイネリアが首都から去った事で一応解消はされるだろう。 ただ、なら今からまた楽しく仲間と冒険者として仕事をしようかとは――シーグルはもう思っていなかった。 「なんでもないんだフェゼント。ただウィアの先生役があまりにも堂に入っていて上手いなと思っただけだ」 「そうですね、私もそう思います」 本当は、こうして兄弟たちと笑い合って、冒険者として仕事をしていたいけれど。いつまでも子供のままではいられないからとシーグルは思う、そして――。 『あんたは『愛』ってやつを甘く見すぎてる。お子様過ぎて愛を知らない』 思い出した、灰色の髪の男の言葉にシーグルは苦笑する。 確かに自分はお子様過ぎた、と。 だから、いい加減きちんと大人にならなくてはならないのだろう。 --------------------------------------------- 次回、傭兵団の話もちらっとやって終わりかな。 |