この話は26話でシーグルが一度死なずに帰った場合の別ENDです。バッドENDの一つのつもりでしたが割とラストは明るいです。 【2】 「ハッキリ言うと、リスクなしで馬鹿魔使いをあの坊やから追い出す手段はない」 それは予想していた事とはいえ、セイネリアは聞いた途端思わず歯を噛み締めた。 「最初から言った通り、リスクなしでどうにかする最良の手としては、とりあえずあの坊やを時の氷室に入れて、中の魔法使いを追い出す方法を調べるくらいしかない」 「……見つかるかどうか分からない手段を探して、ただあいつを『保存』しろ、か……」 唇には自嘲だけが浮かぶ。すぐ見つかるわけはない、何年、何十年、何百年、永遠に待つだけかもしれない。自分は一体いつまで狂わずに待てるのか、それを考えると嘲笑(わら)うしかなかった。 「そうだ、アルワナの司祭で強制的に眠らせておくのは術者の消耗が激しくて長くは持たない、だからいっそきっちり保存してしまおうという事だ。少なくとも調べるだけの時間は出来る、リスクも低い」 「だが根本的には何の解決もしない」 「その通りだ、だがどちらにしろあの坊やの精神を守るなら、今すぐ追い出せない限りは強制的に体を眠らせておくのが最善の手であることは間違いない」 「俺が常に傍にいて、剣の力で中の魔法使いを抑える、という事は出来ないのか?」 「絶対できない、とは言わないさ。だが抑えていると思ったら奴が抑えられたフリをしているだけかもしれない、油断させておいてある日あの坊やの心を壊す致命的な何かをするかもしれない。それにもし本当に抑えられたとしても完全でなければじわじわとあの坊やは狂っていく。……最悪、あの坊やが完全にイカレるか乗っ取られる前にあんたがあの坊やを殺せるっていうならやってみればいいさ」 確かにそれが最終手段だという事はセイネリアにも分かっている。もしシーグルに殺してくれと頼まれたら自ら彼を殺さなくてはならない、その覚悟をしなくてはならない。 ――だがあいつを殺しても、俺はあいつを追って死ぬ事は出来ない。 セイネリアが一番怖いのは彼を失う事。彼を失って彼のいない世界で生き続けなければならない事。もし自分が好きに死ねる体であったら、ここまで臆病にならずにすんだものを。 「……ってのを、本気でやってもらっても困るけどな。あの坊やを殺した代わりにあんたが発狂して、過激派の連中の望む通りの地獄絵図なんて一番あっちゃならない最後だ」 唐突にやけくそのように言い捨てた魔法使いに、セイネリアは自嘲と皮肉を込めて尋ねた。 「……だから、とりあえず保存しろ、か」 「そうだよ、でなきゃあの坊やがいう通り、一度殺して蘇生する手しかない」 「それはだめだ」 「……だろ。正直言えば、こっちもそれはやってもらいたくない」 現状、シーグルを暫く『保存』するしか方法はない。シーグルの意識が沈めば体を操れる魔法使いサテラも、その体自身がまったく機能できない状況に置かれていれば何もできない。少なくともシーグルの心がこれ以上穢される事だけは食い止められる。 それが分かっているのに、それも決断できずセイネリアは途方に暮れる。 保存すれば、彼に会えない、触れられない、何年も……いつまでも。そんな事さえ怖いのかと、臆病すぎる自分を罵倒しても何も決められない。 セイネリアが黙っていれば部屋には沈黙が下りる。 魔法使いも黙ってセイネリアが何か言うのを待っていたが、やがてしびれを切らしたのか、唐突に頭を一度乱暴に掻くとやたら言いづらそうに口を開いた。 「ただ……これはまだ確定事項じゃないから言いにくかったんだが。おそらく……あんたにとってまったく希望がないわけじゃない」 「どういう意味だ?」 魔法使いはそこでまた一度考えるように口を閉ざす。それから何度か口を開いて言いかけては舌打ちをして……そうして大きなため息をついた後に、少し声を落として言ってきた。 「いいか、これはまだ確定ってわけじゃない。ただ多分あっている。黒の剣の力だが……少しづつ減ってる。少なくともあんたが最初に手に入れた時から考えれば確実にほんの僅かだが力が落ちてる。これは多分……剣から力が漏れてるからだ」 「漏れてる、だと?」 「そうだ、いいか……あんたの感情があの坊やに流れる事で、剣の力があの坊やにも流れて行ってる、それは確定している」 「あぁ、そうだったな」 そこまでは分かっている事ではある。だがシーグルの中に魔力は留まらない、つまり、セイネリアと魔剣の中で帰結していた魔力の流れの中に単にシーグルが入っただけだと思っていた。 「そして……ここからは推測なんだが、あの坊やはリパの信徒としてリパの魔力の輪の中に入ってる。だからあの坊やから他のリパ信徒へと剣の魔力も流れていってる可能性が高い。そして信徒達に流れていった魔力は剣へと戻らない。それが魔力が減ってるからくりだと俺は思う。そうであるなら多分、このままあの坊やが生きていさえすれば、剣の魔力はリパ信徒たちに吸われていつかなくなる……かもしれない」 セイネリアは目を見開いた。それは確かに『希望』ではあった。不老不死という呪いを解ける可能性を示すセイネリアにとって唯一の希望となる可能性だった。もしこれで……彼の状態に何も問題がなかったら、それはこれ以上ないセイネリアの喜びになっていた筈だった。 「つまり……お前達の言う希望とは、シーグルを生きたまま『保存』しておけばあいつを通して剣の魔力が少しづつ減って行き、もしあいつから魔法使いを追い出せなくても俺が剣の呪いから解放される可能性はある、という事だな」 「……そうだ」 どれだけ待つかはわからない。だが、例え彼を助けられなくても、最悪彼を追って死ねるようになる、なら。 ――俺は、あいつの事になるとどこまでも臆病になるな。 それでも、確かにそれはセイネリアにとって『希望』ではあった。 次に目が覚めた時、やはり琥珀の瞳は怯えて苦しんでいた。 彼の傍にいる魔法使い達の表情も、どう見ても希望のある話をするようには見えない。 シーグルとしては、あぁやはり、という言葉以外思いつかなかった。きっと自分を救う安全な方法などなかったのだと。もしかしたら既に何かを試してだめだったのかもしれない。 「シーグル」 悲しそうな顔をして、それでもこちらに触れようとしない男にシーグルは笑う事しか出来なかった。 「分かってる、サテラを安全に追い出す方法などなかったんだろ」 彼が歯を噛みしめる。シーグルはやはり笑み以外を返せなかった。 だから彼が選ぶだろう選択肢も分かっていた。思った通り彼は自分の体を保存して結論を出すまでの時間を引き延ばす道を選んだ。今度はきっと、長い、長い、眠りになる。どこかでサテラの笑う声が聞こえた。 だが、それだけではなかった。 「……本当、なのか?」 「あぁ、お前さえ生きていれば俺はやがて剣から解放される」 セイネリアが告げた剣の魔力の話。まだ推測の段階ではあるがおそらくあっているだろうという話は――彼が剣の呪いから解放される可能性の話だった。 「そうか……」 今度は心からの自然な笑みが浮かんだ。 ならば、これはただの時間稼ぎではない。剣の魔力を開放するための、彼が救われる為の時間稼ぎ。その年月の間自分を生かしておくだけで叶う、彼を救う為の手段である。 「ならいいさ、俺に異存はない」 笑って彼に言ってやっても、彼の顔は少しも晴れない。 「本当に、それでいいのか?」 それだけでなく、彼が決めた事のくせに今更そんな事を聞いて来る。だから逆に、シーグルは彼に聞いてみる事にした。 「お前こそ、本当にそれでいいのか?」 彼の瞳が更に細められる。動揺を表情に出してしまうのは彼らしくないと思ったが、そもそも自分の事であれば例外だったかと、シーグルは考えて苦笑した。だからシーグルは、もう一度彼の顔をしっかり見据えて言ってやる。 「言っておくが、俺がその案を了承したのはお前の為だ。分かってるんだろ?」 あぁ、と小さく答えて、セイネリアは背を向けた。 一度も、シーグルに触れる事なく。 時の氷室と呼ばれる魔法ギルド内の特別な部屋は、氷と時間操作の魔法が掛かった人や生物を生きたまま保存しておくための場所である。それは当然ギルドの本拠地であるクストノームにあって、一度そこへ入れたなら出す時がくるまで触れる事は勿論見る事も出来なくなる。 当初、魔法使い達はそこへシーグルの体を保存するつもりであった。 だが、セイネリアは別の方法を使わせた。時の氷室は常にギルドの魔法使いが交代で術を保持し続けているから機能している。だがセイネリアが剣の力を定期的に注ぎ込む前提であれば、最初の設置処理をするだけでだけで同じ機能を果たし続ける事が出来る。 だからセイネリアは将軍府の地下にシーグルの体を保存するための部屋を作らせる事にした。勿論触れる事は出来ないが姿だけは見る事が出来るように、剣の力を貸して魔法使い達に氷で出来た小さな地下神殿を作らせた。 「寒くないか?」 セイネリアが聞けば、シーグルは笑って答える。 「大丈夫だ、既に体は魔法で守られてる」 「あぁ……そうだったな」 「ですがぁ、眠る直前はすこぉし寒いかもしれませんよぉ」 「くしゃみをしたあとの顔で凍結されるのは嫌かな」 「そこはもう〜シーグル様が一番美しい姿で眠れるように細心の注意を払うことにぃなってますので大丈夫ですよぉ」 「いや普通でいいんだが……」 「いえいえぇ、そうしないとあの男に何年何十年何百年と文句を言われる事になるではぁありませんかぁ」 彼の部下である魔法使いキールの芝居がかった言葉に、シーグルは楽しそうに笑った。セイネリアは笑えなかった。楽しそうに部下だった魔法使いに別れを告げるシーグルの姿をただ見ている事しか出来なかった。 「じゃぁ、そろそろ……いいか」 背後に魔法使いを引き連れて、金髪に仮面の魔法使いがシーグルに聞く。彼はちらりとこちらを見てからため息をついた。 「あと少しだけ、待ってくれ」 「分かった」 それから彼は大きく息を吸い込むと、顔を上げてセイネリアの顔を睨んだ。 「セイネリア、お前は何故傍に来ないんだ」 そこで感情の揺れに合わせるように心臓がとくりと鳴って、セイネリアは思わず息を飲んだ。けれどもそれを彼に悟られまいと歯を噛みしめると、出来るだけ平坦な声を作って答えを返した。 「俺は、まだお前に許されていない。だから、お前に触れない」 ――それにきっと、今触れたら離せなくなる。 「馬鹿だな。許す許さないなんて今この時にまで拘る事じゃないだろ。……次はいつ触れられるか分からないのに、それでもお前は我慢して、俺に触れないでいる気なのか?」 シーグルが笑う。セイネリアは掌をただ強く握りしめた。 セイネリアがそのまま動かないでいると、見慣れた鎧姿の青年は大きくため息をついてからまた睨んできて、今度はもっと強い声で言って来た。 「ふざけるな、この臆病者め。お前はいつも先を読もうとして考え過ぎで身動きが取れなくなるんだ。この国の恐怖の対象、将軍セイネリア・クロッセスが笑わせてくれる、いつからお前はそんな腰抜けになったんだ。俺が文句を言って蹴り飛ばしても、平然と好き勝手にしてきたのがお前だろ。……いいか、暫く会えないんだぞ、本当に今、俺に触れておかなくていいのか?」 セイネリアが顔を上げて彼を見ると、シーグルはセイネリアに向けて手を広げて待っていた。 「来い、セイネリア。まだ許してやらないが今は別だ、俺だって、ちゃんお前を覚えていたい」 それでセイネリアも考える事を止めた。 愛しい存在が自分を待っている、今はそれ以外考える必要はない。 久しぶりに抱きしめた彼は、鎧の所為で体温を思うまま感じる事は出来なかったものの、それでも鼻に感じる彼の匂いと、腕の中の彼の気配だけで十分に心が歓喜の声を上げる。抑えていた感情が溢れ出す。 「シーグル、シーグル……」 名を呼んで、唯一直接肌に触れられる彼の頬に頬を擦りよせる。それから彼の髪に鼻を埋めて、その匂いを思い切り吸い込んで、今感じられるだけの『彼』を精一杯感じようとした。 シーグルの腕が背中を回されて、彼も自分を抱きしめてくれる。それからまるで子供をあやすように彼の手が背中を軽く叩いてきて、セイネリアはとめどなく溢れてくる感情の強さに眩暈さえ感じてただ彼を抱きしめた。 「セイネリア、苦しい。それに……最後にちゃんと顔を見せろ」 彼がそう言って頬を手で触れてきたからセイネリアは腕を緩めて顔を上げる。鼻と鼻がもう少しで触れるほど傍で見た彼の顔は笑っていて、セイネリアはキスをしようと更に顔を近づけようとしてから気づいて顔を離した。 「本当にお前は馬鹿だ」 言うとシーグルは苦笑して、その濃い青い瞳を細めると顔を近づけ……唇と唇を合わせてくれた。 セイネリアは瞳を閉じると、唇で彼を貪りながら再び彼を抱きしめる腕に力を入れた。 ――愛してる、愛してる、愛している。 声に出せない分、心で何度もその言葉を唱えて、ただ次に何時触れられるか分からない彼の感触を求めた。 「えー……そのぉ、そろそろいいでしょうかねぇ〜」 どれくらい経ったのか、間延びした魔法使いの声が聞こえて、そこで彼が肩を押してきたからセイネリアは唇を離した。まだだと呟いた唇からは声が出ず、そのまま唇を噛みしめてセイネリアは離れている彼の顔をただ見つめる事しか出来なかった。 シーグルは笑っていた。 「なんて顔だ、セイネリア」 セイネリアはそれに何も返せなかった。口を開いたら、だめだ、行くな、置いて行かないでくれと、そんな言葉しか出てきそうになくて、だから何も言う事は出来なかった。 だから唇を引き結んだままじっと離れている彼を見ていれば、彼の笑みが苦しそうに歪んで、そうして彼も、声に出さずに唇だけで言葉を綴った。 あいしてる。 思わずセイネリアは彼に向かって手を伸ばした。 けれども彼はそこで背を向け、準備している魔法使いの方に向かって歩いて行く。 セイネリアは伸ばした掌を握りしめた、強く、強く。 そうして彼が用意された台の上に上がる前に一度こちらを見たから、それに向けて声を上げた。 「待っている。……だからお前も、待っていろ」 シーグルはそこで目を見開くと、呆れたように笑った。 「言葉的におかしいだろ」 「そうだな」 「だが……分かった、待ってる」 「あぁ」 セイネリアも笑った。 少なくとも彼の瞳が閉じられるまでは笑っている事が出来た。 --------------------------------------------- ということでタイトル通りの展開です。 |