希望と陰謀は災いの元




  【10】



 議会は今のところなんの問題もなく進んでいた。
 もともと今日は何かを議論する日ではなく決まった事を承認していくだけの議会であるから、進行は議題の読み上げと承認の拍手が行われるだけでさくさくと予定が消化されていく。
 途中何度か休憩を挟み、そのたびに議会内は雑談の声に包まれたが、当然といえば当然ながらセイネリアにわざわざ声を掛けてくる者はなく、シーグルも話しかけられる事はなかった。だがそれでもちらちらとこちらを見る視線はずっと感じていたし、雑談中であっても妙な緊張感はそのままでシーグルとしても息苦しさを感じていた。
 とはいえセイネリアはいつも通り平然として、興味のない議題には足を組んだり、シーグルを手招きしてこそっと耳打ちしてきたりしていた。

『どうだ、やたらお前を見ている連中が多いだろ』
『はい、閣下』

 いくら小声でもシーグルはレイリースとして答えていたが、セイネリアは名前こそ言わないものの口調は二人でいるときのそれで、わざとなのか浮かれている所為なのかシーグルには判別がつかなかった。耳を近づけたら頭をこちらに引き寄せようとしてきた時には、こいつ本当に大丈夫か、と更に不安になったくらいだ。
 全部セイネリアの計算なのか、それとも浮かれ過ぎてどうでもよくなっているのか……いやいくらなんでも後者はないと思いたいが、シーグルはため息をつきたい気分で議会の進行と気楽そうな主を見つめていた。

 そうしてとうとう議題がレイリース・リッパーの騎士称号授与の話になり、それ自体は読み上げられた後拍手で迎え入れられてすんなりと承認が宣言されはした。その後に進行役のサネヴァード卿が改めてシーグルに向けて拍手をするように促し、シーグルはそれを受けて頭を下げた。ただそれが今回最後の議題だった事もあってかやけに拍手は長く続いて、最後の方になって拍手が減ってくると雑談が混じって会場全体がざわつきに包まれ出す。
 そんな中で、ふと思いつきのように、けれどそれなりに通る声で誰かが言った。

「しかし、彼を騎士として登録するなら、以後何者かがなり変わらぬように一度本人の顔を確認しておいた方がよいのではないでしょうか?」

 きたか、と思って身構えたシーグルだったが、セイネリアが軽く手を上げてこちらを制した事で黙ってそのままの姿勢を維持する。

「それは、俺が信用できない、という事だろうか」

 セイネリアの低い声が通れば、議会のざわつきが消えていく。

「いえっ、そういう訳ではっ……」
「俺も顔を隠しているしな、信用できないという気持ちは分からなくもない」

 セイネリアの声は普段通り、焦りなど微塵もなくどこか楽しそうにさえ聞こえて周りを威圧する。完全に場内は静まり返り、発言をしているとウルス卿とセイネリアの声だけが広い貴族院議場に響く。
 正直なところ、この発言をしてきたのががウルス卿というのはシーグルにとっては残念な事ではあった。彼はリオロッツ時代の腐敗した貴族達を嫌悪する貴族としてはかなりマトモな人物で、まだ若いこともあって頭も柔らかく、少なくとも新政府の一員にはぜひいて欲しいと思える存在だった。この状況をセイネリアがどう切り抜ける気なのかは分からないが、彼が罰されて終わるような結末にならなければいいと祈らずにはいられなかった。

「将軍閣下を疑ってなどはおりません。ですが、丁度ここに騎士団の面々もいる事ですし、今後何かあった時に彼が本人であることを証明する証人となる為にも、今日ここにいる者達に一度彼の顔を見せて頂く訳にはいきませんでしょうか?」

 成程、あくまで『今後レイリース・リッパーが本人であるとその証人になるため』と言う主張で通す気か――流石に考えているなとシーグルは思う。いくら確信があった上でもセイネリアを非難したり追及したりは出来ないだろうから、話をそう持って行くのは当然の事だろう。
 勿論、それにもセイネリアが動揺を見せる事は一切ない。

「そうだな……ただ分かっているとは思うが、こいつが素顔を見せるとここにいる者達が不快な思いをする事にはなるぞ。精神衛生上、見なかったほうが良かったと思うのは保証しておく」

 レイリース・リッパーは逃亡時の襲撃で顔に酷い怪我を負っている――そういう事になっているのは貴族達も承知している筈だった。改めて言われれば、ごくりと喉を鳴らして顔を強張らせる者達がいるのが分かる。セイネリアの様子はやはり変わらないから、このままそれで押し通す気なのかとシーグルは考える。

「それでも……今日は貴婦人方がいる席ではありませんし、ここにいる者なら皆、そのくらいの心根の強さを持っておりますでしょう」

 とはいえここまできて、ウルス卿も引き下がれないだろうというのは分かる。
 それをどうやって引かせるのか、シーグルはそれに返すセイネリアの返事を待って彼を見た。

「……成程、覚悟は出来ていると考えて良い訳だな」

 セイネリアの声は変わらない。どこか楽しそうな、少し小馬鹿にしたような声は、軽口とは思えないくらい辺りの温度を下げる。
 議場内の緊張が頂点に達する時、セイネリアはやはりなんでもない事のように告げた。

「いいだろう、レイリース、兜を脱げ」

 今度はシーグルが息をのむ。この場の全員の視線が自分に集まって、冷たい汗が背を流れた。
 シーグルは不自然にならないよう、殊更ゆっくりとセイネリアの方を向き、よろしいのですか、と主に確認を取った。

「あぁ構わん、兜を取って皆にお前の今の顔を見せてやれ」

 セイネリアは口元に笑みを浮かべている。『俺の言った通りにしろ』と言っていたのだからここは本当に兜を取れという事なのだろう。
 ネックレスは確実にしている、腕輪もしている、今朝兜を被る前にちゃんと目や髪の色が変わっているのは確認しているし、今出している声もちゃんと魔法で変えられたモノであるのは間違いない。
 シーグルは一つ大きく息を吐くと、兜に手を掛けた。
 しんと静まり返る中、多くの視線を感じながら、ゆっくりと兜を持ち上げ頭から取る。
 途端、おぉ、と人々の感嘆の声が上がった。
 それから暫くして議場内がざわつきだす。

『やはりシルバスピナ卿だ』
『いやでも髪の色と目の色が……』
『そんなモノ魔法で誤魔化せる、シルバスピナ卿は生きていたのだ』
『なんという事だ』
『将軍は我らを騙していたのだ』

 口々に聞こえる声に震えそうになっても、シーグルは直立したまま無言でいた。何があってもレイリース・リッパーであるという態度でいろと言っていたからには、ここでシーグルがへたに弁明したり焦った態度を取ってはいけない。
 ざわめきを構成する声は生きていたシーグルに対する安堵の声から、やがて自分たちを騙していた将軍を非難する声へと変わっていく。
 それでも、セイネリアの口元の笑みは変わらない。
 彼はゆったりと椅子に座ったまま、まるで楽団の演奏でも聞いてでもいるかのように黙って人々の非難の声を満足そうに聞いていた。

 人々の声が大きくなる。何か言う事はないのかと直接セイネリアに向かって叫ぶ声さえ聞こえる。だがそんな中、ウルス卿の声が一際大きく響いた。

「いやまて、あれは……シルバスピナ卿ではないかもしれない」

 ざわめいていた人々の声がその声を受けて小さくなっていく。
 シーグルは人々の視線を感じたまま、無言で立ち続けた。

「……シルバスピナ卿にしては若すぎる……変わらな過ぎるんだ。私が最後に彼に会ってから7年以上過ぎている、なのに……あまりにもその時のままだ」

――そういう事か。

 シーグルも失念していた、確かに常識で考えればそれはおかしい。シーグルの年齢が止まったのがおそらく19歳前後、そこから二十台後半に掛けて変わったように見えない人間がいないとは言わないが、まったく変わっていなければ不自然に見えるのは確かだ。なにより今の自分の顔を鏡で見て、実年齢の28歳の成人男性には見えないという自覚がある。……成程、セイネリアの余裕はそのせいかとそこでやっとシーグルは気が付いた。
 人々の声がまた議場の中で膨れていく。落胆の響きを纏って、ウルス卿の発言を肯定する声があちこちから上がる。

 そこでやっと、セイネリアが椅子から立ち上がった。

 議場はそこでまたしんと静まり返る。今度は場内の視線は全てセイネリアに集まっていた。彼はいつも通りの自信に満ちた態度で人々に向けて口を開いた。

「変わらないのは当たり前だ、なにせこいつの顔は俺に別れを告げた当時のシーグルの顔だからな」

 途端、またざわめきが議場に広がる。言葉の意味を分かり兼ねて人々は互いに顔を見合わせる。
 そんな彼らの様子を見ながら、セイネリアは尚も笑みさえ浮かべて話を続けた。

「レイリースが顔に酷い怪我をしていたのは本当だ、だから俺の部下になる時、魔法使いにその顔を治させる事にした。治癒術でどうにかなるような状態ではなかったからな、文字通り顔を作るくらいの処置をする必要があった訳だ。だから俺はその時こいつに言ったんだ、ならばお前は俺のシーグルになれ、とな」

 ざわめきが大きくなる、今度は彼らもその意味を理解して。困惑と嫌悪感が入り混じった声の中、セイネリアの口元の笑みは消えないどころかますます楽し気に歪められる。

――ペテン師め。

 シーグルとしては呆れるしかない。
 顔の怪我という設定をそう使った訳かと感心はするものの、よくそれだけの嘘をでっち上げられるものだと呆れすぎて眩暈がする。ただ呆れるだけでなく、それはそれでセイネリアの異常性としてまた貴族達の陰口の元になるのではないかとも考えて少し不安になったが……そんな気持ちは、更に続いたセイネリアの言葉でどうでも良くなった。

「噂で言われている通り、俺はシーグルを愛していた。あいつだけを愛していた。あいつがいれば他の何もいらないくらいあいつだけが欲しかった。あいつの為ならなんでもしてやるつもりだった」

 どこかうっとりと陶酔しているような声は、おそらく聞いている者には狂気さえ感じさせるだろう。ただだからこそ信憑性は増す、彼が感情を込める程、愛していると笑みを浮かべて言う程、この男の執着と歪んだ愛情の深さを彼らは実感する。部下の顔を愛する人間の顔に作り変えさせるなんて異常な行動をこの男ならやるだろうと思わせる。

「……だがあいつは絶対に俺のモノにはならなかった。どれだけ愛していると告げて傍に居て欲しいといってもあいつは俺を拒絶した。だからあいつの剣を継いだレイリースを部下にするとき、せめてあいつの姿だけでも傍にいて欲しくてこいつを俺だけのシーグルにする事にした。以後はこいつ自身も俺の為にシーグルであろうと、あいつのクセや所作をマネしようとしてきた」

 人々のひそひそ声が聞こえる。満足そうに話すセイネリアとは対照的に嫌悪の瞳が彼に集まる。シーグルとしては……この大勢の前でいけしゃあしゃあと嘘を言い切って、愛してると臆面もなく何度も告げる彼に呆れるやら恥ずかしいやらでいろいろいろいろ言いたかったが……ともかくそれ以前に顔が赤くならないようにするのにとんでもない努力が必要だった。
 人々の顰(ひそ)めた視線を受けながら、セイネリアは椅子に座ると見せつけるように足を投げ出して乱暴に組んだ。ついでにやっとシーグルに兜をつけていいと言ってくれたから、そこでシーグルは安堵して顔を再び隠す事が出来た。

「まぁ異常だというのは自覚している、狂っていると思ってくれても一向に構わん。……事前に言った筈だ、精神衛生上見なかった方が良かったと思う事になるとな」

 確かに、今の話を聞いて信じた者達には後味の悪い話だったろうとシーグルは思う。恐ろしい程に醜い顔を見るかもしれないと覚悟していた彼らは、恐ろしい程歪んだ異常な愛情の果てを知る事になったという訳だ。
 人々がひそひそと小声で言い合うざわめきの中、そこでセイネリアは軽く身を乗り出すと声から感情を消して再び議会にいる全員に向かって話を続けた。

「さて、そういう事情なんでな、レイリースの顔を人前に出す……特に陛下や摂政殿下にだけは絶対見せる訳にいかないことは分かってくれただろうと思う。だから今日ここへいる者達にはこれはこの場だけの秘密とするのは勿論、陛下や殿下にいらぬ話が入らないように協力してくれるよう頼みたい」

 いくら将軍の異常な趣味の後拭いのような話とはいえ、状況的にそれを断れる筈もない。こうして議会は無事終了し、人々の眉を潜める顔の中、セイネリアは上機嫌で議場を出る事になった。



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 セイネリアさんの堂々たる嘘つきぶり。でも愛してるは本気だからそらもうね……。
 



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