【15】 温室は相当に広く、いくつかの区画に区切られていて、場所によっては温室の中でも更に囲われて隔離されている場所もある。だから暫く奥へ進めば植物だけでなく壁にも隔たれて完全にセイネリア達からは隔離された場所になる。ここまでくると声が聞こえる事もないと思った辺りでラークは足を止め、それからシーグルの腕を離して向かいに立つ。 「まぁその、さ……」 そう呟いて下を向いてしまったラークは、待ってもなかなか言葉を続けない。だからシーグルは兜を取って、改めて彼の顔た。彼が話し難いのはこちらの表情が読めなくてタイミングが掴み辛いのではないかと思ったのと、真剣な話らしいのに顔を隠したままは相手に対して非礼だと思ったからだが、どちらにしてもこの方が彼もシーグルも話がしやすいだろうと思ったのが理由だった。 ラークはそれに少しだけ驚いて、それからぐっと眉を寄せた。 「相変わらず……やっぱ変わらないんだね、あんたは」 「あぁ、だから今だともう、外見なら俺の方がラークより年下になってしまった」 するとラークは目を見開いて、それからぷっと軽く吹き出した。 「そっか、確かにそうだね。まぁ身長は勝てないけど、姿だけならあんたの方が今は弟っていっていいんだよね」 笑っていう彼を見て、自然とシーグルも笑う。 「そうだ、だから年上に話しかけるつもりじゃなくて構わないぞ」 「うん……まぁそうか、うん、でもまぁ……あんたはあんただよ、シーグル兄さん。見た目だけじゃなく本当に変わらないよね、あんたは」 今度はシーグルが目を見開く。ラークは胸を張って腕を組んだ。 「俺相手だといつもおっかなびっくり、こっちにすごーく気を使ってるってのが分かるからね。俺だってさ、いつまでも子供じゃないよ。しかも領主様なんかになったら自分とにーさんの事だけ考えてればいいって状態じゃなくなったからね。いろいろ知って、いろいろ変わった。あんたの……うん、そのやっぱりいろいろ持っていすぎて文句のつけようがないとこは嫌いだけどさ、でもあんたの大変さとかいろいろ分かったし、正直よくそれで全部ちゃんとやってられたなーって尊敬もしてるし、人のよすぎるところこに頭もくるし……なんていうか、悪いなって思ってるし、でも今更何も返せないし」 つらつらと堰を切ったように話し出す内容をシーグルは大人しくただ聞いた。聞いている内に微笑みは自然深くなる。 けれどラークは唐突に口を閉じると、暫く黙ってこちらの顔をじっと見つめてくる。それから、ぽつりと一言、呟くように聞いて来る。 「あんたは今、幸せなんだよね?」 シーグルは目を細めて微笑みで返した。 「あぁ」 ラークの顔もそれに笑みになる。それから彼は大きく、まるで深呼吸のように大きく息を吸ってため息をつくと、今度は真顔でシーグルの顔を見つめてきた。 「実は俺、今好きな人がいるんだ。……あ、ちゃんと女性だから、そこは安心してくれていいよ」 シーグルは一度驚いてからまた笑う。これは嬉しくて自然と出てしまった笑みだ。ただ相談事がそうであるならと考えれば、途端に自信がなくなるのは仕方ない。 「それは良い事だが……その……言っておくが折角相談されても、俺はあまり参考になる事は言えないかもしれない」 ラークは唇を尖らせる。 「それでも俺の周りで実際女性と結婚した経験あるのはあんたくらいじゃないか。ウィアとか恋愛のエキスパートだとか言ってるけどさ、実際結婚を前提としてちゃんと付き合った事はないみたいだし、なーんか勢いだけで怪しいし。……って、いやそのっ、まだ結婚なんてまったくそこまで行ってる話じゃないからねっ、そこまではまだだけどそうなったらいいなーって話でっ、ソレ前提の話でちゃんと聞けそうなのがあんただけだったってだけだからっ」 なんだか焦り過ぎて視点が定まらないラークの様子に、シーグルは軽く微笑んだ。 「それに……あんたは絶対、どんな相談でも笑わないで真剣に答えてくれるでしょ?」 それには僅かにシーグルの目が見開かれる。 彼が相談してくれたことが嬉しい、そしてそう彼に認識され、信用されているのを嬉しいと思って、シーグルは微笑みと共に強い声で彼に答えた。 「あぁ、それは約束する」 そうすれば、彼はちょっと照れたようにまた視点をあちこちに泳がせて、鼻を掻いて考えて……こほり、と軽く咳払いをすると思い切ってこちらに視線を合わせて口を開いた。 「……で、まぁ。その相手なんだけど、現状、どうにか顔を合わせれば軽い雑談するくらいになるのまでは成功出来たんだよ。二人だけで話しながら歩いたり……庭とかこの温室で、だけど。しかも話す事は植物のことばかりだけどさ」 「合わせられる話があるならいいじゃないか」 「といっても、いつもその話ばかりってのも進展がないっていうか……」 「焦らなくてもいいと思うが」 「いやでもなんかっ、領主様ご結婚はまだですかってあちこちからプレッシャーがあるし縁談話もちょいちょいくるし、せめて相手に脈があるかどうか、このまま皆断って彼女に望み見ちゃってていいのかなーとか、なんていうか悩んでるんだよっ」 領主という彼の今の立場――それを考えれば確かにシーグルも彼の焦りが理解出来た。シーグルの場合は祖父の決めた人間と結婚するだけだとしか思っていなかったが、結婚を義務として考えていた事は変わらない。ラークの場合は彼に強制させる者はいないが、周りからのプレッシャーは相当にあるだろう。 「いくら結婚したと言っても俺もそんなに女性を理解している訳ではないが……ただ、女性というのはそういう空気というものにかなり察しがいい、と思う」 「どういうこと?」 「そうだな、こちらがどうしようかと悩んでいたり、言うのを隠していたりというのは結構敏感に察してくれていて、実際相談したら『分かっていた』という顔をされることが多かったんだ」 ラークが相当に眉を寄せて顔を顰めてくる。 「つまり……だから、どうすればいいわけ?」 ごくりと唾をのんでこちらを見つめてくる弟に、シーグルは話を続ける。正直なところ、この手の話で自分が誰かにアドバイスをするなんて夢にも思わなかった。 「彼女は、貴族の出とかではなく一般の女性、なんだろ?」 「うん」 ラークがこれだけ悩んでいるならそれは当然だろう。何せ貴族の女性なら、結婚適齢期で未婚の領主であるラークと二人だけで話して歩くなんてことがあれば結婚を意識しない筈はない。本人達が告白などしなくても家同士で勝手に話が進み出すくらいだ。 「二人でよく話す機会があって、特にラークの方から話しかける事が割合あって、彼女も楽しそうに話してくれるなら少なくとも脈がない、ことはないと思う」 「うん」 恐らくこれもそうであろうとシーグルには分かっていた。それくらいの仲にはなっているからラークはこちらに相談してきたのだと思われた。ただ、身分という壁がある以上、それ以上にはどちらにも大きな壁がある、だから。 「そこできっぱりあちこちから入っている縁談話を全部断るんだ」 「……う、うん」 シーグルの言葉に、明らかにラークの顔には動揺が走った。 「それで彼女がどんな反応をするのか見てみるといいと思う。彼女にまったく動揺がなくて、ラークの事より植物の話だけを続けるなら……難しいかもしれない」 ラークの顔がそこで不安そうに引きつる。 「でも、動揺しているようだったり、ラークの事を心配していろいろ言ってくれたり、気にしてくれるようなら……思い切って、好きだと告げてみればいいと思う。彼女の為に断ったと言えば、すくなくとも本気だというのは伝わる筈だ」 「す……す、き……て」 ラークの顔がぼっと赤く染まる。シーグルの前では理屈屋で怒る事が多い彼のそんな反応が可愛らしくて、思わずシーグルの口元が緩む。 「で、でもさ、それで断られた……ら?」 「多分、断られると思う」 「ちょ……それって大人しく玉砕しろって事?!」 泣きそうな顔でこちらを見てくる弟に、シーグルは少し厳しい目を向けた。 「ラークがそれで諦めるしかない、と思うならラークの想いはそこまでだ」 「え?」 「一般の女性が領主に告白されたら普通は遊びだと思うだろう。それくらいあり得ないことだから。絶対に揶揄っていると思われる」 「あ……あぁ、そうか」 それでラークも大方こちらの言いたい事を理解したようだった。彼はもともと頭の回転は速い。シーグルは真っすぐ、フェゼントと同じ空色の弟の瞳を見つめた。 「後はラークが努力するところだ。遊びではないと彼女に納得させ、身分違いでも自分が周りに文句を言わせない、彼女を守ると伝えること。大丈夫だ、リシェは民の街だから皆祝福してくれる。重要なのはそれを彼女にちゃんと理解してもらうことだ」 泣きそうだったラークの瞳が定まって、口元がぎゅっと引き締められる。自分を奮い立たせようとする弟のそんな顔に、シーグルは微笑んだ。 「彼女に、覚悟と想いを伝える事、嘘やごまかしはなしで」 そこでやっと末の弟ははぁと大きく息をつくと、苦笑してこちらに言った。 「う、ん……まぁ、やってみるよ」 シーグルは笑って、片手を胸の聖石に置いて軽く目を閉じた。 「お前の気持ちがその人に伝わるよう祈っている」 ラークは暫く黙って、それから何か楽しそうにふふっと笑った。 「ほんとにあんたは全てを知っても変わらないんだね……うん、ありがとう、シーグル兄さん」 --------------------------------------------- 次回はセイネリアと魔法使いサイドの話。 |