【16】 シーグルがラークに連れられてこの場を離れてから、セイネリアは明らかに不機嫌そうな顔で魔法使い達の顔を見た。 「折角気分良くいたところで、あいつを引き離してまで俺に何の用だ?」 一般人なら震えあがって声を出す事も出来なくなるそれに、だが恐らくは現状、魔法使いとしては最強であろう男はまったく動揺のない声で答えた。 「何、ちょっとした愚痴を言いたかったのと……あんたに確認しておきたいことがあってね」 金髪の魔法使いクノームは、言いながら突き刺す勢いで持っていた杖の先で地面を叩いた。 「愚痴? ……あぁ、顔を作り変えたという話か」 「あぁそうだ。あんたが議会であんな話を言ってくれたおかげで、本当に顔を作り変える事が出来るのかと聞いて来る連中が最近多い」 セイネリアはふん、と鼻で笑う。 「出来なくはないんだろ?」 魔剣の主であるセイネリアには魔術師ギネルセラと封印された騎士の知識がある。そこから判断して不可能ではないという事は分かっていた。 「確かに不可能、ではないけどな……。現実的に考えて常用出来るモノじゃない。お前の部下であるそいつなら作るだけは出来ても維持するのが大変だし、普通は幻術を使ったほうが早いから誰もやろうなんて思わない事だな」 魔法ギルドから追放されてはいるが、その分野では最高の技術を持っているサーフェスなら顔を作るだけなら出来るのは分かっている。ただし植物擬体の応用であるから当然莫大な金と時間が掛かる上に定期的に交換も必要となる。しかも擬体部品が多ければ多いだけ表情がうまくつくれないだろうというのも分かっていた、確かに現実的ではない。 「ならそのまま条件を言ってやればいい。俺の下にいていつでも施術出来るからこそ可能だと。なんなら俺が持っている剣の力の補助がないと無理だと付け足してもいいぞ。俺に頼まなければならないとなればまず諦めるだろうよ」 「あぁしつこい奴がいたらそうさせてもらうさ。……まぁ大抵はちょっとしたスケベ心を持った馬鹿かモテたいだけの馬鹿だったからな。掛かる金額とそれが定期的に必要な事、しかもとんでもなく痛い思いをしなきゃならないことと逆に失敗して酷い顔になるかもしれない……と脅せば諦めはするがな」 「だろうな」 あの場にいた貴族達なら、軽い気持ちで聞いた程度だろうというのは予想出来る。ただ将来的にはそれでも出来るならと引き下がらない者がいないとは限らない。 「ただその所為で僕に直接声を掛けてくるのもいたんだけどね。つまり、あんたみたく僕を自分の部下にして囲っておけば好きなだけ自分も、自分の情人達も好きな顔に出来るんじゃないかってね」 話に入ってきたサーフェスのそれにはセイネリアも笑う。 「多少は頭が回るスケベ親父がいたという訳か」 「まぁね、気持ち悪くてマトモに話を聞く気にもならなかったけど。ただ面倒は嫌だったから、マスターの力を貰わないと無理って言っといたよ」 「それで諦めたんだろ」 「勿論、なにせそいつ『あのシルバスピナ卿の顔を作れるなら』って言ってたしね」 セイネリアは皮肉気に嗤う。将軍は異常な程故シルバスピナ卿を愛していた――その認識があって、自分もあの顔の情人が欲しいなどとセイネリアに言ってこれる訳がない。 「勝手に話をでっちあげて広めたのはこちらだからな、基本はどうしてもやりたいなら俺に頼め、という事にしておけばいい。その程度の責任は持ってやる」 勿論最初から、セイネリアとしてはあの嘘話一つでこちらにあるメリットを考えればその程度の後始末はやるつもりがあった。 セイネリアが言えば、金髪の魔法使いは大きく息を吐いて偉そうに腕を組んだ。 「あぁ、それでいいなら以後は全部それで済ませる、そこをあんたから了承をとっておきたかった」 「それで……確認したい事というのは?」 セイネリアとしては魔法使い達との話などさっさと済ませてしまいたかった。だからすかさずそう聞けば、魔法使いは一度沈黙を返してから聞いてきた。 「……どういうつもりだ?」 声の響きから完全に変わる。 こちらを探るような目でじっと見てくる魔法使い……それはクノームだけではなく他の二人もで、セイネリアは半分予想しながらも殊更軽い口調で聞き返した。 「どういうつもりというと?」 金髪の魔法使いは舌打ちをする。セイネリアは口元を僅かに緩めた。 「あんたはこちらにとっては重要人物であり、要注意人物だ。だからあんたの動向はいつでも探らせているし、こちらはずっとあんたを見ていた」 「あぁ、知ってるさ。魔法だけで探れないからわざわざ人を置いて俺を監視してるんだからご苦労な事だ」 言いながらサーフェスとキール、二人の魔法使いに視線を送る。 現在、この二人は魔法ギルドの枠を外れてある程度の自由な行動を許されている。それはセイネリアとシーグルの行動を見て、それをギルドに伝える役目があるからこそであるというのをセイネリアは承知していた。だから当然、自分やシーグルの行動が魔法ギルドに筒抜けである事は分かっていたし、逆にシーグルを守るためにそれを利用していた。 「だからあんたが一時期あの坊やを離そうとしていた事も知っているし、最近のあんたがどれだけ浮かれてあの坊やと楽しそうにしてるのかも知ってる」 「他人の情事の覗きが仕事とはますますご苦労だな」 セイネリアは尚も笑う。 金髪の魔法使いはそこでまた杖で地面を強く叩くと、ひときわ声を低くして聞いてくる。 「だから、あんたの行動が分からない。あの坊やをないがしろにして失いそうになった事で謝って無事仲直りしたのは分かったさ。だがその後だ、そこからあんたは人が変わったようにあの坊やをただ楽しそうに構っている。ふっきれたにしても浮かれてるにしても不自然すぎるだろ。しかもあんだけ坊やの無事を不安がってたのに手元から離す事も許可した。いくら供をつけたといっても年単位で放って置けるのも分からない。今までのあんたって人間を知っている分、あんたの今の行動が信じられない訳だ」 クノームが話す間、セイネリアはただ黙って聞いていた。表情も変えず僅かな笑みを浮かべたまま、特に何も感情の動きもあったように見えないまま聞いていた。 「だからここであんたに直接聞いておきたい。あんたは今何を考えてる? あんたの今の幸せはあの坊やがいてこそのものだ。あの坊やがあんたと共に生きられるとしても、不老ではあっても不死ではない、失うかもしれないという不安は変わらない筈だ。なのになぜ、今のあんたはそんなに幸せそうに浮かれていられる? いや、浮かれているフリをしているんだけじゃないのか?」 確かに――とセイネリア自身、彼らの疑問には大いに納得出来てしまうところだった。自分という人間を知っていればいる程今のこの自分が分からない、嘘のように見えるだろうと我ながら思う。 だから本当に……まったくその通りだと言いたい程、彼らに同意して笑ってしまう。今の自分の浮かれぶりが可笑しくて、それを不安そうに見ているだろう魔法使い共が滑稽で、笑えてしまって仕方がない。声を上げて笑ってしまえば、益々困惑する魔法使い達を他所にセイネリアは今のこの状況が更に可笑しくなって笑っていた。 「おい……」 困惑したままそう声を上げた魔法使いを見る。 こちらが狂ったのかとでも思ったのかその訝し気な視線を受けて、セイネリアは笑い声は収めたものの口元を大きく笑みに歪めたまま言ってやる。 「俺はな、いつでも先を読んで行動してきた。他人の行動を先読みして、好きなように動かして状況を作る事で生きてきた。それで何も持たないガキが最強と呼ばれるまでになった訳だ」 琥珀の瞳を愉悦に歪めてセイネリアが楽し気に言えば、魔法使い達は身構えるように顔を強張らせた。セイネリアは尚も嗤う、だが今度はその笑みは最強だと自負する自分に向けてのものだった。 「……だがな、あいつにだけはそれが何の役にも立たないんだ。あいつを思う通りに動かせないのは勿論、あいつの為に先読みした策は裏目に出る、あっさり罠に引っかかる、おまけに俺自身があいつを追い詰めている始末と……まったく、今までそれで生きてこれたのが不思議なくらい、ミスの連続で自分の無能さに呆れかえった」 セイネリアは目を瞑る、そうして愚かすぎた自分を嗤う。何が一番大事かそれを分かっていた筈なのに分かっていなかった。シーグルが無事で傍にいることが大事なのではなく、彼自身が大事なのだとその意味をよく分かっていなかった。彼の心が一番大切で欲しかった筈なのに、その彼の心をないがしろにしていた自分の愚かさを嘲笑する。 ――俺はきっと、分かっているつもりで分かっていなかった。 セイネリアは右手を軽く顔の前にかざして見つめた。おそらく自分はうぬぼれていたのだと、その時初めて気づいた事を思いだす。この手で全てをどうにか出来ると思っていた――そんな事はあり得ないと分かっていた筈なのに、感覚では自分ならなんでもどうにか出来ると思っていた。 開いた掌を握りしめ、再びセイネリアは目を閉じる。 「あいつが死んだと思った時、俺は全てを後悔した。あれもこれも、自分がとった行動の何もかも……無駄な後悔だけをとりとめもなく何度も繰り返して考えていた」 それまで後悔などするのは愚かだと思って生きていたのに、そんな考えが吹き飛ぶくらい思考は後悔一色に塗り固められた。 その時の事を考えれば今でもぞっとして手足の感覚が消えていく、心が凍り付いていく。愚かすぎる自分の所為で何よりも大切なものを失ったと思ったその時を思い出して恐怖で体が強張っていく。 「ああすればよかった、こうすればあいつを失わずに済んだ……そう思う中で、失うのなら何故あいつと離れようとしたのか、何故あいつを苦しめたのか、ほんの一瞬でも時間を惜しんであいつを思うまま感じてあいつに幸福を感じさせてやればよかったのにとも思った」 セイネリアは自嘲の笑みを浮かべ続ける。けれど今はそれが僅かに微笑みに変わる。 「だから憔悴しきったあいつに責められて自分のポンコツぶりに目が覚めた後に考えたのさ。もし本当にシーグルを失ったとして、やはり俺はあぁすれば良かった、こうすれば救えたと考えるのは間違いないだろう……だが、もっとこいつを感じておけば良かった、好きなだけ愛していれば良かったとその後悔だけはしないと、その後悔が一番愚かだとな」 セイネリアは分かっていた、これからいつまで続くか分からない時間の中、不死でない彼はほぼ間違いなく不死である自分より先に死ぬだろうと。だから不安だった、怖かった。今がどれだけ幸福でもいつか終わりは必ずある。どれだけ足掻いたところで彼を失う可能性はゼロにはならない。けれど、彼を後悔がないくらい愛する事、それは自分さえ間違えなければ出来る事だ。ならばそれだけは決して忘れない、この心を満たす事だけを考えて思うまま彼を愛する為に生きようと。 そう考えたらそれだけで迷いがなくなった。先が見えないなら今の幸福を精一杯感じて、彼にも感じさせてやろうと、それだけで不安を押さえる事が出来た。 「だから余計な事を考えず思うままあいつを愛する事にした訳だが……笑える事にな、そうしたら魔剣の声も気にならなくなった。不安定だった時が嘘のように奴の影響を受けなくなった。だから安心してくれていいぞ、少なくとも俺がこうして浮かれている限りは貴様らが心配するような事態は起こらん」 本当に不安定だった頃の自分が笑える程、セイネリアは魔剣の影響を感じなくなった。シーグルがいなくても悪夢さえほぼ見なくなった。結局アレはこちらの心の弱みに付け込む事でしか影響を及ぼせない。セイネリアの中に迷いや不安がなければいいだけの話だったのだ。 言い切って口を閉ざしても黙ったままでいる魔法使いに、セイネリアは軽く微笑んで付け足しのように言ってやる。 「……そういう事で納得出来たか? 別に納得出来なくても構わんがな」 口調は軽く、琥珀の瞳はシーグルやシグネットに向けるように柔らかかった。我ながら単純だと自嘲しながらも、今の自分はそれで満たされた気持ちでいられるのだから不思議だった。あれだけ感じていた恐怖や不安よりも、今はこの幸福を素直に感じていられる。 「……そうだな、とりあえずあんたがフリ、をしてるんじゃないってのは分かったさ」 暫くして気が抜けた声でそういった金髪の魔法使いは、仮面で表情は分かりにくいながらも纏う空気を和らげてそう言った。 「そのお考えならぁ……私はぁ文句はありませんよぉ。シーグル様を大切にすることだけはぁ〜くれぐれもぉ忘れないでくださいねぇ」 キールが言えば、クノームが背伸びをする。 「ともかく、少しは安堵していいってとこかな。疑って見なきゃならないってことがないのは分かったからな」 そう言うと魔法使いはセイネリアに別れを告げ、その場から姿を消す。キールも彼と共に消え、サーフェスとセイネリアだけがその場に残った。 サーフェスはずっと黙ったままでいた。セイネリアが話している間、特に他所を見ていたというでもなくずっと真剣に話を聞いていて、そうして今は黙って下を向いていた。 「さて、そろそろあいつの方も話が終わっているといいが」 セイネリアが言いながらシーグル達が消えた方を見れば、そこでやっとサーフェスが動きだす。 「多分終わってるんじゃないかな。マスターは待っててよ、話してる場所なら大体予想がつくから僕が探してくるよ」 「あぁ、頼む」 彼は何度も通っているだけあってこの温室の中は詳しい筈だった。 けれど彼は立ち去る前、一度足を止めると背を向けたままセイネリアに告げた。 「後悔しないくらい思い切り愛してやるなんてさ、ホントはずかし気もなく言ってくれるなぁ……僕もそう、言えたらよかったんだけどね」 団の中でもそこそこに長い付き合いの魔法使いは、言いながらゆっくりと歩いて行った。残して行ったその言葉を言った彼の声は震えていた。 --------------------------------------------- サーフェスさんはこれがきっかけで……。 |