春と嵐を告げる来訪者




  【7】



 自由の国クリュース。他国の者から言われるその響きだけで心が弾まずにはいられない。かつては敵国として目の敵にしていた教会の勢力が強かった時代は興味を持つ事さえ許されなかったが、教会の力が削がれ友好国となってからは恐れながらもかの国に行きたがる者がアウグでは後を絶たない。審査が厳しくてそうそう許可が下りなくても、行ったという者の話を人々は興味をもって聞き、いつかは自分たちもと夢を膨らませる。そんな人々の顔は敵対していた頃よりずっと明るく、希望に輝いているとタニアは思った。

 だから、来てみたかった、この国に。
 そうして、アウグの勇者でさえ敵わないとはっきり言わせるその男を見て見たかった。貴族でない下層の生まれでありながら、この大国の王座の次席に当たる程の地位を手に入れた男。人々に恐怖の象徴とされる程の人物。
 けれどタニアには、レザから彼の事を聞けば聞くだけ、彼に対して抱いた疑問があったのだ。

 何故、彼自身が王にならなかったのだと。

 アウグの常識で考えれば、彼は王になるべき人物だった。タニアの疑問に、だがレザはいつでも言葉を濁して誤魔化していた。あの仮面といい、何か事情があるのだろうとは思うが、どちらにしろそんな彼に対する興味は益々積み重なった。
 会った事のないその男の事を考えるのが楽しかった。
 箱庭で人形のように育てられたタニアには、地位も力もある筈なのにそれを重視せず、好き勝手に他の権力者達を翻弄する彼の話はいつも心が躍った。

 それはまるで、恋のようなものだったのかもしれない。

「不機嫌そうだな」

 馬車の中でいかにも険悪な空気を出している黒い男を見て言えば、彼はそれでも平静を装ってタニアに返した。

「あぁ、予定外だからな」

 ヘタに誤魔化そうとしない辺りにちょっと感心して、タニアはくすりと笑う。

「別に、見られたからといって困るものでもないだろう。貴方が私に対する時はいつも事務的なのは分かるだろうに」
「あぁ、分かるだろうな。だが俺がお前を嫌っている訳ではないというのも気付くだろう」
「それじゃ不味いのか?」
「不味いというかムカつく事にな、そうなるとあいつは結婚を勧めてくる」

 最後の言葉はこの男らしくなく、明らかに声に苛立ちがある。
 それだけでちょっと驚いてしまったタニアだったが、この男のこんな感じを見られたのには得をした気分にもなる。

「それはそれは、貴方としては困ったところだろうな」
「あぁ、あいつは感情より立場でモノを考えようとするからな」

 明らかに怒るこの男を見ていれば、タニアだって『勝てない』というのは分かりすぎる程に分かる。けれども、この男をこんな風にさせる相手に興味が行くのもまた、止められなかった。

「実は、貴方に頼みがある」

 頭のいい男にはそれだけでこちらの言いたい事が分かったのだろう。機嫌が悪いのを隠そうともせず、なんだ、と聞いてきた。

「折角の機会だ、貴方の大切なあの側近の青年と話がしてみたい」






 小柄ではないが細身の青年は、どこまでも姿勢がよく、相当の美形と言われる顔を見なくてもその立ち姿だけでも美しかった。

「申し訳ございません、兜着用のままでお許しいただけますでしょうか?」

 謝るその礼の姿も洗練されていて絵になる。かといってただの宮廷貴族のような優雅な所作という訳ではない。きびきびとして緊張感がある、いかにも戦士のしぐさである。

「あぁ構わない、そんな気を使わず楽にしてくれ。私がしたいのはただの雑談なのでな、気楽に話して貰いたいのだ」
「分かりました、寛大なお言葉ありがとうございます」

 これだけの受け答えとその所作を見るだけで、確信出来てしまうものがある。つまり、この青年は貴族、もしくはそれに相応する家柄か、最低でも貴族に代々仕える地位ある使用人の家の出である。軍事国家であるアウグの貴族のがさつさからすれば優雅で、クリュースのただの宮廷貴族と比べれば動きがぴしりとして戦士然とし過ぎている。これで平民の出なんて言っても、見る者が見れば嘘だと笑うだけだろう。
 成程これがあの男の好みかと考えれば、自然と笑いたくなってしまって困る。

「さて、唐突だがな、私が話したい内容というのはお前の主のことだ」

 相手が構えたのが気配で分かる。まぁ少なくとも反応はあの男よりは分かりやすい。

「お前は主の事をどう思っている?」

 言えば、目の前の青年の時間が止まる。それだけでなく、少し離れた場所で見ている黒い男の方も止まる。タニアは楽しくて仕方がなかった。

「……主として、敬愛しております」

――これはまた、逃げたか。

 たっぷりと時間を掛けて返された答えがそれで、タニアは明らかに不機嫌そうに眉を寄せた。

「主として、などという話を聞いているのではない。個人として好きかと聞いているんだ」

 また相手は固まって、空気が一度止まる。けれど黒い男の方をちらと見れば、あちらは今度は口をへの字に曲げて険悪なオーラを出していた。

「私は好きだぞ。わがままでも怖くても不気味な仮面姿でも、だ」

 だが相手が返事を返す前にそういえば、明らかにまた目の前の細身の騎士は動揺を見せた。

「それは……良かった、です」

 そこでまたちらと最強と呼ばれる男を見れば、彼は怒りを露わにして――おそらくは、この青年の方を見ている。

「別に愛してくれとは思わんからな、名前だけでも妻となって好きな男の子供が欲しいと思っている。あの男はいらんと言ったが、なに、ここの国王陛下に対する態度を見れば、子供が出来たら出来たでちゃんと可愛いがるに違いないと思うのだ」
「そう……ですね」

 声の響きは明らかに暗くてハリがない。
 最初のはきはきとした口調からすれば、どう考えても平静でいられていないだろう。
 声を上げて笑いたいのをどうにか抑えて、タニアはにっこりと貴族女性らしい、出来るだけ品の良さそうに見える笑みを浮かべてみせた。

「ならお前は、私とお前の主が結婚するとなれば祝福してくれると思っていいか?」

 鎧姿でも彫刻のように美しい青年は、それにも、はい、と返し、それきり沈黙した。



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 シーグルはかなり追い込まれた模様。
 



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