かつて、あった風景
国王シグネットの小話



  【1】



 北の大国クリュース。領土の広大さだけでなく、財力、戦力、すべてにおいてこの大陸一の大国である事を認めない周辺国はない。
 ただ、それだけの大国の頂点である国王は、両親に似て見目麗しく聡明で……そして中身は悪ガキだった。

「ずるいよな、キールは」
「はいはい、私はずるいですよぉ〜」

 もう慣れたものだからわざわざ反論せずにそうキールが返せば、国王アルスオード二世、つまるところシグネットは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「なんだ、その慣れきった返し方は」
「そりゃぁ〜もぉぉう、慣れましたからねぇ」
「不敬罪だ、ちゃんと話を聞け」
「おぉ〜そりゃぁ大変です、では私はぁ塔に逃げさせていただきますかねぇ」
「冗談だよ、待てってば」

 どう考えても子供とのやりとりだが、別にシグネットが王らしく『ちゃんと』した態度を取れないという訳でもない。そうすべき時はそうしているが、身内扱いの人間しかいないところでは完全にそのヘンの悪ガキになるというだけの事だ。本当に子供の内はそれでもよかったが、さすがに成人したのならもうちょっと……とはキールでさえ思う事ではあるが。

「まぁ私は別にどれだけずるいと言われても構いませんがぁ〜いい加減しつこいかと」
「うんまぁ……それは俺も分かってる」

 ちなみにキールは一応名目上は将軍府に配属されているのだが、最近の将軍府は仕事が効率化されたから別にキールがいなくてもどうにかはなる。それでシグネットたっての願いで王の相談役として城生活をしている訳だが……わざわざキールが名指しされたのは当然、王が父親の真実を知ってしまったからである。

 将軍とその側近、つまりセイネリアとシーグルが旅だってから三年後――当初から予定されていた通り、シーグルの身内や親しい者だけにシーグルが生きているという真実の物語を吟遊詩人が歌い聞かせた。
 それで焦がれていた父親が剣の師としてずっと近くにいてくれたレイリース・リッパーだったという事を知って、その真実をずっと知っていたキールにこうして王様は絡んでくるのである。
 おそらくだが、彼は気付いているのだろうとキールは思っていた。
 キールがずっと知っていて彼らのサポートをしていたのなら、もしかして未だにあの二人と繋がっているのではないかと。それは正解だからキールとしてはとぼけるしかないが、さすがにいくら子供っぽくても頭は悪くないと思うところではある。

「たださ、ずっと知ってて黙っててくれたキールにはちょっと愚痴ってもいいかなと思っただけだ」
「それはぁまたぁ〜はた迷惑な理論ですねぇ」

 唇を尖らせて王は椅子に背を投げた。その容姿は確かにシーグルそっくりだが、行動はあのガキ神官――ウィアそっくりだとキールは思う。

「レイリースが父上だった、っていうのは嬉しいんだ、すごく」
「そうですか」
「……だからちょっと彼の声で『シグネット』って呼んでもらっているのを想像してみた……んだけど、どんなにがんばっても想像出来なかった。というかレイリースはあまりしゃべらなかったから……」

 それでも王のこんなガキ臭いところをキールは嫌いではない。こうしてガキのように接してくる王は、本当に子供のように素直でもあるからだ。人の話を聞く時の素直な態度はシーグルを思い起こさせて、つい何でもしてやりたくなって困るのだ。

「そうですねぇ〜、あの方はもともと無駄口は叩かないタイプの方でしたからねぇ」
「俺と違って、か」

 ちょっと拗ねたような目で睨んでくる王に、キールは満面の笑みで応える。

「はぁぁい、そりゃぁもぉう陛下と違って」

 現在は一応、相談役の魔法使いと重要な話中という事になっている為、護衛官だけでなく側近の二人も執務室の外で待っている。部屋に部下さえいないという状況もあってか、今日のシグネットの子供っぽすぎる態度は少々行き過ぎているくらいだった。
 だからちょっとクギを指すつもりでいった皮肉には、さすがに睨んでいたシグネットもがくりとうなだれて机の上につっぷした。

「そりゃぁ父上が真面目で自分に厳しくて暇があれば鍛錬してて細いのに部下が誰も勝てないくらい強かった……とか。どんなにすごい人だったかって話は嫌になる程聞いてるよ。それこそ俺と違って、って」
「そうですか、ならばレイリース様はその言葉通りの方だって……思いませんでしたか?」

 シグネットはつっぷしたまま顔だけあげて恨めしそうにキールを見てきた。

「……うん、まんまその通りだった。どこからどう考えても、考えれば考えるだけ、皆が言ってる言葉があの人にピタリと当てはまった。勿論、レイリースの顔は見たことなかったからそれ以外のところで、だけど」

 不機嫌そうなシグネットの声に、嫌味なくらい明るい声でキールは返した。

「顔はぁですねぇ……えぇ〜今の陛下のお姿を鏡で見て、もうちょっと全体的に細身で鋭いイメージにして表情をキリっとさせればシーグル様ですよぉ」

 本音を言えば、それプラスあの何とも言えない緊張感と色気だが……さすがにそこまではキールは口に出さなかった。

「そんなに俺はだらしない表情をしているのか」
「いやぁぁ私もぉですねぇ、よく似た顔が表情一つでこんなに違う印象を持つのだと陛下を見るとしみじみぃと思う訳ですよぉ」

 言われてシグネットはまた机に顔を落とす。ごち、と額が机にぶつかった音がわずかにしたが、キールはそれをあっさり無視した。とはいえ、いい加減クギを刺してやるのもこの辺りでやめておくかと、キールはこほりと軽く咳払いをすると腕を組み、王様相手に少々偉そうな声で言った。

「まぁぁぁ仕方があーりませんねぇ。お父上のお姿を見てみたいというのと、『シグネット』と呼ぶ声が聞きたいというその願い、私がぁ叶えて差し上げてもよいのですよぉ」
「……え?」

 今度はよく晴れた空の色の瞳を大きく見開いたこの国の王に、キールは杖を掴むと立ち上がってお辞儀をした。

「そろそろ陛下には私の魔法を見せてさしあげてもいいでしょうからねぇ。たぁだぁし、そうそう簡単に見せてはさしあげませんよ、あくまで私が了承した時のみ、という事だけは約束してくださぁいねぇ」
「あ……うん、約束する」

 それで表情を輝かせて期待一杯の瞳を向けてくる王に、ではまいりましょうか、とキールは杖を持っていない方の手を差し出した。





 魔法使いは魔法ギルドの持つポイントを使えばどんな遠くとも一瞬で行く事が出来る。それは当然魔法ギルドと直接つながっている王族なら皆知っている事で、とはいえそれを通常の移動に使う事は滅多にない。確かに転送で行けば早いし安全だし護衛やらはいらないしとイイコトだらけだが、そんな手段が使えるなんて公にするのはまずいし、王の移動を仰々しく行う事も――国民の為に――いろいろ意味があるからだ。

 という事でシグネットは滅多に魔法で一瞬に到着、というのはなく(子供の頃は割と何度かあったらしいが)、キールの手を取って呪文を聞いたら即別の場所、という事態に最初は本当に何が起こったのか分からずぽかんとしていた。
 ただ、連れてこられた建物の前で、その建物に微妙に見覚えがある気がして――そうして何処か分かって思わず息を吐いた。あぁここはセニエティにあるシルバスピナの屋敷だ、と。どうやらやってきたのはその裏庭で、見慣れない角度から見た所為ですぐにピンと来なかったらしい。

「こんなところにポイントがあるのは不味いんじゃないか?」
「いやーあの方を守る為にギルド側はいろいろやってましてねぇ……勿論このポイントは一部の魔法使いしか使えないようになってまぁすのでぇ……って事で大目にみて頂けませんかぁ」
「しかも思い切り不法侵入だが」
「今日は領主様がいませんからぁねぇ〜勝手にお邪魔させて頂いても構わないでしょう」

 冷静に考えればどう考えても何重にも罪になる状況なのだが、このポイントの事を魔法使いである現シルバスピナ卿が知らない筈はないし、恐らくは母も知っているのだろうと思ってシグネットはそれ以上あれこれ言うのは止めた。
 しかも魔法使いは建物までくると当たり前のように合鍵を使って扉を開けてしまったから、シグネットとしては頭を抱えながらも『同意の上だろう』と無理矢理納得するしかなかった。
 魔法使いキールはまるで自分の家に来たかのようにさっと部屋に入るとこちらを手招きしてきて、シグネットは言われるままついていく。そうして彼は庭から入ってすぐの少しホールっぽくなっている部屋の中央で立ち止まると、辺りを見渡してぶつぶつと呟きだした。

「さて……やはりこの部屋、とぉ〜なればあの時のシーンでしょうかぁねぇ。ただ人数がぁいますからねぇ……さぁてぇまず何人分陣を描かないとならないことぉやらぁ……さぁすがぁぁあに全員はぁ無理とぉして……」

 何をする気は分からないシグネットとしては黙って待っている事しか出来ない。ただ魔法使いがいるから問題ないだろうと思っていても、辺りに注意するクセはついている。この部屋には人の気配は今のところないが、屋敷自体は領主がいなくても管理している者がいる筈だった。

「ではここからぁはぁじめますか〜」

 突然手をぽん、と魔法使いが叩いて、彼は杖で床にたくさん円を描きだした。

「何をしているんだ?」
「そぉれは見てのおたぁのしみぃですよ〜」

 勿論杖で描いているから実際床に何か模様が描かれている訳ではない。ただキールは忙しそうに沢山の円を床に描くと、そこから杖を床に付けて目を瞑り、何か呪文を唱えた。そして――。

「え、これって?」

 キールとシグネット以外、誰もいない部屋の中に次々人が現れる。だがそれが実体のある本物の人間ではない事は微妙に透けるその様子ですぐにわかった。しかも、その現れた人物は全てシグネットの知る顔――正確に言えば知っている顔のもっと前の若い姿だったが。

「うっわ、誰かと思ったら……皆、若いなぁ。てかこっちがランって事は、この子供はメルセンか、可愛いじゃないかあいつも」

 現在の護衛官、グス、テスタ、ランの家族にシェルサ達、それにロウ、ウィアやフェゼントの姿に思わずシグネットは声を上げる。そうして彼らが視線を向けるその先には……赤子の籠の前に立つ夫婦……若き日の母とアルスオード・シルバスピナ、父の姿があった。
 皆の若い姿にはしゃいだ声を上げていたシグネットは思わず口を閉じる。
 籠の中のシグネットを見て微笑む父のその姿は確かに皆から聞いていた通り、綺麗で、姿勢が良くて、真面目で気が強そうで、そして――銀髪の白い容貌に驚くくらい濃いハッキリとした青色の瞳が印象的な人物だった。




---------------------------------------------


 次回はシーグルを見たシグネットのお話。
 



   Next

Menu   Top