強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【6】



――やれやれ、またこの人は。

 朝起きてきたばかりのシーグルを見て、アウドは笑顔で挨拶をしながらも内心困った。ここは導師の家であるからいきなり誰かが入って来たり覗いていたりという事はまず心配しなくていい。そのためシーグルも仮面をしていないことも多く、特に朝一は顔を洗いに水場へ行くから素顔なのは確定だ。

 ……と。そんな訳でアウドとしては朝一の眼福というか、起きたばかりのシーグルへの朝の挨拶は一日の活力を貰う特別楽しみな時間なのだが――なにせそれがあるから何があっても早起きが出来る訳で――まぁ彼の素顔をしっかり朝一で見ておくのは何もそういう個人的な楽しみのためだけでもない。朝起きてまず第一に主の顔を見てその顔色で今日の彼の体調を確認しておく、という僕としての重要な意味もあるのだ。なにせこの真面目なご主人様は困ったことに我慢強くて自分の体調を顧みずに無理をするクセがある。だから彼の体調がよくなさそうな時は無理矢理でも訓練にストップを掛ける事――というのは自分の意思でも勿論あるが、あの怖い将軍様からの命令でもあるのだ。

 ちなみに今朝、起きてきたシーグルを見た途端のアウドの感想は『ヤバイ』だ。

 ヤバイといっても勿論顔色が悪かったりといった体調が悪そうという意味ではない。端的に言えば今日のシーグルの色気がヤバイのだ。実を言えばそういう意味ではアウドからすれば普段から寝起きのシーグルの顔は相当ヤバイのだが、その辺りは慣れて理性が利くようになったから普段は冷静に見ていられる。

 だが時折……なんというかシーグルの色気が数割増しになっている事がある。これが首都にいたころであれば理由は簡単だ。あの将軍様が朝からちょっかいを掛けたか、朝に疲れが残る程昨夜が激しかったかのどちらかだ。
 ところが元凶がいないところでそうなっているとなると……。

「レイリース様、昨夜は将軍閣下との話で何かありましたか?」

 そこでシーグルが立ち止まって顔に動揺を見せる。……真面目で馬鹿正直な人だからこそ、こういう時の反応は分かりやすい。

「何でもない」

 そう返しても視線はちょっと他所を向いている。アウドは正しく主の言いたい事を理解した。つまり、言いたくないような話をしたんだな、と。

「なら今日は気を張って俺の前でも導師の前でも出来るだけ仮面をつけているのをおすすめします」
「どういう事だ」
「えぇはいどうやら昨夜将軍閣下は貴方にちょっかいを出したくてたまらないような発言をなされたようで、早い話が今朝の貴方は色気が駄々洩れしてます」
「なんだそれはっ」

 シーグルが赤くなって怒鳴り返してくる。これで無自覚なところがこの人の困るところだ、とアウドはしみじみ思ってため息をついた。

「言葉通りです、なんていうか貴方を押し倒したくてたまらない気分になるので私の前でも仮面を被ってください。……という状態をお嬢ちゃんはともかく導師にも見せたくはないでしょう」

 言われてさすがに思い当るところはあるのか主は反論をしなくなる。ただ黙って口を閉じて考えて……それからおそるおそるという顔で聞いてきた。

「そんなに……何か違うのか、今日の俺は」
「えぇ、外行く前にちょっと抜いてきたらどうですかといいたいところです」
「馬鹿を言え、今は朝だぞ」

 あり得ない、と大真面目に言って来たその顔に、アウドはちょっと頭が痛くなった。

――あの将軍様の相手してるのにいつまでこの人はそういう事に潔癖過ぎるんだか。いやそもそもなんていうかこの人はそっち方面について純粋過ぎるのか慣れ過ぎてるのか分からねぇんだよな。

 常識人過ぎて融通が利かないのもシーグルの特徴ではあるのだが、ソッチ方面に関しては慣れ過ぎてるあの男にあれだけ年中ベタベタされてもまだこの反応を返せるほうが不思議なくらいだとアウドは思う。
 とはいえ、それならそれで仕方がない。

「……はい、それは無理だと分かってますから、あまり今日は人と話さないほうがいいと言っておきます。出来れば今日は大神殿にいかずにここでの修行にとどめておいてはいかがでしょうか」
「とはいっても、昨日約束しているんだ」
「ならお気をつけください」
「一応……分かった」

 そうしてしゅんとした顔をする表情もそれはそれで破壊力あるからなぁ、と思いつつ、今日はちょっと気を張ってないとだめだなとアウドは自分に言い聞かせる。

 ちなみに、実をいうとここへ来てからこういう事態も初めて……という訳でもなかった。前回の時はそれとなく聞いてみたら、やはり将軍閣下がエロトークを仕掛けたらしく怒っていたシーグルの顔がそれはまぁ襲いたくて仕方なくなるような表情だったと言っておく。勿論アウドは我慢したが。
 ともかくその時は指摘したらシーグルは一日気を張っていたらしく、その日の夜はどうやら将軍様に言いたいだけ文句を言ってぐっすり眠って翌日は問題なかった……のだが。

――あの男もあの男だ、あの人の性格的に体が疼いたから会いたくなって帰る……って事もないだろと分かってるだろうによ。

 ただそう考えてから……ここへシーグルが行くのが決まった際にあの男に呼び出されて言われた話をアウドは思い出した。






 仮面の下でシーグルは微妙に不機嫌そうな顔をしていた。

――あいつのせいだあいつのせいだあいつのせいだ……。

 大神殿に向かう間中、シーグルの頭の中はセイネリアへの恨み言で一杯だった。アウドがいうところの――色気云々――というのに関しては、原因はセイネリアのあの発言だろうというのは分かっている。もっと文句を言っておけば良かった、というのは今だから思う事で、昨夜はあそこで終わりにしていなければおそらくもっと危ない発言をされていたに違いないとは分かっている。
 ただ傍にいた時常に彼にされていた事を半端に思い出して、昨夜はあれから寝ようとしてもなかなか寝付けなかった。色気がどうこういうのは寝不足であることもあるのだろうとシーグルは思っている。どちらにしろ原因はセイネリアに間違いはない訳だが。

 だから今日は思いきり体を動かして疲れ切ってさっさと寝てしまおうとシーグルは思っていた。セイネリアは文句をいうだろうが挨拶だけで寝てやる、どうせあいつの自業自得だ、とそれで無理矢理自分を納得させていた。

「お、レイリース、こっちこっち」

 神殿につけばやっぱりディーゼンが声を掛けてくる。どうやらシーグルがくるより前に修行者達で試合のようなものをやっていたらしく、試合をしている者の周りをぐるりと皆で取り囲んでいた。
 ただそれを試合……と思ったのは少々違っていたらしく、近づけば一人は確かに見覚えのある修行者の一人だが、もう一人は導師――確か名前はザンガツ導師だったか――らしいと分かった。

――導師が稽古をつけているのか。

 導師は皆、相当に腕がたつというのは分かっている。だが彼ら自身が鍛えている姿はよく見かけても、彼らが直接指導している姿はあまり見ない。相談にいけばいろいろ教えてくれるらしいが、神官修行の集団訓練時はまだしも、基本は自分の強さは自分で磨けというのがここでのお約束だ。だから導師が手合わせとはいえ直接戦う姿を見せてくれるのはかなりのレアケースで、当然シーグルも傍へ行って真剣に見る事にしたのだが。

「ふむ、次はお前さんにしようか」

 近づいた途端にザンガツ導師と目があってしまって、シーグルは彼に手招きをされた。

「交代だ、きなさいレイリース・リッパ―」

 シーグルは言われた通り導師の前へと出ていく。導師は先程まで指導していた者を下がらせると、シーグルの恰好を一通り上から下まで見てから、少し下がって軽く構えた。

「胴鎧だけは着ているから腹や胸なら叩いてくれて構わない。だが頭はナシだお互いにね」

 ザンガツ導師の武器は両手に短剣……ではあるのだが、シーグルが見た事もないカタチの短剣だった。刃の長さからすればナイフと短剣の中間くらいではあるのだが、とにかく刃が……刃というよりも鉄の棒なのだ。ただ柄や鍔の作りは短剣である。鍔は大きく護拳と一体化していて、更にその護拳は妙な形で結構大きいから恐らくそれで殴ることも考慮しているのだろう。持ち方は刃を上に向けるのではなく下に向けて持つから、ナイフの使い方と言ったほうがいい。

 シーグルの視線に気付いたのか、ザンガツ導師はにこりと笑って言ってくる。

「あぁ、お前さんはいつもの長剣で構わないよ。さすがにこれでまともに受けないから安心していい、普通に来なさい」
「はい……では」

 シーグルも剣を抜いて構える。とりあえずこれは試合ではないから勝ち負けも気にしない、ならばまずはこちらから仕掛けてみるべきだろう。導師が構えてこちらを見ているのを確認してからシーグルは向かって行った。

 キン、と高い音が鳴る。
 導師の武器は鉄の刃……というより棒だから、まさに音は鉄の棒を剣で叩いたような音だ。刃同士がぶつかるともっと濁った音が出る。言っていた通り導師はまともに剣を受けず、その棒のような刃で剣を受け流すと同時にふわりと体重を感じさせない体裁きで前に出てくる。思わずシーグルは一度後ろへ下がった。
 下がった直後にシーグルが先程までいた場所を導師の武器が叩くように過ぎていく。

「さすがに速い」

 言われた言葉に速いのはそちらだと思いながら、シーグルはその導師の腹を叩こうとした。だがそれもまた向うの剣に当てられて軌道を逸らされ、ふわりと軽やかに導師の体は後ろに下がる。なんだか手ごたえがないというかとてつもなくやり難いのだが、とにかくシーグルは積極的に剣を出した。その度に向うの武器を当ててうまく剣の軌道を逸らされ、シーグルは空振りを繰り返すしかなかった。

 とはいえ、何度も同じやり方で相手をされればシーグルも慣れてくる。

 相手が動くタイミング、受け流す方向、慣れてくれば予想が出来る。だから今度はそのタイミングを読んで先手を打つ。受け流された後、相手の移動する方向にすぐ切り返せば――そう思って剣を伸ばしたシーグルは、返ってきた手ごたえの違いに驚く。

――まさか、受けるのか?

 導師のもつ剣の刃――というか棒部分は長さではシーグルの剣の半分もない。しかも片手武器だから受けるなんてありえない。けれど剣は止められて……しかも導師はもう片方の剣の護拳部分でシーグルの剣の刀身を殴った。その力は完全に想定外でシーグルは思わず体勢を崩した。そこで導師の足が横腹を蹴って来る。危険を感じて反射的に下がろうとしていたからまともに食らいはしなかったものの蹴られてよろけるのは仕方がない。
 シーグルはそこから更に下がって構え直す。
 けれど導師は追撃を掛けてこなかった。

「……という感じでね、驚いたかな?」

 導師がそこで構えを解いて剣を腰に戻したから、シーグルも構えを解いた。





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 シーグル、体は慣れてるのに精神面は初心とかヤバイね! ……というのはおいておいて、次回も半分くらいは導師とかとの話です。
 



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