将軍府の人々
シーグルとセイネリア以外の人々がメインの将軍府の日常話



  【1】



 傭兵団の頃のカリンの仕事といえば、セイネリアの執務室周りの掃除や必要品の補充、セイネリアのスケジュール管理に食事の準備、身支度の手伝い等、主にセイネリアの身の回りの世話全般と、裏の連中からの報告をうけての報告書作成や仕事の割り当て指示等という裏のまとめ役としての仕事、それから訓練を見つつ傭兵団の人間の実力調査……とあれもこれもとやることが多く忙しかった。
 対して今、将軍府付きになってから仕事はかなり楽になった。
 実を言えば仕事内容自体はさほど変わらないのだが、実際にやらなくてはならない事が割と簡略化されたりやらなくてよくなったりしたのだ。

 それはまず、セイネリア関連の仕事が大分減ったのが大きい。
 シーグルが側近としているから、セイネリアの身支度手伝いとスケジュール管理、仕事の付き添いや書類の選別などはカリンがやる必要はなくなった。執務室の清掃はカリンがやっているが、寝室に関しては現在殆ど使っていない――セイネリアはほぼ毎日シーグルの部屋で寝ている――ため、ベッドのシーツ替えやらの仕事はシーグルの世話を担当しているソフィアの仕事である。同じ理由で食事を持って行く役目も朝はほぼソフィアの仕事で、夜も場合によってはソフィアになる。昼食の用意はカリンの仕事だが立場的にセイネリアは昼食を外で取る事も多く、必ずという程の仕事ではない。

 という事で、ぶっちゃければセイネリアに関する事はほぼカリンの仕事ではなくなった。とはいえシーグルの体調やらに問題があれば即仕事がこちらに回されるからカリンとしては油断は出来ない。……セイネリアがシーグルを遠ざけてからいろいろ解決してシーグルが無事職場復帰するまではおかげで大変だった、と思わずカリンは思い出してため息を吐く。

 ちなみに傭兵団ではなくなったから当然元団の者達も冒険者としての仕事はしていない。もともとアッシセグにいく段階で一般団員はかなり減っていたし、将軍府となるにあたって冒険者として気ままな生活を続けたいという者は抜けて貰った。だからここにいるのは基本将軍府所属の騎士団員の扱いで、役目は一度決めれば後は当分そのままに出来る。前のように入った仕事に合わせて人員を割り当てる必要はない。配置が決まった後で起こった問題や部下達の要望を聞くのはエルの仕事だから、最初の配置決め以降は彼らの事はエルに丸投げで問題なくなった。

 なのでカリンとしては必然的に、裏の仕事のまとめ役としての方に重点がいくようになるのは仕方なかった。

「傭兵団時代より、西区に来るのが増えたなんて皮肉な話」

 思わずそう言いたくなるくらいには、将軍府が安定してからはカリンはよく西区の酒場に出かけていた。

「今日は特にこれといった情報はありません。あぁ、グル卿は相変わらず寝たきりです、跡を継ぐのは長男のデタックで間違いないでしょーが、領主が交代したら相当数の役職持ちが辞職予定だそうですよ。なにぜジジイばかりですからね」
「そうか、なら当然辞めそうな連中のリストはあるんだろうな?」
「ヘイ、こちらで」

 カリンは男から受け取った包みを開くと、それにざっと目を通してから金を置いた。男はそれで頭を下げると、金を貰ってさっさと出て行く。あれでも彼は10人程の情報屋を抱えている元締めだ。男が出て行くと今度は別の男が座って、また一言二言交わした後に書類を置き、金を貰って去っていく。3人目も同じようなやりとりの後に去って、それでここでの予定が終わったカリンはやっと一息ついた。

「何か飲みますかね?」
「いや、いい。それでこの辺りも変わりはないか?」
「そうですね、前に比べりゃ大分治安が良くなりましたからね、平和なモンですよ」

 ここの酒場の主も当然ながら前からこちらに繋がりがある情報屋の一人で、今日ここで会った情報屋達は基本は彼を通してカリンに連絡を付ける事になっていた。

 裏の情報屋に関しては、傭兵団時代から直で所属していたものはごく一部で、基本は外部の情報屋を纏めている。傭兵団時代はこうしてその情報屋に会うのはカリンとセイネリアの両方で分担してやっていたが、今はカリン一人でやっていた。アッシセグにいた頃はフユがやっていたが、彼でさえこの仕事には報告書に愚痴を添えるくらいには面倒だったらしい。

――まぁ今のような連中だけだったら、フユも問題なかったんでしょうけど。

 これから行く場所の事を考えてカリンは思わず唇を吊り上げる。セイネリアが持っている情報屋のネットワークは、ここの主や先ほどの連中のような冒険者崩れの連中も多いが、メインは女達――娼婦達の情報網なのだから。






 酒場街を抜けて娼館街へくれば、セイネリアではないが妙にほっとした気分になる。カリンにとってはここは、ボーセリングの犬ではなくなって初めて人間らしいふれあい……家族の感覚を知った、第二の家のようなところだ。

「あらぁ、久しぶりねぇ〜マァ〜スタァっ」

 カリンの顔を見た途端、入口の見張り役だった女戦士のサーラヴァンが抱き着いてきてカリンは苦笑する。

「なかなか顔を出せなくてすみません、マーゴレットは起きていますか?」
「起きてるわよ、っていうか久々にアンタが来るっていうんだもん、昨日仕事があった娘達以外は起きてるわよ」

 娼館の人間は基本夜に起きてくるから、昼は警備関係を者しか起きていない……のが普通であるが、流石に事前に連絡しておいただけあって今日は皆起きて待っていてくれたらしい。
 サーラヴァンに体をベタベタ触られてからやっと放して貰って廊下を行けば、唐突に二人の若い冒険者風の娘が出て来て道を塞いだ。

「あ、あのっ、初めましてっ、私っ、先月からここでお世話になってるっ、シ、シーラですっ」
「わ、私もっ、シーラと一緒にここに来ましたっ。クォスですっ」

 緊張した面持ちで出て来た二人が頭を下げたあと固まってしまえば、よこからそうっと背の高い女戦士が現れて、若い二人の頭を両手でがしりと持つと顔を上げさせた。

「はぁい、マスタ、新入りよぉ〜まだ鍛えてる最中だけど」

 見知ったけだるげな喋り方の彼女にカリンは笑う。

「お久しぶりです、リリス」
「うふ、元気そうねぇ〜良かったわぁ」

 彼女は弟子二人を置き去りにしてカリンに抱き着いてくると、頬にキスをしてくる。カリンも彼女の頬にキスを返すと、どうすればいいか分からず立ち尽くしている二人に笑いかけた。

「二人の名は聞いています。よろしくお願いしますね」
「は、はいっ」

 頭を下げた二人の前を通り、女戦士をつれて更に廊下を進めば、入口にたくさんの女達が待っていてカリンは驚いた後笑ってしまう。

「ひっさしぶり、マスター」
「ボスは元気?」
「いいなぁ、マスター若ぁぁい」

 口々にいろいろ言いながら抱き着かれたりキスをしてくるからカリンはもみくちゃになる。とはいえこれも慣れた、というか懐かしい感覚だからカリンは笑って受け入れた。

「ほらほらっ、マスターはお仕事に来たのっ、顔みたら皆散る散るっ」

 そこで去年からマーゴレットの護衛としてついている女戦士――確か名はコレットと言ったか――が怒鳴って、女達はきゃっきゃっと声を上げて逃げて行った。

 セイネリアの裏組織である情報屋の実態は、大きく分けて二つある。一つはセイネリアが自力で繋がりを作った外部の情報屋達、そうしてもう一つはこの娼婦達で作られた情報屋の組織である。セイネリアが情報面で恐れられているのはこの娼婦達の情報屋を手に入れた事が大きい。
 かつてここの女ボスからセイネリアはこの組織を託された訳だが、女達の組織であるからここの直接のトップはカリンという事にされた。とはいえ実質のトップはセイネリアである事に変わりはないから、ここではカリンの事は『マスター』と呼び、セイネリアの事は『ボス』と呼ぶ。カリンがセイネリアの事をボスと呼ぶようになったのはそのせいだ。

「お帰りなさいませマスター、館主(やかたぬし)が準備してお待ちです」
「ありがとう」

 ただしカリンは常にここにいる訳にはいかないから、基本的にここの運営は前のボスの側近であったマーゴレットに任せている。通された部屋で笑顔で待っていたかつての友人であり同僚のようなものであった彼女に、カリンはやはり他の女達動揺抱き着かれる事になった。





 夕方、セイネリアが帰る前に将軍府に帰ってきたつもりだったカリンは、執務室にセイネリアが不機嫌そうに一人でいるのを見て驚いた。
 ……が、すぐに状況はある程度察した。

「また、シーグル様に怒られたのですか?」

 椅子の上に足を乗せて憮然とした顔をしていた男は、それで足を床に下すと大きくため息を吐いた。

「あぁ、今夜は一人で眠れ、だそうだ」

 カリンは思わずクスクス笑う。傭兵団時代なら……いや、一般的なイメージでのセイネリア・クロッセスを知る者なら、こんな顔をしているこの男を見たら驚くに違いない。

「馬車の中でやり過ぎたんですね」
「あぁ、まぁな」

 今日はシーグルと二人で馬車で新しい砦の視察へ行って来た筈だった。いつもより遠出だから馬車には長く乗った筈で、となればあの真面目すぎる青年が怒った原因もだいたい予想が付く。

「行きの馬車で、あいつが眠そうにしていたから寝ていいといったんだが……」
「つまり、寝ているシーグル様に手を出したんですね」
「時間があったから、多少なら装備を脱がせてもいいと思ったんだ」
「……それは怒りますね」

 つまりセイネリアは、寝ているシーグルを見ているうちに鎧越しでない感触が欲しくなって鎧を脱がせた、という事だろう。予定より早く帰ってきたのも、怒ったシーグルが先に馬に乗って帰ってしまって、急いで追いかけてきた――というところだと思われた。

「……まぁ俺が悪いことは分かってる」
「はい、反省されたなら謝りに行ってみてはどうですか?」
「いや、もう謝ってきた」
「それでも許して貰えなかったんですか?」
「あぁ。……寝てるあいつの反応が楽しくて、一度イカせたのとあちこちに跡をつけたのが不味かったな」

 カリンは少し笑みをひきつらせた。それは確かに簡単には許して貰えないだろう。セイネリアにとっては彼に触れられないのが一番の罰だと分かっているから、シーグルは最近怒ると夜セイネリアを部屋に入れない事にする。……でもまぁ一晩でいいなら、今回はちょっと反省しろ、という程度だろう。
 あのセイネリア・クロッセスが、子供のように不貞腐れている様を見れば、カリンもまた楽しくなる。かつては見上げていただけの男のこんな一面を見るのは、カリンにとって楽しい事であった。

「では、今夜は飲みますか?」
「あぁ、付き合え」
「はい」

 カリンは艶やかに微笑むと、グラスと酒の準備を始めた。




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 次回はソフィア視点のシーグルのお世話編。
 



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