思い出したくない男
将軍様と側近……な二人の旅立ちまで間の物語



  【3】



 その夜は珍しくセイネリアがいつまでもべたべたしつこくくっついてこないで、だらだらと体を擦りつけて耳元を舐めて来たり体を弄ってきたり腰を押し付けてきたりもせずに『寝るぞ』と言ったから、正直シーグルは驚きすぎて身構えた。

「……何を企んでいる」

 だから思わずそう口から出てしまったのは仕方なく、セイネリアがやっぱり何かありそうな笑みを浮かべたから確信した。

「明日は朝からリシェへ行く。だからさっさと寝ようと思っただけだ。お前も前日の情事を引きずった顔で弟に会いたくはないだろ?」

 それは確かにそうであるからシーグルは微妙に顔を赤くしつつも、あぁ、と返事を返した。

「ただ勿論今夜の分、明日は有無を言わさず付き合ってもらうつもりだがな」

 それを楽しそうに言われればちょっとがっくりしつつ、確かに前日ヤった後でラークに会いたくないのは確かだからシーグルも妥協するしかない。

「分かった……今日はゆっくり眠らせてくれるなら……仕方ない」

 それでもベッドで嬉しそうにこちらを抱きよせて顔をこちらの頭に埋めて眠る男の機嫌がやたら良い事は分かって……一体この男は何を企んでいるのかと考えた。







 ネルセック監獄はまだ新しい事もあって囚人は少なく、どうやらその夜の独房はワーナンだけらしかった。
 何から何まで都合が良すぎる、と思いつつも人気のない廊下を歩きながらアウドは辺りを警戒する。
 暫くして。

「ここから独房棟になりますが……このまま入りますか?」

 それに肯定を返そうとして、アウドは一度考えた。

「いや……確か奴の他は誰もいないんだったな。なら、奴のいる部屋ってのは分かる、よな?」
「はい」
「んじゃ奴の隣の部屋に転送してもらえるか」
「はい、いいですよ。……なんでしたら隣の部屋から『見せ』ましょうか?」
「そんな事が出来るのか?」
「はい」
「じゃ頼む」

 にこりと笑ったソフィアが手を伸ばしてこちらに触れる。そこから瞬き程の一瞬の間に景色が変わった。まぁ、景色が変わったといっても雰囲気は同じだが。周囲を見れば暗い小部屋の中にいるのが分かる。
 着いた途端、ソフィアは唇に指を立ててから壁を指さした。
 それでそちら側の壁の向う側がワーナンのいる部屋だと理解したアウドは、そこでその壁に背をつけて向う側に耳を澄ました。そこへソフィアが近づいていて手を伸ばしてくる。その手を掴めば、彼女は小声で『目を閉じて』と言ってきて、アウドは言う通りにした。
 そうすれば確かに――頭の中にハッキリとした映像が『見え』た。
 ここと同じような部屋の中、壁に寄りかかっている男は動かない。
 ぼさぼさの頭に、かつて聞いた騎士団での話からは想像出来ないくらい痩せこけた男は、ぶつぶつと何かを呟いているのか唇だけは動いていた。
 アウドはソフィアの手を持ったまま壁に耳を付ける。そこで唐突に男は叫んだ。

「くそ、くそ、くそったれが……」

 その声は耳を付けなくてもハッキリ聞こえて、アウドは口を歪ませると男に返した。

「何がくそだ、うるせぇな」

 頭の中に見える男はアウドの言葉にびくりと体を揺らした。

「なんだ……誰もいねぇと思ってたぜ」
「やる事もねぇし寝てたんだよ」

 言えば男は少し安堵したのか壁にぐったりともたれかかった。どうやら予定通り隣の部屋の囚人と思ってくれたらしい。アウドはわざと汚い言葉遣いで男に言う。

「なぁお前、知ってるぜ。英雄様の像を蹴ったんだろ?」

 その言葉にワーナンはくっと唇を歪ませて笑った。

「は、あれが英雄かよ、俺にとっちゃ疫病神だったぜ」
「なんだ、英雄様と知り合いかよ」
「あぁ、ガキの時にちょっと可愛がってやったことがあんのよ」
「ヤったのか?」
「おぅよ、滅茶苦茶に犯してやったぜ、助けてって泣き叫ぶまだガキの英雄様をよ」

 それが嘘だと分かっているから思わず怒鳴りたくなったアウドだったが、それでもどうにか自分を落ち着かせて声を抑える。

「貴族様に危害を加えたらヤベェだろうが」
「はん……」

 だがそれだけで男は黙る。映像の中の男も動かなくなる。
 だが暫く待てば、男が静かな声で言葉をつづけた。

「……本当はヤっちゃいねぇよ。ガキだって油断してたら逃げられた。剣を向けられて助けてくれって言ったのは俺の方だ……俺の半分くらいの体重しかなさそうなガキによ……はは、ははは……」

 嗚咽と共に肩を震わせて笑い出した男に、アウドはため息をつく。

「なんだ、良かったじゃねぇか。罪を一つ犯さずに済んで」

 今度の言葉には、男は驚いたように顔を上げた。

「きっとヤってたらずっと恨まれてたぜ。それに……へたしたらその後始末されてたかもしれねぇ。未遂で終わったから今お前の首は繋がってるんじゃねぇのか」
「それはねぇだろ、ガキを犯せってのはそこの爺さん……一番偉い当主様からの依頼だったんだぜ」
「馬鹿、相手は貴族様だぞ。最初からてめぇにヤらせて罪人として殺すつもりだったかもしれねぇぜ。貴族様にとっちゃ都合が悪いゴミは始末するものってのはお約束だろ」
「……確かに、そう……かもしれねぇ」

 シーグルの祖父がどう考えていたかなんてアウドには分からない。だが、この男はそこで失敗して良かったのだとアウドは思う。シーグルの為には勿論だが、おそらくはこの男のためにも。

「だっておめぇ、失敗してひでぇ目にあったのか?」

 返す男の声は弱弱しい。

「そら……失敗したのに報酬も評価も約束通り貰えた……がよ」
「やっぱ良かったじゃねぇか。そっから心入れ替えりゃ今こんなとこにいなくて済んだのに、馬鹿だなてめぇは」

 ワーナンはまた黙る。膝を抱えて丸まっている。
 アウドは聞こえるように笑ってから言ってやった。

「で、それを逆恨みして像に当たったのかよ、みっともねぇ」

 そこで黙っていた男が唐突に怒鳴った。

「違うっ、そっから俺はちゃんと心を入れ替えて警備隊に入ってよぉ……親衛隊様になってたんだぞ。それが……奴を持ち上げた連中の所為で王様が死んじまってよぉ……奴さえいなけりゃ……俺ぁ……」

 真実を知ってるアウドとしては『ふざけるな』と怒鳴ってぶん殴りたいところだったが、ここはまだ話を合わせるべきだと自分に言い聞かせる。それでもそれをはいそうですかと聞いてやるつもりはなかったが。

「はぁ? 心を入れ替えて親衛隊だぁ? 奴らの悪行は有名だったじゃねーか、どーこが心を入れ替えてだよ。俺ぁその頃騎士団にいたんだよ、奴らはクズ王の下で威張り散らしてるだけでどこからも評判が悪かったぜ」

 顔を上げていた男がまた顔をガクリと落とす。この程度の罵倒じゃ足りないが、それでも顔を手で覆って項垂れる男を見れば少しは気が晴れた。

「本気で心入れ替えてたら親衛隊なんて入らねぇ、あれは楽に偉くなったつもりになりたいごろつきの集まりだった。どうみてもロクでもねぇ事しかしてねぇ、王様の命令で好き勝手やってるだけの連中の仲間なんざ真人間ならなろうとは思わねぇよ」
「……なら、どうすりゃ良かったんだよ」

 頭を抱えたまま返した男の声はかすれていた。

「自分が間違ってるって、思わなかったのか、てめぇは」

 ワーナンはそれにまた顔を上げた。

「間違ってるって思ったら、どうすればそれを正せるのか考えりゃ良かったんだ。どんなにロクでもない立場になっても、正しいって思った事のためになりふり構わず全力で、死ぬ気で謝るなり努力するなり、とにかく自分の悪いトコを正そうとすりゃよかったんだよ。あんたはチャンスがあったのに楽な方に逃げた。楽に情けねぇ自分から逃げられる道を選んだ、おまけに自分の悪いところは見ないフリで人の所為にした……今の姿は当然だな」

 ワーナンの言い分は、まるでヴィド卿の下にいて汚い仕事をしていた時の自分の言い分のようだった。だからこそムカついた、だからこそ許せなかった。

「……る、せぇ……うるせぇ、うるせぇっ、俺と同じこんなとこにいるくせに分かってるような事を言うんじゃねぇっ、てめぇだって結局同じ穴の貉ってやつだろっ」

 ドン、ドン、と男がこちらの壁を蹴ってきた音を聞きながらアウドは笑う。

「あぁ、俺もお前と同じクズだったのさ。だがなぁ、俺はある人にひでぇ事をして……それを許して貰ってからすべてが変わったんだ。その人の為に生きる事で失った誇りを取り戻した、心が満たされた」
「……なら、なら……なんでこんなとこにいるんだよ……」

 アウドは笑う、あぁここはまるで……レイリース・リッパーがシーグルだと確信した後、あの将軍を襲って入れられた独房のようだと思った。ならば、その時の気持ちをこの男に言ってやればいい。

「その……俺を救ってくれた人が死んじまったからさ。ちょっと自暴自棄になって、何故あの人を助けてくれなかったって……将軍様に一太刀浴びせに行ってこのザマさ」
「お、おい、お前がいうあの人って……」
「あの人が死んだ今、俺はいつ死んでもいい。いつでも自分の人生に満足して笑って死ねる。てめぇと今いる場所は同じでも俺の心は穏やかに満たされてる、後悔はねぇ」

 ワーナンは壁に寄りかかったまま蹲る。良く見れば彼は泣いているようだった。蹲って、肩を揺らして嗚咽を漏らす男に、アウドは最後の言葉を掛けた。

「あの人とあった後、俺はあの人に膝をついて人生を取り戻した。あんたはあの人を憎んで、自分の不幸をあの人の所為にしてそのまま地の底まで落ちた。あんたと俺の差はそれだけの話さ」

 壁の向うにいる男は返事を返さなかった。ただずっと男の嗚咽の声がだけが聞こえていた。その音が聞こえなくなって男が眠りについてから、アウドはソフィアに言って街へと戻った。
 心が晴れたとまでは言えなかったが、それでもあの男がシーグルを恨む事はなくなったろうと思えば、心に溜まっていた靄はかなり薄くなっていた。




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 アウド、どれだけシーグル信者なんだ……ってとこで。
 



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