思い出したくない男
将軍様と側近……な二人の旅立ちまで間の物語



  【4】



 将軍セイネリアがリシェに来るのはさほど珍しい事ではない。最近は益々城に行く回数が減り、逆にリシェへは行く回数が増えていた。それに嫌味を言う貴族もいるそうだが、リシェが国王の血筋の正当な領地である事を考えればリシェを貶められる訳がなく、貴族たちもそこまで調子に乗れてはいないらしい。
 さすがに城より行っているということはないが、最近では城には10日に1日前後しか顔を出さないのに、リシェには神の担当月が一周する間に一回は行って、しかも丸々一日過ごしてくるのだから『篭り切りの将軍』にしては余程リシェが気に入っているらしい、と言われるのは当たり前だろう。

 まぁそれも……一言で言えばそれだけ今のセイネリアが暇、ともいえる訳だが。

 リシェに行った時のセイネリアの予定は大体決まっていて、午前中にまず港、それから警備隊や守備兵の視察をして昼に領主の館で昼食を取る。そのまま領主夫妻と話をして、温室の案内から庭のお茶会、あとたまにそこからリシェのリパ神殿へ寄ってシルバスピナの霊廟へ……というコースになる。
 ちなみにシーグルはその間ずっとセイネリアの傍にいるというわけではなく、昼食時からかつてのかかり医であったウォルキア・ウッド師のところへ行って体を診てもらい、更にそこでこっそり抜け出してきたラークと合流して話をして、お茶会が終わった頃セイネリアと合流する、というのがいつもの事になっていた。

 考えれば、セイネリアとしてはリシェに来ればシーグルと分かれて行動することが多くなるのに、それでも割と頻繁にリシェへ来るのは……やはり、シーグルの為なのだろう。こちらの体調を常に気にしているのと、弟と会えるのをシーグルが楽しみにしているからこそ、あれだけべったりくっつきたがる男が大人しく別行動をしてくれるのだ。

「俺としては、貴方をお守りするという仕事をしっかり出来るからから嬉しいですけどね」

 上機嫌のアウドに苦笑して、シーグルはかつての住居であったリシェの屋敷へ馬で向かう。急ぐ時は勿論、ラークと一緒に館まで転送してもらうのだが、こうしてのんびりリシェの街を見ながら帰るのも楽しみの一つだから、時間がある時は馬で街中を移動する。
 一応頭からマントを被って身を隠しているが、『レイリース』である事はバレたらマズイという程でもない。活気がある港の近くを通って市場を遠くから眺め、元気な人々の様子を見るのがシーグルは好きだった。

「その割にはさっきは随分眠そうだったじゃないか」

 斜め前を馬で行くアウドは、そう言われれば真っすぐ伸ばしていた背を軽く丸めてこちらを振り返った。

「いやまぁ、ちょっと寝不足で……」
「なら今日だけは誰かに代わって貰っても良かったんだぞ」
「とんでもありません。ただでさえ最近は将軍様が常にご一緒な所為で俺が傍に居られる事が少なくなってるんですから意地でもついていきますよ。先ほどはまぁその……安心して待っていられる場所だったということで……」
「いい、別に怒ってる訳じゃない」

 実を言うと先ほど、ウォルキア・ウッド師のところでシーグルが体を診て貰ってから診察室を出たらアウドがうとうとと居眠りをしていてそれで周りから笑われた、という事があったのだ。
 いつも従者の見本のようにシーグルが部屋から出てくると立ち上がって礼を取る彼を知っている分、その場で少々揶揄って笑ってしまったのはそれだけその場所は安全だとシーグルも分かっているからだ。
 その後はうとうとする事もなく、ちゃんといつも通りついている彼を見ているからこそ、こうして話のねたに出来るというのもある。
 笑いながらいつも通り、シーグルとアウドは海沿いの道に馬を進めた。さすがに露店が並ぶメイン通りを馬で抜けるのは迷惑過ぎるから、少し回り道でも道幅のわりに人通りの少ない道を選んで行く事にしていた。この辺りは船からの積み下ろしで賑わう朝や夕方なら人や荷車で混みあっているが、そうでない時は人がまばらな倉庫街だ。海を見ながら行くのは気持ちいいのもあって、ここを通って屋敷に向かうのもいつもの事だ。

「おいシーグルっ、待てってばっ」

 ただこうして街を進んでいると突然、そんな声が聞こえてシーグルは思わず反応しそうになる事がよくあったが。

「またですね、っとに多い」

 アウドが笑って言うのにシーグルは、まったくだ、と苦笑して返す。
 なにせ『英雄』にされてしまったせいか、子供に『シーグル』と名付ける親が増えているのだ。さすがに貴族としての正式名である『アルスオード』は恐れ多いというのもあるのか、幼名である『シーグル』の方を子供につけるのが流行りらしい。特にリシェで多いのは言うまでもなく、こうして街中で名を呼ばれてビクリとするのも2度3度の事じゃすまなかった。

「……それだけ、『シーグル様』がこの街の人々に愛されてたって事ですよ」

 それは嬉しくはあったが、心も痛む。自分の死を悲しんでくれた人々に、こうして生きている事が後ろめたくて、思わず謝りそうになる。

「早く来いよギッセ、向うに珍しい船が来てるっ」

 子供達が馬の横を駆け抜けていく。
 ひときわ元気に駆けていく、子供たちの先頭を走っているのがおそらくシーグルと呼ばれた少年だろうか。やんちゃそうなその様子が村にいた頃の自分を思い出させて、シーグルは暫く彼らを目で追ってしまっていた。

「シーグルという名前はなかなかやんちゃな子供率が高いようですね。この間そう呼ばれてた子供は木刀を振り回していましたし」
「……子供のころは、俺も木刀を振り回していた」
「なるほど、どうりで」
「別に、名前の所為というわけじゃないと思うが」

 少し抗議をすれば、アウドはにやにやと笑って、まぁそうですねと後は言葉を濁した。
 潮の匂いを嗅げばここがリシェだという事が実感出来て、あまりいい思い出はなかった筈なのに懐かしい気分になる。館に帰る為に何度も通った坂を登り始めると、かつて冒険者をしていた頃、冒険と仲間とのやりとりで浮かれている心を引き締めて御爺様と会う心の準備をしていたのを思い出す。

 リシェの館にいい思い出なんて殆どない。
 使用人達とも殆ど口を利かず、御爺様はどんなにがんばって見せてもまず褒めてはくれなかった。子供の頃、唯一自分の話を聞いてくれていろいろ教えてくれたのは剣の師であるレガーだけで、だから彼をとても信頼していたし尊敬していた。あの日までは――嫌な人間の名前を聞いた所為か嫌な事を思い出して、シーグルは兜の下で苦笑する。

 今はもう、自分は子供ではないし、この街とも関係ない人間である。シーグル・シルバスピナの思い出はもう自分のものではない――考えて、苦笑して、シーグルは登り坂の上にある領主の屋敷を目を細めて見つめた。






 屋敷に戻れば丁度午後のお茶会が済んだところ――というのはいつも通りだったが、セイネリアは温室にいる、と言われてシーグルは少し驚いた。
 シーグルと合流次第屋敷から出るのがいつもの事であったから、未だに彼がここで時間を使う気だというのは何かあったのかと思うところだ。シーグルに話があるだけなら将軍府に帰ってからでいいし、だから魔法使い、もしくはラークも交えての何か話があると思ったのだが――温室にいたセイネリアの傍には意外過ぎる人物がいて、シーグルは驚くどころか近づくのを躊躇する事になった。

「どうした、何故そんなところに突っ立っている」

 彼らの姿を見た途端立ち止まってしまったシーグルだが、セイネリアにそう声を掛けられれば傍にいかない訳にはいかなくなる。だがどうしてもその人物に近づくのは緊張してしまって、動きが微妙にぎこちなくなるのは仕方ない。

――何故、レガーがセイネリアと。

 セイネリアの隣にいたのは老人と言える歳ながらも背筋がすっと伸びた老騎士レガーで、流石に現役を引退した彼は鎧姿でこそなかったが、幼い頃の剣の師匠である彼を前にしてシーグルは動揺する。

「あぁ、貴方が……あの方から教えを受けたという」

 シーグルが近づいていけばレガーが笑って、記憶よりずっと年老いた顔に更に皺が浮かんだ。

「はい、あの方に剣を指南をしていただきました」

 レイリース・リッパーはアルスオード・シルバスピナから剣の教えを受けている――その設定の所為でシーグルの剣を知っている者達への言い訳が出来ていた訳だが……流石に幼少からの剣の師である彼にはその程度の話で誤魔化せるとは思えなかった。剣を合わせれば勿論、通常所作のちょっとしたクセだけでも見破られる可能性が高かった。

「いつぞやの競技会ではその腕前を見せて頂きました。確かに、まるであの方が戦っているようで、このおいぼれの目頭が熱くなりました」

 レガーは穏やかに笑っている。だがシーグルとしてはその言葉もこちらにカマを掛けているのではないかと気が気ではなかった。
 騎士団の部下までならぎりぎり誤魔化せても、家族までは騙せない。だからフェゼントやロージェとはあまり近くで接触しなくていいように気を使っていた筈なのに、よりによってこの家において自分を一番よく知っている彼と会わせるなどセイネリアはどういうつもりなのだとシーグルは思う。
 気づかれないように注意しつつもセイネリアを見れば、彼は嫌味なのか軽く笑って、しかも更に飛んでもないことを言ってくれた。

「聞けばレガー殿は故アルスオード・シルバスピナ卿の剣の師匠だったそうだ。どうだレイリース、師の師に剣を見て貰うというのは?」

 思わず『正気か』と怒鳴りそうになって、シーグルはぐっと唇を噛みしめて息を飲み込んだ。

「それは……この方と手合わせをしてみろ、という事でしょうか?」

 声が震えそうになるのをどうにか押さえて聞けば、セイネリアはあっさりとそれを肯定した。

「そうだ。剣で生きる者同士が互いの腕を見るというならそれが一番手っ取り早いだろ」

 どういうつもりだと言いたいところだが彼もそれくらい分かっている筈だった。だから何か意図があるというのは分かっている。セイネリアがこちらの思いもつかない事を考えているというのはよくある事で、これも何か裏の意味があるとは考えられる。それでも……剣を合わせれば正体がバレるというのはまず確実で、シーグルとしてセイネリアがどういうつもりかまったく見当が付かなかった。

「そうですね、暫く剣を握っていないこんなおいぼれで良ければぜひ、貴方の剣を受けさせてくれませんかな」

 そう言われたら、後はもうセイネリアの命令でもない限り断れる筈がない。あの男の意図が分からなくても、シーグルはそれに了承を返すしか手段がなかった。




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 次は当然レガーとの手合わせシーンから。
 



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