【13】 次の日の朝、起きたら体がベタベタでそれでも気にせず幸せそうにべったりくっついて寝ている男にシーグルは蹴りを入れた。勿論それが彼に少しもダメージを与えられないというのは分かっていたが、だからこそ手加減はしなかった。 セイネリアは起きてからもやたらと上機嫌で、いろいろ文句を言っても嬉しそうに聞いていたから終いにはシーグルも文句を言う気力がなくなった。そしてやっぱり用意周到な男はシーグルが起きて文句を言う事などお見通しだったらしく、一通りシーグルが言いたい事を言った後にさらりと、なら風呂に入って飯にするか、と既に準備が出来ている風呂に連れて行かれたのだ。 聞けば前日の内にカリンやアウド、ソフィアには話が言っていたらしく、朝風呂の準備もそれに合わせた食事の用意も仕事の開始も――全部手配済みだったらしい。 その後にあったカリンもエルもアウドもソフィアも皆機嫌がいいというか楽しそうで、シーグルはまるで昨夜のノリそのままで自分以外は皆分かっていて自分だけがハメられているような気分になった。そんな事はないのは分かっているのだが、気分的にどうしても納得いかないのは仕方ない。 その日は国王の誕生日の式典がある日だから、午後から城に行ってそこでまたやたら嬉しそうなシグネットが『昨日はほんっとに楽しかったねっ』とセイネリアに話しかけるのを見るに至ってなんだかまた少し落ち込んだ。 まるで、昨日の仮面舞踏会を楽しめなかったのは自分だけのようで――いや、別にまったく楽しめなかった訳ではないが、自分は皆にハメられた訳でどこか釈然としないものが残るのは当然で……だがそれで自分以外は皆楽しめて嬉しそうならそれでいいではないかという気持ちもあるから余計にもやもやする。特に息子があんなにはしゃいでいるのなら自分がちょっと恥ずかしい目にあったくらいは気にすることもない、なんて自分に言い聞かせたのだがこのもやついた気持ちはどうしようもなかった。 「機嫌が悪そうだな」 「誰のせいだっ」 式典の最中もセイネリアとそんなやりとりを何度かした。なにせすべての企みの首謀者は彼であるから彼に当たる分にはシーグルも遠慮する気はなかったというのがある。 セイネリアもシーグルがまだ怒っていると分かっていたからか、その夜は大人しく一緒に寝るだけで満足して余計な事はしてこなかった。 そして、更に翌日。 いつもなら起きていても寝たふりをしてこちらを簡単には起こさせないセイネリアが、その日はシーグルより先にあっさり起きていた。 「悪いか今日は俺に付き合え。移動があるから早くしろ」 唐突にセイネリアが決めた予定に付き合わされるのは初めてではないし、早起き自体には文句はないから起きる分にはすぐ起きたが、それでも文句の一つくらいはでる。 「それなら前日に言っておいてくれれば良かったろ」 「まぁ、いろいろ約束を取り付けるのに手間がかかってな。それに少しお前を驚かせたかったのもある」 その言い方には少しシーグルの頬が引きつる。 「お前、また何かたくらんでるのか……」 「企む、といえば否定は出来ないが、今回はお前をハメたりはしない。単に俺の墓参りに付き合って貰うだけだ」 「墓参り?」 シーグルは目を丸くする。セイネリアは少しだけ寂しそうに笑った。 クリュースにおいて死んだ者の埋葬は、本人が信奉する神殿のやり方に従う事になっている。とは言っても三十月信教の場合、どの神殿も基本的には本人が洗礼を受けた神殿の持つ地下墓所に埋葬するのが普通である。勿論、戦場や冒険者としての仕事先で死んだ者は死体を持ち帰れない場合その場で埋葬される。 ただしそれは平民の話で、貴族や身分のある者となればまた事情が違う。 一応自分が洗礼を受けた神殿の墓所に埋葬する――という事自体は同じではあるのだが、当然その一族専用の部屋があってそこへ埋葬され、入るための鍵は本家の当主とその神殿のトップしかもっていない。後は領地持ちの貴族の場合、神殿とは別に領内に専用の墓所ある場合もある。 ともかく故人が貴族の場合面倒なのは、誰でも自由に墓参りに行ける訳ではないという事だ。それでシーグルも、部下達がそれを嘆いているのをいつも申し訳なく思っていたというのがある。 「墓参りとは誰の墓参りだ?」 着替えながらそう聞けば、先に着替え終わっていたセイネリアが答える。 「ナスロウのジジイだ」 シーグルは驚いた……が、すぐにそれならいろいろ納得出来て着替えを再開した。彼の言い方からして、それがセイネリアの師である前ナスロウ卿の事であるのはすぐにわかる。前当主の墓参りをしたいというのなら当然ふらっと行けるものではなく、事前に現当主なり墓守なり神殿なりに連絡を取って行くための段取りをつけておかなくてはならない。元が貴族であるシーグルならその面倒さは想像がつく。 「……となると、随分遠いな、誰か魔法使いに転送を頼んだのか?」 ナスロウ領はクリュースの北東の端だ。転送を使わなければ片道でも数日単位で掛かる。前々から将軍の仕事として計画してあったのならクーア神殿の転送もあり得るだろうが、セイネリアの場合は魔法ギルドに言った方が早い。またあの金髪の魔法使いでも呼び出しているのかと思えば、セイネリアは少し笑う。 「いや、転送は使わない。今回は久しぶりに二人で遠乗りも兼ねていくぞ」 その返事にシーグルは驚いた。 「いや……その、お前は何処へ行く気なんだ?」 「だからナスロウのジジイの墓だ。ジジイが死んだ時はナスロウ家には領地はなかった。ただ首都からそこまで離れてないところにちょっとした森を持ってた、そこに墓がある」 それなら転送を使わないのは納得できる。だが当時のナスロウ家が領地を持っていなかったという事であればシーグルには疑問が残る。 「領地がなかったのなら、リパの大神殿の地下にナスロウ家の墓所があったんじゃないか?」 地方貴族でない限り、領地を持たない貴族ならそれが普通だ。特にナスロウ家は元が旧貴族である、領地を失くした時点で首都のリパ大神殿に墓標が作られた筈だった。 「あぁ、あるぞ。だが……ジジイの遺言だ、そこに自分は入れないとな」 それは前ナスロウ卿が養子だったからだろうか。それを聞こうかどうか躊躇していたシーグルに、セイネリアが笑って言ってきた。 「だが今はナスロウ領があるからな、近い内にリパ神殿内の墓標を領内に移すらしい。その時にジジイの墓も持っていくそうだ。久しく行ってないからな、まだ近い場所にあるウチに行っておこうかと思ったのさ」 その言い方からすれば、前はたまに行っていたのかもしれない。この男も死者に話しかけに行く事があったのだろうかと思っていれば、セイネリアはわざとだろうが偉そうな口調で言ってきた。 「あのジジイもそろそろ意地を張らずに養父(オヤジ)の元に行ってもいい頃だろ。それに、ジジイの遺言は『リパ大神殿のナスロウ家の墓所には入れないでくれ』だったからな、遺言の内容に反してる訳でもない。これであのジジイに関する事はやっと全部現ナスロウ卿に押し付けられる」 その言い方にシーグルは笑った。勿論シーグルは前ナスロウ卿に会った事などないのだが、セイネリアの言い方からして真面目過ぎて堅物で頑固な騎士の姿が思い浮かぶ。 「押し付ける、という言い方はどうなんだ」 「言葉通りだ、もともとナスロウの名も俺が押し付けた訳だからな」 それには少しだけシーグルは心配になった。 「……その、押し付けて……ちゃんと管理してくるのか、現ナスロウ卿は?」 セイネリアはそれに緩く笑うと、シーグルの頭に手を置いて髪をくしゃりと撫ぜた。 「大丈夫だ。墓を向こうに持って行きたいと言ってるのは現ナスロウ卿自身だ。奴も呆れるくらい真面目人間でな……それに、前ナスロウ卿の事を誰よりも崇拝してた男だ、ナスロウの名を継いだ自分や、その子供の姿を見てもらいたいとさ」 「そうか……」 それならきちんと墓を見てくれるだろうと、シーグルは他人事ながら安堵した。 セイネリアの師である前ナスロウ卿について、シーグルが騎士団で聞いたのはその英雄的な活躍や騎士の中の騎士であったという高潔な人柄を讃える話ばかりだった。だがその素晴らしい人物像とは別に、騎士団の上層部とはよく揉めていたとも言われていた。以前の騎士団の体勢を考えると当然そうだろうと想像に難くないし、それだけの人物が騎士団のトップになることもなく辞めている段階で、辞める直前はいい扱いを受けてなかったと思われる、 それが彼の死後とはいえ、領地を手に入れて、彼を尊敬する人々に囲まれて眠れるのならよかったとそう思う。そしておそらく、それはすべてセイネリアがそうなるようにした結果なのだろう。 着替え終わってセイネリアを見れば、彼は楽しそうにお忍びで出かける用のマントを羽織って、シーグルにもそれを差し出してきた。 「遠乗りで行くには丁度いい距離だぞ。朝飯は包ませておいたから途中の森で食おう。このところ馬車が多くて長く馬に乗る事もなかったからたまにはいいだろ」 「そうだな、久しぶりに馬を走らせたら気持ちいいだろうな」 楽しそうなセイネリアにシーグルも楽しそうに笑って答えた。 それから部屋を出ようとドアに向かったセイネリアの背に、シーグルは小さい声で言った。 「やっぱりお前は元から冷たい人間なんかではないじゃないか」 --------------------------------------------- 実際のところ、シーグルが思うより冷たい人間だけどセイネリアが自覚してる程冷たい人間ではない……かな。 |