【14】 セイネリアが唐突にシーグルを連れ出して外に行くのは珍しい事でもない。その理由の半分はセイネリアが黙って事務仕事をしているのに飽きたからだが、もう半分はシーグルが彼自身気付かないうちにストレスが溜まっているとセイネリアが判断した時だ。 勿論、ただの怠惰は嫌いなセイネリアはサボった分は後でちゃんと取り戻す。だからシーグルも最初は怒っても、連れ出せば毎回気が済むまで付き合ってくれる。 とはいえ、城と違って将軍府は直接街の外へ行ける隠し通路のようなものはない。セニエティはいろいろな人間がいるから顔を隠している者も珍しくないとはいえ、シーグルだけならともかくセイネリアも一緒に人の多い場所を抜けて行くのは問題があった。 だから夜中とかでもない限り、二人が街の外までいくときは基本は転送を使う。ソフィアの転送でもぎりぎり街の外までならいけるため、それくらいなら魔法使いを頼る必要もない。……ただし、ソフィアの転送はキャパシティ的に馬と人を同時に2セット送る事は難しいため、転送の順序で少々もめる事はあるのだが。 「久しぶりの街外はどうだ?」 「そうだな、やはり解放感はあるな」 そう言って背伸びをした彼の声は明るい。 このところ踊りの練習用の時間をつくるために外へ行けなかったのもあって、シーグルは街外に出られたことが単純に嬉しいのだろう。彼は見た目からすれば高貴な貴族様らしく優雅にお屋敷にいる印象があるが、中身は外で体を動かしていたいタイプだ。それでも真面目なシーグルは義務や仕事を投げ出せないからその外見や地位に見合った立ち居振る舞いをしてきたが、地位がなくなった今は少し違う。 いや、セイネリアが相手だからこそ違う、というべきか。 誰にでも優しく、自分の身より相手を助けてしまうような彼だが、セイネリア相手にだけは違う。怒る、文句を言う、拗ねる……時にはまるで、子供のように。子供の頃のやんちゃなガキ大将だった少年が大人になった姿を見せてくれる。セイネリアはそれが嬉しくて仕方がない。自分だけに『素』を見せてくれるというのは自分に心を許してくれるからで、彼が怒ったり文句を言ってくるのはある意味甘えてくれているのも同じなのだ。 『お前、俺に怒られて何故そんな嬉しそうな顔をするんだ』 シーグルが怒った後こちらを見てよくそう言ってくる事があるが、実際セイネリアは嬉しいのだからそこはどうにもできない。そうやってヘタに隠したり気を遣ったりせずに言い合いが出来るのがどれだけ幸福な事なのか、今のセイネリアは分かっていてその幸福を噛み締めている。 ――この姿な事が残念過ぎるな。 こんな事を考えると衝動的に彼を抱きしめてその存在を確かめたくなるのだが、二人ともがっちり鎧姿でおまけに馬に乗っている状態でそれは叶わない。 「さて、いくぞ。ついてこい」 だから代わりにそう声を掛けて馬を走らせる。すぐに彼の馬も後ろをついてくるのが分かった。 かつてセイネリアが従者として住んでいた事もあるナスロウ卿の屋敷は、今はナスロウ家の別荘としてたまに現ナスロウ卿やその家族が墓参りを兼ねてやってくる程度にしか使われていない。首都に用事がある場合はナスロウ卿の妻の実家持ちの屋敷があるからそちらに行く事が多いのもあって、実質年に1、2回程度しか主がやってくる事はないそうだ。 それでもこの場所を残しておいたのは前ナスロウ卿に仕えていた者達のためだったのだが……それも去年で皆死んだか仕事が出来ない歳になって田舎へ戻った。今回、この屋敷を手放して墓や形見を全て領地へ持っていく事になったのはそのためだ。 「どうぞ、お入りください」 屋敷に来てまず出迎えたのは去年引退した執事の代わりにこの屋敷の管理を任されている夫婦の旦那の方だ。 彼はまず外へも出られる客間へと案内してくれて、それからすぐに下がった。 「では、私は自分の家の方へ下がっております。お帰りの時にお声を掛けてください」 屋敷内の掃除はこの部屋だけしか頼んでいないが、セイネリアは別にどの部屋に勝手に入ろうが何かを持ち出そうが構わないと現ナスロウ卿からは言われている。『元々はあの方が貴方に渡したかったものですから、好きに持って行って構いませんよ』と彼は言っていたが、そう言われてもセイネリアが何も持って行かない事など分かってはいるだろう。師である騎士から貰ったのは、今あるものだけで十分だ。 「懐かしいのか?」 セイネリアがソファに座って部屋を眺めていれば、向かいに座っていたシーグルがそう聞いてきた。というか彼からそう声を掛けられて、自分は随分じっくり部屋の中を眺めていたのだとセイネリアは気が付いた。思わず口元が綻ぶ。 「……そうだな、そうかもな」 正直、感慨にふけるなんて自分とは無縁な事だと思っていたセイネリアだが、こうしているといろいろここにいた時の事を思い出してしまう。 「従者志願として初めてここに来た時に、あのジジイは俺を試すために客間に待たせて延々放置してくれたんだ」 「放置?」 「そうだ、待ってろと言われるだけでそのまま夕飯になって寝る部屋に案内されて、ジジイに会えたのは次の日の朝だった」 「お前はずっと待っていたのか?」 「くつろいでいろと言われたから遠慮なくくつろいでいてやったぞ。飯も遠慮なく食って、しっかり寝てやった」 シーグルが楽しそうに言ってくる。 「お前らしいな。遠慮がなさすぎる」 「いい度胸だと、気に入られた」 シーグルは抑えられないのか笑い声を上げた。 「面白い方だったんだな、お前の師は」 「根っからの戦士だった。そこで従者のテストとして勝負をして、俺は負けた」 「負けたのか? お前が?」 今度は彼が驚いた声を上げる。 「当然だ。その頃の俺はただの力自慢の若造だ。歴戦の勇者であるあのジジイに勝てる訳がない。お前は俺が生まれた時から強かったとでも思っているのか?」 「……すまない、そうだな。ただなんというかお前のイメージ的に負けてる姿が思い浮かばないんだ」 まったく――とは思いはしても、それには本当にすまなそうな声を返してくるからセイネリアは苦笑というよりにやけてしまう。かつてセイネリアは、シーグルに彼の持つイメージを自分に押し付けるなと言って怒った事があるから、彼は素直に反省して落ち込んだらしい。 だからセイネリアはそこで立ち上がる。 「さて、休憩はしたし、そろそろ目的を果たしに行くか」 わざと明るい声で言えば、シーグルも急いで立ち上がった。 「そうだな。……お前の昔話も聞きたかったが」 「そんなの聞きたければいつでも教えてやる。時間はあり過ぎるだけあるしな、その内話すネタも尽きるぞ」 「そうだな」 そこでまたシーグルが笑ったのが分かったから、セイネリアは外へ出る扉を開けた。シーグルも笑いながらすぐ傍に寄ってくる。 「……さすが、騎士の中の騎士と呼ばれたナスロウ卿の屋敷だな」 そうして、庭に出た途端シーグルがそう言ったのは、そこがいかにも訓練をするための場所だったのが分かったからだろう。 「騎士としては引退してたくせに、あのジジイは鍛錬を欠かしていなかった。だから力自慢なだけの若造などには負けなかったのさ」 ただシーグルはその言葉にすぐ何かを言い返しては来なかった。暫く庭を眺めて黙っていたから、セイネリアは少し待ってから、どうした、と聞いてみた。 「いや、少しだけシルバスピナの屋敷を思い出しただけだ。ウチにもこういういかにも訓練用の場所があったから。あとは……もし、俺があのままシルバスピナ卿でいたなら、息子に家督を譲ったあとはこうして森の中の屋敷でひっそり暮らして、従者志願の者を鍛えてやるような生活も悪くないだろうなと思っただけだ」 鍛錬が日課になり過ぎて鍛えていないと不安になるシーグルからしたら、そういう生活も確かに性に合っていただろうとは思う。厳しい爺さんになって、若者を叱りつける彼の姿がなんとなく前ナスロウ卿と重なるのは、似ているところがあるのだろうなとも思う。 だがセイネリアは、そこでわざと嫌味のように彼に言った。 「だがお前の場合、一人でひっそり住むのは無理だな。妻は絶対にお前についてきただろうし、騎士団をとっくの昔に引退したお前の部下達が頻繁にやってきてはお前の従者をしごくのは目に見えている」 「……確かに、そうだな」 そうして彼はまた声を上げて笑う。そんな彼が愛しくて、セイネリアはそのまま笑っているシーグルを抱き上げた。 「おいっ」 当然彼は怒る。だがそんなのを無視して、セイネリアは彼を抱き上げたまま走った。 「馬鹿かっ、恥ずかしいだろっ、さっさと下ろせっ」 「すぐ着く、大人しくしてろ」 どうせそこまで広い訳でもないし、誰かが見ている事もない。だからこれくらいはシーグルも許してくれるだろうとセイネリアはそのまま走り、そしてすぐに目的の場所につく。 シーグルを下ろせば、彼は文句を言う事もなく墓の前に向かった。 「……お前が花はいらないと言っていたのはこういう事か」 「まぁな」 ここへ来る前、シーグルが墓参りなら花くらいもっていくべきではないかと言ってきたのをセイネリアは却下していた。その理由は単純で、前ナスロウ卿の墓の周りは花壇かというように花に囲まれていたからだ。 「ジジイがいた頃からずっとメイド長やってた婆さんが、マメに世話して花だらけにしたのさ」 「そうか……いい主だったのだな」 「まぁな。この屋敷では俺以外の者には優しかった」 そこでまたシーグルが吹き出して笑う。 「お前が他人に怒鳴られてしごかれてる姿なんて想像できないな」 「これだけ食って主に対して失礼な口を利く従者は見た事ないと言われたぞ」 今度は大声で彼が笑って、セイネリアも一緒に笑った。 「らしいな。想像出来る」 「だがまぁ、言われた事は意地でもやったぞ。ジジイが俺より強いのは確かだったし、俺は強くなりたかったからな」 「……そうだな、お前はやる事はやるからな。プライドに掛けて能力や仕事にケチをつけられるのが耐えられない」 「そうだ」 そこでセイネリアは、シーグルの兜を取った。いきなりだったので、当然彼は驚いた。 「おいっ、お前なっ」 「大丈夫だ、誰もいない」 それは勿論適当に言ったのではなく、ちゃんと『いない』事を確認した上での言葉だ。シーグルもそれでため息をついて、兜を取り戻そうとした手を下ろした。セイネリアもそこで自分の仮面を取って彼を引き寄せる。 「愛してる、シーグル」 そうして口付けようとすれば、彼は一瞬困った顔をしてから、仕方ない、という感じに息を吐き出してから受け入れてくれた。 --------------------------------------------- すみません、これで終わらなかったのでもう一話です。 |