幸せぽい日常―夏の特訓編―




  【1】



 ボーセリングの犬として育てられ、人を殺す能力だけに特化した人間……であった筈のフユは、実際に『犬』として暗殺者になる前にセイネリアの僕(しもべ)になった事で人を守る事が主な仕事となった。それだけでも自分の人生の変わりように驚いたのに、今見てるこの光景など昔の自分に見せても何の冗談だというレベルだろう。

「ししょー、も……もう、いい、ですかぁあぁぁ」

 向うから走って――というにはもう歩くような速さではあるが――こちらにやってくる2人の子供に、フユはいつも通りの笑顔のまま答えてやる。

「そうっスねぇ、ではあと4周で終わりでいいっスよ」
「よ、よん、しゅうっ、です……か」
「死ぬ……」

 絶望的な顔ながらもそのまま通り過ぎていく2人にフユは楽しそうに手を振ってやる。セイネリアの下で、何故だか今はこの国の少年王を陰ながら守るのが仕事となったフユは、現在その仕事を引き継いでくれる人間を育てるため弟子にした少年達を将軍府西館の庭で訓練中であった。

 まぁ、すばしこいし頭も回るし、何より連携を取るのに慣れていて2人なら実力以上の力を発揮する――というところに素質を見出したフユだが、さすがに全部自己流できちんと訓練をしたことがない子供を教えるのは少々面倒ではあった。

「よ、ん、しゅう……」
「おっわりましたぁぁああっ」

 言うと同時に二人が倒れ込む。
 誰が座っていいといった――と、ボーセリングの犬の訓練なら言うところだが、フユも彼等にそこまでを期待してはいない。

「とりあえずお仕事的に追跡は基本スからね、それに実力はそこそこでも体力があれば格上相手にも『負けない戦い方』をするだけで勝てたりしますから」

 あとは単純に、才能も技術も関係なく、体力というのは何も考えなくても鍛えた分誰でも確実に身につくものである。まだ何も知らない未熟な彼等には、まずは単純に身体スペックを上げてもらわなくてはならない。

――そういやボスは、強くなるためにまず体を鍛えるだけ鍛えて、技術は後回しにしたっていってましたっけ。

 それは確かに理にかなっている。特にセイネリアの場合、技術を教える師が傍にいた訳ではないのでそれならまずは体を作るのが強くなる確実な方法で間違いない。……ただ彼の場合は、その体を作るレベルがとんでもない規格外の化け物にまでした訳だが。

「例えばオオカミなんてのはハンターとしてはそこまで高スペックってわけじゃないスけど、獲物が疲れるまで一晩中でも追いかけられる持久力があるからやばいんスよ」
「……一晩中追いかけるのは……ちょっと」
「そこまで……しないとならないんですか?」

 顔を引きつらせてこちらを見る子供たちに対するフユの笑顔はいつも通り変わらない。
 そこからちょっと茶化したいつも通りの声で彼等に言ってやる。

「そうっスね、実際一晩中追跡するのはありえることっスよ。……ただ見失っても相手の行先を見つける方法を身に着ければ、馬鹿正直にずっと走って追いかけなくてもよくはなるスね」

 そこで幾分かほっとした顔をした2人だが、次の言葉で彼等はまた顔を引きつらせる事になる。

「でも現状、そんな技術がないンスから、ひたすら馬鹿正直に追いかけられる体力を作るようにした方がお手軽っスよ」
「えー」
「ど……どこが手軽なんですか!」

 ガクリと項垂れる弟子たち。
 フユはそれを笑ってみているだけだったが、頭の中では『そろそろか』と時間を計算していて、そしてその計算通り、明後日の方向から馬鹿でかい声が響いてくる。

「すわぁ〜て、子供たちよ、そろそろきゅうぅぅけいのぉ、おやつターイムといこうじゃないかぁっ!」

 途端、子供2人は顔を上げる。その顔はいかにもぱぁっと明るくなったという表現そのままで、フユは内心苦笑しつつも彼等に待望の言葉を掛けてやる事にする。

「おや、レイが来ましたか。ンでは休憩のお茶にしていいっスよ」

 やったーと騒いで、へたり込んで動けない様子だった2人はすぐ立ち上がってレイの声のする方に向かう。訓練といっても随分ぬるい――と我ながら思ったりもするが、子供らしい感覚をちゃんと持っておくのはあの少年王の行動を見守るには必要な事ではあるだろう、と、フユはそう思っている。この考え方も、少なくともボーセリングの犬としてはありえない事だが。

「ふっふ〜今日は、だ!!! いい果物が入ったから凍らせて砕いてみる、ぞ!!! 良い素材はスィンプルに仕上げるのが腕のいい職人というものだぁっ!!!!」

 そうレイが口上をまくしたてている間に、子供たちは既に庭にある東屋の方に行って座っている。だから未だに恰好つけてポーズをとっているレイの首根っこを掴んで、フユも子供たちの方に向かう。

「まぁてぇっ、これから果物の説明がぁっ」
「だーれも聞いてませんから、さっさと出してやった方がいいっスよ」

 これもまたいつもの事である。

「レイさん、はーやーくー」
「レイ様〜天才料理人の天才ぶりをぜひすぐに見せてください!!」

 2人とも最初はレイを馬鹿にしまくっていたが、乗せておけば機嫌よく美味しいおやつを作ってくれると分かってからは少なくともレイに対して直接馬鹿にする言動はなくなった。気の強いエリアドは『さん』付けになっただけでもかなりの持ち上げぶりなのだが、要領のいいノーマはレイを気持ちよく持ち上げるのにも抵抗がなくこういう時はおだてまくる。案の定、レイは機嫌よくバスケットの中の凍らせた果物を取り出すと、器の中に入れて砕いてすり潰し、上からミルクとはちみつを掛けて2人に出してやった。

「うわー、冷たくてうまっ、すごいっ、走った後だとしみるなぁ〜」
「美味しいです〜さすが天才レイ様っ」
「ふっふっふ、そーだろーそーだろー、もっとほめたたえていいぞ!!」

 そんなやりとりをのんびりゆっくり穏やかな気持ちで眺めているのだから、本当に人間どうなるか分からないものだ。もちろん自分たちが幼かったころの訓練中で、こんな『おやつ休憩』なんてものがあった事は一度もない。というかありえない。
 ただこの弟子たちのおかげでレイは張り切って新しいおかしを作っているし、しかもそれの味見役の仕事は前のようにフユがメインでやる必要もない。当然弟子達は楽しみにしているしといい事しかないから止めさせる気は全くなかった。

「ンじゃま、お茶飲み終わったら準備運動してまた一走りっスかね」

 緩くはあっても甘やかす気はないからそういえば、最近はいろいろ要領よくなって頭が働くようになってきた弟子たちは抗議してきた。

「マジすかししょー、せめてもうちょっと休憩させてくださいっ」
「そろそろ日差しが尋常じゃなくなってますっ、日陰で別の訓練を希望しますっ」

 やはり要領がいいだけあって、ノーマの方が頭がいい。勿論その分エリアドの方が身体能力が高くて度胸がいいからどちらがより優れているという問題ではないが。
 ともかく、甘やかす気はなかったがそれでフユは思いついた事があった。

「この炎天下を走ってこそ体力がつく……と言いたいとこっスけど、訓練で殺す気もないスから……まぁ今日のとこは部屋戻ってお勉強にしときまスかね」

 そこで無条件にやったという顔をするノーマと、一瞬喜び掛けて顔を引きつらせるエリアドを見れば、本当にこの2人の得意分野が分かって面白い。

「それと……確かにこのところの暑さの中で走って体力アップは大変スからねぇ、来週俺もお休みいただけそうなンでかるーくお出かけして特訓しましょうか」

 実は来週、王様はヴィド家の領地にある摂政様の別荘に暫く避暑もかねて滞在する事になっていた。それに将軍セイネリアも呼ばれしまったため、その間は将軍が王様を見ている+ソフィアの監視もあるからとフユは休みをもらったのだ。……ちなみにこうしてこの2人の訓練を見てやる時は、いつもソフィアに護衛を肩代わりして貰っていた。彼女は彼女で護衛対象がシーグルであるから、常に彼がセイネリアの傍にいるようになって昼間はどうしても将軍府にいなくてもよくなったというのがある。

「と、特訓、ですか……」

 2人ともその言葉にはごくりと唾をのむものの。

「そうスよ、暑さで厳しい思いをせずに体力作りが出来るとこに行くっスよ」

 というフユの言葉には少し嬉しそうに瞳を期待に輝かせた。
 ちなみにこの暑い時期、涼しく体力作り……と考えてフユが思いついたのは泳ぐ事である。彼らが現在泳げるかどうかは知らないが、この先泳げないのは困る。体力作りの面でも水の中での活動は最適であるし、暑さを言い訳にして逃げられもしない。体力も泳ぎもどちらの特訓も出来て丁度いいと思ったのだ。

 という事で、フユはさっそくその日の夜、セイネリアに相談して弟子の特訓計画についての許可をもらったのだった。




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 弟子取り編から久しぶりですが、夏なのでお馬鹿な話を。
 



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