今の幸せと過去の望み




  【1】



 悪しき王リオロッツが倒され、シルバスピナの跡取りが新しい王となってから数年。少なくとも人々が今の体制を当たり前と感じるようになった現在、クリュースは平和だった。

 その日、目を覚ますと、既に起きておそらくこちらの寝顔をじっと見ていただろう琥珀の瞳が目に飛び込んできて、シーグルは即嫌な予感がした。なにせセイネリアといえばシーグルが起きたがってもそれを許さず、こちらを押さえつけたまま狸寝入りをするのがいつもの事だ。このシチュエーションは絶対何か企んでいるに違いない。
 だから目を開けた途端彼を睨んで、不機嫌そうに起き上がる。なんの邪魔もされず起き上がれた上に、やたらと楽しそうな彼の顔で嫌な予感は正解だと確信できた。

「……で、今日は何があるんだ?」

 このまま理由も分からず彼の上機嫌ぶりを不気味がるくらいなら、さっさと聞いた方がいい。聞けばセイネリアは嘘はつかない筈である。シーグルは彼を正面から睨みつけた。
「朝飯を食ったら今日は出かけるぞ」

 そうなんだろうなと思っていたから、それには驚かないし怒らないし反論しない。どれも無駄だからだ。

「どこへだ?」

 聞けば彼はまたにっと口元に笑みを引いて、それから楽しそうに答える。

「それは現地についてからのお楽しみだ」
「おいっ」

 さすがにそれには反射的に抗議の声が出る。彼が出かけるのを決定している段階で反対は無駄だからしないが、行先くらいは教えてくれてもいいではないか。

「いいじゃないか。たまには分からないのにわくわくしてみろ」
「わ……わくわく?」

 おおよそこの男の口から出るには相応しくない言葉に、シーグルの顔は引きつる。

「俺がお前を連れていくんだ。お前に危険があるような場所でも、お前が本気で嫌がるような場所でもないのは確定だろ。なら身構えずに、どこへ行くかを楽しみにしていればいい」

 言われれば……まぁ確かに、彼ならシーグルにとって身構えなくてはならないような問題のある場所に連れていく筈はないとは思う、が……とてつもなく恥ずかしい目に会うような場所である可能性もあるから気楽に構えていられるものでもない。
 それもあって尚も疑わしい目で睨んでいれば、セイネリアは少しだけ真面目な顔をして、ほんの一瞬寂しげに笑ってから視線を合わせてくる。……正直、彼のそういう表情にシーグルは弱い。なにせそれは、この誰よりも強い男が弱い姿を自分に見せてくれた事であるのだから。

「本当に身構えなくていい、ちょっと個人的な用事に付き合ってもらいたいだけだ」

 勿論そこまで言われれば、シーグルもそれ以上どうこう言える訳もなく、返す返事は『分かった』とその一択となる。ただし、言った後に溜息を付け足してしまうのは仕方がない事だった。








 さあっと体をすり抜けていく風、それに合わせて木々がざぁっと音を鳴らす。
 とりあえず、連れて来られた場所は森の中だった。

「どこだ、ここは」

 とシーグルは聞いてみたが、やはりセイネリアは薄い笑みを浮かべるだけで答えない。それにむっとした顔をしたら、ここへ連れてきてくれた人物――つまり、転送役のキールが呆れたように口を開いた。

「ラドラグスの東ですよぁ。もう来たんですからぁ〜言ってもいーいでしょぉっ」

 それでセイネリアの笑みは消えたが、別に怒った訳でもない。ただちょっとつまらなそうではあるから、もうちょっと困惑するシーグルを見たかったのだろうとは思う。

「ラドラグス? ……あぁ」

 口に乗せてからすぐ、シーグルはその街の名がセイネリアの出身地である事に気が付いた。その様子を見て、またセイネリアの顔に笑みが浮かぶ。

「お前、前に俺の子供の頃を見てみたかったと言っていたろ」
「あぁ……それで、連れて来てくれたのか」
「まぁな、街に用事が出来たからついでだが」

 セイネリアの子供時代を見てみたかったというのは本当であるから、それ自体は嬉しいと言えば嬉しい。

「そんな事を覚えていて、きっちり応えるあたり……お前、結構律儀だよな」

 外見には似合わず――とまでは口に出さなかったが、セイネリアは見た目はどう見ても自分本位で動きそう……というかそれが許されるくらいの能力がある人間だ。だが彼は表面上はそう動いていても、きちんと部下や協力者等、自分の側にいるものに関しては相手の細かい事情や希望を覚えていてそれに沿うようにしてもくれる。
 シーグルが、上に立つ立場の人間として彼に敵わないと思う事の一つだ。

 ただ、そんな思いも入ったシーグルの言葉を、セイネリアは明らかに馬鹿馬鹿しいといった風に否定した。

「他の人間の事ならそこまで気にしないぞ、お前の事だからに決まってる」

 さらっと言われた言葉はいつも言っている事ではあるから今更なのだが、それでもここまで当たり前だという顔をされるとなんだかこっちが恥ずかしい。

「え……あぁ、そうか」

 だからそんな曖昧な返事しか返せないで、シーグルとしてはなんだかひどくいたたまれない状況だったのだが、そうすれば今度はまたセイネリアは嬉しそうに笑ってみせた。

「しかもお前から俺に興味を持ってくれたんだ、忘れる筈も、応えない筈もないな」
「あぁ……うん」

 それが本心なのは疑いない、とは思うが、このセリフをあっさり言えるこの男にはやはりちょっと引く。いやそもそも、こちらが引いたり恥ずかしくなるのまでが彼の狙いなのだろう。もしくは、こういう台詞でこちらにそれ以上何もいう気をなくさせて裏で何か企んでいるか。
 裏の読みあいについてはセイネリアの方が何枚も上手だから、シーグルが彼の意図を完全に読む事は厳しい。というか、それが可能とかは思っていない。
 仕方なくそこで諦めの溜息を一つ吐けば、それを察したのかセイネリアが腕を軽く引いて歩きだした。

「ならいくか、俺がガキの頃過ごした場所はもう少し先だ」

 シーグルは上機嫌な黒い男の顔を見て、諦めたようにつぶやいた。

「あぁ、分かった」

 ただ歩き出せば意外な事に更にそれに続く足音がして、シーグルはすぐに振り向く事になる。

「帰らないのか?」
「えぇ、まぁあぁ……今日は帰りまで付き合いまぁすよ〜」

 転送役をしてくれたキールは、送った段階で一旦帰って、またあとで迎えにくるものだと思っていた。大抵の場合はそうであるから普通に今日もそうだと思っていたのだが。

――なんだ、すぐ帰るつもりなのか。

 一旦帰らずついてくる時は、わざわざ出直す事もない程現地での滞在時間が短い時だ。セイネリアの子供の頃にいた場所を見せて、それですぐ帰るつもりなのだろうかと思うとちょっと残念な気もする。
 キールがついてきているのもあってか、セイネリアの歩く速度は普段からするとかなりゆっくりだった。森の中とはいっても人の出入りは多いようで、整備された道はなくても適度に踏み均された地面は歩くのに苦労はない。だから魔法使いであるキールも普通についてきていた。藪や岩にあたることもなく順調に道を進めていけば、木々の先に明るい場所が見える。おそらくそこが目的地なのだろう。
 セイネリアの背中をみつつ森を抜けると、拓かれた場所があって小屋も見えた。小屋の傍には洗濯干し用のロープが張ってあったり、薪が積み上げられてあったりと生活臭がある。誰か住んでいるのだろう。

「少し待ってろ」

 セイネリアはシーグルにそう言うと一人で小屋に向かっていく。一般人が住んでいそうなところにあの男が行くのはマズイんじゃないかとも思ったが、その程度彼が気づいていない筈もないので反論はしない。……ただ思った通り、彼が小屋のドアをノックして出てきた人物はその場で固まったが。

――今ここにいるのは知り合いではないのか。

 ちなみに今の恰好だが、流石に外に出るのもあってセイネリアは仮面をしている。ただ彼の仮面は主に顔の上半分を隠しているだけで、一応正体を隠すためにフードを被っているから多分、将軍セイネリアとは思われてないだろうと思う。……それでもあんなのがドア開けて目の前にいたら恐怖でしかないのは分かる。
 小屋の住人は固まったままだったが、構わずセイネリアは何か言ってそのまますぐこちらに向かってくる。セイネリアとしても向こうとマトモに会話をする気はなかったのだと思われる。

「もう、いいのか?」

 帰ってきた彼にきけばあっさり、あぁ、と返される。そしてこちらの傍までくれば足を止めて、ついてくるように促してきた。

――目的地はここじゃなかったのか。





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 久しぶりなので軽めのエピソード。エロはないですが、いちゃいちゃはあります。
 



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