今の幸せと過去の望み




  【2】



 セイネリアは小屋を抜けてまた森の中へ入っていく。ただそこも先ほど歩いてきたところよりも狭いがちゃんと踏み均された道にはなっていた。そして今度はそこまで歩くこともなく、広い場所に出る。建物もないただひらけた場所、ただそこが何なのかは一定間隔に盛られた土と、そこに立てられた木や武器であったもの等で分かる。しかも、周囲がわざわざ植えたのだろう花で囲まれているのをみれば確定だ。

「ここは……」

 シーグルが呟くと、軽くセイネリアが振り向いて答えてくれる。

「冒険者等、街の人間ではない者用の共同墓所だ」

 あぁだから街の外にあるのかと、シーグルは納得する。そしてわざわざここへ来たのなら、その用件は決まっている。

「そうか、墓参りに来たのか」
「まぁな」

 となればそれはおそらく子供の頃セイネリアの知人……街の住人ならここにいないだろう事を考えれば、彼の師であった森の番人の墓と考えてほぼ間違いない。彼の師の墓参りに付き合ったのは2度目だが、前とは違う人物だ。聞いた話では彼には更にもう一人、人の見方を教えてくれたという娼婦の師もいるそうだ。こんないかにも自分の力だけで生きて来た――という風に見える男に、複数人の師と呼べる人間がいるのは意外だが、そんな彼が師に対してちゃんと尊敬の念を持っているというところからしてどの師も素晴らしい人物だったに違いない。師のおかげで彼が強くなったのは勿論、彼が力に溺れず、悪い方向にいかなかったのもそのおかげなのかもしれない。

『俺は、運が良かった』

 子供時代の話を聞いた時、彼はそう言っていた。この森の番人の師の事は殆ど知らないが、騎士の師であるナスロウ卿の事は噂等でシーグルもある程度知っている。噂話を鵜呑みにするつもりはないが、騎士団の英雄と呼ぶに相応しい実力と人格を兼ね備えた人物だった事は疑いないエピソードをいくつも残している。そのナスロウ卿と同じ敬意を彼が示しているのだから、こちらの師も素晴らしい人間だったに違いない。本当に彼は師に恵まれたのだとシーグルも思う。
 だから今の彼があるのだろう。

「ここだ」

 他からは少し離れた場所にある墓の前でセイネリアは立ち止まった。ただそれは1つではなく、3つ並んでいた。

「家族か?」

 それにはセイネリアは短く、あぁ、と返事をした。
 3つの墓にはロックランの印が入った板が立てられていて、更に名前が刻まれた墓石としては小さな――といっても子供の頭くらいのサイズはあるが――な石が置かれていた。ただその名を読まなくても、彼の師である人間の墓がどれかだけはすぐに分かる。目にすぐ入る大斧――盗まれないように杭つきで地面に刺してあるその斧がある墓だろう。
 セイネリアは冒険者の荷袋から酒の瓶を出すと、封を開けてその墓に向けてかけた。

「最初から墓に来るのだと言ってくれれば花くらい持ってきたのに」

 前回のナスロウ卿の時は墓の周りが花壇のようになっていたから花は必要ないといっていたが、今回は違う。斧のせいで目立ちはするが石と板だけの墓は少し寂しい。

「いらんさ、そのためにここの外周に花を植えてあるんだからな。ここにある墓達のところには基本的に人はやってこない。だから墓に花を置くのではなく、訪れたものはここの外周に花を植えたり、花の種を撒いていくようにしようという話になってる」
「なら、お前も花を植えたのか?」
「あぁ、それが決まった時にまとめて植えさせた」
「割合最近の話なのか?」
「お前と会う少し前の話だ」
「そうなのか」

 言われれば確かに、ここが引き取り手のない外部の者のための墓所だというなら、訪問者は滅多にくる事はないというのは分かる。だからすぐに朽ちてしまう花を置くより、周囲に花を植えておこうという話になったのだろう。

「……だが、アガネルに酒をやったなら、こっちの2つには花くらい持ってきても良かったかもしれないな、なにせ女の墓だ」

 暫くしてセイネリアがそう自嘲気味に呟いたから、シーグルは聞き返した。

「なら他の2人はお前の師の妻と……娘、なのか?」

 家族で女2人となれば自然とそうなる。セイネリアは表情を変えなかったが、自嘲を浮かべた口元のままでまた呟いた。

「あぁ。しかも娘の方の死因は俺のせいでもある」

 そういう遠まわしな言い方をしたのなら、セイネリアが直接手を下したり、死ぬように追い詰めた訳ではないのは確定だ。おそらく、第三者からみればまったくセイネリアのせいではないと言われるような死因で、ただ間接的にセイネリアが関わっている……くらいの事だろう。
 この男の強さの一つは、嫌われる事や恨まれる事、罪を犯す事を恐れない事でもある。勿論それはただ単に倫理観がおかしいからというのではなく、自分が悪人になろうとも、それが必要な事であったり、それよりも優先すべき事があるなら躊躇なく非道な手を取れるという事だ。上に立つものなら必要な――シーグルにはない強さだ。
 ただそこで、らしくなく何か思う事があるように自嘲を浮かべたままじっと墓を見ているセイネリアにシーグルは聞いてみる。

「後悔……するものがあるのか?」

 セイネリアはそこでこちらを向くと、目を細めて口元の笑みを深くした。

「後悔、というよりも、若造だった自分の未熟さを恥じている、というところだな」
「……お前に恥じるなんて感情があるとは思わなかった」

 思わずそう返せば、セイネリアは喉を揺らして笑い声を上げる。楽しそうに笑う彼を見て、シーグルは内心少しほっとした。
 暫くして笑いを収めたセイネリアは、軽口ではあってもやはり自嘲気味に言った。

「当時はそれが最善だと思ってとった行動も、今みればアラだらけでいろいろ考えが足りなかった、他にもっといいやり方があったと思える。だがその時の俺は、自分は冷静で、一番いい手を考えて成功させたと思っていた。それで想定外の被害が出たのはその人間が弱かっただけだとしか思わなかった。まったく、青臭いただの思いあがった若造だ」

 らしくない表情――けれど、彼は今罪悪感を感じているのだとそう思ったシーグルは、わざと怒ったように言った。

「そんなの当たり前だろ。昔の行動を後から振り返れば当時の自分の馬鹿さ加減に嫌になるのなんて皆そうだ。というかそもそも、後になって第三者の視点で見れるようになれば自分の悪い点に気づいて後悔するのは若い頃の事に限らずいつでもそうだろ」

 睨みつけると、セイネリアはやけに嬉しそうにこちらの顔を見てきた。

「まぁ……それは、確かにな」

 口調は軽い。だが、彼にしては言葉に感情が篭っている。

「そうだ、まともな人間なら当たり前の話だ」
「俺がまともな人間かどうかは怪しいがな」
「まともだろ。……少なくとも今のお前は、心の痛みも、喜びも知ってる」

 そこで彼は、ただでさえ細めていた琥珀の瞳を完全に閉じた。

「あぁ、そうだな」

 そう静かに呟いて。それから彼は唐突にこちらの腕を引っ張った……と思ったら抱きしめられていた。いや、いつもの事といえばそうではあるが、今日のシーグルはちょっと油断していた。

「え。……て、おいっ」

 あまりにも唐突で抗議が遅れたが、気づいた途端シーグルは声を出すと同時に藻掻いた。しかも彼の手が兜を取ろうとしてきたから、焦って怒鳴る。

「おいやめろっ、どこに人がいるか分からないんだぞっ」

 それで兜を掴んだ手は離されたが、セイネリアは何故かそこで無言のまま動かなくなった。勿論シーグルはそれでも藻掻いて彼の腕から逃れようとしたが力的に無理な状況だ。ただ、あまりにも無言で抱きしめられる状況が続いたので、シーグルも暴れるのをやめて彼の顔を(仮面で見えないが)覗き見てみた。

「おい……セイネリア?」

 なんだかとてつもなく嫌な予感がしていれば、セイネリアはシーグルの手をとって片手を腰に回した。この体勢はまるで――。

「まさかまた踊る気か? あんな恥ずかしいマネはもうしないぞっ」

 前回ナスロウ卿の墓参りの時、シーグルはその墓前で彼とダンスを踊るハメになった。この体勢はまさにその時と同じだ。
 それで焦ってシーグルが本気で暴れ出せば、今度はあっさり……本当にあまりにもあっさりと彼の腕から逃れられた。同時に、笑い声。彼はまた楽しそうに声を上げて笑っていた。

「安心しろ、ここでダンスはしないぞ俺も」

――やはり、揶揄われたのか。

 簡単にひっかかった自分にげんなりするが、今日の彼は少し感情面に不安定さが見える。師の娘の死について思う事があるのか、少しばかり様子がおかしい。自分を揶揄ったのも、なにか誤魔化すためのような気がしなくもない。

「とりあえず義理は果たしたからな、小屋まで戻ろう」

 セイネリアがそう言うと、それまで後ろで黙って見ていただけのキールが、こちらに聞こえるように、はぁぁぁ、と大きく息をついた。

「やぁれやれですねぇ。……まぁったく、いーぃつまで二人でいちゃついてるのを見てなければなぁらないかと思いましたよ〜」
「それは悪かったな、ここでの用はもう済んだ」
「そぉれなら良かったですけどねぇ、まぁったく、人をまぁたせているのを忘れているのかと思いましたぁ〜」

 ここまで言われても平然としていられるのだから、やはりセイネリアには『恥じる』なんて感情はないのではないかと思ってしまう。シーグルとしては兜があって顔が見えなくて良かったという状況なのに。
 とはいえ、こちらの顔は見えていない筈なのに、にたにたと意味ありげな笑みを向けてくるキールにちょっと頬の熱さを感じてしまうのは仕方ない。彼も彼で自分とは長い付き合いであるから、こちらが今どんな顔をしているかくらい分かっている筈だ。ただ、そこですぐにセイネリアが墓を離れて歩きだしたから、キールからシーグル個人を揶揄う言葉は貰わずに済んだが。

 管理人の小屋まで帰ってくると、セイネリアは小屋ではなく小屋の裏手にある切り株があるところで足を止めた。それで当たり前のようにキールがその切り株の一つに座ったから、シーグルとしてはまたセイネリアが小屋の住人に声をかけてくるのを待つのかと思った。だが、セイネリアは手に持っていた酒の瓶を傍の切り株に置くと、こちらに背を向けて想定外の事を言ってきた。

「俺はこれから街に行って用事を済ませてくる。ここの今の管理人には暫く外に出ないよう言ってあるから気にせず周辺を見てまわっていいぞ。ただし、森には入るな」

 一瞬、彼の言っている言葉の意味を理解しきれなかったシーグルだが、彼がこちらについてくるよう声をかけずに歩き出そうとしたのを見て驚いて声を上げた。

「まて、一人で行く気か?」
「そうだ」

 即答で当然のように言われた言葉を、シーグルは最初、冗談かと思った。なにせセイネリアといえばとにかく自分と常に一緒にいたがって、どうしても自分を連れていけない場所以外はついていくのが当たり前なのだから。
 だが彼が本気で自分を連れていかないのなら当然、それ相応の理由があるのだろうとは予想出来る。

「ガキの頃の俺がどうだったか知りたいんだろ? 何のためにその魔法使いを連れてきたと思ってる」
「あぁ……」

 キールの能力はその場所が記憶している過去のものを映像として見せる事。つまり、ここで過去のセイネリアの姿を見せて貰えという事だ。正直、それを見たいかと言われれば見たいに決まっているが、微妙にひっかかるものがあるのも確かだ。

「お前は一緒に見ないのか?」
「ガキの頃の青臭い自分の姿なぞ、恥ずかしくて見ていられないだろ」

 それは確かにそうだろうが……とは思うが、セイネリアから『恥ずかしい』なんて言葉を聞くのは似合わな過ぎて胡散臭い。

「まぁ、そういう訳で俺は見たくないから、その間に用事を済ませてくれば丁度いいだろ」

 そう言われればシーグルとしては、そうか、としか返しようがない。それでも今日のセイネリアは少しおかしい気がして心配だったが、自分がついていった方がいい事ならば彼はちゃんと言う筈だ。……言わないという事は、ついてきてほしくないのかもしれない。
 ともかく、そこでセイネリアは一旦こちらに別れを告げ、一人で森の中へと消えていった。




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 キールが一緒に付き合った理由が判明、という事で次回はセイネリアの用事。
 



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