【3】 「さぁって、それではぁ〜やぁっと私の出番という事ですねぇ」 セイネリアの姿が消えて暫くすると、キールがそう言いながら切り株から立ち上がった。わざとなのか年寄のように腰を曲げた状態で腕や首を解すように動かし、それから腰を伸ばして唸って一息をつく。 「では、はじめていーいでしょうか?」 彼の動作を見ていたらにこりと話しかけられて、シーグルはちょっと焦って、あぁ、と答えた。それで彼は地面に杖で円を3つ描き、その周りに記号を描いたり、腰に下げていた袋から砂を落としたり始めた。 物や場所の記憶を見るタイプの術はいろいろあるそうだが、キールの場合は主にその場所にいた人間の記憶を辿って映像にするものらしい。だから取り出した場面の動きはちゃんと繋がっていて会話もわかる、そのため基本的に魔法陣は辿る人間の数だけ必要だと。キールが魔法ギルドから重用されているのはそのせいで、この手の能力の大抵は術者の頭の中だけで見る事が出来るか映像に出来ても時系列的に繋がっていないバラバラな場面が止め絵として見れるだけとかで、『他人にその場面を見て何があったのかまで分かる』状態で見せられるのが貴重らしい。ただそれなりに彼の術は準備が掛かるのも知っているから、シーグルは大人しく彼を見ていたのだが。 「そういえば、最初から転送と過去を見せるのを両方頼まれたのか?」 聞いてみれば、キールは作業をしながら答えた。 「そうですねぇ〜、転送を頼みたいってぇ声を掛けられた時に、他に頼みたい事もあるから半日くらい付き合える日を教えてくれってぇ言ってましたっけね」 「そうか……」 ――という事は、用事の方がついでの可能性もない訳ではないか。 ちょっと深読みし過ぎだとは思ったが、こうしてセイネリアの過去をシーグルに見せる事自体に他にも意図があるんじゃないか――彼の過去につにて何か打ち明けるために言葉ではなく場面を見せるとか――用事のついでというのはそれを軽く思わせるためでは、なんて事も考えたのだ。 勿論考えたところでシーグルではセイネリアの意図を読み切るのは難しいし、無駄だとは分かってはいる。ただ今日のセイネリアが何か様子がおかしい気がしたからいろいろ可能性を考えてみただけの事だ。 まぁ、単純に彼が街に行った『用事』の方が彼にとっていつも通りの平静を装えない程の意味があるものだったと考えるのが妥当ではあるのだろう。 結局のところ、ぐだぐだ考えるより気になっているならあとで彼に直接聞くのが一番早いのは分かっている。彼は聞けば嘘はつかない……だが状況に対する説明に関して、こちらがその場で気づかない限りは終わってから事情を話してくれる、というのがいつもの事なのは気に入らない。一応、シーグルに直接かかわるような事だけは約束通りちゃんと事前に言ってくれるようにはなったものの、彼自身の事に関してはその約束の範囲ではないと思っているようだ。 ――なんでも話してほしい、とまでは言わないが。 プライド的に、自分の弱い部分を見せたくないという気持ちは分かるから聞かれたくないのだろうと察した事は聞かないが、シーグルとしてはなんだか彼にいつも先回りしてお膳立てされる事が多いから、彼のために出来る事があるならやってやりたいとは思っている。――ちなみに、ベッドの方で返してくれればいい、というのは一定以上は無理なので、それ以外でだ。 「さぁーってと、こっちも準備出来ましたよぉ」 考えているところでキールのその声が聞こえて、シーグルは一旦思考を切り替えてそちらに集中する事にした。キールはこちらと目があうと大きく息を吸って、杖を掲げると呪文を唱えだした。 そうしてキールの傍に黒い髪の目つきの悪い少年の姿が現れた途端、思考を切り替えようと努力する必要もなく、シーグルの頭からは先ほどまで考えていた事があっさり消えた。 ラドラグスはこの辺りでは一番大きな街であり、当然流通の要所として栄えている。勿論そういう場所であれば、商人だけではなく冒険者も多い。冒険者達は顔を見せたくないような事情を抱えている者も多いから、今のセイネリアのようにフードを被っていたり、仮面をつけていたり、シーグルのように鎧姿なら兜をつけっぱなしにしている者も多い。セイネリアくらいの長身だと流石に目立ちはするが、まぁ珍しいものでもないので特別に不審がられる事はない。というか、顔を隠していて事情がありそうで、いかにも強そうな人間に関わるとロクな事はない……と、皆目を逸らしてくれる。それはそれで有難いといえば有難い。 セイネリアが人混みを抜けて色街の方に入っていけば、まだ昼間であるからか人通りは少なく閑散としていた。それでも周囲の建物の様子からすればいかにも長年使われていないというものは少なく、夜になれば賑やかになるのだろうと予想できる。それに僅かばかりながら安堵する気持ちがあるのは、自分の中にもここを生まれ故郷とする思いがあるのだと軽く驚くところだ。 さすがに最後にここへ来た時からすればそこそこ経っているだけあって、ところどころ建物は変わっていたが道は変わっていない。迷いなくセイネリアはある娼館の前までくると、入口にいる、用心棒として雇われた冒険者だろう女戦士に自分の名と用件を告げた。 「え、あ……はい、し、少々、お待ち下さいっ」 女戦士は驚きと怯えでパニックになりかかってはいたが、来るのは聞いていた筈であるから即対処はしてくれた。さほど待たされる事なくセイネリアは目的の人物の部屋へと行く事が出来た。 「やぁだぁ……本っ当に偉くなっちゃって……ねぇ?」 ベッドの上で寝ていた女はそう言って笑ったが、その後にすぐ咳き込んだ。 「体調は?」 「んーよくはないけどね、気分はいいわよ。だってあの坊やが顔見せてくれたんですもの。ふふ……天下の将軍さまがほんとにこんなとこに来てくれるなんて思わなかったわぁ」 「あんたには世話になったからな、ベロア」 言ってセイネリアはフードを取ると、ここにいたころいつもそうしていたように彼女の頬にキスをした。 「だぁめ、うつっちゃうかもしれないでしょ」 「大丈夫だ、どんな病気でも俺にはうつらない」 「だめよ」 咳き込んで、弱弱しいながらもこちらを押しのけようとしてきたから、セイネリアは一旦彼女から顔を離して仮面を取った。途端、彼女の目が大きく見開かれる。いくらセイネリアが彼女からすれば随分若いとはいっても、最後に会った時と寸分変わらず同じ顔であるのを見れば事情は察せただろう。 「ある『呪い』のせいで、俺は死ねないんだ」 言えば彼女は一瞬悲しそうな顔をしたが、今度は手を伸ばしてきたから顔を近づけた。ベロアはセイネリアの頭を抱きしめる。その腕に昔のような力はなかったが、匂いは間違いなく彼女のものだった。 「かわいそうな坊や」 「大丈夫だ、今はかわいそうじゃない」 「そうなの?」 「あぁ、共にいてくれる大切な人がいる」 「そうなの。……おめでとう、よかったわ」 彼女の手が離れたと同時に顔を離せば、昔馴染みの娼婦の女は本当に嬉しそうに笑っていた。 彼女はかつてセイネリアが生まれた娼館にいて、子供の頃はよく世話を焼いてくれた。その後彼女は娼館を移ってしまったが、逆にそのおかげで会いに行きやすくなって森の管理人であるアガネルの弟子になってからは街にくる度に彼女の部屋に世話になっていた。セイネリアの最初の師である娼婦とも連絡を取り合っていて、ベロアの元にくる度にその師の娼婦からの伝言や手紙を受け取っていた。特別な存在……という訳ではないが、彼女には少なくない恩がある。口の硬い女である事は分かっていたから、セイネリアは自分が将軍となった事も伝えてあったし、手紙のやりとりも極たまにではあるがしていた。 その彼女が病気になって、先が長くないと知ったのはつい先日の事だ。 彼女の手紙には別れの言葉しかなかったが、セイネリアはそれに会いに行くと返事を返した。自分でも即そんな決断をしたのは不思議だったが、おそらく……最初の師である娼婦に対して彼女が死ぬ前に会ってやれなかった事を自分はずっと悔いていたらしいと気づいた。だからベロアには、最後に自分の今の姿を見せておこうと思ったのだ。 「あんたには世話になったからな、何か望みがあるなら言ってくれ」 「いいわよ、べっつにたいしたこことはしてないし、アタシも楽しかったし。最後にアンタの顔見れただけでじゅうぶんよ」 それは遠慮ではなく本心からの言葉だろう。ただセイネリアから見て大きな恩があるのは確かだ。自分が強くなってからの恩は相手にも打算があるが、力もないただのガキだった自分への恩は打算がないだけに大きいと思っている。 「……少なくとも、もう、生きてる間に欲しいものも、しておきたいこともないわね」 満足そうに微笑んだ彼女の顔は、かつてセイネリアに情報屋を譲った元娼婦の婆さんの顔と重なった。 「なら立派な墓でも作ってやろうか。まわりにたくさん花を植えてやる」 それはもちろん冗談のつもりだったが、ベロアは大きく口を開けて笑った。……その後には勿論咳き込んだのだが、それでも楽しそうに彼女はセイネリアの腕を何度か叩いた。 「いやぁよぉ、どぉんな偉い人間だったのかと思われちゃうじゃない」 「いいだろ、少なくとも俺から見ればこの国のどの貴族よりもあんたの方が立場は上だ。なにせ俺を笑って叩ける人間なんて、あんたと国王ともう一人しかいない」 彼女は目を丸くしたが、それでもすぐに目を細めて唇に笑みを浮かべた。 「もう一人がアンタの大切な人?」 「そうだ」 「そう……」 そのまま彼女は笑顔でセイネリアを暫く見つめて、それから、ふぅ、と一息つくと頭をまくらに預けて天井を見た。 「墓なんていいのよ、共同墓所で名もなき誰かの一人になるのが私らしいもの」 「そうか」 ただ彼女はセイネリアの返事を聞いて、顔だけをこちらに向けた。 「あぁでも、一度くらいは花を置きにきなさいよ。……あそこにはクーリカもいるから、アンタのその立派になった姿を見せてあげて」 クーリカは、セイネリアの最初の師でもある娼婦の名だ。頭のいい女で、セイネリアは彼女からたくさんの事を教えてもらった。彼女は騎士になってこの街に戻ってきた時には既に死んでいて、それを確かにセイネリアは悔いてはいたが……。 ――そうか、死んだあとの彼女に見せると考えた事はなかったな。 彼女が死んだと聞いた時にその発想はセイネリアの中になかった。そもそも墓がなかったから行く義理もないと思ったのもあるが、その頃のセイネリアには死者は死者としてもういない者という認識しかなかったというがのある。 死んだあとの人間に今の自分がどれだけ幸せであるか、それを恩のある人間に見せてやりたいなんて発想は当然、シーグルと共にある今だからだ。 「分かった。それは約束する」 セイネリアが微笑みと共にそう答えると、ベロアの笑みは更に深くなった。 --------------------------------------------- 彼女の名前は黒の主の方に出ています。こちらだけ読んでる方は、娼館にいたころセイネリアが世話になった娼婦、くらいに思って下さればいいです。 |