【4】 目つきの悪い黒髪の少年が、その体には少々多すぎる薪の束を抱えて歩いている。それ自体はすごいなと褒めてもいいくらいなのだが、なにせ彼の今の姿を知っているシーグルとしてはどうしても唇が笑みを作ってしまうのを止められない。今のセイネリアなら軽々と片手で表情一つ変える事なく運ぶだろうそれを、少年は必死な様子で持っている。震える腕とか、安定しない足取りとか、この少年がセイネリアだとは信じられないくらいだ。 『ったく、あんま無茶すんなって言ったろうがよ。落としたらやり直しになって逆に効率悪ィだろ』 『落とさなければいいだろ』 少年のその言葉に、師だろう男は顔を顰めた後に肩を竦める。やれやれ、と呆れながらもそれ以上止めないところをみると、少年が言う事を聞かずに無茶をするのはいつもの事なのだろう。 『お前、頭回るくせにたまにそういう頭悪い行動するよな。3分の2くらいの量にすりゃもっとさくさく歩けるし、回数増えても結果的に早く終わんだろうによ』 『力をつけるためには限界まで持ったほうがいい』 『はぁ……そういう事かい』 そんなやりとりには思わず笑い声まで漏らしてしまう。少年のセイネリアはとにかく力をつけたいようで、どんな仕事でも鍛錬だと思ってやっている感じだった。 ――まぁ、この時のセイネリアが強くなる事を一番に考えていたのなら、らしいといえばらしいのか。 当たり前の事なのだが、『あの』セイネリアにもやはり子供時代というのはあって、見てすぐにまだまだ未熟だと分かる頃があったのだ――というのを、今回シーグルは初めて実感したというか、納得したというか、すごくよく分かった。 確かにここにいた頃のセイネリアは、年齢の割には大人びていて、落ち着いていて、子供らしくない子供という表現がぴったりな少年ではあったのだが、それでも今のシーグルからみれば『ちょっと斜に構えた生意気な子供』くらいのものだ。 勿論、『年相応にシーグルよりも背の低いセイネリア』というだけで印象が全然違うのはあるが、薪割りをしている姿一つ見ても必死でがんばっている感があって微笑ましいし、師の狩人に力で敵わなくて悔しそうに睨んでいる姿は今と違って子供っぽさがある。年の割に落ち着いているとは言っても、興味がある事に関してはすぐに動きたくてうずうずしているのが見てる分かるところとか、本当にちゃんと子供らしい――とまでは言わないが、あえていうなら経験不足の若者らしさが見えて、そんなセイネリアの姿が新鮮過ぎて目からウロコが落ちまくっているような状況だ。 ――確かにあいつの言うところの、青臭い、という言葉通りだな。 自分を知ってもらうために過去を見せるのはいいとして、傍で一緒に見ていられないという気持ちは分かる。シーグルは敵意を示すため以外では、他人に対して嫌味を言ったり揶揄ったりというのはあまりしないが、もしセイネリアが傍にいたら黙って見ていられる自信はない。 『ガキの頃の青臭い自分の姿なぞ、恥ずかしくて見ていられないだろ』 昔のセイネリアの子供っぽさを見つけるたびに彼のその言葉を思い出してしまって、シーグルも我知らず唇がずっと緩んでいる状態だ。ちなみに今現在見ているのは、少年セイネリアが薪割りをしたあとバテて座り込んでいる姿で、師やその娘に揶揄われて不機嫌そうにぶすっとしているところだった。意地になって反論したりしないのはさすがに彼だが、分かり易く拗ねて乱暴に薪割りを再開してはふらついてる姿なんて今の彼からは想像がつかない。 シーグルからすれば『可愛い』といってしまえるくらいなのだが、キールの手前声には出さなかった。 「……とまぁ、ここはこんなところでいいでしょぉかねぇ」 キールが言って杖で地面を叩けば見えていた映像は消える。キールはこういう場面を見せておけとセイネリアから指定されている訳ではないらしく、ここでセイネリアが過ごしていた日常の姿をランダムに拾っては見せているようで、キリがいいところで一旦消しては次の場面を出すような感じの術の使い方をしていた。だからこれは、ここでセイネリアが何をしていたかを見せるというより、どんな風に過ごしていたか雰囲気を伝えるくらいのものなのだろう。 多分、ここで何が起こったとか、師との出会いや別れ等の詳しい事情についてはあとで教えてくれるつもりか……もしくはシーグルが質問して聞く、というのが彼の立てた予定と思われた。 とにかく、そういう事であるなら過去を見せる事でこちらに何かを打ち明ける――というセンは完全になしだろう。 「さぁぁってと、次行きますかぁねぇ」 言いながら、ちょっと疲れたように背伸びをした魔法使いを見て、シーグルは声を掛けた。 「立ちっぱなしはきついだろ、少し休憩してくれていいぞ」 すると彼はにぱっと嬉しそうに笑って、そぉですねぇ、というと切り株に座る。数えてはいなかったが、キールの能力でもう結構な場面を見せてもらっていた。いつものように目的の場面があって見せる場合は映像が動き始めたらあとはほぼ放置でいいようだが、こうして短い場面をいくつも見せる場合は切り替える度に手順を踏んでいるので結構忙しそうだった……座る暇がないくらいには。 「まぁ〜あれですねぇしかしぃ……あの男も子供の頃なんてのがあったんですねぇ」 座って一息ついたところで、唐突に魔法使いがそうしみじみと言ってくる。 「当たり前だろ、というところだが……言いたくなる気持ちは分かる」 言ってから軽く吹き出すようにシーグルが笑えば、キールも声を上げて笑う。 「子供の頃でもあいつらしいといえばあいつらしいんだが……でもなんというか……あの剣を手に入れる前だからか、楽しそうに見える」 彼と出会ったばかりの頃のシーグルは未熟すぎて彼の本性に気づけなかったが、演技をやめてからの彼は冷酷とか残虐だとかいうよりも底知れない闇を感じた。彼の感情は見せかけで、その実何も感じていないのだという暗闇、もしくは虚無――ずっと後に黒の剣が彼に与えた影響をすべて知って納得したが。 「そぉれを言ったら、今のあの男も楽しそ〜ですよぉ」 言われた事にシーグルは目を丸くする。けれどすぐに表情を緩めて、呆れ口調で返した。 「だろうな。というか、そうでないと俺がいる意味がない」 「そーぉですよねぇ」 言って二人でまた笑う。 ただ直後、シーグルはある事を思いついて口を噤んだ。それから、暫く考えてキールに聞いてみる。 「……今度……あいつの、剣を手に入れた直後の頃というのを見せてもらう事は出来るだろうか?」 「あぁ、それは難しいですねぇ」 困ったようでもなく即答でそう返されたから当然シーグルは、何故、と返した。 「あの剣の主になってからのあの男はですねぇ……強すぎる剣の魔力の影響で、私の術ではちゃぁんとした姿をお見せ出来ないんですよ〜。姿はぶれて全然分かりませんしぃ、声はぁ多少は聞き取れるのでその場面の流れだけを見たいならどーうにかはなるんですけどねぇ」 つまり彼の表情や発言、声の調子……その時の彼がどんな状態だったかを正確に見る事は出来ないという事だろう。 確かにそれならわざわざ見せてもらう意味はない。どうやらキールはどうしてシーグルがそんな事を言い出したのかをほぼわかっているらしい。 おそらくはセイネリアが一番苦しんだだろう時――剣の影響で自分が死ねない体になったのを知った時の彼の苦しみを知りたかった。だからその時の彼の様子を見せてもらおうと思ったのだ。あの男が取り乱す姿は想像出来なくても、そうなっても仕方ないだけの状況に彼がどうだったのか、それを知りたかった。知って、彼の辛さを理解したかった。 「すみませんが……」 言葉通り申し訳なさそうに言ってきた魔法使いに、シーグルは首を振る。 「いや、出来ないなら仕方ないし、それでよかったかもしれない」 ――あいつは見られたくないだろうしな。 だからシーグルも迷ったのだ。キールに彼が一番つらかっただろう時の姿を見せてもらおうと思いついて……だがセイネリアに聞けば絶対見られたくないと言うだろうし、そんな彼の姿を見たくないという思いも自分の中にあった。 そのせいもあって、それが不可能だと分かって正直安堵したとも言える。 ――きっと見ない方がいいという事なんだろうな。 「お前が謝る必要はない。あいつも見られたくなかっただろうしな」 「私はぁ……思うのですがシーグル様」 これで話は終わりだ、と言いかけたところでキールがこちらをじっと見て言ってきたから、シーグルの口は止まる。 「辛い事や苦しい事なんてのはですねぇ、その辛さがどれほどのものだったかなんてことは本人以外には絶対分からないのですよ。たとえどんなに親しい人間であってもです」 「それは……分かっている」 「はい、シーグル様ならそうでしょう。だから……無理に理解しようとしなくてもいいのです、ただ相手が辛かっただろうという事だけを分かってやって、望む時に手を差し伸べれば十分かと」 と、そこまで真剣な顔で言ってから、魔法使いの顔はにぱっと緩い笑顔になる。 「そぉれにですねぇ、あの男なら過去のことをうだうだ持ち出されても『それに何の意味がある』とか言うと思いますよぉ〜。重要なのは今とこれからであってぇ、過ぎた事を考えるだけ時間の無駄ぁああ……とか言いそうじゃないですか」 芝居がかったくらい大げさな言い方に、シーグルも思わず笑ってしまう。 「確かに、そうだな」 終わった事をぐだぐだ言っても意味はない、というのは確かにセイネリアが普段から言っている事ではある。もう過ぎた事はどうにも出来ないのだから、その事を考えるよりもこれからどうするかを考えるべきだと。 するとキールは軽く視線を落として、また落ち着いた声で言った。 「……まぁ黒の剣に関しては今も影響がある分過去の事とは言えませんが……それでも今のあの男にとっては『終わったこと』で済ませられるでしょう。なにせ、今がそれだけ幸せなのですから。人間どれだけ辛い事や苦しい事があってもですねぇ、今に満足しているのならあれは必要な事だったと思えるものですよぉ」 「だと……いいな」 キールの言う事はもっともだ。そして、今のセイネリアを見て、彼が幸せを感じているという事は疑いない。過去なんてものは所詮、辛い事も楽しい事もただの昔話として笑って話せるくらいでいいのだろう。シーグル自身はまだ、そこまで割り切れないが。 ――やはり俺は、考え方が後ろ向きなんだろうな。 過去のミスにとらわれて、未だに『こうしていれば』なんて後悔をしてしまうのだから、セイネリアから見れば腹立たしいには違いない。それでも、自分のミスによって起こった事、特にそれで命を落としたものの事を忘れてはいけないという思いがある。自分には完全に過去を過去としてただの記憶にする事はおそらく一生出来ないだろう。 だがおそらく――セイネリアはそんなシーグルを腹立たしく思いながらも、そういう部分もシーグルらしさであると認めてくれていると思う。 「ま、貴方としてはですねぇ〜こぉれだけ好き勝手に振り回されているんですからぁ、これ以上あの男に同情してやる必要なんかぁなぁぁいんですよ。むしろちょっとでも辛そうな顔をしーてたらでぇすねぇ、俺をこれだけ振り回して不幸そうな顔をするのは許さん、くらい言っておけばいいんですっ」 シーグルはそれに、また声を上げて笑った。 「確かに……それはいいかもな」 キールがそれで得意げに胸を張るから、更にシーグルは笑ってしまう。 ただ……そんな状況で森の方から人影が現れて、それがセイネリアだと分かった時にはあまりのタイミングの良さにシーグルは笑うよりも顔が引きつってしまったのだが。彼がそんな馬鹿なマネはしないと分かっていても、隠れてこちらの様子を見てたんじゃないかと思う程のいいタイミングにまた笑ってしまったのは仕方ない。 「おかえり」 そうして、どうにか笑いを収めて、無言で不機嫌そうに(こちらがやたらと笑っていたからだろう)やってきた彼に笑顔で声を掛ければ、少しだけ眉を寄せた彼は口を開いた。 「もう見るのはやめたのか?」 「キールが疲れたようだから休憩してもらっていた。だがもう十分みたからこれで終わりでも構わないぞ」 「そうか」 声に幾分かほっとしたような響きがあったから、シーグルは聞いてみる。 「お前も一緒に見る気があるならもう少し見たいと言えば見たいけどな」 それには明らかに不快そうに彼は顔を顰めた。 「見たくないからこの場にいなかったんだ、見る気なぞある訳がない」 「だろうな」 シーグルは今度は声を出して笑った。にやにやしていただけのキールも一緒に笑い声をあげる。セイネリアがここに来てほっとしていたのは、自分の若い頃の姿を見なくて済んだからだろう。 「そんなに昔の自分を見るのは嫌か?」 分かっていても聞いてしまうのは、彼のこんな気まずそうな顔が珍しいからだ。 「当たり前だ、自分だからこそむかつく」 「……まぁ、気持ちはわかるさ。俺も昔の自分を見たら恥ずかしくてたまらないだろうし」 「だろうから、俺も見たい時は一人で見てるんだ」 「え?」 思わず急いで彼の顔を見たシーグルに、セイネリアはにやりと笑う。それで言葉の意味を察したシーグルは今度はキールに顔を向けた。 「そりぁ〜この男に言われたら断れませんしねぇ」 キールが気まずそうに目をそらす辺り、こちらを揶揄うための冗談ではなく、本当にたまにセイネリアはシーグルの昔の姿を見せてもらっているのだろう。 ――今更、こいつに何を見られたところで、とは思うが……。 こちらが恥ずかしく思うような場面も、この男はただ喜んで見ているだけだろう――というのは予想出来る。少し困るのは、過去にシーグルに対して嫌がらせをしたり陥れようとした者がいた場面を彼が見たら、その人物に何かしらの制裁が与えられるかもしれない事……くらいだろう。 --------------------------------------------- 次回は帰った後の夜の話。2人だけになるので思い切りいちゃつきます。 |