お・ね・が・い




  【3】



 剣の鍛錬の時間が終わると、現在のシグネットの先生役であるエギック・レアは瞳を輝かせてシーグルに向き直った。

「それではまた、お時間のある時にはぜひ。次は出来れば貴方がどんな鍛錬をしているかなどお聞かせください」

 そう言ってこちらの手を握って上下にぶんぶんと振ると、彼は嬉しそうに去って行った。
 ファンレーンが推薦したとあって確かに彼は真面目で腕もなかなかの好青年ではあるのだが……文句の付けようはないのだが……なにせシーグルとしてはいかにも尊敬と憧れのまなざしという目で注目されすぎると居心地が悪い。一応シルバスピナを名乗っていた時代にこの手の目で見られるのは慣れているのだが、暫くはそういうのから離れていたのもあって気恥ずかしさ倍増であった。

 更に言うと、シーグルは今落ち込んでいた。

 あまりにも向うが褒めて持ち上げてくるためつい『師の教えですから』と答えてしまったら、今度は前シルバスピナ卿――アルスオード・シルバスピナがどれだけ素晴らしい人物だったかについてエギックが熱く語りだし、故人であるからか大袈裟すぎる賞賛の言葉の山にシーグルは全身がかゆくなるやらへんな汗が出てくるやらで逃げ出したい事態となった。
 しかも問題はそれだけでなく、それらの恥ずかしい言葉の数々に一々同意を求められてそれを肯定しなければならなかった事だ。レイリース・リッパーとしてはアルスオード・シルバスピナは師である訳だから弟子として師を褒めない訳にはいかない。というか一般的に、尊敬する師については弟子は多少大袈裟なくらいに褒め捲るのは当然の事とされていた。だから同意だけではなく、師に関する(褒めるための)エピソードを求められる事もあって、早い話がシーグルは自分で自分を褒めるための話をでっちあげて賞賛の言葉を言わなくてはならないという事態になったのだ。

 シーグルの性格上、それはとてつもなく恥ずかしくて拷問のような時間だった。皆はレイリースの正体を知らないから気にならないだろうが、シーグルとしては自分で自分を褒める事はとてつもない自己嫌悪を生んで尋常でない精神的ダメージを受けていた。

「しょーぐーん」

 そこでシグネットのその声にシーグルははっと頭を切り替える。見ればシグネットが手を振る先にはセイネリアがいて、その彼の横ではウィアが手を振っていた。

――何故ウィアが?

 授業終わりにウィアがやってくる事自体は別におかしくないのだが、セイネリアと一緒に歩いてくるのには違和感がある。しかも仲良く(?)一緒に歩いてくるのをみれば、シーグルの頭の中が疑問符でいっぱいになるのも仕方ない事だった。

「シグネット、いくら嬉しいからってすぐ抱き着くのはいい加減やめろよ。いつまでもガキじゃねーんだし、まずはちゃんと王様らしく挨拶してからだろ」

 喜んでセイネリアに向かっていったシグネットの前にウィアが立ちふさがってそう言えば、シグネットは足で急ブレーキをかけてからウィアに言う。

「はぁい。でもウィア、見られてもだいじょうぶな人だけならいいよね?」

 ね、といかにも子供らしく甘えた声で言ったシグネットを、ウィアは腕を組んだまま仁王立ちしてちらと見る。ちなみにその後ろではセイネリアが笑っていた。

「んー、60点」

 シーグルは何の事か分からなくてちょっと思考が停止した。

「今の場合はもうちょっと『僕が悪かった』って反省っぽく言わないと、ただの甘え慣れたガキに見えて好感度マイナスだな!」

 ……いや本気で何をいっているのかわからない、とシーグルの頭の中がまたもや疑問符だらけになる。セイネリアはやはり笑っていた。

「いいかシグネット、『甘え道』的にお前はまだまだだっ」

 さすがにシーグルはちょっと頭を押さえた。ウィアは本当に何を言っているのだろう。

「んー……分かったよ」

 ちょっと拗ねた声で答えるシグネットのその言葉が聞こえたと思ったら、すぐに追いついたメルセンの声が飛んだ。

「ウィア様っ、これ以上陛下が甘え上手になる必要はありませんっ」
「いやいや、メルセンこれは重要な事だぞ、相手も自分も最大限気持ちよくなれる人心掌握術、それが『甘え道』だっ!!!」

 ウィアが拳を握りしめて力説すれば、シグネットが拍手してメルセンが脱力する。シーグルもメルセンの気持ちがとても良く分かった。
 だがそこで、腰に手を当ててふんぞりかえるウィアの頭が上から大きな手で押さえつけられた。勿論その手はセイネリアのものだ。

「甘え方を教えるのも悪くはないがもう十分だな」
「うわうわうわぁう」

 更にそこから頭をガシガしかき回されてウィアが慌てる。それをシグネットが笑っている。

「お前の言うところの『甘え道』的にはまだまだでも、シグネットの容姿ならそれを補って釣りがくるだろ、違うか?」

 そうすればウィアも、うぅ、と唸りならが反論を止めた。
 更にセイネリアは追い打ちをかけるように言う。

「あとお前はそろそろその『甘え道』を卒業しろ。いい歳の大人ならな」

 るっせ、とウィアは小さく呟いたものの、シグネットが手を叩いて大喜びしてメルセンとアルヴァンまでもが吹き出せば、ウィアは唇を尖らせて完全に黙った。

 しかもそうしてからセイネリアは顔を上げてこちらを見てきて、シーグルは何故だか背筋にぞくっとしたものを感じてしまった。






 馬車に乗れば、途端に抱き寄せられるのはいつも通りのことだ。
 シーグルも覚悟はしていたから、セイネリアにされるがまま抱き寄せられて兜を取られてキスをされる……までは大人しくしていた。ただそこで止めないとなし崩し的に最後までヤられるので、そこで彼の顔を押さえてストップをかけた。

「馬車ではキスまでという約束だろ」

 言われなかったら無視する気だったのが分かる男は、そこで軽く吐息だけで笑う。それから額と両頬と目元と鼻に触れるだけのキスをしてから顔を離した。

「分かってるさ」

 その顔と声の口調にシーグルは少しだけ驚いた。どうも彼は今機嫌がいいらしい。

「機嫌がいいのか?」

 思わず聞けば彼は嬉しそうに、まぁな、と答える。なんだか不気味だ、嫌な予感がする。シーグルは警戒してセイネリアを見てみたが、駆け引き上手な彼の企みなど見透かせるわけもなかった。

 セイネリアが機嫌がいいのにシーグルが驚いたのには理由がある。実はシーグルは今回の件でセイネリアは機嫌を悪くしだろうと思っていたのだ。というのもシグネットの剣の授業中、先生であるエギックが怖がるからお前は来るなと言ったのはシーグルで、それでレイリース・リッパー一人だけだと思ったエギックが嬉しそうに話しかけてきて、ぜひ剣技のお手本を見せて欲しいと頼み込まれて付き合う事になった……という流れだったのだ。

 だからシーグルは、セイネリアに来るなと言ったのをちょっと後悔していたし、きっと彼はそれで機嫌が悪いだろうから謝らなくてはならないと思っていたのだが。

「……俺が来るなと言ったせいでお前を暫く一人にすることになったから……お前は不機嫌でいると思ってた」

 正直にそう言ってみれば、彼はにやっと嫌な予感のする笑みを浮かべた。

「まぁ確かに、あの時は少しばかりムカついてた」

 言ってからセイネリアは、唇の笑みはそのままで顔を近づけてくる。

「だがいい事を思いついたからな、それで許してやることにした」

 セイネリアの笑顔が怖い。とてつもなく嫌な予感がする。これはほぼ確信で、彼は何か企んでいる、間違いない。

「俺は常々、お前はもう少し俺に甘えてくれてもいいと思っていたんだがな」

 更に顔を近づけられてシーグルは顔を引こうとする、が、彼の腕でがっちり抱き込まれているから逃げられない。セイネリアの顔はますます近くなっていて、その息遣いさえわかるくらいだ。

「だからシーグル、今日は謝る代わりに少し甘えてみせてみろ。何、上手い甘え方が分からないお前のために、具体的なやり方はあの『甘え道』を語るガキ神官から聞いてある」

 やっぱり、シーグルの嫌な予感は当たっていたらしかった。




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 多分次回……かその次で終わり。
 



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