お・ね・が・い




  【4】



「何故俺が……」

 とシーグルが呟いたから、セイネリアはわざと笑顔で言ってやる。

「それで俺の機嫌が良くなるなら安いものだろ?」
「今お前、機嫌悪くないだろ!」
「……お前が甘えてくれないなら、悪くなるぞ」

 なんだそれは、と思いきり睨みつけてくるシーグルだが、真面目過ぎる彼は自分に負い目が少しでもあると強くはでられない。

「愛する人に邪険にされ、一人で寂しくお前を待つ事になった俺は傷ついたんだ」

 芝居がかった言い方で悲しそうに言ってやれば、シーグルは恥ずかしそうに顔を赤くして手で押さえていた。

「……よく恥ずかし気もなくそんな事が言えるな。聞いているこっちの方が恥ずかしい」
「別に嘘は言っていない。お前に来るなと言われたのも一人で待ってたのも俺は嫌だったし、お前を愛してるのも本当だろ?」

 言ってまた体を引き寄せれば、慌てて彼が逃げようとする。ただ睨むその目はやはり先程よりも幾分か弱い。こちらの意図なんて分かっているくせに、負い目があると拒絶が弱くなるあたりは彼は甘い。そう、自分に甘くないから甘えられないくせに、他人には甘いのだから困ったものだ。
 彼の甘さは嫌いではないが、そうそう他人に向けられては困るのでわざと痛い目を見せている……というのも建前上ある訳だが……と思ってセイネリアは唇の笑みを深くする。

「これでも……俺は、お前には甘えている、ぞ」

 シーグルが相当言い辛そうに視線を逸らしてそう、言った。
 確かにそれは間違ってない――というのも実はセイネリアも分かっている。他人に気を使い過ぎる彼が、こうして思った事を感情のまま吐き出すのはセイネリアへの甘えではある。それは十分わかっているし、だからこそこうして彼を怒らせて言い合いをするのを楽しんでもいるが、たまには全面的に頼られて『甘えて』もらいたいとも思うのだ。というか、プライドが高くて甘える事が出来ない彼が、自分にだけプライドを捨てて甘えるというのがみたいというのが本音だ。

「そうだな、だが俺的にはまだものたりない」
「贅沢を言うな」

 またシーグルが睨んでくる。

「そんなに嫌か?」

 聞き返せば、彼は目をやはり泳がせてこちらを見ずに呟く。

「……嫌だろ……子供じゃあるまいし」

 セイネリアがそれにすかさず言う。

「なら、嫌なら嫌で俺にそれだけはやめて欲しいと言え、勿論ちゃんと俺の顔を見てだ」

 シーグルは少し考え込んだ。だが、こちらの本当の意図は分かっていないだろう。
 そうして暫くしてから、彼は軽く引き寄せられた体勢のまま顔を上げてこちらを見ると、少し恥ずかしそうに言ってきた。

「お前を一人にしたのは悪かった。だがあまり……その、甘えるとかは苦手なので、それは諦めてくれないか? セイネリア」

 その彼を見た途端、セイネリアの口元が笑うというより嬉しさで緩む。
 塔でいろいろ話していた時、あのガキ神官は言っていたのだ。

『甘え道的にはだ、こう、ちょっと恥ずかしいというかためらうような感じで上目遣いで相手を見上げて、お・ね・が・いっていうのが、やっぱ基本の甘えポーズなっ』

 セイネリアの方が背が高いのだから当然シーグルは今思いきり上目遣いになっている訳で、しかも顔をちょっと赤くして恥ずかしそうでもある。それで自分にお願いの言葉を言っているのだから、今の彼の姿はあの神官の言った通りの甘えポーズといっても間違いではないだろう。

 思わずセイネリアが声を出して笑いだせば、シーグルは目を丸くして困惑する。

「おい、何がそんなにおかしいんだ?」

 勿論、わざわざ教えてなどやらない。

「おいセイネリアっ」

 返事の代わりにずっと笑っていれば、シーグルが本気で怒り出す。だがその反応さえもがただ嬉しくて愛しいだけで、セイネリアはシーグルを抱きしめてまた顔中にキスをした。

「馬鹿っ、何やってるんだ、おいっ、よせっ」

 暫くはそれでシーグルの怒声や悲鳴が馬車の中に響いていたが、将軍府に付く頃には静かになる。それもまた、いつもの事だった。






 その夜、ウィアはフェゼントに今日の出来事を話していた。
 勿論、ウィアの事であるから話に多少の誇張が入ってはいたのだが。

「『あとお前はそろそろその甘え道を卒業しろ。いい歳の大人ならな』だってさ」
「それは当然です」

 ウィアの不満そうなその言葉に、フェゼントが呆れたようにため息をつく。だがそこでウィアはにっと笑うとフェゼントに聞いてみた。勿論、甘える時のお約束のポーズで。

「でもさ、フェズへの限定なら構わないよな?」

 それにクスリと笑ってしまってから、フェゼントが答える。

「えぇ、私だけにならいいですよ。ただ外ではやめましょう、大人なんですから」

 ウィアはぴとりとフェゼントにくっついた。

「うんうん、まぁ俺も流石にこの歳ではちょっと痛いなーってのは分かってるよ」
「本当ですか?」
「うん、それにまー……『甘え道』的に弟子には勝てないしなぁ」
「弟子?」

 不思議そうに聞き返すフェゼントに、ウィアはまたちょっと含みのありそうな笑みで言う。

「いやさ、護衛官の……えーと、シェルサだったかな、競技会出てた奴な。そいつにさ、夕食の迎えの時、レイリースの事話したら『お時間があれば私も手合わせをお願いしたかった』って言ってたんだよ。そしたらシグネットが目ぇキラキラさせて『その時は見たいから絶対に教えてね、絶対ねっ』って言ってさ、勿論シェルサってのは感激して必ずって跪いてた訳だけどさ。いやもうね、やっぱりあれ見たら甘える事に関しちゃ子供には敵わねーって思ったわ。しかもシグネットの容姿じゃ破壊力100倍のシーグルの元部下連中補正も入ったら更に数倍に跳ね上がるからなぁ」

 フェゼントが『ウィア……』と疲れたように呟いたのは、またついシグネットの事をそのまま名前で呼んでしまったからだろう。ただなんだか脱力したというか呆れかえっているフェゼントは、もうそこにわざわざ注意する気にはならなかったらしい。
 彼はため息をまたついてから、仕方なさそうに言ってきた。

「当然です。陛下の歳と立場での可愛らしい『お願い』に大人が勝てる筈ないでしょう」
「まぁそりゃそうだけどさぁ、子供の中でも立場とあの容姿からすると、現状この国では『甘え道』的に最強じゃないかなと」
「『甘え道』ですか……」

 フェゼントはまた呆れて苦笑したが、そこから普通に笑顔になって、ぴたりとくっついていたウィアの頭を撫でてくれた。

「確かに、今の陛下の甘えた『お願い』は最強ですね。特に相手がシーグルを知っている人間になら効果が絶大な事は間違いありません」
「だよなぁ、更に言うとシーグルがさ、いつもキリっとしてて甘えた顔なんかしなかったから、似てる顔でやられるとそのギャップもポイント高いよな」
「それは確かに、そうですね」

 クスクスと笑うフェゼントにウィアも満面の笑みを浮かべる。今はこうしてシーグルの話題をふっても、フェゼントは笑えるようになっていた。

「あぁ、でもさ、フェズなら見たんだろ?」
「何をです?」

 キョトンとした顔で見てくる大好きな人に、ウィアはにんまりと笑ってみせた。

「シーグルの子供の時の甘えた顔さ、お願いって感じの、フェズなら見た事あるんだろ?」

 フェゼントの顔が優し気に緩む。空色の瞳を細めて幸せそうに微笑む顔は、我が恋人ながら見とれる程綺麗だとウィアは思った。

「えぇ、それは当然ありますよ。でも彼のお願いは甘えるというより……いつも必死に訴える感じでした」
「へぇ……」
「大抵は私が寂しそうにしている時に、母に『兄さんもっ』てお願いしてくれる時でしたから」

 あぁ……と呟いてから、ウィアは黙った。それは、暫くは昔を思い出しているフェゼントの邪魔をしない方がいいと思ったのと、その時の彼の顔がとても幸せそうでいつまでも見ていたかったからだ。
 ただじっと見ていたら、急にフェゼントは思い出したようにふふっと笑ってウィアを見た。

「そういえば、彼が甘えたようにお願いをしてきた事があったのを思い出しました」
「え? マジ?」

 フェゼントはそれにまたふふっと手で軽く口を押さえて笑ってから言ってきた。

「ある外の風が強かった時に、手を握って寝ていい? って不安そうに言われた事があるんです」

 それを聞いて、一呼吸置いてから、ウィアは声を上げた。

「うわー、あのシーグルがかぁ、そら可愛いかったんだろうなぁ」
「えぇ、普段は勝気な少年でしたから、とても可愛らしかったです」

 二人してくすくす笑いながら、その夜ウィアはフェゼントと幼い頃の話をたくさんした。そうしてベッドに入る時は、手を繋いで寝る事にした。






 将軍府におけるシーグルの部屋は、この並びにある他の部屋に比べて寝室が大きい。……にも関わらず、ベッドが規格外に大きいから広くは感じない。

「大の男2人で寝て余裕があるサイズとなればこの大きさは当然だろ」

 セイネリアが楽しそうに言っているのを、シーグルはため息で返す。呆れているの半分、疲れてへたに何か言い返す気力もないのが半分というところだ。

「それにお前はデカイベッドに寝るのは慣れてるだろ。お前の部屋のベッドはこのサイズに天蓋までついてる筈だ」
「それは、そうだが……」

 そもそもこんな話になったのは、シーグルがこの部屋のベッドがあからさま過ぎると言ったせいだったりする。どう見てもアウドやエルの部屋と比べて違い過ぎるベッドのサイズでお前の意図が分かり過ぎる、と言ったら、このサイズのベッドがあるのは将軍の寝室とここだけだから当然だ、と返された訳である。

「それにお前、あのベッドにガキの頃から寝てるんだろ? 体感だと今寝てるベッドの倍以上の広さに感じたんじゃないか?」

 確かにそれは間違ってはいない。シーグルは返事の代わりにため息をついた。

「今はこのデカイベッドでも広いとは思わないだろ?」

 その言い方にはちょっとムっときたから、シーグルは彼に言ってやる。

「当たり前だ、態度も体もデカイお前がいる時点でこれでも狭く感じるくらいだ」

 セイネリアは笑っている。
 シーグルは彼に背を向けた。
 そうすれば後ろから抱きしめられて、彼はこちらの頭にまた顔を埋めながら言ってきた。

「だから、寂しいと思う事もないだろ?」

 それにシーグルはそのまま黙った。そうだ、と返してやるのが癪だっただけだが、こちらが反論も拒絶もしなかったからか、セイネリアが満足そうに笑ったのが気配で分かった。




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 ってことでこのお話は終わりです。ウィアの話でラストにするつもりが、最後にちょこっと二人を書きたくなって結局こっちの二人のいちゃ終わりになりました。
 



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