少年王シグネットと振り回される面々のお話 【3】 ――このまま何事もなく無事終って帰れますように。 城を抜け出してから戻るまでメルセンが毎回祈っているのはただそれだけだ。一応今のところ毎回毎回『何事もなく』とは言い難くても『無事』な部分だけは叶っているから祈るのが無駄だとは思わないでいる。メルセンの神は父と同じ地方民族の神で三十月信教ではないから術は使えないし、主の少年王はそもそも同じ神ではないから祈って助けてもらえるかは分からないが、人間どうにもならない『運』が左右する状況においては自然と祈ってしまうものである。 とりあえず露店街での寄り道による時間ロスは想定内で、どうにかちゃんと事務局には着いた。子供の主は目的が目の前にあればまずはそちらに頭が行くから、事務局まで来てしまえば早く伝言を使ったみたくてわき目も振らずに受付へと向かう。まぁそれもここに来たのが2度目というのもあるのだろうが。 伝言を送る事自体は、すんなりと、特に問題もなく終わった。 2枚のペイル紙の一枚に伝えたい相手の名前と冒険者登録番号、それからもう一枚に伝言を記入して受付に渡せばそれで伝言の手続きは終了である。あとは事務局側で伝言を魔法球に送って、送信先の相手の冒険者支援石に知らせてくれる。送信先の方を複数書けば同じ伝言を複数人に送ってくれるし、パーティー登録していればパーティ番号だけで全員宛てに送ってくれる。 ちなみにシグネットが冒険者登録時に見たいと言った事でその伝言を送る魔法球をメルセンも見る事が出来たのだが、あの将軍様の背くらいの直径の透明な球が宙に浮かんでいて、その中をチカチカと小さな光がぐるぐる回っていた。シグネットが興奮して、しきりに『綺麗ー』と騒いでいたが、確かに綺麗だったとメルセンも思う。 「渡したらすぐ連絡が行くんだよね♪」 とにかくさっさと帰りたいメルセンは、終わった途端、シグネットの手を持って事務局の外に出た。だがまだ油断は出来ない。なにせ目的が終わった後は気が緩んで、シグネットの興味があちこちに向いて余計な寄り道をする可能性があるからだ。 「すぐとは言っても半日〜一日程掛かるそうです。それにそもそもですが本人が受け取りに来られないと伝言は伝わりません」 事務局は外に出ても人が多い。なにせここは冒険者が仕事へ向かう待ち合わせ場所としてもよく使われていて、勿論冒険者目当ての露店も多かった。 「んー、じゃぁ見たの分かるのもう少し後かぁ」 「ですね」 どうやらシグネットは数人に全部違う伝言を送ったらしく、書くのに思った以上に時間が掛かっているなとは思っていた。勿論メルセンは周囲に気を配りつつもシグネットの書いている内容や宛名を見ないようにしていたから小さな主が何処へ何を送ったのかは分からない。 ……の、だが。 「メルーにも送ったから後で見に行くようにね!」 とびきり可愛いらしい顔に満面の笑みを作ってそう言われれば、メルセンは思わずそれに見とれた。 「あ……はい、ありがとうございます」 反射的にそう答えてから『いや別にわざわざ伝言まで使わなくても』とも思ったが、シグネットがいろいろな人に伝言を出してみたかっただけだろうと野暮な小言は飲み込む事にした。それにそもそも嬉しい事は確かであったし。 とはいえそういう時に限って、それで済まなかったりする。 「アルにも送ったからね!」 「はい、わっかりました。……でも別にわざわざ送らなくても今言ってくれれば……」 シグネットの顔がちょっと拗ねたように崩れる。 メルセンは立ち止まって弟の耳を掴んだ。アルヴァンは歩いていたままだから当然その耳が引っ張られる事になる。 「いててっ、兄さん何すんだよっ」 「こういう時は素直に喜んでおけばいいんだ」 小声で呟いてから耳から手を離す。まったくアルヴァンは普段は大雑把で細かい事は気にしないのに、気にした時は考えなしで発言するから困る。 「とりあえず、用事が終ったら早く帰りましょう」 気を取り直して笑ってシグネットにそう言ったメルセンだったが、小さな王はなんだか違う方を見ていてこちらのやりとり自体を見ていなかったらしい。 メルセンは直感的にマズイと感じた。 嫌な予感がしまくりつつもシグネットが見ている方を見れば、なんだか揉めてそうなパーティが見えた。さほど大声でやりとりをしていないから皆から注目されてはいないが、どうやらリパ神官とパーティリーダーらしき者の間で問題があったらしく言い合っている。 「あの……詩人、どうかしましたか?」 とりあえずそう声を掛けてみれば、シグネットはそちらをみたまま呟く。 「んー、あの神官様困ってるみたいだよ?」 そんなの貴方が気にする事じゃないです彼等の事は彼等で勝手に解決させればいいんです!……と怒鳴るのは頭の中だけで留めて、メルセンは引きつった笑顔でどうにか言う。 「パーティ内で揉めるなんて珍しくないです。他人が口を出す事ではありませんよ」 「んーでもさ、なんだか神官様は仕事が今日とは思わなかったみたいで、今は神殿からのお使い中だからだめだってさ」 「……どうしてそこまで分かったんですか」 「口の動き見てれば大体分かるよ」 メルセンはまた頭が痛くなった、この方はいつの間にそんな厄介な技能を身につけられたのだろう、と。 「…………どうやってそんなのを覚えられたのですか?」 「将軍にね、ちょぉっと……」 「あぁはい、分かりました」 あの将軍なら何が出来ても不思議はないが、そりゃ他の連中がこそこそ話してても動じない訳だ――などと思いつつ、この小悪魔でもある王様がそんな事出来るのはまた厄介だとメルセンは更に頭痛がしてきた。 そこで頭を思わず押さえたら、シグネットがとことこそちらに歩いて行ってメルセンは青ざめる。 『陛下っ』 ……という声は心だけで叫んで、メルセンは急いでシグネットを追う。だが人混みの中をするすると避けて歩くのは小さなシグネットの方が有利でメルセンは間に合わなかった。 「神官様っ、困ってるんですかっ?」 止めるより早くシグネットがそう言ってしまえばもう手遅れで、メルセンは追いついたものの敗北感に苛まれる。 「まぁ……ちょっとね、僕が悪いんだけどトラブルがあって」 神官側もいかつい冒険者ではなく相手が子供だったのもあって、警戒せず少しかがんでシグネットにそう言った。少なくともこの神官自体はマトモに信用出来そうな人物ではあるか、とメルセンは思う。 「どうしたの?」 更にシグネットが言うと神官はどうしようかというように視線をさ迷わせていて、だからそのタイミングでメルセンは話に入った。 「申し訳ありません、ツレが失礼しました」 言って頭を下げれば神官は幾分かほっとした顔をしたが、仲間らしき連中の方がこの小さな吟遊詩人の保護者としてこちらを認識したのかメルセンに言ってきた。 「いや別に失礼じゃねぇよ。ただ困ってたのも確かでな」 これは『どうしたんですか』と聞き返してこいという事だとは思ったが、余計な事に首を突っ込みたくないメルセンとしてはそれにノる気はなかった。 「……そうなんですか」 言いつつそっとシグネットのマントを引っ張って、さっさとここを離れようと意思表示する。 「実はな、仕事が今日出発だって伝言をこの神官様が今になって見てくれたわけでな」 「だってこの間の話だと、もう少し先になりそうだって言ってたじゃないですか」 「急に決まったんだよ。だからって伝言送ってから3日も放置するなんて思わないだろうがっ」 こっちとしては事情の説明をしてもらう気はなかったのに、勝手に説明しだした上に目の前で揉めだした連中にメルセンは微妙にイラっとする。 「3日前じゃ急過ぎでしょう。というかこちらから了承の確認を取ってから決めてください」 「だから仕事の了承は取っといただろ、出発が早くなっただけで……」 「返事がなかった段階で伝わってないのか疑ってください」 嫌々ながらもとりあえず事情は分かったが、これはこちらでどうこう出来る話じゃないだろうとメルセンは思う。言い合っている間にさっさとこの場を抜けようとしたメルセンだったが、思わぬところで話がこちらに向いてしまった。 「ともかく、今はお使いの最中なんです、先に神殿に荷物届けてからでないと行けません」 「それまで待ってたら船が出ちまう。次の船を待つと5日後だぞ、だから今回急に早くなったんだし……」 あ、まずいな、と思った時にはパーティーリーダーらしき男の顔がこちらを見ている。メルセンはシグネットのマントをまた引っ張ったが主である今は吟遊詩人の少年は動いてくれなかった。 「なぁドナット、丁度いいじゃないか、荷物持っていって貰うだけだろ? そいつらにちょっと頼めよ」 やっぱりこうきたかと思った時には、既に時遅しと言ったところで。 「荷物を届ければいいだけ?」 乗り気なシグネットがそう言ってしまえばもう引き返せない。 「そう、荷物を届けるだけ。じゃぁ決まりだ、どうせお前準備なんかすぐ出来るし問題ないだろ? ついでに神殿に事情も伝えてもらえばいいじゃないか」 勝手に決めるなこのやろうとは思ったが、神殿というのは恐らくリパの大神殿だろうし荷物を届けるだけなら仕方ないか……と嫌々ながらもメルセンは諦めかけて溜息をついた。だがそこで神官がこちらを不安そうに振り向いた。 「ん−……でも、やっぱり知人でもない人間にそう簡単に頼めないよ」 その目がいかにも疑うような感じで自分とシグネットを一瞥した事で、メルセンの苛立ち目盛りが一気に限界を越えた。 「それはこちらを信用出来ないという事だろうか」 メルセンはシグネットを庇うように一歩前に出て、神官の前に立つ。背筋を正して、相手の目をじっと見据える。 前言撤回、この神官は信用出来る人物とは言い難い、なにせ剣士に見える自分はともかくこんな純真そうな子供(シグネット様)を疑うなんておかしい――とメルセンは思ったが、そもそも疑われている原因が的外れである事を分かっていなかった。 「あ……す、すみません。そうではなく、荷物も結構ありますし、子供だけでは大変だし危険かなと思っただけです」 「大丈夫だろ、そのちびっこはともかく、そっちの兄ちゃんはかなりデキそうだ」 にかっと笑顔を向けられてからパーティーリーダーらしき男にウインクされて、メルセンは我に返って後悔した。 --------------------------------------------- 次回は多分セイネリアから、かな。 |