少年王シグネットと振り回される面々のお話 【9】 時間はメルセンがシグネットと会う少し前、将軍府の執務室ではいつも通りといえばいつも通りの将軍とその側近の言い合いが行われていた。 「シグネットに危険があるならそんな悠長に構えてる場合じゃないだろっ」 セイネリアから状況を聞いたシーグルは、本気で怒る声でそう言った。 「何だ、お前は意外に過保護な父親だったんだな」 「そういう問題じゃない、あいつの立場として何かあったら大問題だろ」 「いつも俺に甘やかすなと怒るのに、やはり息子が可愛いのか」 「茶化すな、セイネリアっ」 これはもう揶揄っているというより怒らせていると思っていいのではないかという態度のセイネリアに更に声が荒くなるのは仕方ない。セイネリアは楽しそうに笑っていたが、さすがにそこまで怒ればあっさり謝る。 「すまん、少し遊び過ぎた」 「遊んでる場合かっ」 シーグルだって、これがまんまと乗せられてセイネリアの思う通りの反応をしているという自覚はあった。それに彼がこれだけのんびり構えているからには万全の体制で対応できるようにしているからだとも分かっている。 分かっているが……シグネットの立場を考えたら万が一もあってはならないし、そもそもそれで楽しそうにしているこの男に腹が立つ。 「何、大丈夫だ。シグネットはソフィアが監視しているから、もし何かありそうならすぐに連れ戻しに行くさ。ただどうやらシグネットは攫った連中をうまく丸め込んだらしくてな、拘束も解かれて仲良くしているらしいぞ」 セイネリアの余裕のありすぎる態度にはムカつくが、彼が返してきた言葉は予想通りで……と思ったら最後の言葉にはシーグルの頭に疑問符が浮かんだ。 「……仲……良く?」 セイネリアはククっと喉を震わせて笑う。それはそれはムカつく程楽しそうに。 「あいつはお前と違って要領がいいからな」 そこは分かっている。シグネットは幼い頃からウィアを見ていたから性格はかなり彼に似ている。明るく楽天的で要領が良く甘え上手で――それはシーグル自身がそうであって欲しいと思った通りでもある。 「あと自分が強くない事を分かっているから、口で解決しようとする」 だがその言葉がまたシーグルの感情を逆立てた。 「どうせ俺はいつも部下達に、いくら腕に自信があっても自ら戦おうとしないでくれ、と言われていたさ」 実際に騎士団時代によく言われていた言葉だが、実はこうして外から彼等を見るようになってそれが相当部下達を困らせていたらしいというのにシーグルは気付いたというのがある。なにせ剣を振ってがんばるシグネットを見る度に、かつての部下達はそれを微笑ましく見てはいても強くなりすぎないでいいからと何度も言って、更にその度に自分の事を例に出されて溜息をつかれるのだ。 「そうだな、俺としても自信があるからといってへたにお前には矢面に立ってもらいたくないんだが……だが困った事に俺は強いお前がいいんだ、お前には強くいてもらいたい」 それを嬉しそうにこちらの顔を見て言われればシーグルも怒りの持って行き様がなくなる。おまけにこちらがそれで黙ったら、セイネリアは目の前にやってきて体をそっと引き寄せようとしてくるのだ。 「茶化したのは謝る、機嫌を直してくれ」 それを自分以外にはまず出さないような本当に困ったという声で言ってくるのだから狡い。だからそれが彼の計算通りだと分かっていても、シーグルも怒りを収めるしかなくなるのだ。 こちらが抵抗をしないと分かれば、彼の手に力が入ってこちらの体を完全に引き寄せてほぼ抱きしめられるような体勢になる。 ただ抱きしめてから、セイネリアは不満そうな溜息をついた。その理由が分かったから、今度はシーグルが笑いだした。 「残念だったな、これから出かけるからキスは帰るまでお預けだ」 「少しくらいなら外してもいいだろ」 「だめだ、いつキールが帰って来るか分からないだろ」 彼は今現地へ行っていて、こちらを呼ぶタイミングでこの部屋に帰って来て転送で連れて行ってくれる事になっていた。 セイネリアは舌打ちした。彼はこういう時にはこらえ性がない。 「キスする時間くらいはあるだろ」 「だめだ、お前のキスは長すぎる、我慢しろ」 まだ諦めない彼に笑って言えば今度は実力行使とばかりに彼はこちらの兜に手を掛けてくる。シーグルは慌てて兜を押さえたが彼の手からはすぐに力が抜けた。 「さぁって、いいでしょーかぁ……って何やってるんですかぁ?」 キールの声にセイネリアは何も言わず兜から手を放した。ついでにこちらの腰を抱いていた手も放してくれたから、シーグルは笑いながらキールに向き直った。 「準備は出来てる、いこうか」 キールはいろいろ察したようだが、にこりと笑顔でこちらを見てきた。 「はぁい、シーグル様。えーと、将軍様もよぉろしいですかぁ?」 そうすればセイネリアもまた仕方ないというように軽く息をついて、それからこちらの肩を抱き寄せて魔法使いに言った。 「あぁ、すぐ送ってくれ」 そうしてすぐ、キールは転送してくれた。 ただ彼の転送はポイント移動だから現場に直接行くのではなく、着いた先ではソフィアが待っていた。 「ここからは私が」 「はいはい、ボトンタァ〜ッチという奴ですねぇ」 手をひらひらとさせて見送るキールはここで待っていてもらう事になっている。彼にはコトが終わった後、皆揃って城に送り届けてもらう役目があるからだ。 そうして今度はソフィアに転送してもらった訳だが、着いた先は薄暗い廃屋といった部屋の中で、シーグルは本当にこの場所でいいのか不安になって思わず『着いたのか?』と彼女に聞いてしまった。 「はい、ですがお静かに」 それでシーグルは気を引き締めて周囲に注意を意識を向けた。 「こちらです」 ソフィアがそういって窓の横に身を隠しながら外をさしたから、シーグルもまた彼女の反対側の窓脇に行って外を見た。 外は路地中の広場となっている場所で、そこではメルセンとアルヴァンの傍にシグネットがいて特に問題もなく楽しそうに話している。その姿に思わずほっとしたシーグルだったが、すぐに周囲の不穏な空気も感じとった。 「結構いるな」 頭の上からセイネリアが言ってくる。 彼はこちらの背にぴったり体をつけて、片手で抱き寄せながら外を見ている。まったくこの男は……と思うシーグルだったが、ここで文句を言っているとキリがないのでそこはあえて黙る事にした。 「向かいの家の中に2人、あの建物の影に2人、向うのボロボロの家にも2人、向うの先にも分散して6人いる。更に向うと向うの建物の上にも1人づつ、弓がいるな」 「そんなにいるのか?」 「随分な大所帯だな。ただ雑魚だからこそ人数を集めたような連中だろ」 人数に思わず顔を顰めたシーグルだったが、確かに見える連中の感じからすれば雑魚そうだというのは分かる。 「助ける役目は今回はお前に譲ってやる、俺は援護するから好き暴れてこい」 いいながらセイネリアは体を離すと、肩に掛けていた弓を持って準備を始めた。 「大丈夫です、確かに人数はいますが強そうな人はいません」 ソフィアまでそう言ってくるからシーグルは仕方なく覚悟を決める。 メルセン達はまだ気付いていないようだった。だが帰ろうとしたところで、隠れていた男達が出てくる。攫った連中の仲間の男が真っ先に斬られて、それでメルセンも気が付いた。 ――前の2人を突っ切って逃げるか、いい判断ではある。 彼等が逃げられるのなら逃げきってから出て行ったほうがいいかと思ったシーグルだったが、先に逃げたアルヴァンとシグネットの前に男達が出てくるに至ってシーグルは窓から外へ飛び出した。 「今日は好きに暴れてきていいぞ、こういう時にストレス解消してこい」 誰がストレスの原因だと思っているんだ――とは思ったが、文句を言う場合ではないのは当たり前で、そこはあれこれ考えずに頭を切り替える。とくかく、セイネリアがそう言うなら目の前の敵に集中して倒せばいいのだろう。ソフィアもいるから何か不測の事態があってもどうにかはしてくれる筈だ。 「ひあぁっ、や、やめてくれっ」 ただシグネット達の方へ向かおうとした段階で、怪我をして蹲っていた人攫い側の男の悲鳴が聞こえてシーグルはそちらに目を向けた。蹴って遊ばれていたらしいが、剣を振り上げられている。 ここであの男がただの人攫いならシーグルも無視したのだが、シグネットが仲良くなっていた……と聞いていたのもあって仕方なく方向転換をする事にした。あの男が殺されるところをシグネットには見せたくない。向う側にはメルセンがいるからすぐに危なくなることはない筈で、更に何かあればセイネリアが援護する筈で大丈夫だろうと判断する。 「ほーら、命乞いしてみろよ」 「すんませんっ、許してっくださいっ」 人をいたぶるのを楽しむタイプのクズは、抵抗出来ない獲物を弄ぶのに夢中になっていてシーグルが近づくのには気付けなかった。 彼らが気づいたのは腕に痛みが走ってからで、何も分からず悲鳴を上げて腕を押さえて蹲ったあと、仲間が皆倒れた中に一人だけ立つ人物を見た時だった。 黒いマントで全身を隠し、フードを深く被って顔を隠していたがその下には黒い兜が見える。 けれど彼らがその姿を確認したと思ってすぐ、黒いの姿はその場から立ち去っていた。 姿が見えてすぐ、シグネットにはそれが誰か分かった。一応全身をフードまで被って黒いマントで隠しているが、動けばその下が見慣れた黒い甲冑姿である事などすぐに分かる。 将軍であれば立っているだけで空気が違うからそうではない。 けれど、剣を一振り、シグネットの目で追えないその動きでもう彼しかいないと分かった。 メルセンが手を引いてくる。その意図はシグネットにも分かっていた。 それでもシグネットは動かずに、足に力を入れてそのまま留まった。何故ならもう、逃げる必要などないのだから。 「あれは……」 メルセンも気づいてそう呟く。 手を掴んでいた彼の手から力が抜けて離れて行く。 ――こんな奴ら、レイリースなら敵じゃないよね。 だってこいつらなんてあの時の敵に比べたら全然怖くない――幼い頃、彼に抱えられて逃げた時、川の前で追い詰められて次々とくる敵を倒していた彼の姿をシグネットはよく覚えていた。 それに――遠くで、悲鳴を上げて落ちる人影を見てシグネットはくすりと笑う。撃ったのはおそらく将軍だとそれもシグネットには分かっていた。だって将軍はレイリースが大好きで、だからきっと傍にいる筈だとそれを知っている。 やっぱり将軍はちゃんと見ていてくれていたんだという実感と共に、シグネットは呆然と立っているメルセンに振り向いて言った。 「もう大丈夫だね」 えぇはい……とレイリースの姿を見たまま気のない返事をしてから、メルセンははっとしてこちらを向いた。 「そう、ですね。陛下、お怪我はありませんか?」 「メールーセーン、まだここは外だよ?」 「あ、はい」 焦って口を手で塞いだ彼を見て、シグネットはまたクスクスと笑った。 --------------------------------------------- パパ組がんばるの回。ってかセイネリアこれ全部シグネットのためというよりシーグルのためにやってるんだからなぁ。 |