少年王シグネットと振り回される面々のお話 【8】 正直シグネットの元気な姿を見た途端、メルセンはその場にへたりこみそうになるくらい体から力が抜けた。思わず目の端に涙まで浮かんでいたが、シグネットの傍に例の連中の一人がついているのを見て気を引き締める。一応は剣に手をかけ、明らかに警戒して様子を伺っていれば……そこでアルヴァンが緊張感のない声で言ってきた。 「なんか兄さん、そんな警戒しなくても大丈夫そうじゃないかな」 「アルヴァン?」 「だってなんか……楽しそうだし」 言われれば確かに……シグネットはこちらに向けて軽く走ってきていて、強盗の男はその後ろからついてくる感じだ。特にシグネットは拘束されている様子はないし、こちらに向けて手を振っているのにだって男が何かをいう事もない。 「どういう事だ?」 思わず言えば、アルヴァンは『さぁ?』とやはり気楽そうに返してくる。 とりあえずそれでも警戒を解くこともなくそのまま待っていれば……シグネットはすんなりメルセンの目の前までやってきて、にっこり笑って言ったのだ。 「メルセンの事だからすっごい心配したよね? ごめんね、大丈夫だから」 なんだかあまりにも何もなくただの待ち合わせに遅れたくらいのノリでそう言われたから、思わずメルセンは呆然としたあまり「あ、はい……」なんて返してしまってそのまま固まって、混乱しきった頭の中で現在の状況を必死に確認した。 ――いやまて、俺は今陛下を攫った者との取引のためにここに来たのであって、そいつらは貴族の紋章入りの剣を盗んだ犯罪人でそれと引き換えに陛下を返してくれる筈で……。 「もうね、兄さん心配しまくって怖いくらいだったよ」 「だよねー、メルセンは心配性だから」 「いや〜俺ら何もしてねぇんで、本当っス」 そこでメルセンに更なる混乱の追い打ちを掛けるようにやたら和やかに弟とシグネットが会話を始めて、更にその会話へ例の連中の仲間も自然に入ればメルセンも思考がぷつりと切れて……考える事自体を止めた。 「まて貴様っ、貴様は例の連中の仲間だろ、詩人を返すならこちらから引き換えの品を受け取らなくていいのか?!」 メルセンはシグネットの後ろで笑っている男の胸倉を掴むと、思いきり睨みつけてそう言った。 「あ、それ返してもらわなくてよくなったんで」 「はぁ?」 そこで、男を掴んでいるメルセンの腕に向けて、小さな手がちょいちょいと軽く叩いてくる。思わずメルセンが顔をそのままそちらへ向ければ、あの将軍セイネリアが溺愛したという美貌を持つ父親の容貌を受け継いだ少年が、それはそれは愛らしく笑って言ってきたのだ。 「うん、あれはね、俺から持ち主に返す事になったから」 一瞬その笑みに見惚れ……そうになってから、はっと思考を取り戻してメルセンはシグネットに聞いた。 「ど、どういう事でしょうか?」 「うん、だってあんなの失くしたってなったら大問題でしょ?」 「そりゃぁ……まぁ」 「名誉に関わるから、証拠隠滅のために何をしてもおかしくないよね?」 最後の言葉でシグネットの顔から笑みが消える。少し回りくどい言い方ではあるが、それでメルセンはシグネットの言いたい事自体は理解した。状況も大体は想像出来たが……納得しきれたとは言えない。 「いや確かにこのぼーずの言う通り、金よりやっぱ命あってのものだねって事になりやしてね。ってことで俺らが悪かったス、あとはよろしくたのんます」 メルセンはちょっと頭を押さえた。 まぁ確かに、あの剣で持ち主のステシア卿を脅して金を取ろうとすれば逆に消される可能性があるのは確かで、シグネットから返せばステシア卿は何もできない。どうやって盗人達を納得させたのかは分からないが、それで全て丸く収まると言えば収まるのは間違いない。それにそもそも、メルセンとしてはシグネットさえ無事ならあとの状況は全ておまけのようなものでどうでもいいことではある。 メルセンは溜息をつくと男に聞いた。 「一つ聞く、この件はお前だけ、もしくは一部の者だけで決めた事ではないだろうな? つまり、詩人に例のものの返却を頼むというのはお前の仲間全員が納得して決めた事と思っていいか?」 「あぁそうさ、皆それがいいってことになったンだ」 なら少なくとも、それに反対する者が襲ってくる……という事はないのだろう。ともかくそれならあとはさっさとあの剣を持って城へ帰ればいいだけの話で、こんな治安の悪いところから一刻も早くシグネットを連れ出したいメルセンとしてはやる事は決まっている。 「ならいい。例のモノに関しては確かにこちらで承った。お前達はこの件に関しては忘れて口外するな。それが身のためだ」 「あ、あぁ……分かってンよ」 男が少し怯えた様子でそう答えたから、おそらく例の剣を持っている事がどれだけ危険かシグネットが相当の脅しを掛けたのだろう。 「ならいつまでもこんなところへいないで早く帰りましょう」 メルセンは一息ついて、外見だけなら誰よりも愛くるしい主へと振り向いて言った。 「あれメルー、荷物は?」 「荷物はちゃんと神殿においてきました」 「そうなんだ、ちょっと残念」 「残念だったのですか?」 「だってさ、仕事完了のサインもらったりとかあったでしょう?」 「あぁ……」 今回の荷物運びは、一応あの神官から『仕事』として請け負った事になっている。報酬は出せないが受領書にサインを貰って事務局へ届けておけば後で手続きをしてくれるそうで、そうすればこちらには冒険者としてのポイントが入る事になる。 「これから事務局に提出しに行く必要がありますから、まだ『仕事』は終わっていませんよ」 言えばシグネットは嬉しそうに笑う。その顔を見れば、この件も無事終わりそうだという思いあってメルセンも思わず口元が綻ぶ。 「そうだね、仕事完了の報告しないとならないね」 「そうです」 それでシグネットの手を取って歩きだそうとすれば、まだいたのか男が声を掛けてくる。 「それじゃ俺もこれで」 「あぁ」 これであとはさっさと表通りまで出てしまえばとりあえず安心できる……と思っていたメルセンだったが、歩き出してすぐ、背後から今さっき別れた男のぎゃぁという声を聞いて振り向いた。 「な、なんだてめぇらはっ」 斬りつけられたのか腕を押さえた男の前には、2人のガラの悪そうな男達がいた。それだけでなく周囲の気配を探れば、さらに6人程、こちらの周囲を囲むように男達が姿を現した。 『陛下、俺の後ろへ』 小声で呟いてメルセンは剣を抜く。アルヴァンも言われなくても剣を抜いてこちらの後ろについた。二人でシグネットを背後に挟んでいるような体勢をとる。 見たところでは……一人一人の腕はメルセンより下だろうと思える……が問題は人数だ。しかも今まで隠れていたところからして、見えている者で全員かも分からない。 ――なんだこいつらは? あの男が嘘を言っていたとは思えないし、こいつらへの反応からして例の盗人たちの仲間とも思えない。かといってガラが悪すぎて、これがステシア卿の手の者という事はあり得ないだろう。 単にこの辺りを縄張りとしている連中……というのが一番ありそうだと思ったメルセンだったが、そうでないことは後ろで男を斬りつけた2人のうちの1人が言った言葉で判明する。 「さぁって、『例の剣』ってのを渡してもらえねぇかな?」 そこで腕を押さえて座り込んでいた男がすぐこちらを見たから、メルセンは舌打ちしたくなった。これでは『例の剣』がこちらにあるというのはバレバレではないか。案の定、囲んでいる連中の視線がこちらに集中する。 「『例の剣』? なんのことだ?」 とりあえずしらばっくれて、向うの反応を伺う。 「『例の剣』は『例の剣』だよ、子供攫うくらいなんか価値あるモンなんだろ? さっさとこっちに渡しやがれ」 ――これは……。 メルセンは考える。向うは『例の剣』がなんなのかは正確に分かっていないようだった。ただシグネットを攫って行った騒ぎは知っている――これはあの時こちらを見ていて、更にあのメモを見た者、と考えられた。 正直言えば、この剣を渡してそれで無事済むなら渡しても問題ない……のだが、この手の連中は渡したからといってそれで大人しく通してくれるとは思えない。 ――強行突破しかないか。 幸い連中の様子からすれば、人数的にも有利なところもあってこちらを馬鹿にしているように見える。なら今ならこちらの先にいる2人を倒して突破は可能だろうとメルセンは考えた、だから。 『走ります。アル、俺が抑えてる間に陛下を』 呟いて、まずメルセンは前にいる敵二人に向かって行った。向うも予想していなかったのか狼狽えて構えるのが遅れ、一人の剣をまず弾き飛ばした。 「なんだ、やるのか?」 「馬鹿かこのガキっ」 周囲から声が聞こえてこちらに向かってくるのが分かる。囲まれる前に出来るだけ早く敵を戦闘不能にしなくてはならない。 だからまずは剣を落した男の足に剣を刺す。男は悲鳴を上げてその場に蹲る。少なくともこれでこの男はこちらを追いかけられない。 「このっ」 もう一人の男が振り下ろした剣を避けて横へ飛べば、もうこちらへ来た別の男がいたから少し待って向うが剣を振り上げるのを見てからしゃがんで足を引っかけた。男は盛大に転んで頭を打ったらしくすぐ動けない。それを見てから立ち上がって避ければ、別の男が斬りかかってきた勢いのまま通り過ぎていく。 ちらと見ればアルヴァンはシグネットの手を引いて通りに向かって走っていた。 それに僅かに安堵して、メルセンもシグネット達が行った方向へ向かおうとする、だが。 「逃がすかよっ」 マントが引っ張られてメルセンの足は止まる。だからすぐにマントを外して、そのせいでマントを掴んだままバランスを崩した男に向かって体当たりを仕掛けた。男の体が吹っ飛ぶ、ついでにその後ろにいた二人の男を巻き込んで倒れ込む。メルセンはそれを見てシグネット達を追って走った。 「アルっ」 だが走りだしてすぐ、先に行っている筈の二人が見えた。 やはりまだ連中には隠れていた仲間がいたらしく、アルヴァンが2人の男と戦っていた。メルセンは走っている勢いのまま、剣を前に出して敵の一人に向かっていく。 「おぉっと、危ねぇ」 けれどそれは、男の腕につけていた盾によって逸らされた。男はそのままこちらを向いて構えを取る。 ――まずいな。 前にいる男は自分より強いとは思えないが即倒して通り抜けるのは難しい程度の腕はありそうだった。アルヴァンはもう一人の男と剣を合わせている、シグネット一人に逃げろと言うにもこの先にまだ敵がいるかもしれない。 後ろからは敵が迫っている、『例の剣』を渡すと言えば時間稼ぎが出来るだろうか――それともシグネット一人で逃げろというべきか――考えていたメルセンだったが、そこで目の前の男がいきなり悲鳴を上げた。 「うぉぉっ」 見れば男の肩に矢が刺さっている。 何が起こったのか分からないが、とりあえず肩を押さえて蹲った男を見てすぐメルセンはアルヴァンと戦っている男の後ろに回ってその膝の後ろを蹴った。男の足ががくりと折れて地面に転がる。 それからシグネットの手を掴んで逃げようとしたメルセンだったが、引いても動かない少年王に気付いて彼の見ている方を見れば――。 「ぎゃぁっ」 「なんだコイツ?!」 敵達の悲鳴が上がる中、黒い甲冑の人物が立っている。 それはメルセンもよく知っている姿で、いつも将軍の傍にいる……この国でおそらく将軍に次ぐ強さの人物で間違いなかった。 --------------------------------------------- 次回はちょっと時間が戻って最後の人物が出てくる前の話から。 |