強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【14】



 外はまだそこまで明るくなってはいなかったが晴れてはいた。勿論晴れているとはいっても周囲に雪は積もってはいるし空気はキリリと刺すように冷たい。それでもどこまでも澄んでいるその空気の冷たさが気持ち良かった。
 シーグルとしても気が引き締まって、ここで仮面がなければ両頬を一度叩きたい気分だったなと思う。

「良かった、晴れましたね」

 水汲み用の桶を持ってきたアウドが、シーグルに桶を渡しながら言ってくる。

「深夜はちょっと吹雪いていましたから」
「そうだったのか」
「はい、珍しいですねお気づきにならなかったなんて」

――そんなにぐっすり眠っていたのか。

 いや昨日は本気で疲れていたし当然だ……と自己弁護してみても、なんとなく虚しい。リッパー導師の家は外の音はそこまで聞こえないし、セイネリアとのやりとりに気を取られていて外の音を聞く余裕もなかった、といえばそれまでなのだが、確かにいつもなら音には敏感で気づかない事は殆どない。
 ぐっすり眠れたのはいいのだが……自分の注意力がなくなるくらい深く眠るのも騎士としてはどうなのだ、気が緩んでいるんじゃないか等々、シーグルとしては複雑な思いもある。強くなるために来たのに気が緩むなんて……とある種の自己嫌悪に落ち込みながら、とりあえずシーグルは水場に向かって歩き出した。
 そうすれば急いでアウドがシーグルの前に出る。その途中、追い抜くついでにこちらの顔をちらと見て、満面の笑顔で彼は言う。

「昨夜はよく眠られたようですね」
「あぁ……」

 彼の声はその笑顔からも分かるように裏がなく単純に嬉しそうで、だから嫌味でもなんでもなく純粋に喜んでくれているのだとは分かっている。が……やはり何か喜べない。黙っていてその辺りの話を続けられても困るので、前を歩く彼が何か言い出す前にシーグルは口を開いた。

「そういえば、昨夜俺が部屋に帰った後、廊下でリッパー導師と話していただろ。何かあったのか?」
「あー……あれですか」

 アウドは特に気にした風もなく軽く返してくる。

「いや単に、明日……つまり今日ですね、は大神殿へ行かない、代わりに客人が来るという話を聞きまして」
「客人?」
「えぇ、ですから今日は我々も訓練は家の近くだけでやるようにとおっしゃってました。客人が来たらシーグル様にも顔出すようにとの事だそうで」
「客人? だがそうか……後で分かったと導師に言っておこう」
「そうですね」

 ここに人が来るのは珍しい。いろいろ考えたい事もあるし、今日は別に大神殿までいかなくてもいいか。となると今日は家の前での基礎訓練がメインとなるが――それで思いついた事を口にする。

「それなら今日は朝食前に家の周囲の雪かきだな。軽い手合わせくらいは出来る場所を作っておこう」
「あぁそうですね」
「体力作りにもいいしな」
「朝から大汗掻きそうですが」
「違いない」

 互いに笑いながら二人は歩く。だがやがて目的の水汲み場所が見えた途端、アウドの歩みが一瞬止まる。それを不審の思ったシーグルだったが、そこにいる人影を見て理由を理解する。シーグルの笑顔が引きつるのは仕方がない。

――彼は今日もいるのか。

 大神殿にいかないなら、今日は静かに過ごせそうだ……と思ったのだが、いつもの男はやっぱりこの朝っぱらからシーグルを待ち構えていた。

「レイ、リィィースッ」

 語尾にハートでもついてそうな勢いで、ディーゼンが手を振ってくる。

「あの野郎……っとに、いつもいつもしつこい」

 とアウドが呟くのに思わず心の声で同意しつつ、シーグルは軽くため息をついて、アウドに行こうと小さく呟く。それでアウドも(嫌そうだったが)再び歩きだした。

「おはよう」

 顔がハッキリ見えるくらいまで来てから、彼をわざと見ずに一応挨拶だけを返す。それにはやはり浮かれたようなやけに弾むようなリズムの返事が返ってきた。

「おー、おっはよー♪」

 それでそそくさと近づいてくる男を無視して、シーグルは水の湧きだし口へと向かった……が、先にアウドが行ってこちらに振り向いた。

「悪いな」

 桶を渡せば、彼はにかりととても清々しく嬉しそうに笑う。

「いえ、お気きになさらず」

 どうみてもいつも以上に上機嫌な彼の顔を見るだけでなんとなく自己嫌悪に陥るシーグルとしては、やはり嬉しそうに水を汲む彼を眺めつつため息なぞついてしまう。……そうすれば、当然無視されたままの騒がしい男が黙っていない訳で。

「おーい、無視すんなよ」
「別に無視はしてない、挨拶したろ」
「でーもーさー、明らかに視線外したろ」
「……いくら来てもここに来る時に仮面を外してる事はないぞ」

 言えば、向うは、えー、と子供の文句のような声を上げたから、シーグルは冷たい目を彼に向ける。そうすれば彼は焦って急いで両手を左右に振った。

「いやいやいやっ、それはもう諦めたって。……そりゃ見たい事は見たいけどな。すっげぇ見たいけどな」

 彼の馴れ馴れしさとしつこさはロウを思い出す。いや別にロウの事も彼の事も嫌ってはいないが、どちらも時折ちょっとイラっとするのは確かだ。

「今日はあれだよ、約束をしになっ♪ なんっせこんとこお前全然相手してくれないじゃん。今日こそは一勝負、いやこのところやってない分も合わせて三本勝負くらいはしてくれよっ」

 彼の事は別に嫌いではない。……のだが、どうにも口調が我ながら意地悪そうになるのは止められなかった。

「残念だが、今日は大神殿にはいかないんだ。リッパー導師のところに客人がくるそうで、俺も顔を出さないとならないからお前の相手は出来ない」
「えぇ〜そぉんなぁあああっ」

 騒がしい男が騒がしく声を上げる。それにまた大きくため息を吐いてしまいながら、シーグルは言った。

「なら明日……いや、次に大神殿に行った時に3本勝負に付き合う。それでどうだ?」

 途端、ディーゼンの泣きそうだった表情がにぱっと笑顔に変わる。

「おぉっし、約束な。ちゃぁぁあんと約束したからなっ」
「あぁ約束だ」

 まぁシーグルとしては別に彼との勝負自体は嫌ではない。変則的な戦い方をする男だから 彼との手合わせは面白いし、ただ単にしつこすぎるのが疲れるだけだ。……まぁ、アウドは自分以上に彼にイラっとしているようだが。

「んじゃ〜今度こそあんたに勝てるようにいろいろ考えておくかっ」
「あぁ、期待している」

 これは本音だ。次はどんな手でくるのか、それ自体は楽しみではある。
 約束をした事で機嫌が直ったディーゼンはそれにも、おぉっ、と胸を叩いて得意げに返すと、浮かれて一人で剣を持たないまま素振りをしてみせたりしている。それに呆れながらも、アウドに渡された水が入った桶を持って、シーグルは帰り路に付こうとしたのだが。

「いやーこれで心置きなく修行に励めるってとこだな。あんたも普通になったみたいだしっ、安心安心」
「普通?」

 その言葉にはひっかかりを覚えて、シーグルは足を止めて彼を振り返った。

「あぁ、最近のレイリースってさ、なんか妙な雰囲気あったからさ」
「妙……というと」
「んー……ため息が妙に色っぽいというか、ちょっと怪しい気持ちになりそうな感じ? いやー、あのままのあんたと勝負したらちょっと気になって集中できなかったかなぁ、とか。あぁ、今日は大丈夫だ、何があったのか知らないけどよ」

――仮面をつけていても言われるのか。

 シーグルの仮面は被ったままでも食事くらいは出来るように口元から顎はあいている。まさか口元だけでそういう雰囲気が出てしまっていたのだろうか。
 そのディーゼンの言葉にシーグルが傷ついたのは言うまでもなく……更には落ち込んで歩いている帰り路でもアウドに、だから言ったじゃないですか、なんてだめ押しまでされる事になってしまい……今日は体調も気分も良かったのに朝から妙な疲れを感じてしまう事になった。 。




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 多分、あと一話かな。
 



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