強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【15】



 クーア神官というのは他の神殿の神官と違って神官になれば誰でも術が使える訳ではない。クーアの術は基本的に適正がないと使えないから、神官になれるのはその適正がある人物だけになる。だから千里眼と転送が使えるクーア神官は、需要はあり過ぎるのにそもそも希少で神殿以外ではそうそうお目に掛かれないという人材だ。
 彼らの殆どは安定していて実入りもいいクーア神殿勤めになるか、待遇がいい高位貴族の専属になるのだが、一応フリーで仕事を受けたりしているものもいなくはない……という程度にはいる。
 ただ傭兵団時代から、セイネリアの下にはその希少なクーア神官が二人も所属していたというのはあり得ない話で、その内の一人を一人の部下専属にするなんて頭がおかしいレベルの人材の無駄使いだ。

 と、いうところなのだが。

『本人の意思を尊重して、お前付きの仕事にさせているだけだぞ』

 セイネリアに言ったらそう返されてしまった事があって、勿論それにシーグルが反論出来る訳がなかった。ソフィアの能力だけで仕事を割り当てるのではなく、彼女の意思を尊重していると言われたらそれを非難など出来る訳がない。むしろセイネリアの主としての器の大きさを褒めるしかないくらいだ。

「シーグル様、お客様がお呼びです」

 声にシーグルは剣を振る手を止めた。
 外で鍛錬をしていたシーグル達の元へ、ソフィアがこちらに向かって歩いてきたのだ。
 ちなみに勿論彼女の場合、目の前に転送でいきなりやってきた方が手っ取り早いのは確かである。だがそれは緊急時や呼ばれた時だけで、転送では目的地より少し離れたところまできて、傍まで行くのは徒歩にするのがクーア神官の基本らしい。そうでないと相手を驚かせたり、感覚の鋭い相手だといきなり攻撃されたりするそうで……確かにそうだと思うと同時に、ソフィアはそんな事にも気を使ってくれているのかと思ったのを覚えている。

「あぁ、今いく。アウド、すまないがこれを片づけておいてくれるか」
「はい、分かりました」

 先程重り代わりに持っていた丸太を指さすと、アウドは笑って了承する。
 それに苦笑してからシーグルは剣を収めると、額の汗を拭った。そうすればすかさずソフィアが布を渡してくれて、シーグルはそれで汗を拭く。

「お部屋前まで飛びますか?」

 それには考えた末、シーグルは首を振った。

「いや、急ぎでと言われていないのなら歩いていこう。あまり楽をしすぎると、ここへ何しに来たのだと導師に怒られそうだ」
「そうですね」

 言うと嬉しそうに一緒に歩き出すその彼女の笑みに、心の奥がちくりと痛む。
 シーグルだってセイネリアに言われてなくても、彼女の気持ちには気付いていなかった訳じゃない。だが自分は妻を裏切れない、彼女の気持ちに応えられないから、気付かないふりをしていた……いや、違うと思い込もうとしていた。卑怯だな、と思いつつも、それが一番彼女を傷つけない方法だと思っていた。

「そういえば客人の迎えも君が行ってきたのか?」
「はい、そもそも私が迎えに行けるからこちらまでいらっしゃる事になったので」
「導師達はよく君に仕事を頼んでいるようだが……」
「そうですね。実はお迎えに行く前に、下へ下りて手紙も受け取ってきました」
「……そんな事までやっていたのか」
「気楽に頼める転送役がいるのは助かる、とよく言われます」

 ……まぁ確かに転送が気楽に使えるなんて本来あり得ない事だから、ついつい頼みたくなる彼らの気持ちも分かる。こんな雪山の中ではとてつもなく便利であるし。とはいえそれでは彼女は忙し過ぎるのではないかとシーグルは心配になる。

「その……君には何でもさせてしまってすまない。俺も、自分の事は出来るだけ自分でやるから、他の仕事がある時は俺の世話に関する事はやらなくて構わない」

 だがそう言えば、それまで嬉しそうだった彼女の表情が陰る。

「あの……私が……しない方が良いのでしょうか?」
「いや、君は君しか出来ない事が多いのだから、俺の事は優先順位が低くていいという話だ」

 焦ってそう返したら、更に彼女の顔が悲しそうに歪む。シーグルは更に焦って……それで思い出した、彼女は自らの意思で自分の世話役を引き受けてくれているという事に。これではセイネリアより自分の方が人の意思を尊重していない事になる。

「いや、その、単に君には世話になり過ぎていて申し訳ないと思っているだけだ、忙しければ俺の事は後回しでもいいという意味でやらないほうがいいなんて事はない、とても有難く思ってるっ」

 そうすればソフィアはまたにこりと笑って、それから少し黙って気まずい間があいたものの、暫くして優しい声で言ってくる。

「……シーグル様」
「あ、あぁ」

 今が歩いている時で良かったとシーグルは思う。気まず過ぎて彼女の顔をどうしても見難いからだ。

「私はマスターから命令されたからではなく、シーグル様のお世話をしたくてここにいるのです」
「そう、か……」
「なので、シーグル様は私にいくら世話を掛けてくださって構いません」
「いやそれはどうなんだ、限度があるだろ」
「いえ、大丈夫です。シーグル様の性格上、何があってもその『限度』を越す事は出来ませんから」

 それを楽しそうに言われれば、シーグルも反論の言葉はない。

「ですから、シーグル様はしたいようになさって下さい。私に悪いなんて考えずに、ご自身が納得出来るように動いてください。大丈夫です、私が望んでいるのはシーグル様の傍にいてシーグル様に必要とされる事だけです、高望みはしていません」

 いくら奥手のシーグルだって、それは本来女性に言わせるべきではない言葉だというのは分かる。分かるからこそ……やはり返事が出来なかった。

「シーグル様はどうしても他人に気遣って自分の事を後回しにしてしまうクセがありますが、私と……そうですねアウドさんも、私たちは部下なのですからシーグル様の意思に従うだけです、まず自分の事を優先して考えて行動してください」
「そう……だな」

 溜息と共にそう返せばそこで彼女が足を止めて、シーグルも思わず足を止めた。

「少しだけ訂正です。今のシーグル様は、シーグル様ご自身と……マスターの事だけを考えて行動を決めて下さい。ここにいるのが何の為なのか、それだけを忘れないで下さい」

 シーグルは目を見開く。それから苦笑する。
 確かに、ここにいるのが何の為か――それを考えて、それ以外に悩んでいる暇は自分にはないのだと自分に言い聞かせる。

「……あぁ、ありがとう」

 何があっても、セイネリアに勝つ力を手に入れる事――それ以外を考えて、迷う余裕などない筈だった。







「申し訳ございません、遅くなりました、レイリースです」

 導師の家のほぼ中央にある大部屋にはドアがないから、部屋の前でそう言ってから中に入る。

「おぉ、来なすったかね」

 そう声を掛けてきた人物をみてシーグルは思わず目を丸くする。

「大師……客人というのは貴方でしたか。……というか、貴方がここにいらして問題ないのですか?」

 いたずらっ子のような目をした老人は、それで楽しそうにカカっと笑う。

「転送は便利だのう、おかげでこうしてこっそり大神殿から出かける事が出来る」

 つまり、普通は無暗と外出する訳にはいかないが、転送が使えるならいいだろうと出てきた……という事なのだろう。

「出来れば、その……あまり便利屋のように彼女に仕事を頼まないでくださいませんか?」
「そうじゃな、それはすまないと思っておる。だが今回は大事な話もあったしな」

 そう言って老人が何か紙のようなものを差し出したから、シーグルは傍に膝をついて
それを受け取った。
 それは、エルからの手紙だった。
 彼とは手紙でやりとりしているから前に書いたものの返事だろうが、渡されたのなら読めという事だと思ってシーグルはその封を切ると読み始めた。

 エルの手紙は基本は近況報告で、彼らしく冗談を交えた文章に思わず顔が綻ぶ。けれどその最後、彼にしては少し堅い文章で書いてあった一文にシーグルは考える。

『最大強化でマスターに挑んだ時、最初の一発はどうにか当てられた。いくらマスターでも初見で想定以上の速度の攻撃は避けられないし、想定以上の力で叩かれれば体勢を崩す』

――まいったな。

 シーグルは苦笑する。やはりこれは探していた『可能性』ではあるのだ。ならばそれを試さない手はないだろうと自分に問う。リパ信徒としての誇りや拘りは、あの男に勝つ事より大事なのか――そう考えれば答えは決まっている。

「大師……もしかしてエルに何か言われたのですか?」

 聞けば大師はにやりと笑って、さぁてな、と返す。否定しない段階で何か言ったのだろうというのはそれで分かる。だからわざわざエルの手紙をまず渡してきたのだろう。

「さぁて、ではどうする? アッテラの輪に入るかどうか、心は決まったのではないかな?」

 そこで横にいるリッパー導師が軽く咳払いをしてから口を開く。

「お前が何信徒であるかは今お前が決めればいい、レイリース。私はどちらをとっても否定はしない」

 リッパー導師は大神官ではないから魔法使いの『秘密』の部分までは知らない筈だった。だがおそらくリパ信徒である自分がアッテラ神官になっても何も詮索しない、とそれを事前に了承しているという事なのだろう。

 ここまで言われてまだ悩むのか。シーグルは天井を見てからふぅと息を吐き出す。
 目的の為には全てを捨てる覚悟が必要だ。どうやら自分はまだ、アルスオード・シルバスピナの名を捨てきれていなかったらしい。

 シーグルは大師に向けて頭を下げた。

「これから私は、アッテラ神官になるための修行をしようと思います」

 大師は笑って頷いた。




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 一応このお話はここでEND。ただ次回、おまけの後日談(ノリ軽いヤツ)を予定してます。
 



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