【7】 黒の剣傭兵団、本館の建物からシーグルが出れば、外はもう陽が傾きかけ、夕刻も近い時間になっていた。 そこからフユに案内されるまま西館の方に出ると、アウドが安堵した顔で待っていて、シーグルは彼に待たせた事を謝ってから、後は隠し通路を使って共に敷地を後にした。別れ際にフユが言っていた話では、屋敷の方へは既に連絡を入れておいてくれて、シーグルの帰りは陽が沈む前と伝えてあるらしい。だから必然的に騎士団に顔を出していくという事は出来なくなったが、そちらにはアウドが帰って皆に伝えておいてくれるという事になった。 そうして、シーグルはその後アウドに付き添われて、無事何事もなく首都のシルバスピナの屋敷に着いた。 だが、彼はそこで何度も驚く事になった。 その中でもまず、シーグルが首都の屋敷に帰って一番最初に驚いたのは、リシェにいる筈の妻ロージェンティが、出迎えてくれた兄達と一緒にいたことだった。 「ロージェ、どうしてここへ……何かあったのか?」 だから、驚いたあまりそんな事を聞いてしまって、次の瞬間には皆から責められる事になった。 「おーいシーグル、何かあったかって、そりゃお前を心配して来たに決まってんじゃねーか。奥さん心配させといてその言い方はないと思うぞ」 「そうですよシーグル、さんざん皆を心配させておいて、最初の言葉がそれはどうかと思います」 「ほんっとーにシーグルはさ、自分の状況に無頓着だよねぇ」 兄弟とウィアから一斉に言われれば、やっとシーグルも今の自分の状況というのを思い出した。 「すまない。……そうか、そんなに心配を掛けてしまったのか」 「そうそうっ、だからまずはだ、いっちばん心配掛けた奥さんによぉぉぉく謝るようにっ」 そういってウィアが道を開けるようにしてシーグルとロージェンティを正面から対面出来るようにすれば、彼女はシーグルの狼狽えぶりにくすりと笑った。 「おかえりなさいませ、あなた」 優雅に礼をしてくる彼女を見て、シーグルは深く頭を下げた。 「申し訳ない、ロージェ。君を首都まで来させてしまって……そこまで心配を掛けてしまった事を謝る、本当に申し訳なかった」 言えば彼女は今度は苦笑して、それからまた、こちらに返すように優雅にスカートの裾を掴んで礼を返す。 「早く、頭をお上げください。旧貴族の当主が、人前でそう簡単に頭を下げるものではありません」 「あぁ、そう、か……すまない」 真面目な顔をしてまた謝ったシーグルに、ロージェンティは今度はくすくすと笑いだした。 「本当に謝ってばかりですのね。あなたの立場的には、ここは謝るよりも『わざわざ首都までの出迎えご苦労だった』で済む状況ですのよ」 「あ……え、そう、なのか。いやだが、悪いのはどう考えても俺な訳だし……」 シーグルが明らかにギクシャクとした態度でいれば、更にロージェンティは楽しそうに笑う。そうなればシーグルとしては次はどう言えばいいか分からなくて固まるしかないのだが、彼女はそこで急に笑みを収めると、今度は静かに微笑んだ。 「けれど、とてもあなたらしいです。私はあなたのそういうところがとても好きです」 それでシーグルは、本気で頭が真っ白になる。状況的に今は何を言うべきかとか、そういう今まで考えていた事が全部頭から飛んでしまった。 「いっやぁ、見せつけてくれるぜっ、シーグルお前愛されてるなっ」 更にはウィアまでそう茶化してくるから、シーグルは本気で頭が何も考えられなくなる。それでも何か言わなくてはならないと、また頭を下げそうになった自分を抑えて、出来るだけ表情を笑みになるようにしてから口を開く。 「あ、と……その……ありがとう、ロージェ」 「はい」 にこりと笑みを返してくれた彼女にほっとするものの、そこでウィアが肘でつつきながらこそっと耳打ちをしてきた。 「だめだなぁシーグル、こういう時はがばっと抱き締めてだな、俺も君が好きだ、愛してる、って返すとこだろ」 シーグルが屋敷に帰って次に驚いたのは夕食での出来事だった。 しかもそれはロージェンティがここにいた事よりも更に驚くべき事で、そしてやはり驚かせてくれたのは彼女だった。 リシェとは違って料理番の使用人がいない首都の屋敷では、食事はフェゼントがいつも作っている。それもあって料理を運ぶのもフェゼントで、それをウィアやラークが手伝うという感じな為、基本的に食事の準備から食後のお茶まで、この屋敷では使用人を使わない事になっていた。 だから、最初に席に着くのはいつもシーグル一人な訳だが(前にシーグルも手伝うと言ったら流石に当主様にやらせる訳にはいかないと言われた)、今回そこにロージェンティさえいない事に、シーグルはまさかという不安を覚えて、そしてそれは当たってしまった。 いつも通り、料理を運んでくるウィアやラークはまだしも、フェゼントを手伝いながら一緒に料理を持ってきた彼女を見て、流石にシーグルも青くなって立ち上がった。 「ロージェ、その、君がそんな事までしなくても」 そうすればまた、一斉にシーグルが皆から責められる事になる。 「シーーグルぅ〜、そんな事とはなんだそんな事とはぁ、いっつもにーちゃんや俺達にしてもらってる事をそんな事って言い方はないよなぁ」 「そーだよ、やっぱなんだかんだいって貴族様だからなぁ、シーグルはぁ」 確かに言われて『そんな事』呼ばわりをした自分をすぐに後悔はしたものの、シーグルとしては、幼い頃から大貴族の姫君として育ったろう彼女に使用人まがいの事をさせたという事実に、頭が相当に混乱していたというのがある。 立ちあがったまま席を離れるでもなくわたわたと狼狽えるシーグルを、ウィアとラークは更ににやにやしながらもじとりと睨んでくる。 そんなシーグルの傍にスープ皿を持ってやってきたロージェンティは、立ったままのシーグルの前に背筋を真っ直ぐ伸ばした綺麗な姿勢で立つと、にこりと笑い掛けてきた。 「あなた、食事が始まるというのに席を立ったままでいるなんて行儀が悪いです」 「あ、あぁ……」 その笑顔に気圧されるように、シーグルはその場に座った。 そのシーグルの目の前に手に持っていた皿を置いた彼女は、今度は柔らかい声で言ってくる。 「これは私が自分からやりたいといってやっている事ですから、兄君を責めたりはしないで下さいね」 「あぁ、そう、なのか……」 「えぇ、私が、あなたの為にしたいと思った事です」 そう言われればまた、シーグルは礼の言葉を言う事しか出来ない。 「ありがとう」 彼女は満面の笑みを浮かべて、シーグルの隣の席に座った。 その様子を、ウィアとラークはにやにやと、そしてフェゼントはにこにこと笑いながら見つめていて、気づいたシーグルはかなり気まずかったのだが。 それでも、全員が席につけば、いつも通りシーグルが食前の祈りの言葉を言って、それから皆で食事となる。リシェの屋敷と違い、賑やかに食べ始める風景を懐かしい気持ちで見ていたシーグルは、ロージェンティがウィアやラークのやりとりに笑いながら食べている事に気が付いた。つまりそれは、自分がいない間に彼女が兄弟達と仲良くなって彼らに馴染んだのだという事で、シーグルも嬉しくなって自然に口元に笑みが浮かんだ。 「ねぇ、シーグル。今日のスープはどうですか?」 唐突にフェゼントがそう言って来て、シーグルは不思議に思いながらも、それには思ったままに返した。 「あぁ、いつも通りとても美味いと思う」 それに何故か湧きおこるウィアとラークの笑い、そうして嬉しそうなフェゼントの顔に、シーグルは何が起こったのか分からなかった。 「シーグル、そのスープはですね、ロージェンティさんが作ったんですよ。彼女は、いつでもシーグルが美味しく食べれるように、今、私に料理を習っているんです」 その言葉に、シーグルは驚いた。 ロージェンティの事を、誰よりも貴族らしく、貴族の見本のような品格と所作を身に付けている人物だと思っていた分、彼女が料理をしたという事実にとんでもなく驚いてしまった。 けれどもそれが全て自分の為なのだと思えば、申し訳ないという気持ちと共に、それを上回る感謝と、彼女に対する感動のような熱い感覚が湧いてくる。 「私、貴方が食べられなかったという話を聞きました。食事を美味しいと思えないなんてとても不幸な事です。ですから、貴方が美味しいと思って食べられる為に、私ちょっとがんばってみたのです」 にこりと笑って言ってくる彼女に、何故かシーグルは泣きたい気分にさえなる。 「とても美味しい、本当にありがとうロージェ。それに、食べられない事を黙っていてすまなかった」 言えば彼女は頬を染め、それから本当に嬉しそうに微笑む。もし今、座っていなかったなら、シーグルは彼女を抱きしめてしまったかもしれないと思う。 「兄君から、たくさん、いろいろな事を聞きました。私もたくさん考える事がありました、やろうと思った事もたくさん、あなたと話したいことがたくさんあります」 「あぁ、俺も君に話さなくてはならない事がたくさんある」 思わずシーグルが言えば、その言葉に返す、彼女の声はさらに嬉しそうに明るくなる。 「では後で、たくさんお話をして下さいね。今は食事中ですからほどほどにしておきましょう」 「そうだな」 シーグルも彼女に合わせるようにくすりと笑って、そうして言った通り彼女との会話をそこで終わらせた。けれども後で部屋に帰ってから、シーグルはその夜、たくさん彼女と話をした。 今まで言えなかった食べられなくなったいきさつを、そして、全部でないもののセイネリアに関する事も。 --------------------------------------------- えぇと、BLですがもう暫くの間は、この二人が仲良くしてるのを暖かく見ててやって下さい。 シーグルが普通に望んでいた理想的な幸せ像は、今だけの話しなので。 |