見あげる空と見えない顔




  【13】



 夜になってからもうどれくらいの時間が過ぎたのか、さすがに汗で湿った体が夜風に冷やされる程になればこれ以上は彼の体調を害する可能性があるとアウドは思う。ただどのタイミングで言うべきか……そう考えて悩んでいた時、見張り以外で意外な人物がこの屋上に姿を現した。

「おやおやぁ〜まぁだやってらしたんですかぁ、いい加減寝ないといけませんよぉ」

 そう言いながらキールがやってきたから、アウドは剣を下して主である青年に言った。

「レイリース様、流石にもう俺も限界です、いい加減寝ましょうか」

 言えばシーグルは荒い息をしたまま、構えなおそうとしていたその腕を下した。

「あぁ、確かにいい時間か」

 まったく、いいタイミング過ぎるだろと思いながらも、キールも心配でやってきたのだろうと考えればなんだかアウドは笑ってしまう。その魔法使いの方を見れば、彼はいつもの飄々とした顔はそのままでもシーグルの様子を気にしているようで、シーグルがその場で少しフラつけば思わず駆けだしそうに一歩大きく踏み込んだ。

「……っと、やっぱり限界じゃないですか、寝て下さい」

 まぁ、シーグルが倒れる前にはアウドが急いで支えはしたが。確実に彼の心配をしているらしい魔法使いにはウインクをしてみせて、体から力が抜けて素直に寄り掛かってくるシーグルをアウドは抱き上げた。

「おいっ……大丈夫だ、自分で……」
「えぇ、ご自分で歩くだけの元気があるならそれは明日に残してください。まったく、俺に付きあって下さるのはありがたいですが、倒れるまでやれる程気楽な立場じゃないでしょう、貴方は」

 そう言われれば彼も自覚がある分黙るしかない。その時の彼の顔は少し子供っぽく拗ねているようで、アウドはついつい顔が緩んでしまうのを止められない。
 精神的ストレスを徹底的に体を動かす事で発散しようとする……シーグルがそういう人間だという事はアウドも十分承知していた。本当なら止めたいところだが彼の精神安定的に必要な事ではあるのだろうから仕方ない。だから自分の足のリハビリという口実で彼に付き合わせている訳で、やり過ぎる前に止めてベッドに運ぶのがアウドの仕事だ。
 ただシーグルは本気で限界間近までは動きに衰えを見せないので止めるタイミングの見極めが少々難しい。たまにこちらも夢中になって、相当遅くまで付き合わせてしまって次の日明らかに彼の元気がない……という事があった所為で、最近では遅くなりすぎるとこの魔法使いが様子を見にくるようになった。
 ……更に実を言えば、シーグルの身の回りの世話役となったクーアの女神官も、彼がちゃんとベッドにつくまでは寝ないで待っているのをアウドは知っていた。その証拠に、どんなに遅くなっても、呼べば彼女はシーグルをベッドに転送する為すぐやってくる。

「まぁご自分で歩いて帰りたいのでしたら、せめて足に来る前にキリ上げてください」
「……まだ、大丈夫だと思ったんだ」
「えぇ俺も学習しました。貴方は気が張ってる内は動けても、気が抜けた途端に疲労を思い出してぶっ倒れる事があるってね」
「倒れてまではいないだろ」
「そうですね、ふらついてただけですね、それで俺に支えられたと」

 自分が悪いと自覚がある分、こういう時のシーグルは抗議はしていてもそこまで食い下がりはしない。根が素直で真面目なのが分かり過ぎて、アウドはこっそりこういう時のやりとりを楽しんでいるのだが。……それをあの魔法使いに知られたら文句を言われそうだと思いながらも、こうして抱き上げてやりたいから少しくらいなら彼を疲れさせていいかと思っているところはあったりする。勿論、明日が早いと分かっている時は別として。

「今日はちょっと遅いですからねぇ、お嬢さんを呼んだ方がいいでしょうねぇ」
「え? あ、いやこのまま部屋までお運びしますよ」

 と、言った時にはキールはクーア神官の女性を呼んでいて、待っていただろう彼女はすぐに現れた。まぁこの魔法使いはアウドの思惑を分っていてわざと呼んだのだろうと思われる。

「お部屋への転送ですね、レイリース様っ」

 嬉しそうにやってきたソフィアを見て、アウドが文句を言える筈もない。

「あぁ、頼む」

 シーグルもシーグルで抱かれたまま運ばれるよりあっさり彼女の転送を選ぶのだから、アウドとしては諦める以外の選択肢はなかった。
 ただ……。

「アウド、疲れたから鎧を脱ぐのを手伝ってくれ」
「はいっ」

 転送される直前、シーグルがそう言ってくれたからアウドの顔はまた喜びに明るくなる。
 とはいえ勿論、シーグルのその言葉が本当にただ着替えの手伝いだけだというのは分かっていたし、その後の期待などしてはいない。当然茶化して彼を誘ってはみるつもりだが問答無用で断られる事は分かっている。結局、彼を抱いたのはここへ来てからはあの一回きりで、その後は彼が許してくれる事はなく、この間のように酒に付き合えと言われる事もなかった。
 それでも、前よりは少し素直に自分に頼ってくれるようになって、本気で疲れた時は大人しく運ばれてくれもするし、こうして着替えの手伝いをしろとも言ってくる。あのプライドの高い彼が自分を僕として認めて頼ってくれるという事実だけでアウドは十二分に報われていた。

「では、アウドさん、飛ばしてもいいですか?」
「あぁ、頼む」

 先に部屋へ転送されて腕から消えた彼のあとを名残惜しそうに見ていれば、ソフィアからそう声を掛けられてアウドは急いで姿勢を正す。そうして彼女に触れられれば、アウドもまたシーグルの部屋に転送され、そこから姿を消した。

「まぁったくぅ〜手間の掛かるご主人さまですねぇ」

 アウドが消えた直後大きくため息をついた魔法使いを見て、ソフィアは思わず笑った。

「でも手間が掛からない方が寂しいです。そう思いませんか? キール様」
「そうですねぇ……確かにぃ〜それは否定できませんかねぇ」

 魔法使いもにやりと笑って顔を見合わせ、それから二人の姿もまたほぼ同時に屋上から消えた。







 ランプ台の弱い明かりの中、グラスに入った金色の液体の影がテーブルに映り、揺れては光る模様を描く。
 暗い部屋の中、その液体の色とよく似た金茶色の瞳の男は、テーブルの上で踊る金色の影を見つめながら動かないまま長い時間を過ごしていた。

「マスター、シーグル様は無事お休みになられたそうです」

 突然、姿を現した部屋の訪問者に、ずっと動かなかった男がちらと視線を動かす。
 そうか、とだけ呟いて唇に笑みを引くと、この国に将軍でもある男はテーブルの上のグラスを持ってその中身を一気に飲み干した。

「新しいボトルをお持ちしましょうか?」

 テーブル上の瓶が空な事に気付いたカリンがそう尋ねれば、セイネリアはグラスをテーブルに置いて窓にその琥珀の目を向けた。

「いや、今日はもういい……あぁそうだ、そろそろ残りが少ないからな、買い足しておいてくれ」

 それにカリンは少し首を傾げ、それから主に聞いてみる。

「承知しました。でももうそんなに?」

 そんなに最近の彼の酒量は増えたのだろうかと考えた後、だが彼女はその理由に思い至って苦笑した。

「シーグル様の部屋に置いたものはそのままなのですか?」
「あぁ、そうだ」
「置いたままでよろしいのですか?」
「あぁ……」

 セイネリアの唇に苦笑が浮かぶ。
 それだけで彼の答えが分かった彼女も微笑んで主の傍に跪いた。

「もし、どうしてあいつの顔が見たくなった時に、あの部屋へいく口実にはなるからな」






 疲れ切ってしまえば、何も考えずに眠る事が出来る。何も考えられないくらい疲れてしまえばぐっすり眠れて、明日の朝は気分を切り替えて少し前向きに考えられるようになる。
 アウドを見送ってベッドに入った途端、すぐに眠気に誘われて、シーグルはまどろみながらそんな事を考える。眠くて眠くて、隣に誰かがいなくても寂しいなんて思う暇はなくて、だからきっとぐっすり眠って明日は少し元気になれる筈。子供の頃、一人で寝るのが寂しくて、それをどうにかする為には考えなくても寝れるくらい疲れればいいのだと思った日から、こんな夜をシーグルは何度も過ごしてきた。
 けれど、今は一人じゃない。
 皆には迷惑を掛けてばかりだと思っても、今は一人じゃない事を実感できる。隣に誰もいなくても、たくさんの人が自分を心配してくれている事を分っている。
 だからきっと自分は大丈夫、皆が支えてくれるから、自分はあの男を助けてやらなくてはならない。例え、どれだけ時間が掛かっても。

 そうして完全に眠りへと落ちる直前、シーグルは頭の中に響く魔剣の魔法使いの声を聞いた。

『本当に君は、たくさんの人を愛して、愛されているのだね』

 あぁそうだ、だから自分は生きていけるのだと、そうシーグルは心で思う事で魔法使いに返事を返した。




END.  >>>> 次のエピソードへ。

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 これでやっとこさエピソード終了です。
 



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