見あげる空と見えない顔




  【12】



「大好きです、ウィア……貴方が一番大好きです」

 耳の傍で聞こえる声に笑みが湧いて、疲労と安堵の中、体から心までが幸福感で一杯になる。幸せだなぁ、なんて間抜けな言葉が頭を巡って、抱きしめているフェゼントの体のその頭に顔を埋めた。大好きな人を体いっぱいで感じて愛されてる事を実感できるのはとてつもなく幸せで、心の中に巣食っていた不安な影を吹き飛ばしてくれる。

――うん、そうだよな俺、もうガキじゃないんだしさ、一人が怖いなんて何やってんだろな。

 一人でもきっと一人じゃない。フェゼントは必ず一緒にいてくれる。彼は自分を置いていかない――そこまで考えてから、ウィアは兄が大神殿に行ってしまってから自分の中に留まってしまった不安の正体に気がついた。

『置いていかないで』

 小さい頃、親戚の家に預けられていた頃。本当はずっと兄にそう言いたかった。訳も分からず親は帰って来ない中、厄介者扱いをされた他人の家でたまにやってくる兄を待つだけの日々。兄は帰ってくる度に謝って甘やかしてくれたけれどすぐにまた去っていく。ウィアは毎回そんな兄に憎まれ口しか叩けなくて、でも本当は泣いて抱き付いて言いたかったのは『置いていかないで』というその言葉だった。――どうやらその時の感覚が心の深いところに残っていたらしい。
 もう兄に『置いていかないで』なんて思っちゃいけない。兄は兄の道を選んで、自分はフェゼントと歩く道を選んだのだから。だから、『置いていかないで』という言葉は、フェゼントが自分に別れを告げるまではもう必要がない言葉だ。

「……そんな事、ある訳ないけどなっ」

 声に出して呟いてしまえば、ぐったりとウィアの上につっぷしていたフェゼントがピクリと反応する。

「何が、ですか?」

 それでやっと顔を上げてくれたから、なんでもない、と言いながらウィアは彼のおでこにキスをした。本当は唇にしたかったけれど、ここでまた濃厚なのが始まってしまったらちょっとその先がきつそうなので今日はもうこのままいちゃいちゃ出来ればそれでいい。

「へへー、今日はすっごいフェズに愛して貰えたから俺は幸せだ♪」

 茶化して彼に抱きつきながらその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。そうすればフェゼントは長い髪に顔がほとんど隠れてしまって一生懸命髪を分けて顔を出そうとする。それでも彼の長い髪は絡まってなかなか上手くいかなくて、ついにフェゼントは起き上がるとまるで犬のように顔をぶるぶるっと振った。

「はははっ、フェーズ、髪の毛のおばけみたいになってるぜ」
「……酷いですよ、ウィア」

 やっと顔が半分だけ髪の間から出て、恨みがましい空色の瞳が睨んでくると、ウィアは笑いながら自分も起き上がってまた彼に抱きついた。

「フェズ、大好きっ」

 ついでに髪の毛を纏めるのを手伝ってやれば、彼はベッドに落ちている紐を拾って髪の毛を束ねて縛った。いつもなら緩く下の方で結んでいたそれを首の後ろできっちりまとめて縛ったから、髪の毛が体に掛からない分少しだけフェゼントの顔は男っぽく見える。それはちょっと悔しくて……でも次は絶対、自分の方が彼を鳴かせてやろうと燃えもして、ウィアは抱きついたまま彼をベッドに押し倒した。

「ウ、ウィア?」
「ふっふっふー、油断したろーフェズ」

 そうすれば今度は自分が見下ろす側になるから気分がいい。ウィアは呆れた顔で見上げてくるフェゼントの顔のあちこちに触れるだけのキスを落す。フェゼントは疲れているのかそれを拒むのも億劫そうで好きにさせてくれて、だからウィアはさんざん彼にキスの雨を降らせた後に抱きついたままその横に体をぴったりくっつけて寝転がった。

「うーん、流石に今日はこの幸せな気分のまま寝たいからここまででいいかな」
「……そうして下さい、助かります」
「うん、まぁでもあれだな、今日愛して貰った分、次は俺ががっつりフェズを愛してやるからなっ」
「…………ほどほどでいいです、貴方の愛はちゃんと分っていますから」
「えー、そりゃもうフェズが涙目で『お願い』ってしてくれるまで愛しちゃうつもりなんだけどな」
「……すいませんウィア、今日はちょっと調子に乗り過ぎました」
「お返しはちゃんとしないとならないだろ?」
「ウィア……」

 本気で困った声で不安そうにフェゼントがこちらを見てくるから、ウィアはそこで笑って許してやる事にする。仰向けに寝ているフェゼントの横にぴったりくっついて寝転がったまま、彼の手を探して繋ぎ、ぎゅっと握り締める。

「じょーだん、いーよ今日はっ。俺すっごい満足したからさ」
「貴方の冗談は本気と区別がつきません」
「うん、まぁ半分くらいはじょーだんじゃなかったりして」
「ウィア〜」

 お互いにもう体は疲れて眠りたがっていたから動く気はなくて、そのまま手だけは繋いで天井を見て、他愛ない話で笑い合う。

「俺はフェズが傍にいれば幸せなんだ、まだまだ周りはいろいろ大変でこれからもっと大変かもしれないけどさ……でも、フェズがいれば大丈夫だ」
「そうですね、これからもいろいろあるでしょうね……」

 けれどもそこでふと会話が途切れて、二人共に顔から笑みが消えたのが分ってしまう。互いに相手が何を考えているかまでは分からないものの、この先を考えればそうそう楽天的な事を言っていられない事も思い出す。

 それでも、ウィアは笑って、そうして聞いてみる事にした。

「なぁフェズ……もしさ……まぁその、ほんっとにもしもの話だけどださ、シーグルが生きて帰ってきたら、フェズならまずどうする?」

 それには彼はすぐに返事を返しては来なくて。けれども暫くの沈黙の後、穏やかな声で彼は言ってくる。

「そうですね……まずは怒って彼を殴りましょうか」

 楽しそうな声なのに内容は想像していたものからは意外過ぎて、思わずウィアは寝転がったまま顔だけをフェゼントの方に向けた。

「そっか、フェズ……やっぱ怒るんだ」

 そうすればフェゼントもウィアの方に顔を向けて、優しく微笑んでくれた。

「いいえ、怒りなんてこれっぽっちも湧かないでしょうね。だって彼ならきっと相当の事情があって帰れなかったのだと思いますから。だから多分、私はただ彼が生きているのが嬉しくて泣いてしまうと思います。……でも彼なら恐らく怒って貰った方が楽になれると思うんです。だから、兄としてまず最初は怒ろうと思うんです」
「そっか……うん、確かにシーグルならそうだろーな」

 あぁやっぱりちゃんとフェゼントはシーグルの事を分ってるんだ、と思ってウィアは彼に返すように笑ってみせた。互いに微笑みあって手を強く握りしめて、けれどもフェゼントの水色の瞳は僅かに潤んで涙をこぼした。

「本当に彼が……生きていてくれたらいいのですけれど」

 それに、そうだな、という以外、ウィアには返す言葉はなかった。



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 久しぶりのいちゃいちゃでした。
 



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