呼ぶ声と応える声と




  【5】



 眠りにつくのは、気絶にも近い疲労に押しつぶされた中。
 レザはその立派な体躯に似つかわしくとんでもない体力の持ち主で、それで好き勝手にシーグルを抱くのだからシーグル側の体力が持つ筈がない。彼に抱かれている内に精根尽きて眠っていた、というのが彼と夜を過ごす事になっていつもの事になっていた。
 だから、朝になれば体の習慣に従って意識は浮かび上がって来ても、体の疲労で起きる気になれない。どうせ起きても怪我のせいで剣を振れるわけでもない――とそう考えて、まだ怠いと返す体に任せて再び眠りにつく。
 レザがいる時は魔剣の夢も見ないから、ただ疲労に任せて夢もなく眠る。体が疲れ切っている所為か、レザの鼾も気になる事もなく、意識はまどろみの中に向かって行こうとしていた。

――シーグル。

 唐突に、頭の中に聞こえた声にシーグルは目を開いた。
 いや、シーグルが目を覚ましたのはその声だけが原因ではなかった。
 意識が薄闇に飲まれる瞬間感じたのだ、自分を抱きしめてくる知っている腕の感触を。レザに抱かれ過ぎて忘れてしまった気がしていた、あの男の気配を、匂いを、ほんの一瞬だがシーグルは今はっきりと感じた。

「なん、で……?」

 聞こえた声は苦しそうだった。あり得ないと思っても、それは確かにセイネリアの声であるのがシーグルには分かってしまった。
 途端、シーグルは自分の腕で自分の体を抱きしめる。あの男の感覚が残る体を抱きしめて、目を瞑って残る彼の気配を追う。

――お前は、俺を探しているのか?

 心で問いかけてみても勿論彼の返事が返ってくる筈はなく、その声が彼に届いた気もしなかった。
 レザが本当にシーグルの事を、リシェにも、自国の王にさえ言っていないのであれば、これだけの時間が経ってしまえば国ではシーグルは死んだ事になっているだろう。シーグルが失われる事が怖いとそう言ったあの男は今、どんな顔をして自分を探しているのだろうとシーグルは考える。自分が死んだと聞いた時、どうしたのだろうと思う。
 想像する事も怖くて、苦しくて、目からは涙が落ちてくる。
 何度も愛していると言って彼が抱いたこの体が、別の男を毎夜のように受け入れている。それを思うとそれだけで心が叫ぶ。嫌だとひたすら拒絶の言葉が頭の中をぐるぐると巡る。噛み締めた歯がガチガチと音を鳴らす。今こうしている事が嫌で嫌で堪らなくて、胸や胃がムカついてくる。
 発作のように動悸が激しくなって、シーグルは胸を押さえ、震える体を丸めてその感覚をどうにか耐えようとした。

「――おい、どうかしたのか?」

 シーグルの様子がおかしい事に気付いたのか、レザが起き上がって体を軽く揺らしてくる。

――触るな。

 そう叫んで男の手を振り払いたくなる。
 今、この男にに触られたくなかった。この男の手の感触がとんでもなく不快で嫌だった。近くにいる事さえ耐えられなかった。

「どうしたんだ? 寒いのか? どこか痛むのか? くそ、今ラウを呼んでくるからな」

 それで男の手と気配が離れて行ったことで、少しは気分がよくなる。体の震えが止まって、吐き気も少し収まってくる。

「セイネリア、俺はここだ……」

 シーグルは枕に顔を押し付けると、そう呟いた。









 眠りたくはなかった。眠れば見るのは悪夢だけだと決まっている。けれども例え悪夢であってさえ、彼に会えると思えば眠る事も出来た。――そう、少し前までなら。彼が平和に暮らしているのだと確信出来ている間なら、夢に心を惑わされないで済んだ。

 セイネリアの目の前には、やはり『彼』がいた。
 白い肌を曝した姿で、男達にもみくちゃにされながら揺れている、銀髪の美しい青年。
 もう声さえ出ないのか、口は開いたまま殆ど動かず、涎と男達に注がれた白濁した液を口から零している。深い青の瞳は開いたまま何も映さず、ぼんやりと何もない宙を見つめているだけだった。
 揺れる彼の体は人形のようで、腕や足をあちこちから引っ張られながらされるがまま、ピクリピクリと時折動いて生きている事をかろうじて知らせている。
 彼の腰を掴み、自分の腰を打ち付けている男が去れば、すぐに別の男が休む間もなく彼に雄を突き立てる。
 揺れる彼の顔には生気がなく、白い顔にはもう表情もなく。ただ空っぽの青い瞳が何もない空間を見ている。

 ただの美しい人形。男達の欲を受け止めるだけの人形。
 ここにはもう『彼』はいない。
 『彼』の心はもうどこにもいない。
 『彼』は失われてしまった。

 もう、二度と会えない。

 夢だと分かっていても、心は悲鳴を上げる。
 心がだらだらと血を流してのたうち回っている。

 シーグル、と彼の名を叫び、彼を呼んだ。

 そうして――痛む心臓を掴みながら、セイネリアは目を覚ました。自分の弱さを再確認して、震える手をぐっと握り込んで、自分の無様さを嘲笑う。

「……ふん、予想通りだな」

 眠ればどんな夢を見るかなんて、セイネリアには分かり切っていた。
 自分が一番恐れている事を夢とする――『奴』がやる事などいつもそれだけだ。
 起きている時は意識して抑え切れても、眠っている時は『奴』に干渉されるだけの隙が出来る。

「そんなに俺を壊したいか」

 机に立てかけられた、鞘から柄、刀身までもがすべて黒い剣に向かって思わず呟く。
 剣の中にいる魔法使いはこの世界全てを憎んでいる。この世界全てを壊したいと願っている。その願いの為に、剣の主をその憎しみに取り込もうとする。

「夢だけで俺が壊れるものか」

 自分が壊れるとしたら、この手に彼の屍を抱いた時、彼を失った事が確定された時――本当の絶望を知った時だけだ。夢は現実ではない、夢はただの自分の恐れが映像となっただけのシロモノだ。恐れ程度で壊れるようでは、それこそ最強などと名乗る資格はない。
 まだ彼に会える可能性があるのに、夢などで自分を見失って全てを終わりにする事などできる筈がない。

『マスター、そうしたら貴方はもう、最強ではいられないという事ですか?』

 突然、頭に蘇るのは赤い髪の部下の声。戦地に送る時、彼が最後に尋ねてきた言葉が頭の中に響く。セイネリアこそが最強であると、その為に部下になりたいと言った彼は、確かにセイネリアが最強で在り続ける為にその命を落とした。

「まったく、情けない。これで最強だなどとは笑い話だな」

 セイネリアは笑う。ただ声を上げて嗤う。自分が無様で、情けなくて、恐れに対して無力過ぎて、嗤う事しか出来なかった。








 気がついた時、目の前にいた青年の顔を見て、シーグルはそれがレザではなかった事に少しだけほっとした。
 辺りを見渡して、部屋の中にレザの姿が無い事が分かると、更に安堵の息を吐いた。

「さて、少し聞きたい事があるんですけどね。恐らくバロンはいない方がいいと思いましたので外に行ってもらってます」

 シーグルはそれで体を起き上がらせる。
 青年はそれを見ると、ベッドの傍の椅子に座った。

「本当は前にも思ったんですが……その時はバロンがいましたからね。貴方たまに、なんだか急に魔力が強くなりますよね、今みたいに」

 そうか、彼も魔法使いだから分かるのか。
 そう思ったシーグルは、少し考えた後に答えた。

「それが何故かまでは言えないが……満月周辺には、俺には強い魔力が流れてくる、らしい」
「満月? ……あぁそれで。そういえば前の時も満月だった気がします」
「その中でも今度の満月は特に、一年で一番魔力が強くなるんだ」
「成程」

 今度はこちらをまじまじと見つめながら考えてしまったのは青年の方で、彼は主にどう報告するべきか困っているようだった。

「君からは、今の俺はどう見えるのだろうか?」

 聞けば青年は更に眉を寄せた後に、唸りながら答える。

「んー……そうですね、魔力がふわふわと貴方から溢れてくる感じでしょうか。いや、目に見える訳ではなくてですね、近づくと感じる、ような。こうして手を貴方に近づければその手に感じるくらいですから……相当の魔力ですよね、これ」

 青年が手を伸ばしてきて、シーグルのすぐ目の前で掌を開く。
 シーグルはため息をついた。

「今の俺は魔法使いにとっては馳走らしい。その所為で国にいる時はあちこちの魔法使いに狙われた」
「あぁ……成程ね」

 言いながらも未だに悩んでいるような青年を見て、そこでシーグルは思いついた。

「今の俺は体の全て……体液にまで魔力が宿っているらしくて、満月の時は魔法使いに襲われて……何度か犯された。そういう意味で魔法使いにとっては俺が馳走らしいんだ」
「はぁ……それはまた随分と難儀な性質というか体質というか……」
「そういう訳だから、今の俺とそういう行為をすると魔力が相手に流れる。魔法使い達にとっては馳走かもしれないが、そうでない人間にはどういう影響を与えるか分からない」

 頭のいい青年は、それだけで何がいいたいか分かったらしく表情を険しくした。返す声の方も真剣さが伺える。

「つまり、今の貴方を抱くとバロンに危険がある可能性もある、という事ですね」

 思った通りに解釈してくれた事に、シーグルは内心安堵した。

「そうだ。だからそれが落ち着くまで彼には俺に触らないように言ってくれないだろうか」

 恐らく、セイネリアの気配を感じてしまったのも、聖夜が近くて彼から相当量の魔力が流れてきている所為ではないか。だからこそあれ程までにレザに触れられるのが耐えられなかったのだろうとシーグルは考えた。

――ならばせめて、この時期の間だけでもあの男に抱かれないで済ませられれば。

 そうすればまだ耐えられる。
 だがもしそれが出来ないならば――それを考えるだけでぞっとする。もしレザに抱かれている最中にセイネリアの気配を感じてしまったら、どれだけ無様に、みっともなく、喚き叫び散らすかもしれないとシーグルは思う。

「んー……今のあの人に貴方に触れるなって言うのは難しいんですけどね……まぁ、病気でもでっちあげて貴方を一時的に隔離でもしましょうか」

 それに心底ほっとして、シーグルは大きく息をついた。

「頼む」

 そんなシーグルの様子を見て腕を組んだ青年は、少し考えたあとに言ってくる。

「しかし体液ですか。……疑う訳じゃないんですけどね、念のために試させてください」
 そうして近付いて来た彼の顔を拒むことなく、シーグルは彼からの口付けを受け入れた。僅かに開いた唇の隙間から彼の舌が入ってきて、舌と舌が軽く触れるとすぐに彼は唇を離した。

「いいです、分かりました。これは確かに……」

 自分の口を押さえながら、彼はそこまで言って言葉を濁す。

「やはり、魔法使いなら分かるのか?」

 聞き返せば青年は、気まずそうに唸りながら言った。

「んー……私もまさかこんなにはっきり分かるとは思わなかったんですけど。……なんというか……確かにこれじゃ、程度によっては魔力がない人でも使えるように出来そうです。我慢出来ないタイプのあの人には触れさせない方がいいでしょうねぇ」

 それでシーグルは、見るからに分かる程大きく安堵の息を吐いた。



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 セイネリアと剣の事情はこのエピソードである程度明らかになります。



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