呼ぶ声と応える声と




  【6】



 結局、シーグルが満月の夜に抱かれる訳にはいかないのは、宗教上の理由、という事にする事となった。というのも、それが今回だけのことではなく満月の度にとなれば、どうやっても病気で押し通すのは難しいからだ。

『バロンは外征が多かった事もあって宗教に関しては緩い人ですから。デラが絶対というよりゲン担ぎ程度に祈るもので、信じる神は人によって違うっていうのに理解があります、だから俺なんかを匿ってくれたわけですし……。ともかく、そういう理由なら尊重してくれると思いますので説得は任せて下さい。貴方は私の言った事に頷いていてくれればいいですから』

 そう言って、青年がレザに説明した作り話は以下になる。
 シーグルの信じる神リパは満月を司る神で、だから信者は神聖な満月の夜とその前後二日間は性行為をせず、肉も食べず、身を清めていなくてはならない――と。
 微妙に合っているところがあるのが面白いが、どうせシーグルは捕まってから今までの満月の時は怪我をしていた所為でレザに抱かれていないし、食事は勿論ケルンの実しか食べていなかった。今後も満月前後どころか普段もケルンの実のシーグルとしては、だから大人しく彼の言葉に頷いていた。

「特に一年でも一番神聖な聖夜に当たる今回の満月では、信者は絶対にそれを破らないように予め魔法の暗示を掛けられているそうです」
「……つまり、その暗示のせいでさっきの発作が出たという事か」
「だそうです」

 わざとだろうやけに難しい顔を作って話す青年に、レザはその立派な体躯に似合わない、情けない声をあげた。

「じゃぁつまり……俺はこれから5日間はそいつを抱いたらだめな訳か」

 本当にこの男はどれだけ頭がそっち方面中心なのだろうと思うと、シーグルは青年に合わせて深刻そうにしている顔を崩しそうになる。

 ――悪い人間ではない、とは思うのだが。

「そういうことです。貴方の場合我慢できると思いませんから、いっそ会わない方がいいのではないでしょうか? ここのところずっと鉄の館に入り浸りでしたし、暫くは布の館の方にいってくるのはどうでしょう?」
「そっち……はなぁ……」

 言葉を濁して気まずそうな顔をしたレザは、ちらりと恨めしそうにシーグルを見て、それから大きく、声まで出してため息をついた。

「はぁ、あーもう分かった。布の館に行けばいいんだろ。最近はあっちいってもあまり歓迎されなくてなぁ……」
「それは貴方が全然向こうに顔出さないからですよ。まぁそんなに精力有り余ってるなら、また『本物の息子』を増やしてきたらどうですか」
「あーもう、分かった、分かったよっ」

 相当に名残惜しそうに、恨めしそうにシーグルを見て行ったものの、結局大人しくレザは出ていってくれて、シーグルは本当に深く安堵した。

――まったく、本当に悪い人間ではないと思うんだが。

 ちなみに、布の館というのはレザの家族に当たる女性、つまり妻や娘や愛人が住んでいる館の事を言うらしく、この男ばかりの館はそれに対して鉄の館と呼ぶらしい。本物の息子を増やしてこい、の意味がそれで分かったシーグルは、それを聞いて呆れた声で呟いた。

「そもそも、妻がいるならそちらを優先すべきだ。こちらに入り浸っている必要がない」

 しかも妻が複数いるなら尚更、それこそ男に手を出してる暇もないんじゃないかとシーグルは思う。

「まぁあの人あれで義理堅いんで、死んだ部下の奥方には自分から手を出しませんからね。正妻のナウローフ様はもう契約期間が終わってますし……」
「契約?」

 夫婦の話にしては似つかわしくない言葉を聞いて、思わずシーグルが聞き返す。

「えぇ、貴族同士の結婚は契約なんですよ。最初に契約年数を決めましてね、その期間内、奥方は他の殿方と関係を持ってはいけないという。そして期間内に跡取りを生めなかった場合は再契約か離婚か……」

 なんだか自分の中の常識と違いすぎて、シーグルは考えるだけでめまいがしてきた。

「待ってくれ……そうなると契約中に跡取りが生まれた場合はどうなるんだ?」
「えぇ、それは簡単です。奥方様は訓練を始める歳まで息子を育てる義務が生じますが、それが終わって契約期間も切れてしまえば、後は布の館の主として愛人を囲おうが好きに遊び放題です。レザ夫人であるナウローフ様も、4、5人若い男を囲ってらっしゃいますよ」

 つまり、無事息子が生まれたレザ夫婦は後はお互い自由に愛人と遊び放題という状態なのだろうか。……と、結論は単純なのだが、どうしても感情的に納得したくないシーグルは頭を抱えた。

「まーですから、アウグの貴族の当主というのは契約期間中は布の館にせっせと通うんですが、その反動もあってか女性に疲れるらしくて、無事跡取り候補が何人かできて契約が終わると鉄の館に引きこもってのんびり過ごす人が多いんですよ」

 それを当たり前のように笑顔で説明されるのだから、シーグルは自分の感覚と彼らの常識との大きすぎる隔たりをさらに実感する事しかできない。
 そうして思う。よくクリュースの冒険者は性的な方面に関してモラルが低いと言われているが、この国の常識からすれば全く問題ないのだろうな、と。







 どこまでも続く白銀の世界。
 ここ数日の吹雪が嘘のように収まったとはいえ、ぎりぎりどうにか出れる程度かとセイネリアは辺りを見渡しながら思う。
 シーグルに関しての確かな情報が全くつかめないまま、とうとう季節は冬になっていた。蛮族達が住む北の山脈沿いに広がる地域は、冬になれば移動が困難な程雪と氷の世界になる。移動は転送でもクーアの術は小刻みに位置を調整しながら跳ぶ為、天候が荒れている時は勿論、あまりにも雪が積もってしまうと蛮族達の村へ行くような長距離の移動は厳しい。今日のように余程天候的な好条件が重ならない限りはどうしようもない。

 やっとボウ族達の冬の居住地区が分かったと連絡が来たものの、こうして移動できるようになるまでセイネリアはそこから8日も待たなくてはならなかった。その間何度も剣の魔力を使いそうになって、セイネリアにとっては自分の心を押さえ込むのが一番の重労働だったのだが。
 なにせ、心の隙を見せればすぐに剣が意識に入ってくる。思考が感情的になりすぎればいつのまにか意識が剣と同調する。
 今まではどんなに感情が揺れても意識がある間に剣の意志が入り込むところまでになる事はまずなかった。シーグルが壊れそうでそれが恐ろしかった時でさえ、寝ている時以外は完璧に押さえ込めた。
 それが今はこの有様なその理由は分かっていた。剣の魔力はセイネリアを通してシーグルに行く。だからこそセイネリアは何度も剣の魔力の流れを探ろうとした。せめて方向だけでも分かればと、剣の魔力を受け入れそれを辿った事で、剣の意識もまた受け入れてしまっていたのだろう。
 それでもまだ完全に意識が持って行かれないのは、セイネリアには今ここで剣に飲まれる訳にはいかない理由があるからだった。シーグルを失う事に怯え、感情を浸食されそうになっても、彼が無事であるなら彼を取り返さなくてはならない。だからセイネリアは剣の誘いを退ける事ができる。少しでも彼が無事な可能性が残っている内は、自分はなにがあっても剣に飲まれない自信がある。

――だが逆を言えばこの状態は、あいつが死んでいたなら俺はもう剣に取り込まれる事が確定という訳だな。

 他人事(ひとごと)のようにそう思って、自嘲の笑みが浮かぶのも何度目か。我ながら随分と心というのは脆いものだとセイネリアは思う。
 そういう部分の強さなら、自分よりずっと彼の方が強い――そう思いながら、だから彼なら何があっても大丈夫だとセイネリアは自分に言い聞かせていた。生きている限りは、彼は彼を諦めていない筈、自分はまた彼に会える筈。
 そうして祈るように、セイネリアは厚いグローブの上から彼と繋がる指輪の感触を唇でなぞった。

「ソフィア、位置は掴めたか?」

 辺りを『視て』いた少女に聞けば、はっきりとした声で彼女は答える。

「はい、見えました。ですが外に出ている者はいません、どうしますか?」
「族長の居場所は分かるか?」
「はい、おそらく」

 セイネリアはそれを聞くと、わずかに口元に笑みを浮かべ、手に持っていた斧付きの大槍――一般にはハルバートと分類されている武器に巻かれていた布を取った。

「なら面倒な事はせず、今回は族長に直接聞きにいこう」
「分かりました」

 それからまもなく、セイネリアと二つの小柄な人影はその場から姿を消した。







 ボウ族はこの辺り一帯に点在するほかの部族達と同じように、男が狩りをし、女は家畜を育てて生活をしている半遊牧民である。
 ただ冬になればこの厳しい大地は狩りどころか移動自体が滅多に出来なくなるので、秋までに食料を蓄え、冬の間は低地まで降りて、冬場用の居住区に皆で固まって生活をする事になる。
 その年の冬は戦争で多くの男連中が死んだというのもあって、蓄えを備えるのも厳しく、奇跡のように晴れたその日は数少ない動ける男は朝から狩りに出掛けていて、村に残っていたのは大半が女子供や老人だった。
 それが災いしたのか、あるいは幸いだったのか。
 『その男』がやってきた時、迎え撃ったボウ族の戦士達は全部で8人しかいなかった。それは確かに強さで上位にいる者達ではなかったが、それでも笑える程一瞬で、言葉通り彼らは全員簡単に吹き飛ばされた。
 あまりに簡単に、男が持っていた大槍を一振り二振りしただけで向かった男達が全て戦闘不能に陥ってしまった事で、族長であるラズァは戦士としての誇りも何も捨ててその男に命乞いをする決断をした。

「やめろっ、お前達はもう手を出すなっ。いいか、絶対にあいつに手を出してはならんっ、攻撃をされたら逃げるのだ」

 貴重な戦士達をこれ以上失う訳にはいかない。相手が真っ直ぐに族長であるラズァの元に向かってきたという事は交渉する気があるという事だろう。
 行く手を阻む者がいなくなった事で、ゆっくりと歩いてきた男のその姿を見て、ラズァは呟いた。

「セイネリア……」

 ラズァも前に見た事がある、全身を黒で固めた姿の男。かつてはクリュースの国境に攻撃をしかけて、この男がいると知ればそれだけで撤退をする程恐れられた黒い悪魔。このところ前線に出てくる事がなかった男が、わざわざここへきた理由は何かと考える。
 だが、そうして彼が考えていられたのは男が目の前にやってくるその時までだった。
 何が望みだ、と男に向かって言った言葉を聞いているのかいないのか、黒い騎士は黙ってラズァの目の前まできて足を止めた。それでも退く事なく立ったまま騎士を見ていたのは族長としての彼の矜持故だが、その直後、騎士の後ろからひょこりと現れた少年と目が合って、少年が何かを呟いてから彼の意識は闇に落ちた。

「レスト。どうだ分かるか?」

 倒れたラズァの傍に座って、その意識を読み始めたレストにセイネリアが声を掛けた。
 流石に族長が倒れた直後は遠巻きにいる者達からざわめきが起こったが、族長が言った言葉の所為か、それとも単に怯えてか、彼らから敵意は感じても向かってくる者はいなかった。

「うん、ソウって人だよね。確かにアウグのレザ指揮官が連れて行ったって」

 暫く村長の傍にいたレストが顔を上げて言ってくる。

「そいつは実際に連れて行った本人を見て確認しているか?」
「ううん、保護して気にいったから連れて行くってレザの代理人が交渉に来ただけだから、向うに保護されてからは一度も見てないね。でも返された装備は確かに本人のものだったって」
「装備か……それがある場所は分かるか?」
「うん分かるよ。この人から見るものはもういい?」
「あぁ」

 そうしてレストは立ち上がると、恐らくは族長の家らしきものに向かって歩きだした。それにセイネリアがついていけば、人々は何も言わずとも道を開ける。後ろでは地面に放置された族長に人々が集まっているものの、ただ眠っているだけだというのが分かって安堵の声らしき物が聞こえてくる。
 まぁ、こちらの好きにさせれば危害を加えないというのが分かれば、ヘタな事をしてこないだろう。
 別にセイネリアは暴れたくて派手な武器を持って来た訳でもない。単に複数人を相手するのに都合がいいのと見た目で脅しが利くからだ。無駄な戦闘をせずに速やかに用件が終わるのならそれでいい。

「でもマスター、ソウって人の装備なんか探してどうするの?」

 家に入った途端、ふとそう聞いてきたレストにセイネリアは返した。

「あぁ、それを手に入れたら一度アッシセグに帰るぞ。むこうにはそういうのから記憶が読めるヤツがいただろ?」

 モノの記憶を読む能力を持つというケーサラー神官……でもあり吟遊詩人でもある男。彼ならその装備から記憶を辿って、少なくともその鎧の持ち主が鎧を脱いだ時の状況までは分かるだろう。それで少なくともソウというのが本当に本人だったのか、そうでないのかはハッキリする。



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 やっとシーグルの情報にたどり着いたセイネリアでした。



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