【7】 シーグルは目を閉じる。 目のように、耳にも蓋をして音が聞こえなく出来ればいいのに。あぁそれよりも感覚を完全に閉ざす事が出来ないだろうか、鼻も塞いで匂いも嗅ぎたくない――思ってもそれが出来る訳もなく、だからただシーグルは目を閉じて、出来るだけ何も感じないようにするしかなかった。 それで今は、まだマシだと言えた。 それらの感覚器官を塞ぐ事は出来なくても、今のシーグルは酒の力を借りてそれらの感覚を鈍らす事が出来ていたからだ。 レザはシーグルを抱く前に、話をしながら酒を飲む事が多かった。この寒い国では体を温める意味でも皆よく酒を飲むそうだが、試しにシーグルも彼から酒を貰ってみた。弱い事をあらかじめ断っておいたから量は飲むというより舐める程度で、そうすれば寝るところまでいかないもののいい具合に感覚が鈍って、意識も少し揺れてきた。 「は……あぅ」 体の中に入ってくると同時に、体を倒してきた男をぼんやりと見上げる。 丁度いいことにアルコールで鼻もすこし馬鹿になっているらしく、匂いで思い切りレザの存在を感じる程ではない。 だから目を閉じれば思考を誤魔化す事さえ可能だった。今目の前にいるのが誰なのか、今自分に触れているのが誰なのか、自分の中にいる男が誰なのか。 体の熱が上がってきて、正気が薄れていけば更にそれは進んでいく。『彼』ではない男に抱かれているのが嫌だという感情が、思考を騙して錯覚させる。 今自分を抱いているのはあの男なのだと。誰よりも強く、そして誰よりも切実に自分を愛していると言ってくれた男、セイネリア・クロッセスだと。 「ふぁ、あぅ……ん」 完全に頭が騙されてくれれば、後はもう溺れればいい。 抱いている者が『彼』だと思えば、心も身体も拒絶に暴れる事はなくなる。ただ快楽を享受して、思うままに体を投げ出せばいい。 シーグルの腕が、目の前にいる男の首に回される。抱きついて、縋って、自ら腰を揺らして喘ぐシーグルに、レザは驚きながらも口元に深い笑みを浮かべた。 「やっと、その気になってくれたか」 繋がったままレザが唇を押し付ければ、今まであからさまに嫌々受け入れていた青年がすぐに口を開いて舌を絡ませてくる。 やっと快楽に落ちて身を委ねてくれた美しく誇り高い獲物を、レザは思うままに貪った。 その日の朝は、夢を見る事もなく目が覚めた。 その事自体は良かったのだが、目が覚めて最初に自分を抱きしめている男の顔を見た途端、シーグルは思わず相手から離れようと暴れ出した。 「離せっ、このっ、離せぇっ」 そうすれば当然レザも起きて、もがくシーグルを更にぎゅっと抱きしめてきて身動きを取れなくさせる。 「なんだよ、つれないじゃないか。夕べはあんなに可愛く俺に縋りついてきたくせに」 顔まで擦り付けてこようとするその顔を引き離して、シーグルはレザを睨み付けた。 「酔いの所為に決まってる、とにかく離せ、暑苦しい」 そうすればしぶしぶといった顔をするものの腕自体は緩めてくれて、シーグルはほっとして彼から距離を取った。 「酔いの所為か……ま、最初の内はそれでいいさ。それなら当分、夜はお前に酒を少し入れてやったほうがいいな」 嬉しそうにそう言うレザの様子に顔を顰めるものの、シーグルとしてもそれは歓迎するところでもあった。なにせ正気でレザに抱かれるのにはそろそろ限界を感じていた、本気で何時みっともなく叫んで嫌だと暴れ出さないか、自分でも自信がなくて怖いくらいだったのだ。この状況から逃げようがないのなら、酒で頭を騙して受け入れてしまった方がいい。 何があっても生きている事――その為なら、心の痛みも、体が堕ちる事も、全て受け入れてやるさと自分に言い聞かせて。 ケーサラーは記憶と記録の神である。 だからケーサラーの神殿魔法もそれに関する事となる訳で、有名なところでは並外れた記憶術などがあるが、神官限定が使える面白い術としては生き物ではない『物』から記憶を読み取るというものがある。 どんな『物』から記憶を読み取れるかに関しては、各神官によってその得意分野が異なるという事だが、黒の剣傭兵団に最近入った吟遊詩人でもある男の能力は、風景全般から記憶を読む事だという。 早い話、一種類の『物』に特化せず、その風景にある物全般から読み取ったそれぞれからの記憶を統合して過去の風景を頭に思い浮かべる事が出来るらしい。 だから一つの物から深い記憶を探る事は得意ではないという事だが、逆を言えばどんな物からもある程度読み取れるという事でもある。 今、セイネリアが持ち帰ったソウ・ゾ・デタンという人物の装備を膝に置いて、詩人はずっと目を瞑っていた。 記憶を読むと言っても言う程簡単な事でもないらしく、物の持つ記憶にはゆらぎがあって時間感覚があまりないそうで、目的の記憶にたどり着くのは運と根気が必要な作業らしい。 言われた通り、彼がこうして装備の記憶を読みだしてから既に半日が過ぎていた。途中僅かに表情を変えたり、体勢を変えたり等で動いてはいるが、基本はずっとじっとしているのだから成程大した集中力だとはセイネリアも思う。 『えー、恐らく一日仕事か、ヘタすると一日では済まないので、貴方が付き合う事はないと思いますよ?』 そうは言われても、セイネリアは彼に付き合う事にした。 カリンには何かあったら呼べと言ってある為問題はない。もそもこのところセイネリアは何時団にいるか分からない為、自身が出ていかなくてはならないような仕事は極力いれないようにしてあった。 何より、もしこれが『当たり』なら、セイネリアは出来るだけ早くその報告を聞きたかったのだ。 朝から始まった吟遊詩人の術は、日が傾いてもまだ続いた。 昼食を取らなかった彼につきあってセイネリアも昼を抜いたが、別段空腹を感じる事もなかった。そもそも、食わなくても問題がないが……と考えれば自嘲が唇に浮かんだが。 そうして、更にどれくらいの時間が経ったのか。ただじっと眺めていたセイネリアの目の前で、身動きも殆どなく座っていた吟遊詩人の眉間に皺が現れた。 その程度はたまにあった為さほど反応をしなかったセイネリアだったが、彼の表情がどんどんと険しくなっていくに至って、セイネリアもまた眉を寄せる。そうして、ふぅと大きく息を付きながら吟遊詩人がゆっくり目を開くと、セイネリアは彼の顔を凝視して彼が何かを言うのを待った。 吟遊詩人はセイネリアの顔を見ると、にやりと口端を大きくつり上げて口を開く。 「どうやら『当たり』のようです。何時の事かまでは確定してませんが、この装備をクリムゾンさんがシーグル様に着せたのまでは見えました」 セイネリアには、勿論、それだけで十分だった。 --------------------------------------------- 短くてすいません、次回は黒の剣の秘密のお話。 |