呼ぶ声と応える声と




  【9】



 温暖な港町アッシセグにも、雪が降る事はある。
 それでも首都とは違い家々の屋根をうっすら白く染める程度だが、寒さに慣れていない人々は震えて外に出なくなる。とはいえ、寒いと言っても冬も終わるこの時期の雪は朝が来れば消える運命の為、寝てしまうのを惜しんで人々は窓の風景を眺める。いつもは明るいイメージの街がしんと静かな街並みに変わる様は、街の人々にとっても見惚れる程の美しさがあった。
 その、寂しくも美しい風景を窓から見ながら、この傭兵団の長であるセイネリアの表情は険しかった。ただでさえ普通の者なら向けられただけで怯える彼の金茶色の瞳は、空を舞う雪を憎しみを込めて見つめている。
 その理由を、彼の忠実な部下であるカリンは分かっていた。

 セイネリアが持ち帰った装備を吟遊詩人がケーサラーの能力を使って見た事で、それをシーグルが装備していたという事が確定した。となれば今、レザの元にいるのはシーグルで間違いないという事で、セイネリアがすぐにでもアウグに行くと言い出すのは当然の事だった。
 だが、ラタからの報告でもレザ男爵邸の傍には近づく事も中の様子を探る事も不可能としかなく、そして何よりこの時期にアウグに行く事はどう考えても厳しいという事で、カリン以下、団の幹部連中は全員でセイネリアを止めたのだった。

『アウグへは魔法使いの直接転送を使えません』
『なら国境まで行って、後は徒歩で行けばいい』
『無茶です、国境周辺の積雪は人の身長をゆうに越しています。あそこを徒歩で抜けるのは自殺行為です』
『なら俺一人でいく。それならどうにでもなる』

 いつもなら冷静に状況を見てから判断する筈の主がそこまで無茶を通そうとするのは、それがシーグルの事であるからに他ならない。
 だからカリンは彼を止める理由を変えた。

『ボス、もし無事シーグル様を取り返す事が出来たとして、おそらく怪我をしてらっしゃるシーグル様を共に厳しい雪道を歩かせて帰ってくる気ですか? シーグル様がレザ男爵の元にいるならご無事でいるに違いありません。少なくとも酷い扱いを受けているとは思えません。……ですから、雪が解けて普通に行き来出来るようになるまではどうにか抑えて頂けませんか』

 自分の事なら顧みない男も、シーグルの生死が関わるとなれば考えが変わる。
 だから結局、セイネリアも折れた。
 シーグルを無事に連れ帰るという点から見れば今は動くべきではないという事は、さすがにこの状況のセイネリアでも理解せざるえなかったのだろう。
 けれど、冷静にそう判断する思考があっても、心というのはそれで割り切れるものではないのは仕方ない。いや、かつての彼なら心さえも思考で全て制御出来たのだろうが、今の彼には――正確にはあの青年の事に関してだけは――感情が思考を振り回す。
 忌々し気に外を見つめる琥珀の瞳を見ていれば、カリンでさえもが天から落ちる可憐な白い妖精達を呪いたくなる。

「後もう少しです。どうか、春までお待ちください」

 言えば黒い騎士は、瞳を窓から逸らさないまま答えた――分かっている、と。
 そうして彼は、自らの指に確かに存在する指輪に唇で触れた。







 太陽の光が日に日に強くなり、空を厚い雲が覆う日の方がまれになってくると、雪と氷に閉ざされた北の国にもやっと春が訪れる。

「剣を貸して欲しい、練習用の刃のないものでいいんだ」

 シーグルがそう言った理由が分かっているだろうに、レザはわざと胡散臭そうな顔をして聞き返した。

「何故だ?」

 それにシーグルがむっとすれば、レザは途端笑い出す。

「なんだ、怒ったのか? まったく、実は気が短いだろお前」
「お前がわざとらしく聞いてくるからだ」
「いやなに、お前が怒るかと思ったらついな」
「なんだそれは」
「それはな、いつもすましてる奴はこう、つつきたくなるだろ」

 シーグルは大きくため息をつく。レザは笑いながらもシーグルの体を抱き寄せようとしてきたので、すかさずシーグルは彼の顔にクッションを押しつけた。

「本当につれないなぁお前は。こんだけ可愛いがってりゃ、普通はいい加減落ちてくれるんだが」
「生憎、落ちてやる気は微塵もない。だから早く、リシェと交渉して俺を帰してくれ。もうすぐ春になる、そうしたら使者も送れるだろ?」

 言って彼を睨めば、笑っていたレザの顔からも笑みが消える。
 けれど彼はそれについて何かを返してはくれず、くるりときびすを返してブーツをはきだした。

「剣が借りたいんだったな。なまくらでもいいなら、俺がいる時だけなら貸してやってもいい」

 つまり、レザは未だにシーグルを帰す気はないという事なのだろう。
 シーグルはそこでまたため息をつく。

「……それでもいい、振れればいいだけだ」
「なんなら俺が相手してやろうか?」

 ブーツを履き終わったレザが振り向いて言う。にかっといい笑顔の彼を見れば、わかりやすい男だという感想しかわかない。

「いや、今はまだやめておく。体がなまりすぎててとてもじゃないがマトモにお前の相手を出来る自信がない」

 それを聞いて軽く笑った後、レザはベッドから立ち上がると上着を羽織ってドアに向かって歩きだした。
 
「んじゃ、お前が調子を戻すまではお預けという事で、それまで楽しみにしておく。なにせお前との勝負は横やりが入ったせいで中断させられたキリだからな」

 言いながら手をひらひらと振って、彼は部屋から出ていった。

――本当に、悪い男ではないんだが。

 シーグルは彼がいなくなった事でほっと力が抜けた体を自覚しながら思う。
 レザという男は、敵というのを考えなければ本当に気のいい男である。あの色事重視の考え方は参るが、それが自分に向けられたものでなかったならシーグルは気にしなかったろう。単純で、正直で、クリュースの貴族にはいない、いかにも武人という豪快でわかりやすい男だ。兵士として、指揮官としても尊敬に値する――おそらく味方であったなら、信頼出来る人物として心強く思ったろうと思う。
 だから本当に、決して彼自身を嫌っているわけではない、のだが。

 どうしてこうも体が拒絶するのか。

 今まで散々望まぬ形で男達に抱かれてきた体が、何故今ここまで酷い拒絶反応を示すのか。レザという男を嫌っていないだけに、自分で納得して抱かれている今、ここまで拒絶する自分自身が不思議でさえあった。
 違いは恐らく正気のままずっと抱かれ続けているという事なのだろうが、それにしても今更だ。
 心は割り切っている筈なのに――割り切り切れていないのか。
 今は抱かれる時は大抵酒が入っている為、どうにか自分を騙してやり過ごせているが、それで何時までも誤魔化せるとは思えない。普段の時に不意打ちでキスをされてパニックを起こしかけ、暴れそうになった事は何度もある。

 レザの隣で寝ていて、セイネリアの名を言う事はなかったろうか?
 酒に半分意識を持って行かれた状態で、抱かれている最中にセイネリアの名を言わなかっただろうか?
 レザはどこまで気付いているだろうか。鈍感なように見えて、その実彼はいろいろと鋭い。少なくともあれだけの戦士が戦いの中で培ったカンがそこまで鈍感だとは思えない。
 レザには感謝していた。下心からだとしても、自分を匿って治療をしてくれたのだから、その部分では命の恩人というにも等しい。彼という男は嫌いでなかったし、こうして望まぬ形で抱かれていて尚、彼の事は憎めなかった。
 だから……セイネリアの件は彼には知られたくなかった。別の男の事を考えて抱かれていたなんて彼には知られたくなかった。彼を、傷つけたくなかった。これは……彼に対して情が湧いてしまったという事だろうか?
 シーグルは、自分に好意を持ってくれた者に対してはどうしても情を切り捨てられない自分を知っていた。敵と認識した相手は斬れるのに、本心で好意を向けてくれた相手には非情になり切れない自分を理解していた。

――レザは敵だ。……立場としては敵だが。

 シーグルがベッドの上で考えていると、廊下の方からがちゃがちゃとやけに騒がしい音が近づいてくる。それからレザの怒鳴り声が聞こえたかと思うと、ドアが開いたらしくクリアになった彼の声ともう一人の声が聞こえてきた。

「バロン〜だから俺は荷物持ちには向いてないっていったじゃないですか」
「だっから殆どは俺が持ったろ。まぁ、最初からお前にはいないよりはマシくらい程度にしか期待してないから気にするな」

 そうして豪快に笑った後、レザは今度は部屋の中のシーグルに向けて声を張り上げた。

「ほらっ、持ってきてやったぞ。好きなの選べっ」

 それを聞くと、シーグルは慌てて服を着た。



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 恐らく次回、シーグルとレザで一モメして終了です。



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