【3】 騎士団を統括する仕事はそのままでもすっかり仕事が減った将軍府は、今では以前程人の出入りは多くない。特に夜になれば役人連中は皆帰ってしまって、警備兵以外に残っているのは基本が元黒の剣傭兵団の連中ばかりになる。とはいえ彼らも皆それなりにいい歳になってしまって、今でもここに住んでいるのはセイネリアと直接契約をしていた者達くらいではあった。 それでもぽつぽつと次の世代に引き継ぐ為、新しい者も入って来てはいた。将軍府付の仕事を引退した者には騎士養成学校の講師になった者も多くいて、彼らから推薦されてきた有望な人物を毎年入れては少しづつ仕事を教えているところだった。 「あー……そうか、今日はとうとう『その日』なんだね」 「どーりで静かだった訳だ」 もう少年どころか『おじさん』といわれてもいい歳になった双子のアルワナ神官の呟きに、カリンは僅かに口元を緩めた。将軍府の元傭兵団の者達向けに開放している夜の食堂は、吟遊詩人がやってきて適当に歌を歌っているのがいつもの事だった。けれど彼は今日は大切な仕事があるからここにやってくることはない。今晩だけは静かな食堂で、カリンは書類に目を通しながらも一人で杯を傾けていた。 「あーエルっ、なんかにやにやして気持ち悪いと思ったらそれシーグルさんからの手紙でしょ」 「狡いなー僕らにも読ませてよっ」 「わあったわあった、あーもうっ、後で見せてやるからちっと待てって」 「絶対だからねっ」 そのやりとりを聞いて、こんな静かなのにエルが黙っていたのはシーグルからの手紙を見ている所為かとカリンは思う。カリンも定期的にセイネリアと手紙でやりとりをしてはいるが、シーグルは割合マメにエルに手紙を寄越してくれるらしく、それは少しだけ羨ましかった。 「あーそっか、今日は詩人はいないんだったね」 そこで聞こえて来た声はドクターのモノで、彼の後ろからはぞろぞろと続いてアウド、エルクア、ソフィアが入ってくる。彼らがこの時間にここへ顔を出すのはよくある事で、その理由は今日は彼らの秘密の『仕事』があった日でありその後の検査が終わったからだ。 「うぁ……今日もつっかれた」 「よね……」 席についた途端、机につっぷすアウドとエルクアの姿も見慣れた光景で、ただたまにここに赤毛のロスターが加わることもあった。 「そんな疲れるー? だって執務室にいるだけの時は人形使ってるし」 「疲れますよっ、なにせあの男の代わりですよ、ボロが出たらどうしようかと思うと気が気じゃないです」 「俺が立ってるだけでしんどいんだから、そりゃぁあんたはきついだろうね……」 その様子を見ていればカリンも思わず同情はしてしまう。なにせアウドはセイネリアの、そしてエルクアはレイリースの身代わりという『仕事』を務める事になってしまっているからだ。ドクターの言っている通り、将軍の執務室にはドクター作のセイネリア人形が置いてあって基本はそれで済ませているのだが、人が来た時や何かの行事に出て行く時は流石に人形という訳にはいかない。セイネリアが事前に公の仕事を殆ど失くしていったから代理が必要な時自体は少ないものの、たまに長い会議にずっと出ていなくてはならない時など彼らの負担は大変な事になっていた。 もともとが誰かが入れ替わってもいいようにセイネリアとレイリースは普段から顔を隠していたから、外見だけなら軽い幻術で誤魔化せはする。だが話したり動いたりは人間が実際やるしかなくて、いくら声は魔法で似せてあるとはいってもマネをする人物が人物だけに一言発言するだけでも相当に気力が必要だろう事はカリンも分かる。しかもアウドは身長が足りなかったから底の高い靴を履かなくてはならず歩くだけでも相当にきつそうだった。たださすがにセイネリアの代理を一人でやるのは負担が大きすぎるから、身長だけならアウドよりも今では高くなったロスターも時折セイネリアの代わりをやる事にはなっていた。とはいえ彼の場合は緊張のあまり一日やれば次の日は寝込むことになる。 レイリースは発言する必要は殆どないので背格好の近いエルクアがシーグルの前に使っていた鎧を着て立っているだけなのだが、彼いわく姿勢には気をつかうからものすごく疲れるらしい。それでも彼の場合は絶対にいなければ不自然という程でない分、いないならいないで適当に理由をつければそれで済む。放棄する訳にいかないセイネリア役は二人いるもののどちらも負担は大きくて、こうして役目が終わるとメンタル面も含めてドクターが診てやる事になっていた。 ただセイネリアの計画だとそうして誤魔化しておかなくてはならないのは最初の内だけで、暫くすれば皆不自然にそのままの姿を保っている事に疑問を持ち、結果、見た目は将軍セイネリアでも中身は代替わりしていると勝手に理解してくれるだろうという事だった。そうれなれば後は誰か将軍職を任せてもよさそうな人物に継がせるようにすればいい……という事で、その為にセイネリアは将軍という仕事をただのお飾り同然の立場にしていったのだ。 「もう少し我慢してください。来年、なかなか有望な人間がこちらにくる予定ですから。うまくすれば今度こそ将軍職を任せられる人物に出来るかもしれません」 傭兵団時代は下の者に舐められないため部下への言葉遣いはわざときつくしていたカリンだったが、国の機関として組み込まれた今は対外的な立場も考えてその手の口調は止めていた。 「本当ですか? 今度こそ……期待したいです」 カリンの言葉に、つっぷしていたアウドが顔を上げて半泣きの声で言ってくる。それに笑ってしまいつつもカリンは考える。現状はカリンとエルが実質この将軍府を動かしているが、そろそろちゃんと引き継げる者を育てておかなくてはならないだろう。セイネリアのように一人で将軍府全ての仕事を対内外的に回せる人間というのはまず無理だから、仕事の内容でもう少しはっきり部署分けして、将軍役の仕事もちゃんと区分けして権力が偏り過ぎないようにすべきだ。考える事はたくさんあって、カリンとしては頭が痛い。 けれど、セイネリアに後は任せると言われたのはカリンなのだ。彼が自分を信頼し、任せてくれたのだと考えればこれらの仕事の悩みさえもが愛しく思える。 それに、このところ分かったこともある――。 「あれ、今日ってここはお休み?」 次にやってきたのは魔法使いのアリエラで、彼女は静かすぎる室内に思わずそう言ってしまった。 「お休みなのは詩人さん〜、ほら今日は『約束の日』だから」 「あぁ……秘密が秘密じゃなくなる日ね」 言って彼女はカウンターに行くと、軽く食べ物を注文した後、並ぶ酒瓶から一つを選んでグラスも取るといつもの自分の席に座った。彼女の弟子であったアルタリアが別の魔法使いの弟子になった事で一時は別の場所にある自分の家に篭った彼女だったが、食堂へ行けば食事と息抜きが気楽に出来る環境が恋しくなったそうで今はまたここに戻ってきていた。こちらとしても彼女がいれば魔法ギルドとの連絡がすぐにつくし、たまに転送も頼めるから歓迎すべきことだったが、彼女的にはよく口癖のように『魔法使いとしては堕落したものだと思うわ』と愚痴っていた。 「道理でお偉いさん方がこのところバタバタしてると思ってたわ」 「魔法使い側も今日は何かあるのですか?」 「ん……何かやったりはしないけど、あの詩人がへたな事言わないか気になるから聞きにいくそうよ」 「あぁ……」 そういうことかとカリンが相槌をうてば、アリエラは席を立ってこちらのテーブルにやってくる。 「あんまりにもこっちに都合が悪い事を言われたら記憶操作も考えてるっていってたけど……まぁ、大丈夫じゃない?」 言いながら彼女はカリンの目の前にあった魚の酢漬けを手でつまむと口に入れた。 吟遊詩人が作った真実のシーグル・シルバスピナの歌。今日はシーグルの知人達を集めて詩人がその歌を披露する事になっていた。ここにいる者はその歌を既に聞いているが、魔法使いの秘密にかかわるような重大な事は言っていなかった筈だとカリンも思う。吟遊詩人の歌は確かに真実をうたっているが、詳しく言うと問題がありそうな部分はわざと抽象的な表現を使ったり大ざっぱな単語で誤魔化していた。魔法使いにとって知られる訳にいかない黒の剣の秘密も剣の呪い程度で済ませているし、シーグルを愛した事でその呪いが少しづつ消えていっている……くらいの表現で誤魔化してもいた。おとぎ話のような物語であっても、元から詩人の歌などそんなものであるからそこまで気にするものもいないだろう。ただあの青年を愛する人々に、彼が生きている事、この国を影から支えていたこと、愛する者と旅立った事が分かればそれでいい。 「しかし、本当にこうしてみると……貴女も魔法使いなんじゃないかと疑いたくなるわね」 不審そうな顔でじっと見つめてくるアリエラの視線をカリンは鮮やかに笑って躱した。 「さすがに、シーグル様のように止まってはいませんけれど。ロージェンティ殿下に最近いろいろ聞かれます」 「聞かれたからってまさか黒の剣の所為とは言えないわよねぇ……いいなぁ、私今の状態を保つために結構苦労してるんだけど」 「これはボスが私に残してくださったものですから」 恨めしそうなアリエラに逆に嬉しそうにカリンは返す。カリンも年齢で言えば既に成人する子供がいて普通な歳になってはいるが、見た目でまずそう思う者はいない。その原因はセイネリアがいるころから薄々思っていた事ではあるが、つい最近クノームという魔法使いに教えて貰って確定した。つまるところ、セイネリアからカリンへも僅かながら黒の剣の力が流れていたのである。 --------------------------------------------- そこから更に数年後、カリンさんは魔法使いじゃないのかと噂されるように……。 |