エピローグ<約束の日>




  【7】



 部屋のあちこちで皆が思い思いに喜びを分かち合う中暫くして、詩人が立っていた壇上に再びロージェンティが立った。誰ともなくそれで口を閉じてその場で礼を取れば、すっきりと晴れたように清々しい笑みを浮かべた彼女は口を開いて皆に言った。

「皆を騙している事をあの人はずっと苦しんでいました。許される事ではないと、最後まで私に謝罪をして旅立っていきました。私はあの人の代理として、今日ここで皆さまに許してくれとは申せません。けれどもし皆さまが許して下さるのでしたら、あの人が生きていた事を祝って杯をあげてくださいませ」

 それにはまた、部屋中に響く拍手が沸き起こった。
 そうすれば閉め切られていた扉が開いて侍女たちが入ってくる。それから泣いて笑顔を浮かべる参加者にそれぞれ酒の入ったグラスを渡して回った。
 最後にグラスが回り切ったところでシグネットが杯を掲げ、それに合わせて皆も杯を掲げる。それから後はもうただの宴会で、料理やら酒がどんどん運び込まれ、皆は思い思いに笑って歌いあう。

「ほらラン、もう好きなだけ飲んでいいぞ、お前酒解禁した後もいつも1杯だけで止めてたんだろ」

 グスが無口な元同僚に言えば、歳とはいえここでは一番目立つ大きな体の男は無言で杯を一気に空け、周りからやんやと声が飛ぶ。

「父さん大丈夫かな、飲み過ぎたら運ぶのきっと僕らだよね」
「……仕方ないだろ、今日くらいは覚悟しとこう」

 次々と杯を開けていく父親を見ながら、今では王の側近である兄弟はこっそりと言い合う。メルセンとしては主を守れずそれを悔いていた父の背中をずっと見ていたから、今日だけは父に好きなだけ飲んでもらいたいと思う。弟の言う通り、あとで苦労するのは自分たちだとは分かっているが、今日だけは仕方ないと思っていた。

「いーい覚悟だ、じゃメルセン、アルヴァン、ランの事は二人に任せた♪」

 そう上機嫌で声を掛けて来たのは彼らの主である王で、二人は思わず顔を引きつらせる。

「陛下……飲んでますね」
「あぁ飲んでるさ、なにせ今日だけは母上のお墨付きでハメ外していい事になってるんだ」
「それでもある程度でやめて下さい。陛下はあまりお強くないのですから」
「大丈夫だよ、少なくとも俺は父上よりずっと飲めるってウィアもいってたから」
「いやその、比べる相手がちょっと……」

 メルセンとしては頭を抱えるしかなく、さてなんといえばいいかと考えていれば、その横で他人事のように酒を飲みだした弟を見てぎょっとする。

「アルヴァン、お前何飲んでるんだ、俺たちはハメ外す訳にはいかないだろっ」
「んー、でも兄さん、こういう席は飲んだもの勝ちだよ、きっと」

 あっさりそういって美味そうに杯を空ける弟を睨めば、主であるシグネットまでもが楽しそうに肩を叩いて言ってくる。

「うんうん、メルセンも飲めばいい」

 ちなみにメルセンはかなり飲める方である。勿論それはアルヴァンもだ。なにせ酒豪の夫婦の間に生まれたのだから、兄弟二人とも酒は好きだしかなり強いと自負している。
 とはいえ。

「この状況で飲めませんよっ」

 真面目なメルセンとしては状況的にそういうしかなかった。






「……彼は、ちゃんと俺との約束を果たして行ってくれたという訳ですね」

 部屋の隅で静かに詩人の歌を聞いていたチュリアン卿は、そう呟いてグラスの中身を少しだけ飲んだ。別に酒が弱い訳ではないが、周りをみたところ自分まで酔いつぶれたら大変な事になりそうだから、今日はこの心地よい気分のままほろ酔いくらいで楽しもうと思っていた。

「フィダンド様、やっぱり貴方は知ってらしたんですね」

 言って自分の隣にいた筈の師を見ればそこには誰もいなくて、チュリアン卿は肩を竦める。
 騎士団の勇者と言われたチュリアン卿も今では大分歳を取った自覚があった。最近は砦も大規模な襲撃を受ける事はないしと、実はこの秋に砦の指揮官を辞めて首都に戻ってきていたのだ。その時からずっと師と呼んでいた魔法使いフィダンドは姿を見せなくなっていて……今日久しぶりにここへ来たと思ったらもう消えてしまった。

「私もそろそろ師離れしろということでしょうか。……我ながらこの歳になってやっとかと笑えますが」

 チュリアン卿は日々自分の歳を感じてしまう年齢になったが、彼の師である魔法使いは出会った時から殆ど変わらぬ姿のままだった。いつまでも一緒にいてくれない事は分かっていたからさすがにもう引き留めたりはしない、ただその時が来たのだと思うだけだ。
 きっとあの気まぐれな魔法使いは、また気まぐれに何処かへ行くのだろう。彼は、旅立った彼ら――あの最強の男とそれに愛された青年――と近い時を生きられる者だ。もしかしたら彼らにも興味を持っていたようであるし、ちょっかいを出しにいったのかもしれないなどと思ってしまう。

「また……いつか、お会い出来たらいいですね」

 その言葉を告げた時、彼の頭の中には師であった魔法使いと、麗しい銀髪の青年の顔があった。だが。

「チューリアン卿っ、なんでこんな隅っこにいるんだぁ」

 聞き覚えがある……けれどそうだと肯定したくない声が聞こえて、チュリアン卿は恐る恐るその声の方を向いた。

「いっくら引退したからって、まだ宴会中に隅っこで一人でちびちびやる程の歳じゃないだろ」

 現王アルスオード2世――シグネットの目は据わっていた。あのいつでもキリっと緊張感を身にまとっていた青年とよく似た顔を赤くして、拗ねたように唇を尖らせたその顔に、なんだかチュリアン卿も気が抜けて思わず吹き出しそうになった……のを我慢した。
 そうすれば、その彼の後ろから更に低く不機嫌な声が聞こえてくる。

「陛下……これ以上飲んだらカリストラ様に言いますよ」

 メルセンが酒とは違う理由で据わっている目で言えば、あの青年よりも明るい青い目を丸くしてアルスオード2世は益々唇を尖らせた。

「メールーセーン……それは反則だろぉ」
「反則ではありません、ただの最終手段です」
「今日は特別なんだ、少しくらい大目に見ろよっ」

 真面目な青年と、性格は父親に似ず奔放な現王の姿に笑いながら、チュリアン卿はこの性格もあって国民に愛される彼に助け舟を出す事にした。

「メルセン、私も今日は抑えておくから、今夜くらいは陛下に好きなだけ飲ませて差し上げてくれないか」

 今夜は介抱役に回る覚悟を決めてそういえば、真面目な青年は眉を寄せる。
 そうして、シグネットの方と言えば。

「チュリアン卿〜やっぱり現場が長い奴は話が分かるなぁ♪」

 抱き着いてきたこの国の王からは、酒の香りと……少しだけあの青年と同じ甘い匂いがした気がした。






 ハメを外して笑い騒ぐ人々を、ロージェンティは嬉しそうに微笑んでみていた。
 シグネットが少しはしゃぎ過ぎているが今日だけは仕方ないと思いつつ、明日は少し小言が必要かとも考える。

「お代わりはいかがですか?」
「えぇ、ターネイ、頂けるかしら」

 ロージェンティも割合酒は強いのだが今日はあまり飲む気はなかった。今日は酔わずに皆の姿を見続けていたいと思っていたから、これで最後にしようと思いながら渡されたグラスに口をつける。

 シーグルが生きている事を告げに来た時、あの憎らしい黒い騎士は彼女に言った。

『あいつとの契約はあの競技会の時点で切れた。だがお前との契約はまだ有効だ。何があっても俺はシグネットの味方であり続けるしあの子を助けてやる。だからもしあの子に何かあれば助けにくる事は約束しよう』

――本当に誰よりも憎らしくて誰よりも頼りになる男でしたわね。

 あの黒い男を思い浮かべて苦笑してしまいながらも、はしゃぐ最愛の息子を見てロージェンティは考える。

 あの子に、将軍のこの台詞をいつか教えてやるべきだろうか。
 だがへたに言ってしまったら、あの男に会えるかとあの子が期待してしまうかもしれない。あの男が来るなら必ずあの人も一緒だろうし……父に会えると、あの子がわざと困る事態を起こそうなどと思いつくのではないだろうか。

 考えて、まだ暫くは伝えない事を彼女は決める。
 この小さな期待は、まだ当分、自分の胸の中だけに仕舞っておくことにした。



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 フィダンドさんは予想通りのとこへいってます。
 



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