エピローグ<約束の日>




  【8】



 海沿いの街ウィズロンは、アウグとの国境にあるだけあって首都より寒く、一足先に冬の入り口に入っていた。

「寒くはないか?」
「いや、ずっとアウグにいたんだ、それに比べれば全然」
「ならよかった、なにせあんたに風邪をひかれたらマスターの不機嫌ぶりが大変な事になる」

 それには笑って、三年ぶりに会う元同僚でもある金髪の男と顔を見合わせる。
 クリュースを出て三年、アウグの国内を旅してきたシーグルとセイネリアはこの冬に合わせて一度クリュースに帰ってきていた。先ほどやっとラタの館についたばかりで、とりあえずシーグルは旅の汚れを落として用意してもらった新しい服に着替え一息ついたというところだ。ちなみにセイネリアと一緒に風呂に入るとすんなり出てこられなくなるのは確実だった為、不機嫌になる彼に構わず一緒に入るのは嫌だと断固拒否した。だからセイネリアは今風呂入っている……おそらくは思い切り不本意な相手と共に。
 考えたらちょっと楽しくなって、シーグルはくすりと笑みを漏らした。

「まぁでも良かった。もう少し到着が遅れていたら雪でたどり着けなくなるんじゃないかと正直ひやひやしてたとこだ」
「予想では明日から大雪だそうだな」
「あぁ……まぁマスターなら、どれだけ積もっても雪をふっとばしてやってきたかもしれないが」
「ありえるな」

 そこで二人して笑いながら、ラタに促されるままシーグルは部屋を出る。なにせ素顔を他の者に見られる訳にはいかない為、兜を被っていない時点で使用人が使えなくなって服の準備から屋敷内の案内まで全てここの主である彼にしてもらうしかない。それに申し訳なく思って謝れば、彼は最初、何故謝るのか分からないといった顔で首を傾げた。そこからイキナリ気づいて笑い出したから、シーグルも一緒に笑ってしまった。

 本来の名前を名乗り、貴族としての地位を取り戻して大国二つの間に立つという大役を果たす立場になってからもう二十年近くが経っているというのに、傭兵団にいた頃の感覚が抜けない彼を確認するのはいつもなんだか嬉しかった。ただ彼としては『いや俺ももう十分今の立場も扱いもすっかり馴染んでるんだが、やっぱりマスターを見ると一気に感覚が戻るんだよ』という事だそうだが。
 ……面白いのは、実はこのやりとりはここへ来るたび毎回やっているという事である。セイネリアが将軍であった時からこうして国を飛び出してからも、毎回毎回、ここへくる度にあまりにも自然にシーグルの世話をしてくれるものだから、いつもの事であってもつっこまずにはいられなくなる。

『まぁいいんだよ、あの傭兵団時代が一番楽しかったし、今の俺があるのは全てあの人に会ったおかげだから……俺自身いつまでもあの人の部下のつもりでいたいというのがあってね。それに……あの人の大切な存在、というだけではなく、俺はあんたに個人的に感謝してるからな』
『感謝? 何を?』
『なんだ、忘れてたのか? ずっと前……クリムゾンと一緒にあんたと仕事にいった時に言っただろ』
『あの魔女との仕事か?』
『そうそう、その時言っただろ、あの空虚な男があんたの所為で変わった、俺はそれに期待してるってな。……まったく、それで本気であの男はあんたの為に国をひっくり返してしまったんだからな、いや本気で面白かった、あの人の部下として最高に心が滾る時間を送れた。こうしてここにいる事はあの人の力ではあるけど……そもそもあんたがいたから全ての事が起こったといえる』

 それはアウグ人としての価値観らしい感謝の仕方で、シーグルはやはりそんな彼の事を好ましいと思う。考えれば、貴族として生まれながらも国を追われて冒険者となった彼はどこか自分と通じるものがあって、セイネリアの部下となってからはやけに話があっていろいろ教えて貰った。
 そんな彼が今の地位を誇らしいと思うのと同じかそれ以上にセイネリアの部下である事を誇らしく話すその様が嬉しかった。

「さて、まぁ当たり前だがまだ誰もいないな。なにせマスター達はまだ入ったばかりだからな」

 小さいがなかなかによい作りのいつもの部屋につくと、彼はシーグルのために椅子まで引いてくれながらそう言った。

「なんだ、俺が出てすぐ入ったんじゃないのか?」
「あぁ、黒の剣を武器庫に置いてくるのにちょっと……鍵のトラブルがあって時間が掛かってしまったんでね」
「あぁ……」

 それでシーグルは納得する。
 他の魔剣と違って黒の剣は主以外でも抜ける――と常に行動を共にするようになってすぐ、セイネリアはシーグルに教えてくれた。普通、魔剣というのは主以外は抜けないのだが、黒の剣の場合は誰でも抜けるが主以外が抜くと精神を支配されて暴走する事になるらしい。だから何があっても絶対にこの剣にだけは触るなと彼は厳重にシーグルに注意した。また、剣を抜いた時にはその剣身を見るなとも。勿論、そういう理由ならシーグルとしては絶対に触る気はないが……。

「クリムゾンがいたら、あいつが持ってマスターを待ってたんだろうけどな」

 そこでふと、呟くようにラタが言った言葉にシーグルは驚いた。

「クリムゾン? 彼はあの剣を持てたのか?」

 クリムゾン――セイネリアの元部下であり、彼の事を絶対的に崇拝していた赤い髪の剣士――セイネリアの為、シーグルを守って命を落としたその名を思わぬ場面で聞いて、シーグルは身を乗り出した。
 聞かれたラタはそのシーグルの勢いに驚くと……暫くして思い出すように視点を遠くに飛ばし、自嘲気味に唇を歪めた。

「そっか……あんたは知らないよな。あの剣は持つとどうやら剣を抜かせようと魔法で誘ってくるらしくてな、だからあんたに絶対触るなってマスターはいってるだろ?」
「……あぁ」

 確かにセイネリアはそんな事も言っていた。だから自分以外が触れられないようにしなくてはならないと。倉庫に厳重に鍵を掛けて保管しておくか、彼自身が持って歩くしかなく、旅に出た今は持ち歩くしかないといっていた。
 それを聞いていたからこそシーグルは、彼本人以外にあの剣を持てる者がいるなんて思いもしていなかった。

「クリムゾンは一度あの剣を抜いたことがあるんだ、あの剣に意識を飲まれて暴走するその恐怖を知ってた。だからこそ持っても剣の誘いに乗らず絶対に抜かないとマスターに信用されてたのさ。マスターが剣を使う時、あの剣を持つのはいつもあいつの役目だったんだ」
「そう、だったのか」

 崇拝していたといっても過言ではない程、あの男にとってセイネリアは絶対的な主だった。ならば彼がその仕事をどれだけ誇らしく思っていたのかまで想像出来る、そして……。

「なら、今でも剣を自分で持つ度、あいつはあの赤い髪の男の事を思い出すのかもしれないな」

 言えば、今では傭兵団時代とは違いきちっと纏めた金髪の髪の男は、少し驚いた顔をした後に嬉しそうに笑った。

「あぁ、そうかもな。確か……あいつが死んで暫くは、マスターが剣を持つたび苦笑していた気がしたから……それがあいつを思い出してだったらいいな」

 セイネリアは基本、死んだ部下の名前を後で口にする事はまずない。それどころかその死さえ事務的に扱うだけだと傭兵団の者達は認識している。それでもクリムゾンの死だけは彼としては最大限の敬意と感謝を表して手厚く葬ったとカリンからは聞いていた。セイネリア本人はシーグル以外の人間などどうでもいいと良く言うが、実際は直下の部下達にちゃんと特別な情を持っている……というのはシーグルも、そうして部下であった彼らも気づいている事だ。

「そういえば貴方は彼と仕事で組むことが多かったそうだな」
「あぁ。同室でもあったし、あいつは面倒臭い……っていうか協調性の欠片もない男だったからな、マスターが直接出てる仕事以外じゃ俺くらいしか組める奴はいなかった」

 思い出すクリムゾンの態度を考えれば納得できる話で、ラタの腕と性格があって初めて組めたのだろうとシーグルは思う。

「あいつ相手で面倒な目にはいろいろあったが、あいつのマスターへの心酔ぶりはよくわかってたし正直敵わないと思ってたから……死んでもちゃんとあいつがマスターの心の中に残ってるというならなんだか嬉しくてな。あいつにとっても、それがなによりの褒美だろう」

 主として、セイネリアをそれほど信奉する男の気持ちはシーグルにも分かる。だから彼が自分の存在を気に入らなかったのもよく分かったし、その彼が主の為にシーグルを守って命を落としたその気持ちも……分かる。

「きっとセイネリアは剣を見る度思い出しているさ、あいつは記憶力がいい。ただそれを口に出さないのはあいつの性格もあるんだろうが……きっと、俺がいるからだ」

 クリムゾンの名を出せばシーグルが罪悪感にさいなまれるとそう思って、彼がその名を口に出さない可能性は高い。あの誰よりも偉そうな最強の男は、シーグルの事となるとやたらと慎重で臆病になる。

「構わないのにな。自分の罪は罪と受け止められる、過ぎた事をどうこういう愚かさくらい俺も分かっている……」

 呟いた言葉は、だが呆れたようなラタの声に遮られた。

「ま、あんたがいつまでも失った自分の従者の事をあれこれ言ってる時点でマスターも安心できないんだろうさ」

 そこを突かれると痛い話だが、今では彼の事を思い出してもシーグルは笑えるようになていた。

「そこはまぁ……な。でも前のようにただ自分を責めている訳じゃない、終わった事は覆りはしない、失った者は生き返らない……なら、俺が出来るのは彼が喜んでくれるように生きる事しかない」
「ちゃんとふっきれたという事なのかな?」
「そうだな、ちゃんと本人に謝れたから……な」
「成程な」

 ラークがリシェの領主となった事で、後日シーグルはこっそりシルバスピナの霊廟に入れて貰う事が出来た。そこで自分の名の刻まれた彼の棺の前で暫く一人にしてもらって、思いつく限りの言葉を彼に吐き出してきた。それに、ロージェンティに別れを告げに言った時、彼女にあの棺の中身が彼であることも打ち明けてきた。それで彼女は泣きながらも笑顔で言ってくれたのだ、『きっと、歴代のシルバスピナの当主達も彼を喜んで受け入れてくれるだろう』と。そうして彼女は約束してくれた、これからはシーグルの代わりに彼女だけはシーグルの命日にナレドの為に祈ってくれる事を。

「これ以上俺が落ち込んだ素振りを見せると……他の人間が気にする。だから罪を背負っているのは承知の上で、彼の為に彼が喜ぶだろう生き方をしなくてはならないとそう考えるようにしてるんだ」

 そのシーグルの言葉に、ラタは本当に嬉しそうに微笑んだ。



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 しんみりしたところで、次回、例のあの人とセイネリアが登場。
 



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