エピローグ<約束の日>




  【9】



「それでいいんじゃないか。……まぁ、あんたが従者の事をあれこれ言ってマスターが機嫌が悪くなるのは妬いてるというのもあると思うけれどな」
「妬いてる? ……あいつがか?」
「あの人はあんたに関しちゃかなり独占欲が強くて嫉妬深いと思うがね」
「そう……か?」

 尚もシーグルが微妙な顔をして聞き返せば、笑いながらもラタはがくりと肩を落とす。

「……いや、真面目に気づいてないのかあんた。あれだけベタベタされてて」
「いや、妬くという言葉があいつと合わな過ぎて……」
「俺は似合うと思うが」
「そうか?」

 ……などと、ラタと二人で話していれば、突然そこに割って入ってくる声がある。

「その通りだ、あいつは独占欲が強くて嫉妬深くてケチだ。本当に大人げない」

 そういってドアを勢いよく開いたのは、老年……に差し掛かってはいるが立派な体躯の男で、さっぱりとした実にいい笑顔で部屋の中にずかずかと入ってくるとシーグルの隣の椅子に座ろうとして……止められた。

「男爵、何が大人げないですか。貴方が真っ先に大人げありませんから、ちゃんとご自分の席に座って下さい」

 いつも通り部下のつっこみに眉を思い切り下げた男は、いかにもしぶしぶと椅子に座るのを止めるとシーグルとは対角線上になる席に座った。

「いいじゃないかラウ、奴がくるまでくらい……」
「入った途端、また睨み付けられる気ですか、まったく」

 実はアウグを見て回って一度クリュースに戻る時、シーグルとセイネリアはレザ男爵の屋敷に立ち寄ったのだが……そうしたらクリュースまで送ると言いだしてレザ男爵本人がここまで付いて来てしまった、という経緯があったりする。
 だからにこやかに『全員で風呂に入ろう』というレザの言い分が却下されて、シーグルはゆっくり一人で風呂に入れる事になったのだった。セイネリアはレザを見張る為に不本意ながら彼と一緒に入らざる得なかったという訳だ。

「あぁ、申し訳ありません男爵、つい話し込んでしまっていて……」
「いやいや構わん、ここなら部屋を指定されれば一人で来れる」

 それには思わずシーグルは吹き出した。

「そんなに頻繁に来ているのか、貴方は」
「まぁな、そりゃもう息子に館を任せてからはクリュースとアウグをいったり来たりと何度ここに泊めて貰ったか数えられんくらいだ」
「男爵は暇だとすぐ、冒険者事務局に行って仕事をとってきまてしまいまして……」

 相変わらず男爵のお守り役らしい魔法使い見習いの男は、お約束の疲れた顔でため息をつく。

「引退したらどうやって過ごそうと思っていたからな、冒険者制度は大いに活用させてもらっているぞ」

 いつもながら豪快に笑って話す男には見ているだけでつられてしまって、シーグルも自然と笑ってしまう。そうすれば上機嫌でレザは体を乗り出して少しでもシーグルに近づこうとするのだから、シーグルの顔も次第に苦笑になってしまうのだが。

「……そういえば、セイネリアはまだなのか?」

 一緒に入った筈なのにまだ彼が来ていないというのはあまりに意外過ぎたので、その質問はシーグルとしては当然の事だったのだが……言えばレザはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「おぅ、先に出てな、奴用と思われる服を隠してきた」

 得意げに胸を張って言った老騎士の言葉に、その場の彼以外の全員が笑みをひきつらせた。

「だから急げって、急かして出て来たんですか……大人げない」

 慣れている筈の部下のラウドゥさえもな頭を抱えた時点で、シーグルとラタは呆れて苦笑するしかない。

 ちなみに、年中クリュースと自国を行き来しているだけあって現在レザ男爵はクリュースの公用語をほぼ会話では問題ないくらいに使えるようになっていた。だからセイネリアがいる時は基本クリュースの公用語で話しているのだが、流石に今この部屋にいるメンツだとアウグの言葉でになる。
 ただ、セイネリアもさすがに三年もアウグを旅していればかなりアウグ語を使えるようになっていて、聞き取りでは殆ど問題がなくなっていた、だから……。

「大人げないどころじゃない、どれだけガキなんだこのクソジジイは」

 当然扉越しに会話が分かったセイネリアが、それはそれは不機嫌そうな顔で部屋に入ってきた。

「……チッ、やはりすぐに見つけたか。窓の外へ放り投げてやればよかった」
「男爵、そこまでしたらシャレになりません」
「そこまでやっていたら二度とこいつに会わせなかったな」
「ほらみろどうだ、この独占欲の強さと嫉妬深さ、そしてケチだ」
「否定はしないが貴様にだけは言われたくない」

 セイネリアとレザ男爵は当然ながら仲が悪い、悪いのだが……なぜか二人のやりとりを見ればいつもシーグルは笑ってしまって仕方ない。仲が悪いが仲がいいの典型的な例ではないかと思ってしまう。

「申し訳ありませんマスター」

 話を聞いてセイネリアを迎えに行くために席を立っていたラタは、ドアの前で会ったセイネリアに深く頭を下げた。

「構わん、むしろシーグルをこのジジィの傍に置いたまま迎えにきたら怒っていたところだ」

 それにはまたレザのヤジが飛ぶが、セイネリアはさすがにそれは無視した。セイネリアが来た時点で皆の言葉はクリュースの公用語に切り替わったのだが、レザはやたらとけなし言葉のボキャブラリィだけはあってセイネリアにあれこれ勝手言いいまくる。……前にラウドゥに聞いたところ、セイネリアに言う為にその手の言葉はまずたくさん覚えたという事だから、呆れるやら感心するやら……それでも『らしい』と納得するところではある。

「とりあえず、ラタにこれ以上迷惑を掛けるな、そろそろ大人しく席に座れ」

 そこでシーグルが声を上げた事で、セイネリアも大人しくシーグルの隣に座る。どれだけ彼的に不機嫌な事態が起こったとしても、こうしてシーグルの言う事だけは割合あっさり聞くのがシーグルとしては楽しくもあり……なんというか、妙に彼を『可愛い』と思うところでもあった。それこそ彼にはまったく似合わない正反対の言葉ではあったが、シーグルは最近時折、彼の行動や反応を『可愛い』と思ってしまって、それに我ながら笑えてしまって困っていた。

「マスター、酒はこれで構いませんか?」
「あぁ」
「男爵はどうします?」
「あぁ、俺も最初はそれでいい」
「ラウドゥ殿も同じで良いですか?」
「はい」
「シーグル様はどうします?」
「……今は水でいい」
「ぶどうのジュースがあります、それでよいでしょうか? それともミルクを温めてきましょうか?」
「あぁ、ならジュースの方で」

 総監督官の地位を忘れたように、完全に傭兵団の頃のように世話役に回った彼は、手際よくグラスに酒を注いでいく。シーグルと二人だけだと砕けた口調になる彼も、レザやセイネリアがいると口調が完全に部下としての公人の口調になるのだから更に感心してしまう。ただ、こうしてセイネリアの前で部下としてふるまっている彼はいつでも楽しそうで、そうして誇らしそうで……それがシーグルはやはりなんだか嬉しかった。

「それでは、懐かしい顔が揃ったという事で乾杯といこう」

 レザが上機嫌で言えば、まだ不機嫌そうなセイネリアはすかさず続ける。

「そうだな、これでやっと貴様の顔を見なくて済むのを乾杯しよう」
「いやいや、これから完全に冬だぞ、春まではここに厄介になるんじゃないのか?」

 不満そうに言うレザ男爵は唇を尖らせてテーブルを叩く。……成程、そうだと思ったから付いてくるときかなかった訳だとシーグルは苦笑したが、セイネリアはそこで少し不機嫌そうだった顔を緩めて言う。

「そんなに篭っていられるか、ここから船で南下するつもりで来たんだ」
「おぉ、それはいいな。冬を逃れて暖かい場所か、それは楽しみだ」
「……貴様まだ付いてくる気か?」
「当然だ」
「ふざけるな」

 そこでまたセイネリアとレザ男爵の嫌味の言い合いが始まって、シーグルは呆れながらも出されたジュースをちびちびと飲んだ。二人の様子に呆れはするが、これはこれで二人は実は楽しんでいるのではないかと思って、最近ではこうしてちゃんと席についた後に始まったのなら暫く彼らのやりとりを眺める事にしていた。……どうせ、自分が止めれば止まるのだし。

『……シーグル様も、扱いが慣れてきたというところですか?』

 同じく呆れて二人を眺めていた魔法使い見習いの男に小声でそう言われて、シーグルは肩を竦めて笑って見せた。そうすればラタもこっそり笑って、言い合う二人を別として三人で顔を見合わせた。

 ……とはいえ、シーグルは少し油断をしすぎていたらしい。

 セイネリア達から目を離して間もなく、いきなり体を引き寄せられたかと思ったらセイネリアの顔が目の前にあって、文句を言う間もなく口づけられていた。あまりにも唐突過ぎてシーグルに対処のしようがある筈がない。

「ぅ、ンンー」

 完全に口を塞がれてからは抗議をしても喉を鳴らすくらいしか出来る事はなく、この男にがっちりと抱きこまれたら逃げられる訳がない。しかもこういう事態でも慣れた男のキスは反射的に自分も受け入れてしまって、口づけが深くなっていけば思考が怪しくなって大人しくキスに応えてしまう。
 だから唇を離されて、頭を完全に抱き込まれてしまっても暫くシーグルはぼうっと彼に寄りかかる事しか出来なくて、周りの声さえよく聞き取れなかった。

 ――ただし。

「こいつは俺のものだ、諦めろ」

 その得意げなセイネリアの声に、確かに彼は独占欲が強くて嫉妬深いなと納得出来てしまって、考えたらなんだか笑えてしまう。ただ不思議なのは笑えてしまった後、文句を言う気も湧かず意識が遠くなっていくことで……そして意識が途切れる瞬間、シーグルはその理由に思い当たった。

 つまるところ、セイネリアが飲んでいた所為で今のキスで酔ったのだ。



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 やはり最後にも酒に弱いシーグルねたはあるべきでしょう。
 



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