望みと悪意の計画




  【3】



 元々アッシセグは小さな港町ながらファサン時代から貴族達の別荘が並ぶ別荘地であった。その理由は入り江があるお蔭で穏やかな浜とか、美しい白い街並みだとか、冬でも温暖な気候だとかいろいろあるが、元々のここの領主が軍港にするのを拒否する為に貴族を呼びまくったという政策が発端にあるらしい。
 確かに、この美しい風景に無粋な軍船や兵士達がぞろぞろ歩く様は似合わないか、とはシーグルも思うところだが。

「どうだ、ここからの眺めも風も最高だろう」

 窓辺の椅子に座って外を眺めていれば、この街の領主でありこの館の主でもあるネデが両手に飲み物らしきものを持ってやってくる。
 今は夕方、丁度太陽が海に半分程落ち、オレンジ色に燃える光が海からアッシセグの町を照らす時間帯。青い海と白い街並みの風景が今だけはオレンジ色の濃淡で描かれた風景になっていた。
 ここへ来たのは昼頃だったのだが、元傭兵団の屋敷を見て、エルの個人的な挨拶回りにつきあっていたら屋敷へ帰るのがこんな時間になってしまった。

「あぁ、アッシセグは暑いと思ってきたから少し意外だった」
「領主特権でこの街の一番いい場所にあるこの館の中でもここは一番いい風が入る。特に夏は最高だぞ」
「それは有難いが、いいのか?」
「何がだ?」

 シーグルがすまなそうにしている意味が分からないという顔をして、ネデはテーブルの上にグラスを二つおくと椅子を引いてきて傍に座った。

「これは……酒か?」

 こちら側に置かれたグラスをじっと見てシーグルが聞けば、ネデは自分の方に置いたグラスを持って喉に流し込み、口を離すとぷはっと息を吐いた。

「まぁこっちのはな。あんたのはただのハーブ茶だよ」

 確かに明らかにネデのグラスとこちらのものでは色味が違う。だが、ハーブ茶と言われればそれはそれでシーグルは驚く事になる。なにせそのグラスには氷が入っていたのだから。

「冷たい……ハーブ茶を飲むのか? アッシセグでは」

 冷まして冷たくなったハーブ茶というだけなら分かるが、わざわざ氷まで入れて冷やして飲むというのはシーグルは初めてだった。

「あぁ、ここいらじゃ夏場は結構飲むぜ。まぁ夏場に氷が手に入るようになったのはクリュースになってからだからそんな昔からって程の話じゃないがね。あんたが酒が苦手なのは聞いてるし、甘いのも苦手だって聞いてる、丁度いいだろ?」

 こくりと飲んでみれば、確かにそれはアルコールの臭いもしなければ甘くもない。すぅっと鼻から抜けるような爽やかな香りと風味は初めてだったが、使われているハーブの所為なのだろう。

「確かに、美味い、と思う」
「そりゃよかった」

 にかり、とネデが笑って嬉しそうにこちらの顔をじっと見てくれば、シーグルとしてはなにせ距離が近過ぎる分だけ少し気まずかった。
 だが。

「だー、おいネデっ、先行ってるなら行ってるって言ってけよ」

 エルがロスクァールとラダーを連れてやってきたから、シーグルは内心かなり安堵した。思わす顔にも自然と笑みを浮かぶのを止められない。

「いやー、やっぱ男だけになるとほっとするな。嬢ちゃん連中と一緒はなんだ……疲れンだわ」

 言いながらエルは酒瓶とグラスをドン、とこちらのテーブルに乗せると、ラダーを呼んで隣の部屋からもう一つの丸テーブルを運んで持ってくる。そこから今度は椅子を持ってくると、やっとどっかりと座って一息ついた。

「おーいい風、やっぱこっちの部屋は特に涼しいな」

 心地良さそうに目を閉じて暫く風に当たってから勢いをつけて起き上がって、エルはいそいそと酒瓶を持つとグラスに注ぎだす。それをまずはロスクァールに渡してやって、それから別のグラスに注ぐと自分はそれを持ってさっさと飲みだし、ラダーの前には酒瓶だけを置く。それに苦笑して、ラダーは残っていた最後のグラスを手にとると酒を注ぎ入れる。ロスクァールもくすくすと笑ってグラスを持った。
 そんな彼らを思わずじっと見つめてしまえば、気づいたエルがちょっとだけ拗ねた顔をしてこちらを睨み返した。

「なんだよ、ロスクァールのおっさんは世話になってるし年上だからそりゃ注いでやるけどな、完全に部下って奴にまでは注いでやる気はねーぞ。むしろ俺が注がれる立場だ」

 そうすれば彼らを見ていたのはシーグルだけではなくネデもだったようで、彼はあからさまに含みのある笑みと共にエルに言った。

「ったく小さいなぁお前、ついでなんだし注いでやりゃいいものを」
「ばっか、そんな甘さじゃ組織で上なんか張ってられねーぞ。いいか、部下に注いでやるってのはな、なんか偉い事やって褒めてやる時だけにすんだよ。そうすりゃありがたみがあるだろ」
「ありがたみね、俺にはセコイとしか思えないが」
「るっせ、セコかったら同じ酒飲んでいいって渡しゃしねー」

 エルとネデはどうやらかなり仲が良いらしく、個人的にも友人関係であるようで、会話のやりとりは二人共完全に素のままだ。これが将軍府の将軍補佐とアッシセグの領主の会話にはまず絶対に聞こえないだろうとシーグルは思う。

「その、俺は今回の面子の中ではオマケのようなものですからね、同じ席で飲めるだけで十分です」

 ガタイはいいが言動は柔らかいラダーがそう言えば、一応エルとネデのやりとりは終わる、が。

「オマケというのはないだろ、セイネリアの指名ではないのか?」

 シーグルがそう聞いてしまえば、ラダーはすまなそうにその大きな体を少しちぢこませて苦笑いをした。

「あーいえその、オマケというか代理ですよ。アウドさんの……」

 そういうことか、とそれで一応シーグルも納得はする。アウドの足はこの間の襲撃で入れた植物擬体がだめになってしまい、まずは治療と、それが完了してから新しい擬体パーツを入れる事になっていた。見舞いにいけば元気そうに振舞っていた彼だが、さすがに今回のアッシセグ行きの件を話した時は治療中の足を恨めしそうに見て謝っていた事を思い出す。

「代理といっても、あいつのように俺の盾になるとかいい出す気じゃないだろうな」

 言えば、穏やかだったラダーの表情が引き締まって、真剣な目でこちらを見てくる。

「勿論、貴方を守る盾となる為に決まってるじゃないですか。俺もまたマスターに命を捧げています。この図体と力くらいしか取柄のない俺と契約して望みを叶えて貰ったんですから、あの人の大切な人である貴方は俺の命にかえても守るつもりですよ」

 その言葉を流石に否定は出来なくて、だがその重みにシーグルは大きくため息をつくしかない。
 シーグルはずっと『守る側』の人間として生きてきた。確かに上に立つ人間としての教育も受けてはきたが意識はどうしても『大切な人々を守りたい』という願いが強くて、自分の事をまずまっさきに考えるのが難しい。
 とはいえ、セイネリアの事を考えれば自分はまず何があっても生き延びなくてはならないのだろう。彼を一人置いて逝く事だけはしてはならない、なにがあっても……考えている内にまた頭がセイネリアについて考える事に沈んで行きそうになって、シーグルは軽く頭を振った。
 そうすれば、自分が暗い顔をしてしまった所為かラダーまでもが顔を沈ませてしまって、だからシーグルは話を変えて聞いてみる事にした。

「そうか、貴方もセイネリアと契約しているのか。……ならばもし……よければでいいのだが、契約の時に引き換えに何を望んだのか教えて貰ってもいいだろうか?」

 そうすればぱっと見ランを思い起こさせる大きな体の男はにこりと笑った。

「構わないですよ。俺は孤児で……西区の貧しい孤児院で育ったんで、その孤児院を守って欲しいという願いだったんです。実際マスターは守るだけではなく定期的に子供達に服やプレゼントを贈ってくれて、俺の願い以上の願いを叶えてくれましたがね」
「あぁ、貴方が……」

 孤児院にプレゼントを贈る、というのに心当たりがあったシーグルはそれで思わずそう呟いてしまって、それから急いで言い直した。

「あいつは何気に、契約した部下に対して望み以上の望みを叶える事が多いな」

 ラタの件も込めて言えば、黙って話を聞きながら静かに飲んでいた元リパの大神官である男が話に入ってくる。

「確かに、そうなのかもしれません。私もある意味そうではありますから」

 それを聞けば、シーグルとしても彼の願いも聞いてみたくなってしまったのは仕方ない。

「貴方の願いを聞いても構いませんか? 勿論、良ければですが」

 そもそも元リパの大神官であるロスクァールが何故セイネリアと契約などする事になったのか。聞きたかったが相当の事情があるだろうと思える分今まで聞けなかった。

「そうですね……まぁ、ここにいる人達相手ならいいでしょう。ただし、他には言わないように」

 それには全員が頷いて、ロスクァールに注目が集まる。彼は神官らしく柔和な笑みを浮かべると静かに口を開いた。

「願い自体は、アルタリアと私の身を保護してほしいという事だけなんですよ。ただ、あの子に関しては複雑な事情があるのです……あの子は、当時の別の大神官が部下の女神官に手を出して生まれた子で……」

 当然それには驚くしかないシーグルだったが、彼はまず養女となったアルタリアとの出会いから話してくれた。

 ロスクァールがアルタリアと出会ったのはリパの大神殿での事だった。彼女は大神殿内の孤児院で育てられていて、しかも他の子供達からはいつでも離れて一人でいた。だから彼が何故一人でいるのかと聞いたところ、少女は自分の魔力の所為だと答えた。どうも魔力が高い所為でたまに魔力が溢れてヘンな事が起こる、それを見られて気味悪がられたくないから一人でいると。
 ロスクァールは彼女の適正が神官ではなく魔法使いではないかと思って、それで自分の知る限りの魔法使いに関する知識を教えた。ある程度の年齢になったら魔法使いを紹介して弟子入りさせてやる事を約束して、いつも一人でいる少女と友達になった。
 だがある日、明らかに少女を殺そうとする何者かから彼は少女を救った。
 その直後、当時次期主席大神官筆頭とも言われた大神官にロスクァールは呼び出され、アルタリアが本当はその大神官の子である事を教えられた。そうして、この件に深入りをするな、次に何かあっても見ぬふりをしろ、と言われたのだ。
 ロスクァールは大神官ではあっても孤児の出で、政治的能力はまったくない弱い立場であったからそれを断る訳にはいかなかった。けれど、それで悩んでいたところ……直接の部下であった頭のいい若い神官にアドバイスをされて、ロスクァールはこっそりセイネリアに会って自分と少女の保護を求めたのだという。
 そこまで聞いてシーグルは、まさかと思いながら聞いてみた。

「その、若い神官というのは、現在も大神殿にいるのですか?」
「あぁ、いるも何も、今は主席大神官様だよ。当時から頭が良くてね、けれど彼はいかにもな権力者が嫌いで件の大神官の事を酷く嫌っていたのを知っていたから私も正直に相談してしまったんだ。そうしてこちらの安全をセイネリア・クロッセスに確保させると、彼はアルタリアの母親――既に自殺していたのだがね――その事実を使ってあの大神官を失脚させ、ちゃっかり自分が大神官になった、という訳さ」

 つまりロスクァールがここにいるのはテレイズが関わっていたのかと思えば、その奇妙な繋がりにシーグルが笑ってしまったのは仕方ない。

「彼の事は俺も知っています。本当に……世の中というのは面白いものですね、全く関係のない筈の人間が知っている人間と繋がっている、という事がよくあるのですから」
「全くだね、全てはリパの作りたもうた輪の中にあるのさ」
「えぇ、そうですね」

 聞く筈のない知人の名を思わぬところで聞くというのは嬉しいものである。ましてやそれがいい話であるなら尚更。もうかつての知人達に『シーグル』として会う事は出来なくても、名を聞けば繋がりを感じられる、彼らとの絆を確認して嬉しくなる。

「マスターは私が正式に神殿務めを辞めて大神官の役職を手放す手続きも、アルタリアを養女とする手続きもやってくれて、おまけにあの子の師匠も紹介してくれた訳だからね。私は安全な居場所さえ確保して貰えればいいと思っていたから願い以上を叶えて貰った事になる」

 そうすれば、既に4杯目の酒を注ぎながらエルが口を開いた。

「でもな、だからって必要以上に感謝し過ぎるこたねぇんだよ。あの男が必要以上の願いを叶えるのはな、そうした方があの男にとっても都合がいいからなんだからな。『味方の場合は、本人の望む立場と仕事を与えれば最大限の能力を発揮して使える』っていうのがあの男の考えなんだからさ。一見そこまでしてくれるのかっていう事態はな、結局はあの男にとって都合がいいからって事に繋がるのさ」

 それはラタも言っていた。それが分っていてもラタはセイネリアに感謝していると言っていた。人を最大限に利用する為に、その人間が一番望み、そうであるべき使い方をする。言うのは簡単だが、その状況を全部読んでその通りにするのは普通は出来ない。だからセイネリアが主としては申し分ない人物だと彼らは思える。その能力は素直に尊敬と感嘆に値すべきものだ。




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 男だけの飲み会その1。レストは女性陣と一緒ぽいです。
 



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