勝利と歓喜の影




  【11】



 セニエティの街は歓喜の声で沸いていた。
 つい先日までは静まり返っていた大通りは人々の姿で埋め尽くされ、閉ざされていた街の3つの門は大きく開かれて外からもぞくぞくと人が入ってくる。一般人も冒険者も、少し前まで彼らを監視していた兵士達でさえ、肩を抱き合い、笑い合いながら、それぞれ喜びを交わしあっていた。
 王が倒されたと、その知らせを聞いた途端、各地区で暴動を起こしていた人々は勝利の声を上げ、王側の兵士達は戦いを放棄した。そうして戦々恐々と家に籠もっていた人々もその声を聞いて、誰も監視する者がいなくなった街へと出てきたのだ。

 歌が、聞こえる。

 それは故シルバスピナ卿を称える歌であり、彼の死を悼む歌でもあった。喜びに包まれた人々の笑みに涙を落とすその歌を、けれど誰も文句を言おうとはせず、それどころか歌の中で繰り返される一つのフレーズを誰ともなく共に歌い始める。

――彼はいつも誰かの為に働いていた。
  彼はいつも誰かの幸せの為に戦っていた。
  背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向き、いつでも正しくあろうとした。
  楽をしようと思えばいくらでも出来る地位であるのに、彼はいつも困難な道を選び、苦しみながら、誰かの幸せの為に生きていた。

 それを聞けば溢れてしまう涙を、硬い皮で覆われた無骨な手で拭いながら、男は人々の中心でその歌を歌っている詩人の姿を追っていた。
 
「くそ……あの人が死んだ筈はねぇんだ」

 その吟遊詩人は派手好きな詩人らしくなく黒い服に身を包み、暴動の発端でもある西区の人々と共に歌を歌っていた。詩人が黒い服である理由は、一見すればシルバスピナ卿の死を悼んでいるかのようにも見える。だが、それだけではないと男は思っていた。
 はっきりと見えた訳ではないが詩人が動いた時、翻ったマントの下の腕の辺りに花と黒い剣の印が見えた気がした。それが、黒の剣傭兵団――かつてこの街で最強と呼ばれた組織のエンブレムであるとすれば、詩人はその一員であるという事になる。あそこの者はその名の通り黒い服装をしている事で有名だった。
 そして現在、その団が最強と呼ばれた最大の原因である長の男は、これからこの首都に迎え入れられるであろう新政府軍の総指揮官となっている。つまりあの詩人は、新政権――かつては反乱軍と呼ばれた――側の人間であり、この暴動を起こした張本人である可能性が高いということだ。

――まぁとはいっても、この事態は起こるべくして起こったものではあったんだろうが。

 そう考えて男は苦笑する。
 シルバスピナ卿が処刑され、その子を新王として反乱軍の成立が宣言されてから、この西区では暴動自体はいつ起こってもおかしくない状態だった。いっそよく今まで抑えられていたものだと思うくらいだ。
 そんな状況の中、ふらっとやってきたあの詩人が水場で歌いだし、人々がその歌を聞きに集まって……最初に、現王を倒して新王を迎え入れようと言い出したのは誰だったか。反乱軍は現王の軍勢を倒しエフランの森まできていると言ったのは誰だったのか……ともかく、誰かが言い出したその言葉に人々の声が重なり、自分達が立ち上がるべきだと口々に言い合いだしたところで、この辺りで唯一の神殿であるヴィンサンロア神殿の神官と、リパ大神殿からの使いだという5人のリパ神官がやってきて言ったのだ。

 もし、あなた方が戦うというなら、我々はあなた方を守る事に全力を尽くしましょう、と。

 そこから後はもう、誰が中心とかいうでもなく人々はシルバスピナ卿を称えるその歌を歌い、人数を増やしながら表通りへと向かって歩きだした。そうしてついに止めにきた兵達と衝突し、武器はなくとも約束通り神官達の守りもあって人数で押し切り、本気で戦力を整えてきた兵士側と睨みあう――という状況になったのだ。

「皆を扇動した吟遊詩人が、黒の剣傭兵団の人間ってぇのは出来すぎだろ」

 反乱軍を率いて現王軍を撃破しながら首都をめざし、民衆に暴動を起こさせて到着と同時に戦わずして首都に入る。しかも神殿関係の協力も取り付けてあるとなれば、あきれるほど用意周到というかすばらしくよく出来た計画だ。

 だからこそ、男は思う。
 この計画を立てた人物は明らかに冷静だと。そしてこの計画自体、時間を掛けて準備された上に実行されたものだと。

 だが、だからこそおかしい。

 これだけの事を考えついて実現させるなど、セイネリア・クロッセス以外には考えられない。だが、あの男がシーグルを失った直後にこんな計画を突発で立てられたなどとは思えない。いやもし、最愛の存在を失ったその怒りを原動力にしてこれだけの事を実行したのだとしても、ここにいたるまでの時間が早すぎる、あまりにも上手く行き過ぎているのだ。

 それに疑問ならまだいくつもある。

 シーグルの処刑の日、それを止めようと動いていた者は少なくなかった。それが成功しなかった事は仕方なくとも、それで騒ぎの一つさえ起こらなかった事はおかしくはないか? それにそもそも根本的な問題として、シーグルの処刑をあれほど強引に実行するほど、本当にそこまで王は愚かだろうか?

 そこで気づけば、男が目で追っていた黒い吟遊詩人はいつの間にか人々の群の中で目立たない位置へと移動していた。興奮した人々が歌う中、詩人が歌をやめた事など誰も気づかず、そして彼の姿を気にしている者も男の他にはいなかった。そうして見ている間に、詩人はこっそりと裏通りへと消えてゆく。
 男は黒い吟遊詩人を追いかけた。

「まぁ、ご主人様のとこに案内してくれる……程親切じゃないとは思うがね」

 自嘲ぎみにいいながらも、案外すばしこい詩人を追いかけて男は走る。体力には自信があるからへばりはしないが、これ以上速く走られたら追いつけるか自信がない。足を引きずった不恰好な姿で走りながらも、男はそれでも必死に詩人を追いかけた。

 シーグルの処刑の後からずっと男は思っていた。あれが本当の処刑でなく、敵対勢力の炙り出し、たとえばセイネリア・クロッセスをおびき寄せる為の偽装処刑だったとしたならどうだろう? 偽装なら後で無事なシーグルを出す事でいくらでも修正が利く。最初から王はそのつもりでいたなら――それはちょっとした疑問が生んだ、男にとって希望的とも言える予想ではあった。だが、考えれば考える程、それは正しい気がしてしまうのだ。

「くそ、速えぇな」

 小柄な体もあってか、軽やかに吟遊詩人は走っている。皆表通りに出ている所為か細い裏路地には人が見当たらず、その状況で追いかけているのだから向うにはバレているのは確実だろう。逃げる詩人を必死を追う男は、それでもどうにか詩人の姿を見失わずにいた……のだが。
 とある曲がり角を曲がった直後、男の足が止まる。
 それは別に詩人を見失ったからではない。曲がった途端、少し広くなっている袋小路の真ん中に、詩人がこちらを待つように立っていたからだ。

「私に御用でしょうか、騎士殿」

 優雅に手を前に出してお辞儀をしてみせた詩人に、男は一瞬たじろいだ。だがすぐに余計な考えを振り切り、詩人に向かって口を開いた。

「お前、黒の剣傭兵団のモンだろ?」

 そうすれば詩人は気が抜ける程あっさりと、左様です、と答えた。

「つまりお前はセイネリア・クロッセスの命令で、民衆を扇動しにきたってところか」
「えぇまぁ、それを否定はしませんよ」

 詩人の口調は会話の内容からすればあまりに軽い。追い詰められて仕方なく白状した、というのもなく、ただ聞かれたから答えたという程度の言い方だ。
 それが妙にカンに触って、男は少し怒気を含んだ声を張り上げた。

「民衆を操り、神殿さえも動かして、自分は悠々と歓迎されて首都に入るって寸法か。シルバスピナ卿が処刑されるのも、その所為で英雄視されるのも、その息子を王にするのも、全部あの男の計画通りなんだろうな。……それこそ、随分前からの、全部が全部あの男の計画の内なんだ」

 そこまで言えば、詩人は少し黙った後に聞いてきた。

「……貴方は、何故そう思ったのでしょうか」

 広いつばのある黒い帽子で目は隠されて、口元だけの詩人の表情は見えない。
 男は今度は明らかに怒鳴った。

「は、事態があの男にとって全部都合良くいきすぎてるんだよ。王の馬鹿さ、民衆の扇動、英雄扱いのシルバスピナ卿に、その子を立てて王にする事で簡単に纏まる貴族共、気味悪いくらいに状況を利用して綺麗に操って見せる……そんな事が出来るのはあのセイネリア・クロッセスくらいだ、そしてそこまでの計画ならあの人の処刑前……ずっと前から準備されてたのも確実だ」

 そう、あまりにも出来過ぎているのだ。
 だから当然、これだけの大それたことが出来る男が立てた計画なら、恐らく間違いないと、男は確信している事があった。

「なぁ、シルバスピナ卿……アルスオード・シルバスピナは生きてるんだろ」

 今度は詩人は黒い帽子を取ってみせた。
 その顔に動揺は見えなかったもののあまりにも表情のない真顔で、それは逆に『何か』がある事を男に予感させる。

「そうだろ? そもそもそこまでの計画を実行に移せるような男が、自分の最愛の人間が処刑されるのを黙って見てたなんてありえねぇ。本当は生きてあの男のもとにいるんだろ、あの人はっ」

 シーグルに危害を加えた者達をセイネリアがどのようにしてきたかを考えれば、突発の事故とかではなく、あんないかにも見せしめというような人前での処刑を止められなかった筈がない。本当の処刑だったらどんな手段を使ってでもあの男は絶対にシーグルを救い出す筈だった。

 だからこそ自分はここにいる。
 シーグルが生きている事を信じて、アウド・ローシェはどうにかして黒の剣傭兵団の者と接触しようとしていたのだ。

「成程」

 黒い帽子を再び被って、口元に笑みを浮かべて詩人は言う。

「そうですね……では一言だけ。『もし貴方が信じるものの為に未来を全て捧げるというなら、いつか貴方は答えにたどりつけるでしょう』とでも」
「それはつまり……やっぱりあの人が生きてるって事だよな? あの人のとこにたどりつけるって事だよな?」

 だがそれには詩人は口元の笑みだけで答えず、代わりに最初と同じお辞儀を返す。

「さぁ、答えには自分でたどりついて下さい。……さてでは、私は迎えがきましたのでここでおいとまさせて頂きます」

 そうすれば、詩人の後ろから女性らしき人影が現れて詩人の腕を掴む。ちらとその手に杖が見えたから、恐らく魔法使いだと思われた。

「おいっ、待て、あの人はセイネリアのとこにいるんだろっ」

 けれどその声が届く前に、詩人は迎えの者と共に姿を消す。
 一人裏路地に残されたアウドは、その場で何も言わず暫くの間立ち尽くしていた。だが傍に行く者がいたなら、彼から僅かに聞こえる嗚咽の声で彼が涙を流している事が分かったろう。

「生きてる……生きてる……生きてるよな、あんたはまだ死んでいい人間じゃない筈だ」




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 はい、忘れられてたんじゃないかなーというアウドさんですが、彼だけは諦めきれずにシーグル探してたんですね。



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