【11】 シーグルは一度大きく息を吐いて自分を落ち着かせた。それから今度は何を言われても動揺しないよう、覚悟を決めて彼を睨んだ。誰よりも強い男は、顔はかろうじて無表情を保っていたものの少し怯んだように目を細めた。 「セイネリア、それならそもそもお前がそこまでおかしくなる原因をどうにかすればいい話だ。俺にはお前がそこまで追い詰められている本当の状況が分らない。……お前はまだ俺に隠している事がある筈だ、分らないのにお前を責めたくない、全部話してくれ、俺はお前が何であっても構わないと言ったじゃないか、お前を知ってお前の苦しみを理解したいんだ」 セイネリアはそれには何も答えなかった。ただ、苦し気に細めた瞳でシーグルを見つめ、口を固く閉じていた。シーグルは今度は彼にわざと見せつけるように大きくため息をついてみせた。 「……なぁセイネリア、もしかしてお前は、俺がお前の傍にいるのは契約の為だけだからだとでも思っているのか?」 セイネリアが僅かに瞳を見開き、そうして伏せて下を向く。それを許さず、シーグルは机を叩いた。 「契約の為に仕方なくお前の傍にいて、嫌々お前に抱かれてるとでも思っているのか? 俺の反応は嫌々抱かれている男に対してのモノだと思っているのか?」 今度はわざと怒気を抑えもせずに怒鳴りつける。 愛しているとその言葉は言えなくても、自分も彼を愛しているのだとそれで伝えてやりたくて、シーグルは彼に訴える。 セイネリアはそれでも顔を上げなかった。シーグルの顔を見ようともせず下を向いた彼に……最強の男のそんな姿に、悔しくて、哀しくて、シーグルの瞳から涙が落ちた。 「お前は……俺を憎んでもいいんだ」 そこで下を向いたままの彼が言った言葉に、シーグルは我が耳を疑った。こんな時に今更何を言い出すのだとそう思った。 シーグルが睨む中、ゆっくりと顔を上げた彼の顔はやはり無表情で、見ただけで他人を威圧する琥珀の瞳は感情を消したというより空虚を映しているようだった。 「……シーグル、俺はお前の身代わりの処刑が行われるのを見ていた」 彼が言っている事を理解して、シーグルの瞳が見開かれる。すぐに頭の中には、自分を憧れの瞳で見つめてくる純朴な青年の姿が浮かんだ。 「お前の処刑が行われた日、いざとなれば俺は処刑台からお前を救えるだけの準備をして待っていた。だが処刑されるのがお前でないと分かった段階でそのまま刑が執行されるのを見ている事にした。お前の身代わりを助けるより、ここで刑が執行された方がお前を助けるのにも、リオロッツを追い詰めるのにも都合がいいと考えた、それにその方がお前を縛れるとも思ったからだ」 空虚を瞳に映したまま、セイネリアは唇だけで笑ってみせる。 その顔をじっと見つめながら、シーグルは彼の真意を見つけようとする。頭から離れない青年の笑顔に感情を揺さぶられながらも、それにひきずられないようにふりきって彼のの本心を知ろうと彼の言葉の言動の一つ一つを注意深く聞く。 セイネリアは不気味なまで抑揚のない声で、シーグルの瞳を真っ直ぐ見つめて淡々と言葉を続けた。 「お前の身代わりになってまで死んだ者がいれば、お前の性格上益々元の場所に帰れなくなる、お前を英雄に祭り上げたのもその為だ。俺が将軍なぞ引き受けたのは、お前との契約の為に俺が動けば動くだけ恩を感じてお前は逃げられなくなると考えたからだ。たとえ俺を憎もうとも、俺が約束を果たしている限りお前は契約に縛られて俺のもとを去らない、全部お前が俺から離れられなくなる為にしたことだ。お前の感情も、俺の感情も、目的の為なら二の次だった。それが上手くいって、お前は今ここにいる」 セイネリアが口を閉じた途端、シーグルは思わずその語尾を取って吐き捨てた。 「上手くいった……だと?」 完全に表情を消したセイネリアは、動揺を少しも見せない。 だがシーグルは知っている、この彼の顔は、かつて壊される事を望んだシーグルに向けて『イラナイ』と言って去った時の彼の顔と同じだと。シーグルを助ける為、自分の心の痛みを殺していたその時の彼と同じだと。 「お前は、本当に俺に憎まれてもいいのか?」 シーグルが望んでいるのは、セイネリアを一方的に苦しませて守られる事ではない。たくさん悩んで、葛藤して、それでも彼を選んでここにいるのはこんな彼を見る為ではない筈だった。 「構わない、お前の存在そのものに比べれば優先順位は低い」 そうして彼は、自分の痛みをまた殺して、それでシーグルを守るつもりなのだろうか。あの時とは違って、既にシーグルが彼のものであるにもかかわらず、自分の感情を殺してこちらに触れないようにして……馬鹿馬鹿しいとしか思えない。かつてセイネリアはシーグルの自己犠牲的な考え方を責めて、自分の身を優先しろと言ってきた。それなら今の彼はどうだというのだろう、セイネリアがシーグルに関して動く時はどこまでも自己犠牲的ではないか。 「最優先はそれだとしても、それ以外を全部を切り捨てたら辛いに決まってるだろ。お前は言ったじゃないか、俺も人間だと、弱いと……なら、お前はお前自身を救うために行動しなければならない、人は何時までも傷つき続けるのを耐えられないものだ」 そこで仮面のように纏っていた彼の無表情が少しだけ綻んで、彼は自嘲気味に笑った。 「俺の救いは……お前さえいればいい」 どうして彼はそこまで自分に執着するのだろう――自分の存在を無くすのをそこまで恐れるのだろう。自分の感情を抑えてまで、異常なまでに恐れるのは何故なのだろう。 「例え、俺に憎まれても、触れられなくてもか?」 「……そうだ」 それにはもう、彼の決定が馬鹿馬鹿しくて笑う事しか出来ない。涙は止まらないのに口元が引きつったような笑みを浮かべて、シーグルは彼の顔を最早見る事もなく机に両手を付いたまま下を向いた。 「今後、お前の事はあくまで部下として扱う。お前がつけた条件だ、その通りにするだけの話だな」 それには実際笑い声を上げてやってから、シーグルは顔を上げて彼を睨む。 「何が部下としてだ、俺の命を駒として扱えない段階でただの屁理屈だろ」 「それでも……俺が決めた、俺の命令だ。今後お前は俺と寝なくていい。もしそれで身体が寂しいというなら、お前には丁度よく相手をしてくれる部下も出来たろ」 ここに来て、そこまで自分を殺す気だろうかこの男は――シーグルはそこで自分を抑えずに声を張り上げる。 「馬鹿にするなっ、本当にお前は自分の言っている事が分かっているのか? ちょっと前までは俺がお前以外の者の事で思い悩んだだけで不機嫌になっていたじゃないか、一体、お前はどうしたいんだ? それで本当にお前は満足なのか? 答えろセイネリアっ」 セイネリアの表情は崩れる事なく、ただ真っ直ぐにシーグルを見つめて彼は告げた。 「話は終わりだ、部下なら大人しく命令に従え、レイリース。俺は少し寝る……部屋から出ろ。お前は今日は俺に付かなくていい、エルの仕事を手伝え」 言ってまた机の上に足を上げたセイネリアを、シーグルは歯を噛み締めて睨んだ後、一歩引くと背を正して彼に丁寧に礼をした。 「……承知致しました、将軍閣下」 甲冑の人物が出て行くのを見届けて、内扉の外から入れ替わるようにカリンは部屋の中に入っていく。椅子に背をもたれかからせて下を向くこの部屋の主は一見、寝ているようにみえた。 「眠れるのですか?」 カリンが近づいて行っても彼は動かなかったが、彼の椅子の横にまでいけば、彼女の唯一の主は静かに答えてくれる。 「眠れれば、いいんだがな」 「眠ろうとしたのですか?」 「そうだな――直接あいつの傍でなくてもあいつが認識できる範囲内にいるなら大丈夫だと思ったんだが……久しぶりだったからな、少し、堪えた」 「ならせめて体を休ませる為にベッドに横になっては?」 「体は休めなくても問題ない、どれだけ疲れても剣が勝手にどうにかするさ。それに慣れてる、あいつを手に入れるまではずっとだったろ」 カリンは彼の椅子の横に跪いた。そうして肘置きにある彼の手に自分の手をそっと置くと、さらにその上から自分の頭を置いて目を閉じた。 「またこれから毎日悪夢を見るおつもりですか」 「……前もそうだった、戻るだけだ」 「いいえ、もう大丈夫だと一度安堵する事を覚えた後では前よりずっと辛いと感じたのではないのですか? だから眠るのを止めてここにいたのではないのですか?」 カリンは知っている。彼がシーグルを愛していると気づいた時から彼が悪夢に苛まれている事を、その悪夢がシーグルを抱いて眠れば見なくて済む事を。つまり、今の彼女の主が本当に安眠出来るのはあの青年の傍だけなのだ。 黒の剣は常にセイネリアを狂気に取り込もうと働きかけている。ただ平時のセイネリアにはつけこむような隙はないから、彼が眠っている間に入ってこようとしてくるのだろうと、セイネリア本人は前に言っていた。実際、剣を手に入れた時から彼は頻繁に自らが殺した母親の夢をよく見るようになっていたという。ただし、その頃はそれに彼が動揺しなかったから問題がなかっただけの事だった。 その、夢が、シーグルの夢にすり替わってから、それは彼にとって悪夢となった。 あまり詳しく夢の内容は聞いていないが、シーグルが死ぬ姿を何度も見せられるような夢らしいというのはカリンも分かっている。それが積み重なって、この誰よりも強い筈の男の精神が徐々に不安定になっているのも分かっている。 「問題ない、きっとそのうち何も感じなくなるさ」 言うと彼は皮肉気に笑う。 ずっとこの男の傍にいて、カリンは分かった事がある。 この男は泣くことが出来ない、泣く代わりに笑うのだと。 「そのうち、苦しまないように、シーグル様への感情も切り捨てるのですか? お母上のように」 自分が部下の範疇を越えた発言をしているという自覚はあっても、カリンは聞かずにはいられなかった。 カリンが言った途端、セイネリアの笑い声が止まる。 彼は、カリンの発言を怒りも、諌めもしなかった。 ただしんと静まり返った部屋の中で、カリンは彼の痛みを感じていた。 「えーと、我が主においてはご機嫌うるわしゅう……はないと思いますが、少々よろしいでしょうか?」 唐突に扉の開く音と共に入って来た声に、カリンはすぐに立ちあがるとこの空気を読まない訪問者を睨んだ。 「構わん、だが……朝から見たい顔じゃないな」 言ってセイネリアが起き上がって椅子に座り直したから、彼女は彼の椅子のその少し後方に下がる。扉の前で馬鹿丁寧なお辞儀をした人物は、彼のトレードマークとも言える幅広の帽子を手に持って胸に抱えると、にこりと笑顔でセイネリアを見て口を開いた。 「いやぁ、先ほどこの早朝から、貴方の愛しい方が怒って歩いていったのを見ましたので」 セイネリアが口元を歪める。それを見て今は団の一員でもある吟遊詩人はまた馬鹿丁寧に一度お辞儀をして、手にもっていた帽子を被った。 「多少の喧嘩は仲の良い証拠といいますが、もし貴方がわざと彼を怒らせたのでしたら、少々言っておきたい事がありまして」 「……なんだ?」 聞き返したもののセイネリアの声は明らかに興味がなさそうで、けれど詩人は気にする事もなく笑みを浮かべたままだった。 「貴方を救えるのはあの青年しかいません」 「そんな事は知っている」 即答でセイネリアが返せば、詩人はワザとらしく大げさに首を傾げてみせた。 「いいえ、貴方は分かってらっしゃいません。貴方が本当の意味で救われるには、あの青年も、貴方も諦めてはなりません。……でなければ奇跡なんてものはおきないのですよ」 「奇跡か……」 「はい、貴方が救われるには奇跡でも起こらないと無理なのではありませんか?」 すると唐突に、セイネリアは声を上げて笑い出した。 「そうだな、奇跡か……奇跡ならもう起こっているさ。俺はもう、救われている」 そこでカリンは思わず一歩前に出て、そのまま彼に言いそうになる。――いいえ、そんなに苦しそうなのに貴方が救われているとは思いません、と。何かを呪うように、自嘲めいた狂気さえ感じる笑い声を上げる愛する男を見て、カリンはぎゅっと口を閉ざすと自分の胸を押さえた。 END. >>>> 次のエピソードへ。 --------------------------------------------- 今回は二人の仲が決定的にこじれ出すまで。セイネリアさんの秘密はもうちょい引っ張ります。 |