決断と決別の涙




  【4】



 太陽が沈み掛け、空に浮かぶ雲たちは白から灰色へと変わる。その日は事務仕事に専念させられる事になったシーグルだが、夕方からはセイネリアについて騎士団の新本部へと行く事になっていた。

 首都の騎士団本部は、城内にあった元の建物は規模を縮小して近衛兵団用の建物とし、新本部は町中の兵舎があったところを拡張して、窓口用の建物と倉庫を追加して全体的に整備したものになる。確保出来た敷地の問題上訓練場は前より狭くなったものの、その分西門に近いため大規模な訓練は街外に出ればいいという訳である。そういう訳で重要事務や会議の場は将軍府の方になる事もあり、騎士団本部の建物としては前よりかなりこじんまりしたものになった。
 軍部の最高責任者になるセイネリアも敷地の拡張をした後の打ち合わせには何度か訪れた事があったのだが、なにせあまりの忙しさの為、設備がすべて揃ってから見るのはこれが初めてになる。勿論基本がセイネリアについていく立場のシーグルもまた初めてで、時間の調整上夕方になって全体がよく見渡せないのを残念だとは思っていたが、新しい騎士団を見るのを楽しみにしていたのだ……そう、つい昨日までは。

 案の定、騎士団本部へ向かう馬車の中、シーグルの様子がおかしい事はセイネリアにはすぐにバレた。というか、おそらくは顔を会わせた時からすぐにバレていたとは思う。
 
「何かあったのか?」
「いや……」

 否定をすれば、セイネリアは不機嫌そうに眉を寄せる。シーグルも彼に対して『何でもない』で隠し通せるとは思っていないが、今ここで事情を話せば今日のこの後の仕事を普通にこなせる自信がなかった。

「少し、考えたい事があるんだ。お前には後で話す」

 そう答えればセイネリアは不機嫌さは変わらないものの追求するのはやめてくれる。正直を言えば彼には極力話したくないのだが、そう言わないと引き下がってはくれないのだから仕方ない。
 ナレドの件は自分の問題で、自分で自分の心に折り合いを付けなくてはならない。シーグルとしては彼に対して申し訳ないという気持ちと自分に対する怒りで頭が一杯になってしまうが、それだけでは彼の死が報われないという思いもある。
 自分のために命を捧げてくれた彼に自分は何が出来るだろう。
 考えてもその答えは出ない。セイネリアのように彼の主としてその死を受け止め、彼に感謝と賞賛を贈るべきだろうか。

――今は、無理だな。

 感謝よりも彼に対して『何故そんな事を了承したのだ』という思いがまずせり上がってくる、彼を非難してしまいそうになる。彼に非はないと思っても、そう考える事をやめられない。
 おそらく、部下としての彼の行動は正しいのだろう。そしてきっと、自分は主として彼には感謝と賞賛を贈り、部下としての彼を誇るべきなのだろう。けれどそう考えられない自分は、やはり人の上に立つ者として失格だったのだろうとシーグルは考える。

 いくら後悔しようと自分を責めようとやり直せる訳じゃない。
 起こってしまった事をなかった事になど出来ない。
 だから自分に出来る事は、彼が自分に対して何を望んでいたか、彼の望むように、彼の期待するように生きる事しかない。とはいえもう、自分は彼が守ろうとしてくれた『シルバスピナ卿』ではないのだ。なら今、自分に出来る事はなんであろうか。

 シーグルは考える。死んだナレドに報いる方法を。彼の死を無駄にしない為の道を。

 だがそうして考えていれば、乗っている馬車の進みが遅くなり、やがて馬車が止まったのを感じてシーグルは慌てて立ちあがった。今の自分はセイネリアの部下である、立場からして主より後に出るなどあり得ない。先に馬車から降りて安全を確認し、主の降車を待たなくてはならない。それだけを考えて急いで扉のカーテンを開けて外を確認し内鍵を外したものの、なかなか扉が開けられなくてシーグルは間抜けにもその体勢で暫く待つ事になる。

「立つのはノックされてからでいいだろ」

 セイネリアに指摘されてやっと、シーグルは自分が焦って手順を飛ばしてしまった事に気付いた。自分の失態に思わず固まっているとノックが響いて、暫くしてからゆっくりと外から扉が開けられる。

「らしくないな。まぁいい、事情は後で教えてくれるんだろ」
「あぁ」

 考えるだけならまだしも、仕事がおろそかになる事があってはいけない。まだシーグルはセイネリアの側近としての公での振る舞いになれていない為、ちゃんと意識していないと思わぬミスをする可能性が高い。それに今回のような手順ミスならまだしも、うっかり『シルバスピナ卿』としての行動を出してしまったら取り返しがつかない事になる。
 仕事中は頭を切り替えないと――と気を引き締め、集中するよう自分に言い聞かせる。先に馬車から降りたら迎えの面々を見渡し、主が降りたのを確認して後ろからついていく。考え事などしている暇はない、建物に入るまでは注意しなくてはならない範囲が広く、気を抜く余裕はどこにもないのだ。
 だが、そうして気を張っていたシーグルは、そこで誰よりも早く頭上に投げ込まれた小さな石の影に気がついた。
 冒険者としての仕事も多くこなしていたシーグルにはそれが何かもすぐに分かる。だから咄嗟に投げ込まれた方向に向けてセイネリアの前に立ちながら叫んだ。

「目を閉じろっ、リパの光石だっ」

 それでも大抵の者は反応が遅れたらしく、白い光に包まれた周囲からは悲鳴や驚きの声が上がる。
 シーグルは目を閉じた状態で剣を腰から抜くと構えをとり、光が収まるのと同時に目を開いた。

 『敵』はすぐに来た。

 伸びてきた剣をシーグルは即座に受ける。
 だがそうすれば今度は相手の盾で押しきられ、シーグルは一歩足を引いた。盾で顔を隠した襲撃者の正体は分からない。けれどちらと相手の足を見たシーグルは、その人物が次に踏み込んでこようとした時に『分って』しまった。
 まさか、と剣を受けながらも息を飲む。
 更に向うが盾でまた押しきってこようとした時に、シーグルは避けた後にその『敵』の顔を見た。
 一見、髪も髭も最後に見た時より伸びているから別人に見えるが、その人物がシーグルの思った人物であることは間違いないと確信する。

「アウド?」

 けれど驚く間もなく避けた筈の盾がまた追って来て、シーグルは横に回り込みながら咄嗟に相手の足を引っかける。何度も手合せでした動きを、意識するより早く体がしてしまっていた。
 倒れ込む襲撃者、一斉にそれを抑え込む騎士団の兵達。
 呆然と見つめるその襲撃者の顔は、間違いなくかつての騎士団での部下、アウド・ローシェだった。







 将軍府の執務室に今いるのは、セイネリアとシーグルの二人だけだった。
 しん、と静まり返った重い空気の中、シーグルは思い切って主である男に尋ねた。

「彼は、どうなるんだ?」
「死刑だろうな」

 予想はしていてもハッキリ言われれば息を飲む。

「何故……こんな事を」

 シーグルには分からなかった。何故今、彼がセイネリアを殺そうとするのか。自分を殺した黒幕がセイネリアだとでも誰かにそそのかされたのか、それとも自分を殺そうとしていた魔法使いの残党に操られていたか。どちらにしろ、セイネリアがシグネットを守る立場である以上、彼が自らの意志で今回の行動を起こしたとはどうしても思えなかった。

「本人の言葉通りなら俺を狙った理由はロウという男と同じだそうだ。シルバスピナ卿を助けず見捨てた俺が許せない、とな」

 ならば彼はロウのように死ぬつもりだったのだろうか、とシーグルは思う。それなら分かる気もするし、彼なら自分が死んだ時点で死を選ぶ可能性もないとはいえないが……それでも納得がいかなかった。

「彼を、殺さずに済む方法は……ないのか」

 ただ、彼の意志はどうあれ、シーグルは彼を殺したくない。これ以上……自分のせいで死ぬ人間など見たくなかった。

「ロウという奴の場合は戦場だったし俺も正式にはまだ御大層な役職を持っていなかったからどうにでも出来たが、今回は無理だな。俺の意志に関係なく、将軍としての俺を狙った者を明確な理由もなく助けたら新政府の基盤が揺らぐ」
「アウドがっ……彼が、新政府の害になる筈はないっ、それに彼は……彼の剣は殺気がなかったんだ」

 アウドがセイネリアを本気で狙っていたと信じられないのは、どうしてもそれがひっかかったからでもある。だからシーグルは彼が実は正気でなく操られていたのだと思ったのだ。

「確かに本気で殺す気はなかったのかもしれんな。だがそれを外部の人間に言っても無意味だ。将軍を襲撃したという事実がある限り罪状は死刑だろう」

 それはシーグルも理解出来る。特に今はまだ新政府も発足したばかりで地盤が固まっていない。新政府によって権力の座を追われた者達の残党もまだ完全につぶせていない中、こんな事件があれば見せしめとしても処刑するのは当然だ。

「まぁ、お前の元部下の護衛官共が摂政殿下に頼み込めば、無罪は無理でも死刑は免れる事は出来るだろうな。ただそれはそれで護衛官連中への風当たりが強くなるが」

 それも確かにそうだろうとは思う。現在の最高権力者であるロージェンティならこの状況でも言葉一つで死刑を止める事は出来る。だがセイネリアを狙った者に温情を与えてほしいとロージェンティが言ったとなれば、摂政が将軍に頭を下げたと取られる可能性がある。そうなればその原因になった護衛官達に王宮周りから厳しい目が向けられる事は当然だろう。たとえ護衛官達の頼みではなく、ロージェンティ自身がシーグルの元部下として助けたいからだと言ったとしても、元の仲間である護衛官達に疑いの目が向けられるのは必然だ。

「シーグル」

 そこで名を呼ばれて主である男を見れば、彼は見せつけるように手に鍵を持っていた。そうして、シーグルがそれを見たのを確認するとこちらに向けて放り投げて寄越す。

「あの男は明日には城の牢に移される、助けるなら今夜中だろうな。今ならソフィアを連れていけば中まで楽にいけるだろ、ラストかレストも連れていけばいい」

 現在アウドは取り押さえられたまま騎士団の牢に入れられていた。牢の周囲は流石に断魔石で魔法が利かなくても、騎士団の建物に入るまでは転送が使えるし建物内の構造も分かるから牢までいくのはさほど難しい事ではない。更にアルワナ神官がいれば見張りも眠らせる事ができるだろう。

「とりあえず命を助けるだけなら逃がすのが一番てっとり早いだろ」

 受け取った鍵を握りしめ、そこでシーグルは主に向かって深い礼をして部屋を出た。



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 このタイミングでアウドさん。
 シーグルにとってはきついところです。



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