決断と決別の涙




  【5】



 窓のない部屋はランプの設置もないから真っ暗で、明かりといえば扉についている小さな覗き窓から入る廊下からの光だけだ。
 なるほど、ここはもともと反省房だったところかと、かつて長く住んでいた建物の中の構造を思い出してアウドは目を閉じた。反省房というのは兵舎内で規則をやぶったり喧嘩をしたものを暫く閉じこめておく為の部屋で、足の怪我から団に復帰した頃はよく喧嘩をしたアウドとしては懐かしくはないが見知った場所だ。そこまで分かればここから外までの道順も分かるから、目隠しをして連れてこられた意味もないなと思わず笑う。
 部屋の中は静かで、耳を澄ませても僅かに聞こえるのは厩舎の馬の声くらいだった。だからおそらく現在捕まっているのは自分だけかと思って、直後にそれは当然だろうとまた自嘲して笑う。なにせここは改装が終わって騎士団本部として始動したばかりなのだから。
 目をつぶっていろいろと考えながらも石の床に寝転がっていたアウドは、だがそこで僅かな人の気配を感じて薄目を開けた。気配を辿って視線を鉄の扉に向ければ、やがてガチャンと小さく音がし、自ら扉が僅かに開く。部屋の中へ入り込んだ細長い縦の光を目を細めて眩しそうに見たアウドは、だが暫くその扉を睨んでからまた目を閉じた。
 そのまま、音もなく暫くの時間が過ぎる。
 しびれを切らしたのは、扉の向こうの人物だった。

「なぜ、逃げないのですか?」

 期待していたものとは違う女性の声には少し落胆したものの、僅かに聞き覚えがあるその声にアウドは答える。

「逃げる意味がない」
「このままだと貴方は死刑です。死にたいのですか?」
「俺は、あの人がいないと生きる価値がないんだ。だからあの人が本当に死んでるというのならこのまま死んでいいのさ」
「あの、人……」

 呟いて、声は途切れる。この声は確か……と記憶を辿れば、ノウムネズの戦いでナレドが連れてきたクーア神官かと思い出す。ならつまり、あの時の神官はやっぱりセイネリア・クロッセスの手の者だったのだろうか。

「俺は賭けたんだ、もし俺の思った通りなら、あの人は生きててここで俺を助けようとしてくれるだろう。そうでなかったならあの人は死んだとして俺も死のうと」

 外にある気配が僅かに動く。だがその後に足音が聞こえてきてアウドは必死に耳を澄ました。確かに近づいてくるそれを聞きながら、僅かに開いている扉を凝視する。
 カチャリ、カチャリと響く金属音は、その足音の主が甲冑を着ているという事。その歩き方のクセが期待通りの人物である事を確信して、アウドは扉を凝視したまま起き上がった。

「貴方なら俺を見捨てられないと思ってました」

 足音は扉の前で止まる。開いた隙間に金属の光沢をもった影が映る。

「隊長……アルスオード様。いや、今はレイリース様と呼べばいいんでしょうか」

 扉がゆっくりと大きく開く。光を背負って、そこには甲冑の騎士が立っていた。それは昼間、セイネリア・クロッセスの傍にいた、あの男の側近だというレイリース・リッパーという騎士と同じ姿だった。

「何が言いたい、レイリース・リッパーという名以外に俺の名はない」

 震える声は期待する『彼』の声ではなかった。だがアウドには確信があった。

「よして下さい。今更シラをきるくらいなら出てこないでしょう。貴方が生きてることを前提とすりゃあの男の側近が怪しいなんてすぐ分かる、隊長との繋がりを示す理由なんてよく出来過ぎてて却っておかしい。……それに俺は、ロウに会って来たんですよ」

 ロウは言った、あれは確かにシーグルだったと。ただ、今のシーグルは今後一生シルバスピナの名を名乗るつもりはないのだろうと、だからその正体を明かすよう追求をしないでやってくれとも言っていた。

「どうして――こんな事をした」

 今度は否定しなかったその言葉に、アウドは笑みを浮かべる。

「言ったじゃないですか、俺は生きる価値のない最低の人間でした、それが貴方の為に生きる事で誇りを取り戻せたんです。俺の剣は貴方に捧げました、俺はもう貴方の為に生きると決めたんです。今の貴方がどんな立場で何をしているかは関係ありません、貴族でも騎士でもなくて今の貴方のままでいい……お願いです、どんな下っ端でも汚れ仕事でもいいですから俺を貴方の下においてください。どうしてもそれが出来ないと言うのでしたら、このまま俺を捨て置いて立ち去って下さい」

 声と同時にアウドはその騎士に向けて跪き、頭を下げる。そこで顔を見る必要もない、彼が彼である事をアウドは欠片も疑っていなかった。彼が自分の剣を受けた時に間違いないと確信していた。だから今更、彼の正体を確認する必要はない。

「馬鹿な事をいうな……このままここにいればお前は処刑されるんだぞ」
「構いませんよ、貴方が俺をいらないというのなら俺に生きる価値はありません。……貴方が生きていたと分かっただけでも十分です、このまま笑って死ねます」

 そこで彼の息を飲む音がする。ぎゅっと掌を握り締めたのが分る。

「ふざけるな」

 それは小さな声で、呟きのようでもあり、感情が入り過ぎて声が出なかっただけのようでもあった。ただともかく震える声は嗚咽のように激しい息継ぎの音を纏っていて、聞いたアウドの顔から笑みが消えた。

「……何故だ……何故こんな馬鹿な真似をした。そのまま騎士団にいれば護衛官となって騎士として誇れる生き方が出来たじゃないか、お前の足を馬鹿にした連中を見返せたじゃないか」

 その言葉を聞きながら、熱くなる目をアウドは細めた。あぁやはり彼はどこまでも彼らしい、とそう思う。自分の状況だって恐らくいろいろきつい事情があるだろうにやっぱり他人の事を考えてしまう、部下の心配をしてしまう。口元には笑みが湧いて仕方がないのに目からは涙が落ちてくる。悲しくなどないのに、嬉しくて堪らないのに何故涙が出るのかと、アウドは考えながらも顔を上げて甲冑の騎士を見あげた。

「俺を馬鹿にしていた奴らならもうとっくに見返せてますよ。それに俺はそんな役目を貰えるような人間じゃない。護衛官なんて華々しい役目は俺のやってきた事を考えれば出来ませんよ。俺はそんな真っ当な人間じゃない、俺の誇りは貴方がくれたものです、貴方がいなきゃ俺はただのクズ人間としての価値しかないんです」

 甲冑の騎士は立った姿のままぎゅっと両手を握り締め、その腕は力が入り過ぎて震えていた。もしかしたら兜の中の顔は泣いているのかもしれない。あの誰よりも澄んだ深い青の瞳から美しい涙を自分の為に流してくれていると思えば、アウドはこみ上げる熱い感情のまま思わず神に祈りたくなる。神に祈る事などとうの昔に止めてしまった自分が、この彼を生かしていてくれた事へ感謝の祈りを捧げたくなる。

「貴方に誇りを貰った時から、俺の剣、命は貴方のものです。貴方が俺をいらないというのなら、俺はこのまま処刑されます」
「……お前は、まさか俺の正体を確かめる為だけにこんな事をしたのか」
「そうですよ。だって貴方は逃げ道を残していたら意地でも俺に正体を明かしてくれなかったでしょう? 俺に帰れる場所があったら絶対に俺を帰そうとしたでしょう?」

 言って思い切り笑ってみせれば、僅かに嗚咽が聞こえてきた。

「本当に、お前は、馬鹿だ」
「はい、俺は馬鹿者です。だから王様の護衛官なんて偉い役職は無理だったんです」
「お前は――……」

 そうしてそれ以上、彼は言葉を返してこなくなる。代わりに嗚咽の声が先程より大きくなって、アウドは笑って彼を見ながらも頬が濡れて仕方ない事を自覚していた。

「あの、ね」

 すると甲冑の騎士の後ろから、そっと小柄な少年が姿を現した。

「マスターが、その人を連れてこいって」

 直後に、アウドは顔から笑みを消した。
 あの男の事だ、自分の本当の意図も、この状況も、きっと既に御見通しだったというところだろう。それに覚悟はしていた――現在シーグルがセイネリア・クロッセスのもとにいる以上、あの男を避けて通れる筈がない。会わなくてはならない、会って交渉しなくてはならないと、それは分かっている事だった

 信じるものの為に未来を全て捧げれば答えを手に入れられる、と吟遊詩人は言った。だからアウドは、その答えのために自分の未来――命を懸けた。答えのために命を懸けたのなら、やはり望む未来を手に入れるためには命を差し出す覚悟が必要だろう。



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 アウドにこう出られたら、今のシーグルが折れるのは仕方ないかと……というお話でした。
 



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